第36話 前衛芸術です
相手は、レオン。
寮の部屋で、俺は天井を見ていた。
火と剣の、熱血の騎士志望。教室でいちばん声が大きくて、いちばん俺に突っかかってくる奴。
(来た。ライバルとの一騎打ちだ)
胸が、どきどきした。
いや、喜んでいる場合か。負けたら落第だ。
でも、勝ったら目立つ。目立ったら、隠せない。
どうすればいいのか、さっぱり分からない。
とんとん、と扉が鳴った。
つま先の癖とは違う。本物のノックだ。
* * *
「ティオ、いる?」
扉を開けると、ベルントが立っていた。両手に、焼き菓子の袋をかかえている。
「となりの部屋なんだよぉ。あいさつ、まだだったから」
そういえば、そうだった。ベルントの部屋は、俺のとなりだ。夜中に、ときどき「お腹すいた」という寝言が壁ごしに聞こえる。
「これ、うちのお店の。はちみつの焼き菓子。食べて」
「……いいのか」
「いいよぉ。ぼく、落第仲間だし」
「仲間にするな」
でも、受け取った。
はちみつの焼き菓子なんて、生まれてはじめてだ。ひとくちかじると、口の中が甘さでいっぱいになった。
ピアにあげた飴を思い出した。あれの、百倍くらい甘い。
「……うまい」
「でしょお?」
丸い顔がにこっと笑って、部屋に入ってきた。座る場所をさがして、きょろきょろする。椅子はひとつしかない。俺が座っている。
そして、寝台の足もとにあった箱に、どっかりと腰をおろした。
俺の荷物箱だ。
みしっ、と音がした。
「あ」
ふたが外れた。ベルントの重みで、箱がかたむく。中身が、床にざあっとこぼれた。
着がえ。ぼろの手ぬぐい。灰色の外套。
そして、布にくるんだ、黒いもの。
布がほどけて、それが床をころころと転がった。
黒い粘土を焼き固めた、目から上の半面。
仮面だ。
俺の、ノワールの仮面だ。
* * *
「わあ」
ベルントが、仮面を拾い上げた。
「これ、なに?」
頭の中が真っ白になった。
まずい。まずい。まずい。
いや、落ち着け。王都で、ノワールの名前を知っている人はいない。ロウエンの見習いの仮面なんて、ここでは誰も見たことがない。
だから、これはただの、変な仮面だ。
何を思ったか、ベルントはそれを顔にあてた。部屋のすみの、小さな鏡をのぞく。
ぽっちゃりした丸い顔の上半分が、真っ黒になった。
似合わない。おそろしく似合わない。
「ティオ、これ、なに? お面?」
「……前衛芸術だ」
口から出たのは、それだった。
「ぜんえい、げいじゅつ?」
「そう。顔の上半分を、隠すことで……その、人の、本当の顔とは何かを……問う」
自分でも、何を言っているのか分からない。
ベルントは、鏡の前で首をかしげた。右を向く。左を向く。それから、目を輝かせた。
「すごい! 売れそう!」
「売れない」
「売れるよぉ! 王都の貴族の人って、こういうの好きなの。仮面の舞踏会とか、あるし。父さんに見せたら、きっと――」
「見せるな」
思ったより、大きな声が出た。
ぽっちゃりした肩が、びくっとはねた。
「……芸術は、見せないから、芸術なんだ」
「そうなの?」
「そうだ」
ベルントは、しばらく考えてから、こっくりうなずいた。
「深いんだよぉ……」
* * *
そこへ、扉がまた開いた。
洗った着がえを抱えたリルだった。従者の仕事で、毎晩持ってきてくれる。
リルは、部屋の真ん中で、黒い仮面をかぶったぽっちゃりの少年を見た。
耳が、ぴんと立った。
「それ、ティオさまの……」
「の、作品だ!」
俺は、かぶせるように言った。
リルは、俺の顔を見た。仮面を見た。もう一回、俺の顔を見た。
「……さくひん。はい。さくひん、です」
すごく、ぎこちなかった。
ベルントは、何も気づかなかった。仮面を外して、リルを見て、ぱっと笑った。
「あ、ティオの従者さんだ。こんばんは。これ、食べる?」
焼き菓子が、リルの前に差し出された。
リルの鼻が、ひくひく動いた。はちみつのにおいだ。
「……いただき、ます」
ひとくちかじった瞬間、リルの尻尾が、ばたばたばたっと揺れた。
本人は、まじめな顔のままだった。
* * *
焼き菓子を食べながら、ベルントは、ぽつぽつと話した。
「ぼくの魔力、ありすぎて、どこにいくか分かんないんだよぉ」
自分の手のひらを、じっと見ている。
「水を出そうとすると、全部いっぺんに出ちゃう。止めようとすると、もっと出ちゃう。家では、台所を三回、水びたしにしたんだよぉ」
「三回」
「四回だったかも」
「……数えとけよ」
「母さんが数えてる。台所の柱に、印つけてるんだよぉ」
それは、たぶん怒っている印だ。
俺とは、まるで反対だ。
俺は、お茶わん一杯の魔力を、一滴ずつ大事に使ってきた。ベルントは、大きな樽を抱えたまま、栓の閉め方を知らない。
「落第したら、家に帰されるの。父さんは、魔法なんかやめて、店をつげって」
焼き菓子の袋を、ぎゅっとにぎっている。
「でも、ぼく、魔法、好きなんだよぉ」
俺は、何も言わなかった。
言えることが、まだなかった。
かわりに、袋から焼き菓子をもうひとつ取って、ベルントの手にのせた。
「お互い、落第しないようにしよう」
「……うん!」
うれしそうに、ぱくりとかじる。
それから、床の仮面を、名残おしそうに見た。
「ねえ、ティオ。ぼく、これほしいなぁ」
「やらん」




