第23話 仮面の子の台帳
◆ペトラ視点
仮面の子なんて、初めてよ。
ロウエンのギルドで受付をして、三年になる。いろんな人を見てきた。
片腕のない傭兵。字の書けない狩人。家出してきた貴族の三男。全身に入れ墨のある、無口なおじさん。
でも、黒い粘土の仮面をつけた十歳の子は、さすがに初めてだった。
ひと目で分かった。背が低い。手が小さい。声を低くしても、のどの奥が子どものままだ。
仮面の下は、たぶん、ふつうの男の子。
だから、止めようと思った。
黒樹海は、遊び場じゃない。去年も、見習いの子が一人帰ってこなかった。森狼に引きずられて、靴だけが見つかった。
わたしは、その靴を受け取った。
もう、ああいうのはいやだった。
* * *
あの声がしたのは、そのときだ。
「――あの坊主は、大丈夫だ」
ブラント隊長。
この街の守備隊の、いちばん上の人。無口で、ひげが濃くて、熊みたいに大きい。ギルドにはめったに来ない。来ても、水を一杯飲んで帰る。
その隊長が、誰かのことをあんなふうに言うのを、わたしは初めて聞いた。
あの人は、本当に思ったことしか口にしない人だ。
だから、登録した。
それでも、名前を聞いたときは、さすがに笑いそうになった。
「ブラック・ジオマンサー、ノワールだ」
外套をばさっとひるがえして、右手を前に出して。たぶん、すごく練習してきたんだと思う。
かわいい。
でも、欄は狭い。
だからノワにした。ちょっとむくれていたけれど、知らない。
* * *
登録のあと、仮面の子は獣人の子と二人で、酒場のすみのテーブルに座った。
わたしは、受付から見ていた。
仮面の子が、外套の内側から黒パンを一個出した。両手で割る。
割り方が、丁寧だった。ぴったり半分になるように、何度も見比べて、大きいほうを獣人の子に渡す。
獣人の子は、それを受け取って、仮面の子のほうの半分と見比べた。
そして、自分のパンをもう一度割って、大きいほうを返した。
「いい。リルのほうが、大きくなるんだから」
「わたしも、大きくなる」
パンは、テーブルの上を三回くらい行ったり来たりした。
最後は、仮面の子がまとめて二つに割り直して、同時にかぶりついた。
わたしは、受付の帳面に顔を伏せた。
笑っていたのか、ほかの何かだったのか、自分でもよく分からない。
あの子は、獣人の子を「仲間だ」と言った。首輪をしているのに。
この街で、奴隷をそう呼ぶ人を、わたしは知らない。
酒場の奥のテーブルから、冒険者が二人、にやにやしながら声をかけた。
「おーい、ノワちゃん。そのパン、仮面のまま食えるのか?」
「首輪の子にも、ちゃんと分けてやってえらいねえ」
獣人の子の耳が、すっと後ろに倒れた。のどの奥で、小さくうなる声がする。
仮面の子は、何も言わなかった。獣人の子の肩に、そっと手を置いただけだった。
かわりに、わたしが動いた。
受付台の判を、思いきり帳面に押した。
ドン。
酒場が静かになった。
「そこのお二人。先月のツケ、まだ払ってないわよね?」
二人は、急に自分のジョッキの中をのぞきこみはじめた。
仮面の子が、こっちを見た。小さく、頭を下げた気がした。
* * *
夕方、隊長がもう一度だけ受付に来た。
「さっきは、すまなかった。口を出した」
「いいえ。……隊長さん。あの子のこと、よく知ってるんですか」
隊長は、ひげをなでた。
「どぶ坂の子だ。腕は、俺が保証する」
「腕って……十歳ですよ」
「知ってる」
隊長は、それ以上は言わなかった。
かわりに、間をおいて、こう言った。
「腹は減ってないか、と聞いてやってくれ。俺が聞くと、減ってないと言う」
それだけ言って、隊長は帰っていった。
大きな背中を見送りながら、わたしは思った。
あの子、減ってないなんて言うのね。あんな細い腕で。
* * *
夜。
ギルドの二階の資料室で、わたしは一人、ランプをつけた。
登録した人の台帳を、清書するのがわたしの仕事だ。ギルド証には、名前とランクと登録地しか彫らない。年齢や生まれは、この台帳にだけ書く。
台帳は、ここにしかない。王都のギルドにも、ほかの街にも送らない。
つまり、仮面の子が本当は何歳なのか、知っているのはこの街のこの台帳だけになる。
羽ペンをとる。
名前の欄に、「ノワ」。
登録地の欄に、「ロウエン」。
年齢の欄で、ペンが止まった。
仮面の子は、「十、だ」と言った。言ったあとで、しまったという顔をしていた。仮面の上からでも分かった。
わたしは、「10」と書いた。
ランプの明かりの下で、その行を指でなぞる。
ノワ 登録地ロウエン 年齢10
短い行だ。
でも、なんとなく、大事な行になる気がした。
階段がきしんで、ギルド長のバルドさんが顔を出した。悪いほうの足を、引きずっている。
「ペトラ。まだいたのか」
「清書です。今日、仮面の子が来たので」
「ああ、隊長の。……隊長の口ぞえなら、いい。任せる」
バルドさんはそれだけ言って、また下りていった。この人は、だいたい何でもわたしに任せる。
わたしは、台帳に目を戻した。
明日、市場で黒パンを二つ多く買っておこう。干し肉も。
闇の日の朝に、あの子たちが来たら、持たせてやるのだ。
台帳を閉じる。ランプの火を小さくする。
「……ちゃんと食べなさいよ、ノワさん」




