第34話 叫ばなくても出る
「はーい、今日は詠唱ねー」
先生は、黒板に大きく三つの言葉を書いた。
土よ、集え、立て。
「魔法は、だいたいこういう短い言葉で出すの。詠唱は、補助輪みたいなもの。慣れたら要らなくなるけど、一年のうちは使いなさい。はい、順番にー」
補助輪。
俺は、三歳から一度も詠唱を使ったことがない。誰にも教わらなかったからだ。泥に手を置いて、お湯を流す。それだけでやってきた。
つまり、補助輪なしで走ってきた子どもが、今さら補助輪をつけろと言われている。
(逆に、難しいんだが)
* * *
学友たちが、一人ずつ前に出た。
レオンは、詠唱を叫ぶように言った。練習用の剣に、ぼうっと火がまとわりつく。大きな火だ。前の席の生徒が、思わずのけぞった。
セシリアは、詠唱の最後の一語を言う前に、もう机ほどの氷を立てていた。ノエルの手のひらには、やさしい光がぽうっと灯った。ドミニクは、詠唱を言いながら腕をふくらませた。
ベルントは、言い終わる前に水が噴き出して、先生の酒瓶をびしょぬれにした。
「……ベルント、あとで職員室ー」
「ぼく、無理だよぉ……」
そして、俺の番だった。
演習用の土の台の前に立つ。
実力は隠す。目立たない、小さな壁を作る。膝の高さくらいがちょうどいい。
「土よ、集え……」
言いながら、気持ち悪くなってきた。言葉と魔力が、ばらばらに動く。右手と右足が一緒に出るみたいな感じだ。
「……立て」
土の台の上に、ぽこっと小さなこぶができた。
こぶだけだった。
うしろで、誰かがふき出した。
だめだ。いつものやり方でいこう。
つま先で、床を二回。とん、とん。
そして、口が勝手に動いた。
「――終焉の黒壁!」
要するに、ただの土の壁だ。
膝の高さの、小さな壁が、ぽこんと立った。
教室が、静まりかえった。
しまった。
叫んでしまった。五歳からの癖だ。名前を叫ばないと、技を出した気がしない。
「……今の、なに?」
誰かが言った。それから、笑いがはじけた。
「エンド……なんだって?」
「終焉って、膝の高さ!」
ドミニクが、机を叩いて笑っていた。
レオンは、腕を組んでむすっとしていた。それから、ぼそっと言った。
「……名前があると、ちょっと、かっこいいな」
それから、自分で自分の言葉にびっくりした顔をした。
「いや、かっこよくねえ! ぜんぜん!」
クラウスが、眼鏡を押し上げた。
「叫ぶ意味はない。それは詠唱ですらない。なぜ出る」
「……気分だ」
「気分」
クラウスは、ゆっくりくり返した。何か大事なものを、手のひらからこぼしたような顔だった。
セシリアが、冷たい目で俺を見た。
「名前が長いわ。三十点」
「採点するな」
先生は、膝丈の壁をちらっと見て、名簿に何か書いた。
「はーい、0.3。詠唱しなさいって言ったでしょー。次ー」
俺は、自分の席に戻った。耳が熱かった。
* * *
次は、ミレイユの番だった。
台の上に、鉢植えが置かれた。土の真ん中から、小さな芽がひとつ、顔を出している。
「芽よ、伸びて……」
芽が、ゆっくり伸びた。指一本ぶんくらい。葉っぱが、ふたつに開いた。
それで、終わりだった。
くすっと、誰かが笑った。
「植物魔法って、それだけ?」
さっき俺に向いていた笑いが、今度はミレイユのほうへ流れていった。
鉢を抱えて、ミレイユは席に戻ってきた。俺のななめ向かいの席だ。うつむいて、芽を指でそっとなでている。
俺は、その芽を見ていた。
葉っぱの色が、うすい。茎も細い。伸びたのに、元気がない。
鉢の土に、目がいった。
かたい。表面が、ひび割れている。
「なあ」
気づいたら、声をかけていた。
「その芽、根っこはどうなってる?」
鉢の上の顔が、ゆっくり上がった。
大きな目が、まんまるになった。
「……え?」
「土が、かたそうだ。根っこ、ちゃんと伸びてるのか?」
前の世界で、ベランダの鉢植えを枯らしたことがある。あとで調べて知った。根っこも、息をしている。土がかたすぎると、顔に枕を押しつけられたみたいに、根は息ができない。
ミレイユの顔が、ぱあっと明るくなった。
「そう、そうなの! この子、根っこがかわいそうなの。土がかたいの! 寮の花壇の土をもらったんだけど、踏み固められてて、だから伸ばしても、上だけ伸びて、下が、ぜんぜんで――」
早口になった。止まらない。
「――それでね、本当は根っこから伸ばしたいの。でも根っこは見えないから、みんな、葉っぱしか見てくれなくて」
そこまで言って、ミレイユは、はっと手で口を押さえた。
頬が赤くなっている。
俺は、鉢の土をもう一度見た。
ほぐしてやるのは、簡単だ。砂つぶ一つぶんずつ、根のまわりだけ。でも、ここでやったら目立つ。
だから、言葉だけにした。
「土、ほぐしてやったら、伸びるんじゃないか」
ミレイユは、鉢をぎゅっと抱きしめた。
それから、小さな声で言った。
「……この子のこと、聞いてくれたの、初めて」
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