第13話 銅貨一枚の契約
ガンツは、一人じゃなかった。
後ろに、腰の曲がった老人を連れていた。白いひげが胸まであって、首から黒い石の板を下げている。
「よう、ぼうず。拾い物は生きてるか」
ガンツは、廃屋の戸口に立って言った。中には入ってこない。においが嫌なんだろう。
俺は、ひざの上の子をそっと床に下ろして、立ち上がった。
「生きてる」
「そりゃあ、話が変わるな」
ガンツは、帽子のつばを指で上げた。損か得かを数える目だ。悪人の目というより、帳簿をつける人の目だった。
「死ぬと思って捨てた。だが生きてるなら、そいつはまだ俺の商品だ。首輪がついてるだろ。黙って持ってりゃ、盗っ人ってことになる」
「……捨てたのは、そっちだ」
「捨てた物を拾ったら、拾った奴の物か? この街の役人は、そうは言わねえ」
言い返せなかった。この街の役人が、貧民街の孤児と奴隷商のどっちの話を聞くか。考えるまでもない。
後ろから、ネロが出てきた。俺の横に立つ。
「連れて帰る気か」
「まさか。熱のある商品なんか積めるかよ」
ガンツは、肩をすくめた。
「だから、買え。どうせ死にかけだ。銅貨一枚でいい」
「……一枚?」
「生きたら、もうけもんだろ。死んだら、お前の損だ。俺はどっちでもいい。今日は大市で、じいさんの手も空いてる。ついでだ」
ガンツは、廃屋の奥をちらりとのぞいた。床の子の耳が見えたらしい。
「七番は、鼻だけはいい商品だったんだがな。熱さえ出なきゃ、銀貨で売れた」
七番。
あの子は、そう呼ばれていたのか。
老人が、ぼそぼそと言った。
「……契約師じゃ。主の血を一滴、この石に落とす。それで結べる」
* * *
ネロが、俺の腕をつかんで、廃屋の奥へ引っぱった。
「ティオ。奴隷の主になるって、わかってんのか」
「……わかんない」
「わかんないで、買うのかよ」
「でも、ここで断ったらどうなる」
ネロは黙った。
答えは、二人とも知っている。ガンツは、あの子を檻に戻すか、またどこかに捨てる。熱のある子を、もう一度。
「主になったら、そいつを食わせなきゃならねえんだぞ。芋は、ひとり分増えたままだ。この先ずっと」
「俺の芋を半分やる」
「半分で足りるかよ」
「足りなかったら、どぶを倍さらう」
ネロは、何か言い返そうとして、やめた。かわりに、自分の頭をがしがしとかいた。
正直に言うと、そのとき頭のすみに、ノートの四番がよぎった。
――ケモミミの仲間と旅をする。
(最低だ、俺)
死にかけの子の前で、リストのことを考えた。自分で自分を殴りたくなった。
だから、決めた。
買うのは、リストのためにじゃない。あの子を、もう二度と捨てさせないためだ。
俺は床下の穴に手を入れて、布の包みを取り出した。
ほどく。
緑色にさびた銅貨が、三枚。
どぶの泥から、一年かけて選り出した三枚だ。
一枚をつまむ。泥がまだ、ふちにこびりついている。
「……おい、ティオ」
「一枚でいいって言った」
俺は戸口に戻って、その一枚をガンツの手のひらに乗せた。
ガンツは、泥のついた銅貨をしげしげと見た。それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「毎度あり」
ピアが、俺の服のすそを引っぱった。
「ティオ。その子、ティオのになったの?」
俺は、少し考えた。
「ちがう。うちの子になったんだ」
「うちの子」
「この廃屋の子だ。ピアと同じだ」
ピアは、ぱっと顔を明るくして、廃屋の奥へ走っていった。たぶん、ほかの子たちに言いふらしに行ったんだと思う。
* * *
老人が、廃屋に入ってきた。
ガンツとちがって、においを気にするふうもない。床の子のそばに、ゆっくりひざをつく。
黒い石の板を、首から外した。手のひらに乗るくらいの、平たい石だ。表面に、細い溝で輪の模様が彫ってある。
「主は、おぬしか」
「……はい」
老人は、俺の顔をじっと見た。八歳の、泥だらけの孤児の顔を。
「年の決まりはない。主になる者が血を落とせば、それで結ばれる。……ただし、一つだけ覚えておけ」
「なんですか」
「奴隷は、主に逆らえん。そのかわり、主は奴隷を養う。それが契約じゃ。捨てるのは、契約を踏みにじることになる」
老人の目が、戸口のガンツをちらりと見た。ガンツは、聞こえないふりをしていた。
「……捨てません」
「なら、指を出せ」
老人は、細い針で俺の指先をちくりと刺した。赤い玉が、ぷくっとふくらむ。
「石の真ん中に」
言われたとおり、血を一滴、落とした。
石の溝に、赤い線がすうっと広がっていく。
老人は、その石を、獣人の子の手の甲にそっと押しあてた。
子どもの手の甲にあった古い紋が、じわりと薄れて消えた。ガンツとの契約が外れたのだ、と老人がつぶやいた。
石を離す。
子どもの手の甲に、紋が浮かんでいた。
土の色をした、細い線の模様だった。
さっき消えた古い紋は、鎖を一つ描いただけの、簡単な形だった。
新しい紋は、まるで違った。
細い線が、手の甲の真ん中から、木の根みたいに広がっている。根の先は、さらに細かく分かれている。じっと見ていると、ほんのかすかに、脈を打っているように見えた。
老人の手が、止まった。
しわだらけの指で、紋のふちをなぞる。何度も。
ネロが、横から首を伸ばした。ピアも、毛布の陰から顔を出した。
ガンツが、戸口でいらいらと足を鳴らす。
「じいさん、終わったか。次がつかえてる」
老人は、答えなかった。
紋から目を離さないまま、ひげの奥で、ぼそりと言った。
「……こんな紋は、見たことがない」




