5.クッキーの味
放課後になると、藤宮は帰り支度もせずに俺の机までやってきた。
「円城くん、教科書出して。忘れてないよね?」
「覚えてますけど……本当に今日からやるんですね」
「できれば忘れててほしかったみたいな言い方だけど?」
机の横に立ったままの藤宮。
俺は慌てて鞄から教科書とノートを引っ張り出す。
彼女は前の席から椅子を借りてくると、俺の机に自分の教科書を並べた。
「先に言っておくけど、私そんなに優しくないからね。分からないところは教えるけど、分かったフリして先に進もうとしたら普通に戻すよ」
「それは困りますね。分かったフリは結構得意だったんですけど」
「昨日から薄々気付いてたよ。円城くんって、人の話を聞いてる顔はちゃんとしてるもん」
「酷くないですか?」
「じゃあ試してみよっか。ここ、授業でやったところだから分かるよね?」
「分かりますよ」
「答えは?」
俺は黙り込む。
「ほら」
自説が証明されたと言わんばかりに藤宮は笑った。
「いや、待ってください。今ちゃんと頭の中から探してるところなんです」
「探さないと出てこない時点で駄目なんじゃない? しかも円城くん、さっきから教科書じゃなくて私の顔見て時間稼いでるでしょ」
「バレました?」
「バレてるよ。私をなんだと思ってるの」
「英語が得意な彼女です」
藤宮の手が教科書から離れた。
「えっと、彼女で合ってますよね?」
「合ってるけどさ。円城くん、全然恥ずかしがらないよね。昨日からずっとそうだけど」
「藤宮さんは恥ずかしいんですか?」
「そうやって聞き返してくるところは嫌」
答えになってないです。
藤宮は俺のノートを手に取って、授業中に書いた部分を読み始めた。
「字は綺麗なのになあ。ノートもちゃんと取ってるし、提出物も忘れないんでしょ?」
「そうなんですよ。そこだけ聞くと優等生なんですけどね」
「自分で言わない。授業中も寝てないのに、なんでこんなに頭に入ってないの?」
「俺にも分かりません。先生の話を聞いてる時は分かったつもりなんですよ。でも、終わった瞬間にフワ〜っと」
「それでテスト前に困って、毎回誰かに聞いてるの?」
「普段は一人で困って終わりますね。だから、今は藤宮さんがいるので助かってます」
藤宮は俺の顔をじっとみる。少し睨まれている。
「円城くんって、そういうこと誰にでも言うの?」
「どういうことですか?」
「今みたいな……なんか、さらっと人が喜びそうなこと言うじゃん」
「喜ばせようと思って言ってるわけじゃないですよ。助かってるから助かってるって言っただけです」
「それが一番困るんだけど……まぁいいや。勉強しよ。私まで変なこと考え始めそう」
そこからしばらくは勉強時間が続いた。
俺が問題を解いて、藤宮が答えを見る。
間違っていれば、どこで分からなくなったのか聞かれる。
最初は「ここが分かりません」で済ませていたが、それでは駄目らしく、途中からは何が分からないのか自分で説明させられるようになった。
「——ってことで、どうなのかなって」
「そこまで言えたら、もう半分は分かってるね。円城くん、分からないって言うのが早すぎるのかもよ?」
再び俺のノートを持ちながら彼女が言う。
「藤宮さんに聞いた方が早いかなって思っちゃって」
「それじゃあ、私がいないテスト中はどうするの?」
「隣に座ってもらいたいですね」
「それじゃ意味ないでしょ。まぁ、分からなくなったら呼んでよ。全部答えるのはなしね。どこまで考えたか見て、そこからなら付き合うから」
藤宮は俺のノートをこちらへ戻した。
俺のものではない字が増えている。
答えではなく、俺が引っかかったところの横に短いメモが書き足されていた。
「ありがとうございます。これなら家でも分かりそうです」
