第19話 においの道
◆リル視点
ティオは、土と、雨と、小さな火のにおいがする。
リルは、そのにおいが好き。
はじめてかいだのは、ごみの山の上だった。熱くて、苦しくて、目もあけられなかった。でも、そのにおいだけは、わかった。
土と、雨と、小さな火。
檻の中には、なかったにおい。
檻の中は、鉄と、さびと、泣いた子のにおいしかしなかった。夜はさむくて、だれもリルの名前を呼ばなかった。リルには、名前がなかったから。
今は、ある。
リル。ティオがくれた。
だから、リルは、ティオについていく。
* * *
床がぬけた日の夜。
ティオは、ねなかった。
みんなが壁のそばで、ぬれた毛布にくるまってねたあと。ひとりで、穴の中におりていった。
泥に、手をついた。
においが、かわった。小さな火が、じっと、強くなるにおい。泣いてるにおいとは、ちがう。何かを、決めたにおい。
リルも、穴におりた。
「リルは、ねてろ」
「やだ」
「……泥だらけになるぞ」
「もう、なってる」
ティオは、それ以上いわなかった。
床をささえる木を、ひとつずつ、さわっていく。
「リル。くさってる木、わかるか」
リルは、鼻を近づけた。
くさった木は、あまくて、すっぱいにおいがする。いい木は、かわいた森のにおいがする。
「これ。……これも。これは、だいじょうぶ」
「わかった」
ティオは、リルがゆびさした木を、ぜんぶ信じた。一回も、うたがわなかった。
くさった木の下に、土の柱を立てる。手で泥をこねて、魔力で、ぎゅっと固める。ティオの魔力は、少ない。においで、わかる。小さな火が、ゆらゆらして、消えそうになる。
それでも、やめなかった。
穴の底に、小石をしいた。その上に、あらい砂。その上に、固めた土。
最後に、穴のすみから、外の路地まで、細い溝をほった。
「水の、にげ道だ。今度は、たまらない」
「みずの、にげみち」
「雨が来たら、ここを通って外へ出ていく。床の下には、残らない」
ひみつのへやの、くずれた棚も、もういちど、土で固めた。
泥の中から、紙のにおいがした。リルが、ゆびでつまんで出した。地図の、切れはし。
ティオは、それをそっとのばして、棚にのせた。
朝が来るころ、床はもとにもどっていた。
前より、かわいていた。ふむと、こつこつ、かたい音がした。
* * *
それから、ティオは泥の中に手をいれた。
長いあいだ、じっとしていた。
ぽこ。
泥の上に、銅貨がひとつ、出てきた。
ぽこ。もうひとつ。
ひとつずつ、ひろう。ゆびが、まっくろだった。目が、しょぼしょぼしていた。
ネロが、起きてきた。
だまって、ティオのよこにしゃがむ。ひろった銅貨を、ネロがかぞえた。
かぞえおわると、ネロのにおいが、やわらかくなった。
「……ぜんぶ、ある」
「ある」
「芋は」
「……だめだった」
ネロは、何もいわなかった。ティオの頭を、ぐしゃっと一回だけなでて、立ちあがった。
もう、おこったにおいは、しなかった。
* * *
芋は、もどらなかった。
泥にしずんだ芋は、ぜんぶ、くさってしまった。
それから、ずっと、ごはんが少なかった。ティオは、じぶんの芋を、小さい子にわけていた。リルは、知っている。ティオのおなかは、夜、よく、ぐうっと鳴る。
リルも、じぶんの芋をわけようとした。
「リルは、食え」
「ティオも、たべて」
「俺は、いい。お前はまだ、細すぎる」
ティオのほうが、細いのに。
暑くなりはじめた日。ティオが九歳になってからの、六月。
ピアが、いなくなった。
朝、ピアは、リルにだけいった。
「森のそとの草むらに、くすりの草がはえてるんだって。市場で、売れるんだって」
「ピア。ひとり、だめ」
「近くだもん。森には、はいらないもん」
「だめ」
「芋のぶん、とりかえすの。ティオ、ずっと、おなか鳴ってるもん」
ピアは、毛布を肩にかけて、出かけていった。
夕方になっても、もどらなかった。
* * *
戸口に、ティオが立った。
はだしの足で、つま先を、とん、とん、と二回、地面にあてる。
大地に、きいている。
でも、ティオの足は、森までは、とどかない。
リルは、鼻をあげた。
ピアの毛布のにおい。日なたの、かわいたにおい。それが路地をぬけて、東の門のほうへ、のびている。
「ティオ。ピア、あっち。門の、そと」
ネロが、ティオのうでを、つかんだ。
「森には入るな」
声が、ひくかった。
「守備隊に言いに行く。お前は、ここにいろ」
ティオは、こたえなかった。
「お前までいなくなったらどうする」
ティオは、こたえなかった。
ネロの手を、ふりはらいもしない。ただ、だまって、東を見ていた。
リルには、わかった。
においが、かわっていた。小さな火が、まっすぐ、高くなるにおい。床の穴をなおした夜と、同じにおい。
ティオは、いく。
ネロにも、わかったみたいだった。うでをはなして、守備隊の詰所のほうへ、走っていった。ふりむかなかった。
「リル」
「うん」
リルは、ティオの前を走った。
においの道を。
* * *
東の門は、荷車のかげにかくれて、ぬけた。
草のはらを、走った。空が、だいだい色になっていた。
森のふちに、ついた。
木が、黒い。中は、もう、夜みたいに暗い。
ピアのにおいが、森の中へ、ほんの少し、はいっている。
そのにおいの先に、べつのにおいがあった。
けもののにおい。でも、リルとは、ちがう。もっと冷たくて、おなかがすいた、においだ。
ひとつじゃない。
いつつ。
せなかの毛が、ぜんぶ、さかだった。
そのとき、森のおくで、声がした。
長く、ひくく、ふるえる声。
狼の、遠吠えだった。




