第28話 森から出てきた大鬼
それから、一年あまりがたった。
俺は十二歳になった。ランクは、Eのまま。闇の日だけの稼ぎでは、そう簡単には上がらない。
かわりに、貯金は着実に増えた。仮面のひびは、全部で十一本になった。
リルは、とうとう俺の背を追いこした。今では、頭半分くらい高い。走れば、もう誰も追いつけない。においで分かることも、前より増えた。
ネロに「チビ」と呼ばれる回数も増えた。リルのとなりに立つと、余計にチビに見えるらしい。
(伸びる予定は、リルのほうが先に済ませた)
* * *
十月の闇の日。
森のふちの草地で、リルがふいに顔を上げた。
耳が、ぴたりと後ろに倒れた。尻尾の毛が、ぶわっと逆立つ。
「……におう。知らないにおい。大きい」
俺は、すぐに靴を脱いで、足の裏を地面に押しあてた。
とんとん。
重い。
今まで聞いたどんな足音より、重い。一歩ごとに、地面がずしんと沈む。二本足だ。森の奥から、まっすぐこっちへ来る。
そして、その足音の先に、小さな足音が二つ。
ばたばたと、軽い。子どもの足だ。
「リル。誰かいる」
「見習いの子。……二人。森のふちの、きのこのところ」
今年の春に登録したばかりの、見習いの二人組だ。そばかすの子と、のっぽの子。ギルドで何度か見かけた。
俺は、草地を走った。
森のふちの木立を抜ける。
そこに、いた。
きのこの籠を抱えて、腰を抜かしている二人。
「の、ノワ……?」
「ノワだ! 助けて、ノワ!」
こんなときでも、「ル」はついていなかった。
二人の前に、巨大な影が立っていた。
背丈は、大人の倍。灰色がかった緑の肌。腕は丸太みたいに太く、手には根ごと引き抜いた木の幹を握っている。
樹海オーガだ。
森の奥にいるはずの、大鬼。Cランクの魔物だ。大人の冒険者が、四人がかりで相手をする。
オーガが、木の幹をゆっくり持ち上げた。
考えるより先に、体が動いた。
二人とオーガのあいだに、壁を立てる。人の背丈の壁だ。そうすれば、一撃は防げる。
地面に手をつく。魔力を流しこむ。
土が盛り上がる。膝。腰。
そこで、目の前が白くなった。
へその下のお茶わんが、もう底をついていた。これでは、人の背丈の壁は立たない。
腰の高さの壁が、ぼろりと崩れた。
だめだ。壁はやめる。
膝をついたまま、俺は息を吸った。残りの魔力は、お茶わんの底に、ほんの一口。
大きな穴は掘れない。壁も立たない。
なら、小さく。
オーガが、一歩ふみ出した。その足が下りてくる場所の、真下だけ。足首が入るぶんだけを、薄く、もろくする。
ずぼっ。
オーガの右足が、足首まで地面に沈んだ。
巨体が、がくんと傾く。振り上げた木の幹が、二人の頭の上をそれて、横の木に叩きつけられた。
ばきばきと、木が裂ける音がした。
「立て」
俺は、見習いの二人に言った。声が、自分でもびっくりするくらい低かった。
「東門へ走れ。守備隊を呼べ」
「で、でも、ノワは」
「いいから、走れ」
そばかすの子が、がくがくとうなずいた。のっぽの子の腕をつかんで、草地のほうへ走り出す。
オーガが、穴から足を引き抜こうとしていた。
「――リル」
「うん」
「足を止める。だから、引きつけてくれ。……無理はするな」
「ティオも」
いつの間にか木に登っていたリルが、枝から飛び降りた。
オーガの目の前を、灰色の風になって横切る。石を拾って、オーガの顔に投げつける。
オーガがほえた。見習いの二人を追うのをやめて、リルのほうへ向き直る。
リルは、跳ねるように森のふちを走る。オーガがそれを追う。足は遅い。でも、一歩が大きい。
俺は、足の裏で、オーガの一歩一歩を聞いていた。
次の一歩が下りる場所。その真下だけ。
ずぼっ。
またオーガが傾く。リルが、そのすきに距離をとる。
次の一歩。
ずぼっ。
お茶わんの底を、さじですくうみたいにして、足首ぶんの穴を作り続けた。四つ目で、オーガの左足が深くはまった。抜けない。巨体が、斜めに傾いたまま止まった。
俺は、その足元で、肩で息をしていた。
視界のふちが、黒くにじんでいる。
(あと一個。いや、もう一個も無理だ)
離れた木の上で、リルが耳を伏せてこっちを見ていた。
「ティオ!」
リルが、木の上からこっちへ降りようとしている。
「来るな。まだ動く」
オーガが、はまった足を引き抜こうと、うなり声を上げて体をよじった。地面がみしみしと鳴る。
抜けるな。頼む。
俺は、地面に手をついたまま、穴のふちの土だけを固め続けた。魔力は、ほとんど残っていない。それでも、粒と粒を寄せることだけなら、まだできた。
草地のほうから、たくさんの足音が聞こえた。
* * *
守備隊が着いたのは、それからすぐだった。
先頭は、ブラント隊長だった。
隊長は、傾いたオーガを一目見て、短く命令を出した。兵たちが槍を構えて囲む。足をとられたオーガは、ろくに動けない。
あっという間だった。
オーガが倒れると、地面がずしんと揺れた。
「見習いが、あれを止めてたのか?」
「まさか。あいつ、ほんとに子どもだぞ」
兵たちが、ざわざわと顔を見合わせる。
兵の一人が、肩で息をしている俺を見下ろした。
「おい、仮面の。何者だ。顔を見せろ」
手が、仮面のふちに伸びてくる。
俺は、思わずあとずさった。
足が、勝手に動いた。つま先で、地面を二回。とんとん。
次の穴を掘る前の、くせだ。怖いときほど、勝手に出る。
そのとき、隊長がこっちを見た。
俺の足元を。
隊長は、何も言わなかった。一つ、ゆっくりまばたきをしただけだった。
それから、兵の肩に手を置いた。
「いい。ギルドの者だ」
「しかし隊長、こいつ子どもじゃ――」
「いい」
声が、低くなった。兵は、手を引っこめた。
「大鬼は、守備隊が討った。それでいい」
* * *
帰り道、東門の石碑の前で、隊長が足を止めた。
兵たちは先に詰所へ戻った。リルは、三歩後ろで待っている。
石碑の名前が、夕日で赤く見えた。
俺は、何か言わなくてはいけない気がした。お礼か、言いわけか。
口から出たのは、どちらでもなかった。
「……大地が、俺に味方しただけだ」
言ってから、しまったと思った。この人の前で、それはない。
隊長は、ひげをなでた。
それから、俺の頭のてっぺんを見下ろして、言った。
「……そうか。で、怪我は」




