第33話 ティオさまと窓の下
授業が終わると、廊下に従者たちが並んでいた。
貴族の子には、だいたい従者がついている。お茶を運んだり、荷物を持ったりする係だ。みんな、きちんとした服を着て、壁ぎわにまっすぐ立っている。
その列のいちばん端に、リルがいた。
灰色の耳が、ほかの誰より高い位置で立っている。
「ティオさま。お荷物を、お持ち、します」
ぎこちなく頭を下げられた。
「いい。自分で持つ」
「お持ち、します」
鞄が、俺の手からするりと消えた。力が強い。
列のほうから、声が聞こえた。
「獣人よ」
「平民の従者が、獣人ですって」
「においが移らないかしら」
年上の従者たちだ。上級生の家の者だろう。わざと聞こえるように言っている。
灰色の耳が、ぴくりと動いた。
でも、伏せはしなかった。リルは前を向いたまま、鞄を胸に抱えている。
背の高い従者が一人、わざとらしくリルの前に足を出した。リルは、それをよけて、小さく頭を下げた。
俺は、列のほうへ一歩ふみ出した。
その袖を、つかまれた。
* * *
寮へ帰る道は、中庭を抜ける。
夕方の光で、植えこみが金色になっていた。人がいなくなったところで、俺は言った。
「リル。さまは、やめないか」
「だめ」
二人きりになったとたん、敬語が消えた。
「人前では、だめ」
「なんでだよ。言われっぱなしで、いいのか」
「いい」
リルは、鞄を抱え直した。
「わたしが、何か言われるのは、いい。なれてる。でも」
耳が、ほんのわずかにうしろへ倒れた。
「ティオが、笑われるのは、いや。わたしが『ティオ』って呼んだら、みんな、ティオを笑う。従者のしつけもできないって」
俺は、何も言えなくなった。
この子は、俺のために「さま」をつけている。
ぎこちない敬語も、まっすぐな背筋も、全部そうだ。
「……わかった」
「うん」
「でも、二人のときは、ティオだぞ」
「うん。ティオ」
尻尾が、一回だけ揺れた。
* * *
晩ごはんは、寮の食堂で食べる。
生徒は長い机に座り、従者はうしろの壁ぎわに立って待つ。主の食事が終わってから、従者は台所のすみで食べるのだそうだ。
スープを飲んでいると、となりに誰かが座った。
「ティオくん、ここ、いい?」
ノエルだった。にこにこしている。
「いいけど」
「このパン、やわらかくておいしいよ。ティオくん、ロウエンから来たんでしょ? 遠いね。だいじょうぶ? さみしくない?」
「べつに」
「えへへ。わたしも平民だから、仲間だね」
うしろで、かちゃりと音がした。
リルが、お茶を運んできていた。俺の前に、カップを置く。ていねいに。とてもていねいに。
「ティオさま、お茶です」
それから、体をかがめて、俺の耳もとで小声で言った。
「……ねえ。あの子、ティオに近すぎない?」
「パンの話をしてただけだ」
「……ふうん」
耳が、ぺたんと寝ていた。
ノエルは、何も気づかずにパンをちぎっていた。
そこへ、どすんと大きな体が座った。ドミニクだ。皿に、肉が山になっている。
「おう、ティオ! 細えなあ、お前! 腹いっぱい食え!」
俺の皿に、肉がどさどさと移ってきた。
「いや、こんなに食えな――」
「食え! 食えば分かる!」
何が分かるのかは、言わなかった。
うしろで、リルの鼻がひくひく動いていた。肉のにおいには、勝てなかったらしい。寝ていた耳が、だんだん起き上がってきた。
* * *
従者部屋は、寮の半地下にある。
リルの部屋は、女子寮「楡の館」のほうだった。見せてもらったら、狭かった。寝台がひとつと、棚がひとつ。窓は天井の近くに、細いのがひとつだけ。
「だいじょうぶ。前の家より、広い」
前の家は、廃屋の床だった。それと比べられたら、どこだって広い。
俺の部屋は、男子寮「樫の館」の三階だった。特待生でも、部屋はふつうにもらえる。寝台も机もある。窓も大きい。
なんだか、落ち着かなかった。
* * *
その夜。
寝台に入っても、眠れなかった。天井が高すぎる。静かすぎる。廃屋では、誰かの寝息がいつも聞こえていた。
窓の外で、かさり、と音がした。
起きて、窓を開けた。
月が出ていた。
寮の裏の、植えこみと壁のあいだ。草の上に、灰色のかたまりが丸くなっていた。
膝をかかえて、尻尾を体に巻きつけている。狼の子が寝るときの形だ。
「……リル。なにしてる」
小声で呼ぶと、耳だけがこっちを向いた。
「……見はり」
「部屋で寝ろ。女子寮は、あっちだろ」
「あの部屋、知らないにおいばっかり。ここは」
顔は上がらなかった。
「ここは、ティオのにおい、する」
俺は、窓わくに手をついたまま、しばらく黙った。
帰れ、と言うべきだ。寮監に見つかったら怒られる。風邪をひくかもしれない。
でも、言えなかった。
俺だって、さっきまで眠れなかった。
部屋に戻って、毛布を一枚取ってきた。丸めて、窓から落とす。毛布は、灰色のかたまりの上にふわりとかぶさった。
それから、窓わくから身を乗り出した。
つま先で、窓の下の壁を、とん、とん。
草の下の土に、魔力をほんのひとしずく流す。かたい地面を、砂つぶ一つぶんずつほぐしていく。湿った土は、横へどける。乾いた土だけを、下に集める。
草の下が、ふかふかになった。
毛布の中で、小さく鼻が鳴った。
「……ティオ。ありがと」
「おう。朝になったら、ちゃんと戻れよ」
返事はなかった。
もう寝息が聞こえていた。
月の光の下で、毛布のはしから出た尻尾が、一回だけ、ぱたりと動いた。
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