第26話 傷のない毛皮
十一月になった。
闇の日ごとに森のふちへ通って、半年になる。熱冷まし草と角ウサギで、銅貨は少しずつたまっていった。
その日は、朝から雪がちらついていた。
草地は白っぽく凍って、足の裏が冷たい。はだしで立つのは、正直つらい。でも、靴をはくと大地の囁きの聞こえ方がにぶる。
(影の強者は、しもやけを恐れない)
恐れてはいる。かなり。
リルが、ふいに顔を上げた。
「……におう。森狼」
「何匹だ」
「三匹。風上。こっちに来る」
冬になると、森狼は食べ物を探して、森のふちまで出てくる。一匹でも、見習いには危ない相手だ。
俺は、はだしの足を雪の上に押しあてた。
とんとん。
地面の揺れを聞く。
四本足の、重い足音が三つ。森の中から、まっすぐこっちへ。狙いは、たぶん俺たちが持っている角ウサギだ。
逃げるか。
東門までは、草地を半刻。狼の足なら、すぐ追いつかれる。
なら。
「リル。森から草地に出てくる道は、どこだ」
リルは、鼻をひくつかせた。
「あの、倒れた木と、岩のあいだ。においの道がある」
倒れた黒い木と、大きな岩。そのすき間が、狼たちのいつもの通り道らしい。幅は、大人が両手を広げたくらい。
俺は、倒れた木の手前に走った。
狼の通り道を横切るように、地面に手をつく。
魔力を流す。お茶わん一杯のうち、三分の一。
土が、むくりと盛り上がった。
「――終焉の黒壁!」
要するに、膝の高さの土の壁だ。
黒っぽい土の壁が、通り道に斜めに一本、すっと立った。長さは、木から岩まで。
狼なら、跳びこせる高さだ。
でも、跳びこさない。わざわざ跳ぶより、壁にそって走ったほうが楽だからだ。
岩のすぐわきに、穴の準備をする。
地面の下をくりぬいて、上の土だけ薄く、もろく残す。雪は、のせたままだ。
「来いよ、狼。お前たちの墓は、もう掘ってある」
「……ティオ、来る」
リルが、俺のすぐ後ろで身を低くした。
森の暗がりから、灰色の影が三つ飛び出してきた。
先頭の一匹が、膝丈の壁を見て、ちらりと迷った。跳ぶか、よけるか。
よけた。
壁にそって、岩のほうへ。二匹目も、三匹目も、先頭について走る。
三匹が、岩のわきの一点に重なった。
「――奈落の顎」
地面が、ぱくりと口を開けた。
雪ごと、三匹がまとめて落ちた。
穴の深さは、狼の背丈の倍。壁はつるつるに固めてある。爪を立てても、すべるだけだ。
穴の底で、三匹の狼が団子になって、きゃんきゃん鳴いていた。
* * *
穴の中の狼は、まだ生きている。でも、見習いは森狼にとどめを刺してはいけない決まりだ。
ちょうど、森のふちを三人組の冒険者が歩いていた。ギルドの酒場で、ときどき見かける顔だ。いつも、俺たちを見てにやにやしている人たち。
「おーい。すまないが、手を貸してほしい」
俺が手をふると、三人は面倒くさそうにやってきた。
「なんだよ、ノワちゃん。角ウサギでも逃がしたか」
そして、穴をのぞきこんで、固まった。
「……森狼? 三匹?」
「穴に落ちた」
「落ちたって、お前……こんな穴、どこに」
「狼が走ってきた先に、穴があった」
うそは言っていない。誰が掘ったかを、言っていないだけだ。
三人は、顔を見合わせた。それから、黙って剣を抜いた。
帰り道、三人のうちの一人が、ぼそりと言った。
「……ノワちゃんは、やめとくか。ノワでいいか」
名前の「ル」は、まだ戻ってこない。
でも、捕まえたのは俺たちだ。
ギルドの裏の解体場で、狼の毛皮を見た職人のおじさんが、うなった。
「……なんだ、こりゃ。傷が一つもねえ」
「こんなきれいな森狼の皮、何年ぶりだ。三枚そろいなら、外套が一着できるぞ」
買い取りの値段は、ふつうの三倍になった。
酒場のテーブルから、冒険者たちがこっちをのぞいていた。「仮面のノワちゃんが?」「いや、獣人のほうがやったんだろ」。
どっちでもいい。影の強者は、手柄を気にしない。
(でも、ちょっとは気にしてほしい)
作法その三は、まだ消していない。
* * *
次の闇の日。
受付に行くと、ペトラさんが俺を手まねきした。
「ノワさん。ちょっと、こっち」
受付台の上に、新しい銅の札が置いてあった。
彫ってあるのは、「ノワ」の二文字と、ランクの「E」。
「上に推したの。森狼三匹、無傷。見習いで、それも半年でEは、ここじゃ初めてよ」
俺は、銅の札を手に取った。
Fが、Eになった。
たった一文字だ。でも、俺の手のひらの上で、その一文字は妙に重かった。
リルが、となりで尻尾をばたばたさせていた。
この毛皮の代金で、年末には貯金が銀貨五枚に届きそうだった。どぶの泥から銅貨を選り出していたころの、何百倍だ。
ペトラさんは、俺がギルド証を首から下げるのを見届けてから、にっこり笑った。
「おめでと」
それから、受付台に身を乗り出して、小さな声で言った。
「……で、ノワさん、ほんとは何歳だっけ?」




