第22話 ノワさん誕生
扉を開けると、酒場のざわめきが一瞬だけ止まった。
テーブルについた冒険者たちが、こっちを見る。黒い仮面に、すそを縛った灰色の外套。後ろには、フードと首輪の獣人。
どう見ても、変な二人組だ。
(いいぞ。注目されている)
影の強者としては、注目されたらだめな気もする。でも今日は登録の日だ。今日くらいはいい。
俺は、まっすぐ奥の受付台へ歩いた。
受付には、若い女の人が一人いた。茶色の髪を後ろでまとめて、袖をまくっている。帳面に何か書いていた手を止めて、顔を上げた。
目が合った。
その人は、俺を頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくり見た。
「――いらっしゃい。ご用件は?」
「登録だ」
声を低くした。できるだけ、大人っぽく。
「見習いの登録ね。……あんた、いくつ?」
いきなり来た。
「年齢は、関係ない」
「あるわよ。見習いは十歳から。書く欄もあるの」
「……十、だ」
「十ね」
受付の人は、羽ペンを持ったまま、じっと俺の仮面を見た。
「ねえ。仮面の子なんて、初めてよ。悪いけど、子どもの遊びで登録はさせられないの。森は本当に死ぬところだから」
声は明るい。でも、目は笑っていなかった。
俺は、言葉につまった。
そのときだ。
「――あの坊主は、大丈夫だ」
後ろから、低い声がした。
背中が、ぴんと固まった。
知っている声だ。井戸の桶の前で、「誰が作った」と言った声。岩猪の穴のふちで、「……お前か」と言った声。
振り向けなかった。
振り向いたら、仮面の意味がなくなる気がした。
受付の人が、俺の頭の上を見て、目を丸くした。
「隊長さん? ……知り合い?」
「腕は、俺が知ってる」
それだけだった。
重い足音が、酒場の奥へ遠ざかっていく。椅子を引く音。「酒はいらん。水をくれ」という声。
俺は、まだ前を向いたまま固まっていた。
隣で、リルがフードの下から小さくささやいた。
「……隊長のにおい。パンのにおいもする」
知ってる。
受付の人は、しばらく黙っていた。それから、ふっと息をはいて、羽ペンをインクにつけた。
「隊長さんが、人のことをああ言うの、初めて聞いたわ。……いいわ。登録する」
「ありがとう、ございます」
思わず、ふつうにお礼を言ってしまった。いけない。キャラが崩れる。
俺はせきばらいをした。
「わたしはペトラ。ここの受付よ。じゃあ、名前は?」
来た。
この瞬間のために、七年間、名前を考えてきた。
俺は外套をひるがえした。今度は、すそは顔に当たらなかった。
「名乗る名は――いや、ある」
右手を前に。あごを引く。三十回練習した角度だ。
「漆黒の地導師、ノワールだ」
――要するに、「黒い土の魔法使いのノワール」という意味だ。かっこいいだろう。
酒場が、しんとした。
ペトラさんは、羽ペンを止めたまま、まばたきを二回した。
「……ノワール?」
「ノワールだ」
「長いわね」
「え」
「ノワでいいでしょ」
「いや、ノワールだ。ノワールまでが、名前で」
「この欄、狭いのよ。見て」
ペトラさんは、帳面の名前の欄を指でとんとんと叩いた。確かに狭い。
「漆黒の、なんとかは?」
「地導師だ」
「それは書かないわよ。肩書きは書く欄がないの」
「せめて、ノワールだけでも」
「ノワ、で通じるでしょ。呼びやすいし」
俺は粘った。
ノワールは、最後の「ル」で締まるのだ。「ル」がないと、ちょっとかわいくなってしまう。
そう説明した。
ペトラさんは、にこっと笑った。
「かわいくていいじゃない」
羽ペンが、さらさらと動いた。
受付台の上の帳面に、「ノワ」の二文字が書かれる。
そこで、ペンが止まった。
俺は、その二文字を、じっと見下ろした。
ノワ。
七年間考えた名前の、半分だ。
(……「ル」は、どこへ行った)
後ろの酒場で、誰かがぶふっと吹き出した。それをきっかけに、あちこちで笑い声が起きる。
「ノワ、だってよ」
「仮面のノワちゃんか」
仮面があってよかった。たぶん今、耳まで真っ赤だ。
リルが、俺の外套のすそをきゅっとつかんだ。小さな声で言う。
「……ノワも、かっこいい」
リルだけは、いつも味方だ。
ペトラさんは、帳面の横の引き出しから、小さな銅の札を出した。ギルド証だ。裏に、登録名とランクを彫るのだという。
「ランクはF。見習いだから、受けられる依頼は限られるわ。それから、あんたには決まりを三つ足すからね」
ペトラさんは、指を一本ずつ立てた。
「森に来ていいのは、闇の日だけ。森のふちより奥には入らない。日が暮れる前に、必ずここへ顔を出す。……守れる?」
闇の日は、週に一度の休みの日だ。つまり、週に一回しか森に行けない。
正直、少ない。
でも、ペトラさんの目は、さっきと同じで笑っていなかった。
「守る」
俺は、仮面の奥でまっすぐ答えた。
「約束は、守る」
「よろしい。それと――」
ペトラさんは、リルを見た。
「その子は、あんたの?」
「……仲間だ」
首輪のことは、言わなかった。リルも、何も言わなかった。
ペトラさんは目を細めて、それ以上は聞かなかった。
かわりに、銅の札を俺の手のひらにのせた。
「はい、ノワさんね」




