第11話 ごみ捨て場の目
あれから、一年近くたった。
俺は八歳になった。泥人形は、俺の手を離れても十歩は歩く。砂つぶなら、目をつぶっていても一つずつ選べる。
魔力は、相変わらずお茶わん一杯だ。
そのお茶わん一杯で、俺はこの一年、新しい仕事をしていた。
市場の裏の、どぶさらいだ。
市場の裏には、細いどぶが流れている。野菜くずと泥がたまった、くさい溝だ。でも、ここには宝が沈んでいる。客が落とした銅貨だ。
大人は手を突っこまない。くさいし、銅貨一枚のために泥をかき回すなんて、損だからだ。
俺は、手を突っこまなくていい。
どぶのふちにしゃがんで、泥に指先をつける。魔力を細く流す。泥の粒を、一つずつさわっていく。やわらかい粒、ざらざらの粒、小石。
――かたくて、平たくて、冷たいもの。
それだけを、泥の中からゆっくり押し上げる。
ぽこ、と泥の表面に、緑色にさびた銅貨が顔を出した。
「……よし」
一年かけて、三枚目だ。
少ない。分かってる。でも拾った銅貨は全部、廃屋の床下の小さな穴にしまってある。誰にも言っていない。いざというときのための、秘密の資金だ。
(三枚で何ができるのかは、まだ考えていない)
* * *
ぎし、ぎし、と車輪の音がした。
顔を上げる。
市場の裏道に、馬車が一台入ってきた。荷台に、鉄の檻を積んでいる。
覚えている。去年、大通りで見た馬車だ。
奴隷商の馬車。
御者台の男が、馬を止めた。あのときの、やせた男だ。帽子のつばの下で、乾いた目が動いた。
名前は、ガンツ。
ガンツは荷台に回って、檻の戸を開けた。中から、ぼろ布のかたまりを引きずり出す。
それを、ごみ捨て場の野菜くずの山に、ぽいと放った。
ごみ袋を捨てるみたいに。
「熱が下がらねえ。ほかの商品にうつされたら大損だ」
ガンツは誰に言うでもなくつぶやいて、手を払った。御者台に戻る。鞭が鳴る。
馬車は、来たときと同じ音を立てて、裏道を出ていった。
俺は、しばらく動けなかった。
ごみの山の上で、ぼろ布がかすかに動いた。
灰色の、三角の耳が、ぴくりと立った。
* * *
近づくと、ひどいにおいがした。野菜くずのにおい。それから、汗と熱のにおい。
ぼろ布の中に、小さな子どもがいた。
俺と同じくらいの年。灰色の髪はもつれて、泥で固まっている。首には、鉄の首輪。布のすそから、灰色の尻尾が力なく垂れていた。
獣人の子だ。
頬にさわる。熱い。日なたに置いた石みたいだ。
息が、浅くて速い。
「おい。聞こえるか」
声をかけると、まぶたがゆっくり持ち上がった。
金色の目だった。
去年、檻のすき間から俺を見ていた目。
その目が、今度もまっすぐ、俺を見た。唇が動く。でも、声にならない。まぶたが、また落ちる。
俺は、まわりを見た。
市場の人たちは、ちらっとこっちを見て、すぐに目をそらした。獣人の奴隷の子が、ごみ捨て場で死にかけている。それを、みんな見なかったことにした。
この街では、よくあることだ。
廃屋の子が冬にいなくなったときも、大人たちは同じ顔をしていた。
俺は、ぼろ布ごと、その子を抱え起こした。
「ちょいと、坊や」
屋台のおかみさんが、顔をしかめて声をかけてきた。
「やめときな。獣人の病気は、うつるっていうよ」
「うつったら、そのとき考える」
「考えるって、あんた……。それ、奴隷だろ。あとで面倒なことになるよ」
「もう捨てられてる。さっき見た」
おかみさんは、あきれたように首を振った。それ以上は何も言わず、屋台に戻っていく。止めもしないし、手伝いもしない。
それでいい。止められるよりは、ずっといい。
俺は、その子を背負った。
軽い。泥玉を詰めた袋より軽い。背中に、熱いかたまりが張りついている。耳のあたりから、ひゅう、ひゅう、と細い息が聞こえた。
(影の強者の作法、その一。人助けは、夜にこっそりやる)
今は昼だ。市場のど真ん中だ。
作法なんか、知るか。
* * *
「ティオ、それ、なに?」
廃屋の戸口で、ピアが目を丸くした。七歳になったピアは、毛布を引きずって歩くのをやっとやめたところだ。
「拾った」
「ひろった……」
「ごみ捨て場で。熱が出てる。寝床、あけてくれ」
中にいた子たちが、わらわらと寄ってきた。そして、背中の子の耳を見て、ぴたりと止まった。
「獣人だ」
「病気? うつる?」
「奴隷の首輪してる。持ち主に怒られるぞ」
ざわざわと、声が広がる。小さい子が、年上の子の後ろに隠れた。
俺は廃屋のいちばん奥、雨漏りを直したあたりの乾いた床に、その子を下ろした。ぼろ布をかけ直す。
「持ち主が、自分で捨てていった。だから、もう誰のでもない」
「でも、ティオ。うちだって、芋が……」
誰かが小さな声で言った。そのあとは、誰も続けなかった。
みんな、分かっている。芋は、いつも足りない。一人増えれば、一人ぶん減る。
ピアだけが、とことこと寄ってきた。獣人の子の顔をのぞきこむ。
「みみ、ある」
「あるな」
「さわっていい?」
「元気になったら、本人に聞け」
そのとき、戸口が暗くなった。
ネロだった。芋の入った袋を、肩にかついでいる。十三歳になったネロは、もう大人と同じくらい背が高い。
ネロは、床の子を見た。俺を見た。もう一度、床の子を見た。
しばらく、誰も口をきかなかった。
俺は、ネロの目を見返した。何を言われても、この子を外に戻す気はなかった。
ネロが、袋を床に下ろした。中をのぞきこんで、芋を数えはじめる。
一つ。二つ。三つ。
最後まで数えて、ため息をついた。
「……芋、人数分あるか。ひとり増えたな」




