第18話 床が抜けた夜
九歳の春。
俺は、ついに三番に手をつけることにした。
――秘密の隠れ里を作る。
もちろん、いきなり里は無理だ。土地もない。人もいない。燃料はお茶わん一杯だ。
だから、練習だ。
まずは、秘密の部屋から。
「ここに、司令室を作る」
廃屋の床板を一枚はがして、その下の土を指さした。リルとピアが、並んでのぞきこむ。
「しれいしつ?」
ピアが首をかしげた。ピアは八歳になって、ちょっとだけ口がうまくなった。
「作戦を立てる部屋だ。隠れ里の、心臓部だ」
「なんの作戦?」
「……これから考える」
「かっこいい」
リルだけが、目をきらきらさせていた。
* * *
「ネロには?」
ピアが聞いた。
「言わない。秘密の部屋だからな。ピアも、ないしょだ」
「……あめ、くれる?」
「前にやっただろ」
「まえは、まえ」
飴は、もうない。結局、俺の芋の半分で手を打った。交渉は、年々うまくなっている。
工事は、毎晩、みんなが寝たあとにやった。
一晩に掘れるのは、魔力が尽きるまで。両手で抱えるくらいの土だ。
掘った土は、リルが袋に詰めて、空き地まで運んだ。リルは力持ちだった。俺の倍は運べる。
壁の土は、魔力でぎゅっと押し固める。崩れないように、表面をつるつるにする。
ある朝、ネロが俺の顔をじっと見た。
「お前、最近、目の下まっ黒だぞ。夜、何してんだ」
「……修行」
「はいはい。で、なんでリルまで泥だらけなんだ」
「リルも、修行」
「しゅぎょう」
リルが、真面目な顔でうなずいた。ネロは、うさんくさそうに俺たちを見比べた。でも、それ以上は聞かなかった。
ひと月かかった。
できあがったのは、子どもが二人、背中を丸めて座れるくらいの穴だった。
入口は、床板を一枚、外せるようにしてある。上からはただの床にしか見えない。
中には、土を固めて作った小さな棚を一つ。そこに、ろうそくの燃えさしと、拾った地図の切れはしを置いた。
どこの地図かは、分からない。でも、司令室には地図がいる。
「完成だ」
俺は、穴の中であぐらをかいて、腕を組んだ。頭が天井にこすれている。
「隠れ里の、第一歩だ」
上から、リルとピアの顔がのぞいていた。
「せまい」
ピアが言った。
「司令室とは、せまいものだ」
「そうなの?」
「そうなんだ」
リルは、穴のふちに顔をのせて、尻尾をゆっくり振っていた。
「ティオの、ひみつのへや。……リルも、はいっていい?」
「もちろんだ。お前は副官だからな」
「ふくかん」
リルの耳が、ぴんと立った。意味はたぶん分かっていない。
外に出るとき、リルはいつもぼろ布で耳を隠す。尻尾は服の中に押しこむ。
ここなら、どっちも出しっぱなしでいい。
本当は、そういう場所を一つ作りたかった。司令室は、半分くらい言いわけだ。
(ネロに言ったら、絶対に止められる。だから言わない。完璧な理屈だ)
* * *
その年の春は、雨が多かった。
三日続けて、雨が降った。
四日目の夜、俺は、変な音で目を覚ました。
みし。
床の下からだ。
みし、みし。
リルが、跳ね起きた。耳が、ぴんと立っている。
「ティオ。した。みず、におう」
嫌な予感がした。
廃屋の床下の土は、雨の水を吸っていた。いつもなら、水は土の中をゆっくり流れていく。でも、今は、土の真ん中に、ぽっかり空いた穴がある。
水は、穴に集まる。
穴の壁は、表面だけ固めてあった。でも、そのまわりの土は、水を吸ってぐずぐずになっていた。
俺は、床に手をついた。魔力を流す。止めなきゃ。
間に合わなかった。
ばきっ、と大きな音がした。
廃屋の真ん中の床が、まるごと、下に抜けた。
* * *
悲鳴が上がった。
寝ていた子たちが、毛布ごと転がり落ちる。泥水が、穴の底からごぼごぼとわき上がってくる。
「起きろ! みんな、壁のほうへ!」
ネロの声だった。
ネロは、小さい子を二人まとめて抱えて、穴から引っぱり上げた。俺も、リルも、手を伸ばして、一人ずつ引き上げた。
全員、無事だった。
でも。
夜が明けると、廃屋の真ん中に、ぽっかりと泥の穴があいていた。
寝床の藁は、全部泥水に沈んでいた。毛布は、どれもびしょびしょだった。
そして、穴のすみに置いてあった、二つのもの。
冬を越すためにためていた芋の袋。
それから、みんなで少しずつ集めた、銅貨の袋。荷運びや、草むしりや、くず拾いで、一枚ずつためてきた袋だ。
両方とも、泥の底に沈んでいた。
孤児たちは、毛布を抱えて、穴のまわりに立ちつくしていた。誰も、何も言わない。ピアが、濡れた毛布に顔をうずめていた。
「ねどこ、なくなっちゃった」
小さい子が、ぽつりと言った。
「芋も……」
「お金のふくろも、あそこに置いてたのに」
声が、一つずつ増えていく。誰も、俺のほうを見なかった。見ないようにしているのが、分かった。
それが、いちばんきつかった。
ネロが、穴の中をのぞきこんだ。
穴の壁の、一部だけつるつるに固められたところを、じっと見た。床板の切り口を見た。崩れた棚を見た。
それから、ゆっくり、俺のほうを向いた。
俺は、逃げなかった。
言い訳も、しなかった。
ネロが、俺の胸ぐらをつかんだ。
持ち上げられる。足が、床から浮きかける。ネロの手が、ふるえていた。
殴られる、と思った。殴られて当然だった。
でも、ネロは殴らなかった。
しばらく俺をにらんでから、手を離した。
俺は、泥の中にしりもちをついた。
ネロは、背中を向けたまま、低い声で言った。
「……二度とやんな」