「でしょ。せっかく教えたのに、明日になったら全部忘れてましたは嫌だから。私、たぶん結構凹むよ」
「藤宮さんを凹ませるわけにはいきませんね。頑張らないと」
「そこは自分の点数のために頑張ってよ……でも、覚えててくれたら嬉しい」
最後だけ小さくなった声を聞きながら、次の問題へ進む。
今度はすぐに助けを求めず、ノートを見返してから答えを書いた。
藤宮は俺の手元を覗き込み、赤ペンを走らせる。
「できてる。ほら、ちゃんと考えた方が早いじゃん」
ただの丸じゃなくて二重丸をくれた。
「いいんですか? こんなに評価してもらって」
「これは、私が教えたところを使えてたから特別にね。次もできたら増えるかもよ?」
「じゃあ、次も二重丸狙っていきます」
「うん。円城くんが頑張った分だけ増やしてあげる」
少し得した気分だ。もう一問解いてみよう。
今度は途中で迷ったものの、横からは何も言われない。
藤宮は自分の教科書を眺めながら待っていて、俺が書き終わると、すぐにノートを引き寄せる。
「うん、ここだけ惜しい。でも前より全然いいよ。最初見た時は、私これ毎日やることになるのかなって、ちょっと怖かったもん」
「……毎日ならかなり助かりますね」
「今のは言葉の綾です……円城くんがちゃんとやるなら、別に何日か付き合うくらいはいいけど。途中で投げ出すのって気持ち悪いじゃん?」
「頑張ります」
問題をいくつか進めたところで、不覚にも腹が鳴ってしまう。
「もう晩御飯の時間なの?」
音は小さかったが、藤宮にはしっかり聞こえたらしい。
「頭を使うとお腹が空くんですよ」
「急に燃費悪くなるなぁ。テスト中なんて、朝からたくさん食べないといけないじゃん」
「五キロぐらい体重を増やして臨みたいですね」
「なにその、逆ボディビル選手みたいな……あ、でも」
藤宮は思い出したように鞄へ手を入れ、小さな包みを取り出した。
「これ、食べるならあげる。昼に渡そうと思ってたの忘れてた」
中にはクッキーが数枚入っていた。
「家で作ったんだよね。別に大したものじゃないけど」
「いいんですか! 昼は卵焼きで放課後はクッキーまで」
「私、一日中円城くんに食べ物渡してる人みたいだね」
「実際そうなってますよ」
「……やっぱり返してくれる?
「嫌です」
包みを机の端へ避難させると、藤宮が笑いながら手を伸ばしてきた。俺は取られないように持ち上げる。
「食べるなら、ちゃんと感想言ってよ。甘すぎたかもしれないし、次作る時の参考にしたいから」
「次もあるんですか?」
「そこ、拾わなくていいから。勉強終わってないし」
赤ペンで教科書を示され、仕方なくクッキーを鞄へしまった。
ただ、藤宮はそれから何度か俺の鞄を見ていた。
「別に、今食べてもいいよ。帰る時に割れちゃうかもだし」
「いいんですか? じゃあ一枚だけ」
「好きなだけどうぞ」
包みを開けてクッキーを一枚取り、口に入れる。
「美味しいです。甘さもちょうどよくて」
「……よかった。甘すぎたと思ってたから、持ってくるか迷ったんだよね」
「俺は好きです」
「ふーん?」
藤宮は自分の教科書へ視線を戻した。
ページはしばらく捲られなかった。
俺も勉強に戻……らず、二枚目へ手を伸ばす。
「好きなだけとは言ったけど、全部食べる気なの?」
「美味しかったんで、つい」
「なら良かったけど……次は円城くんの番ね。お弁当でもお菓子でもいいから、私も何か食べたい」
「分かりました。何を作るか考えておきます」
「うん。楽しみにしてるね。じゃあ、あとはここ。終わったら今日は帰ろ」
俺は頷く。
口の中に残るクッキーの味が心地良い。
淡白な会話文って意外と難しいですね
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