第10話 次のページ
七歳になった。
空き地の真ん中で、泥の人形が歩いていた。
手のひらに乗るくらいの、小さな人形だ。三歳のとき、水たまりのふちで初めて立たせた、あの不格好なやつの子孫にあたる。
今は、ちゃんと歩く。右足、左足。小石があれば、よいしょとまたいで越える。
「あるいた!」
塀の上で、ピアが手を叩いた。六歳になったピアは、もう塀の上が自分の席だと思っている。
「ティオ、それ、こっちにもこさせて」
「無理だ。塀は登れない」
「なんで」
「足が短いから」
「ティオとおんなじだね」
(それは言わなくていい)
泥人形は、空き地を一周して、俺の足元でぺたりと座った。魔力は、ほとんど使っていない。動かしているのは、足の関節にあたる砂つぶだけだからだ。
岩猪の日から、一年がたっていた。
あの日のことは、どぶ坂ではもう「守備隊が猪を仕留めた日」として語られている。孤児の仲間たちも、いつの間にか言わなくなった。
隊長は、あれから何も聞いてこない。会うと、ただ「腹は減ってないか」と言う。それだけだ。
廃屋の壁の線は、まだ一本のままだ。
屋根の板は、ちゃんと直した。ネロに言われたからではない。いや、言われたからだ。三回言われた。
* * *
その夜、俺は屋根の上に寝転がって、星を見ていた。
前の世界のノートは、もうない。凍った階段と一緒に、向こうに置いてきた。
でも、中身は全部覚えている。五十三個、一つ残らず。
頭の中で、ページをめくる。
一、かっこいい二つ名を持つ。まだだ。今のところ、どぶ坂での呼び名は「泥のティオ」。かっこよくはない。
二、仮面の冒険者になる。冒険者の登録は、十歳からだ。まだ三年ある。
三、秘密の隠れ里を作る。空き地の砂の地図の中にだけ、ある。
四、ケモミミの仲間と旅をする。
そこで、ページをめくる手が止まった。
ケモミミ。ラノベでは、だいたい最初の仲間になる。耳と尻尾があって、鼻がよくて、主人公のいちばんの味方になる。
ずっと、それがかっこいいからだと思っていた。
でも、星を見ながら考えて、気づいた。
俺がほしいのは、ケモミミというより――。
仲間だ。
一緒に、バカな夢を本気で追いかけてくれる仲間。隠れ里の地図を見せても、笑わないやつ。「大地に聞く」と言ったら、一緒に地面に耳をつけてくれるやつ。
ネロもピアも、家族だ。大事だ。でも二人には、二人の暮らしがある。俺の五十三個に、全部つきあわせるわけにはいかない。
(……七歳で、こんなことを考えてる時点で、だいぶ重症だな)
俺は寝返りをうって、目を閉じた。
* * *
十月の、夕方だった。
市場の帰り、ネロとピアと三人で、大通りを歩いていた。
ネロは十二歳になって、背がまた伸びた。荷運びの仕事で、肩幅も広くなった。今日は野菜くずを、袋いっぱいにもらってきている。
大通りの向こうから、重い車輪の音が近づいてきた。
ぎしぎし、ぎしぎし。
人々が、道の端によける。
大きな馬車だった。荷台には、布をかぶせた四角いものがいくつも積んである。布のすき間から、黒い鉄の棒がのぞいていた。
檻だ。
御者台には、やせた中年の男が座っていた。上等な服に、帽子を深くかぶっている。つばの下の目つきだけが、乾いていた。男は、通りの人を見もせずに、手綱を軽く振った。
「どいたどいた。商品に触るなよ。触ったら買ってもらうからな」
冗談なのか本気なのか、分からない声だった。たぶん、本気だ。
まわりの大人が、ひそひそと話す。
「ガンツの馬車だ。あの奴隷商、また南のほうから運んできたのか」
「王都に持っていくんだろ。高く売れるからな」
「どれいしょう、ってなに?」
ピアが、ネロの服のすそを引いた。
「人を売り買いするやつだ」
「ひとを?」
「借金で売られたやつとか、戦で捕まったやつとか。檻に入れて運んで、買いたいやつに売る」
ネロの声は、いつもより硬かった。その手が、俺の腕をつかんだ。
「見んな」
「なんで」
「奴隷商に目つけられたら、ろくなことにならねえ。俺らみたいなのは、とくにな」
ネロの手に、力がこもっていた。
ピアが、ネロの後ろに隠れた。
俺は、うつむこうとした。
そのとき、馬車の車輪が、道のくぼみにはまって大きく揺れた。
荷台の布が、ずれた。
檻の中が、見えた。
うす暗い鉄の格子の向こうに、小さな体がうずくまっていた。俺と同じくらいの子どもだ。ぼろ布にくるまって、膝を抱えている。
頭の上に、耳があった。
灰色の、三角の耳。
ケモミミだ、と思うより先に、俺は息をのんだ。
その耳は、ぴんと立っていなかった。ぺたりと、頭に張りつくように伏せられていた。おびえているときの、犬の耳と同じだった。
ネロが、もう一度俺の腕を引いた。
「ティオ。見んなって」
俺は、目を離せなかった。
檻の中の子が、ゆっくりと顔を上げた。
ぼさぼさの灰色の髪のすき間から、目がのぞいた。
金色だった。
夕日を映したみたいな、金色の目。
馬車が、ぎしりと動きだす。布が、また檻をおおっていく。
まわりの音が、遠くなった。車輪のきしむ音も、ネロの声も、ピアが俺の袖を引く手も。
布が閉じる、その最後の一瞬まで。
その子の目が、こっちを見ていた。




