3.偽りの関係
「こちらこそ、よろしくお願いします」
教室がどよめいた。
「うおおおおお! おめでとう!」
「円城には、これくらい可愛い彼女がいて当然だよな!」
「二人とも! デートコースで迷ったら私が相談乗るからねー!」
めちゃくちゃに祝福されてしまった。
どうして藤宮が好きなでもない相手に告白するハメになっているのか、それが分からない。
だが、おそらく彼女は「俺と付き合うこと」を命じられているのだ。
断りたいのは山々だが、こちらの選択肢を取る方が、彼女を取り巻く「何か」はマシになる気がする。
放課後になった。
約束していた数学の復習を終えて教室を出ると、廊下の窓はもう茜色に染まっていた。
昇降口へ向かう途中、下駄箱の陰に人影を見つける。
藤宮だった。鞄を胸の前で抱え、俺が来るのを待っていたらしい。
「円城くん……その、帰り、一緒に……」
語尾が萎んでいく。
恋人へのおねだりというより、学校で悪事を働いて、その一部始終を家にチクられた小学生のようである。
「帰りましょう。途中まで同じでしたっけ」
各々が、大まかな自宅の位置を教え合う。
「……あぁ、言われてみれば、前に駅で見かけたことがあった気がします」
「本当? よく覚えてるね……」
藤宮がほんの少し目を丸くしたが、すぐに伏し目がちになって表情を隠した。
俺たちは並んで昇降口を抜けた。
校門を出ると、下校中の生徒がちらほらとこちらを見てくる。
藤宮が付き合ったという噂は、もう回ってしまっているのか。
ただてさえ学園のマドンナ的存在なんだし、視線が集まるのも無理はない。
藤宮は、その視線に身を硬くしていた。
半歩、俺から距離を取っている。
好きじゃないから触れないように、しかし付き合っていると思われるように離れすぎず、微妙な間合いを保っていた。
昨日まで俺と藤宮の間には一切の接点がなかったのに、今日を境に恋人同士になってしまった。
中身が伴ってないとはいえ、だ。
「あの、藤宮さん。歩くの速くないですか?」
「……ううん、大丈夫」
「無理してませんか? もし疲れてたら、そこの公園で少し休んでも——」
「平気だってば。子供扱いしないで」
少しむくれた声だった。それでも、俺と歩調を合わせようとしてくれているのは伝わってくる。
だが、藤宮は始終どこか硬く見える。
演技といえど、俺なんかと付き合うことになって緊張しているのかもしれない。少しでもほぐしてやらなければ。
「藤宮さんって、歩くの好きなんですか?」
「え?」
「いや、電車じゃなくて、歩いて帰ろうって誘ってくれたので」
俺たちの最寄りは、学校からそう遠くない。
歩いて帰ることもできるが電車に乗った方が当然早い。
「……別に。ただ、円城くんと、話す時間がほしくて」
「そうなんですね。嬉しいです」
「……っ、そういうの、真顔で言わないでよ」
彼女は顔を横に背けてしまう。耳の縁がほんのり赤い。
信号のない横断歩道に差しかかった。
「藤宮さん、こっち側に」
車道側へ回り込む。
「……ありがと」
「え? ああ、車道側、危ないので」
「そういうの、誰かに教わったの?」
「どうだったかな。気づいたらやってました」
藤宮は何も言わず、俺の横顔をしばらく見ていた。
やがて前へ向き直ると、その歩幅が、ほんの少しだけ俺へ寄る。
商店街に差しかかったところで、俺は足を止めた。
八百屋の軒先で、腰の曲がった老婆が地面にしゃがみ込んでいる。
足元には林檎が転がっていた。
手提げ袋の底が破れたらしく、赤い実が四方へ散らばっている。
「すみません、少しだけ待っててください」
藤宮に断って、俺は老婆に駆け寄った。
膝をつき、転がった林檎を一つずつ集めていく。
「おやまぁ、ありがとうねぇ。急に破けちゃって、往生してたんだよ」
「そのままだと危ないので……新しい袋ってありますか?」
老婆は首を横に振る。
おそらく彼女は、八百屋で林檎を買ったところなのだろう。
ということは——
「貰ってきますから、ちょっと待っててください」
八百屋に入り、店員から丈夫なレジ袋をもらうと、拾った林檎を移し替える。
傷んでいないか一つずつ検分してから袋へ入れ、破れた袋の切れ端は店先のごみ箱へ落としておいた。
「はい、これで大丈夫です。持てそうですか?」
「大丈夫大丈夫、ありがとうねぇ。優しい坊やだ」
「いえいえ、気をつけて帰ってくださいね」
老婆が何度も会釈しながら去っていくのを見届け、俺は藤宮のもとへ戻った。
「お待たせしました。すみません、急に抜けちゃって」
藤宮は、俺をまじまじと見ていた。
呆けたような、そして何かを噛みしめるような表情だ。
「……円城くんって、いつもああなの?」
「ああ、って?」
「困ってる人がいたら、ああやって、すぐに助けに行くの?」
問われて、俺は少し考えた。
「どうでしょう。困ってる人を見たら、勝手に身体が動くんです。いつもかどうかは……自分でもよく分からないですね」
藤宮が小さく息をついた。
「……変な人」
「そんなことないですよ」
「いや、変な人だよ」
そう言って、彼女は笑みを浮かべた。
作り物の笑顔ではなく、見ているこっちまで頬が緩む。
この笑顔がもっと見られるなら、彼氏としては悪くない滑り出しかもしれない。そんな呑気なことを考えていた。
しばらく歩くと、藤宮がぽつりと切り出した。
「ねえ、円城くん……本当に、私でよかったの?」
「何がですか?」
「その、付き合う相手。円城くんなら、もっと普通の子と……」
「藤宮さんが普通じゃない、みたいな言い方ですね」
俺が笑うと、藤宮は困ったように視線を落とした。
「そうじゃなくて。私、円城くんが思ってるほど、いい子じゃないよ」
「そうですか? 少なくとも、俺の前ではいい人ですよ」
「……買いかぶりすぎ」
「そうかもしれないです。でも、今日一日で判断するなら、俺は藤宮さんのこと、いい人だと思いました」
藤宮は口を結んで、それきり黙り込んだ。
怒らせたのかと思ったが、そうではないらしい。
彼女の頬の色がそう告げている。
そこから分かれ道までの道すがら、俺たちはとりとめのない話をした。
「円城くん、好きな教科は?」
「家庭科です。裁縫とか、料理とか」
「男子で家庭科が一番って、初めて聞いたかも」
「便利ですよ。ボタンが取れても自分で直せますし。藤宮さんは?」
「私は英語かな。他の国の言葉が話せるようになるのって、世界が広がる気がしない?
「いいですね。俺、英語は赤点すれすれなので尊敬します」
「じゃあ今度、教えてあげる……なんて。彼女らしいこと、ちょっと言ってみたかっただけ」
そう言って舌を出す藤宮は、昼の張り詰めた空気が嘘のように軽やかだった。
やがて、俺たちは目的地へと辿り着いた。
「じゃあ、俺はこっちなので」
「うん……あのね、円城くん。今日はありがとう」
「こちらこそ。また明日、学校で」
手を振って別れ、数歩進んでから後ろをうかがう。
藤宮はまだ同じ場所に立っていて、俺と目が合うなり、慌てて背中を向けて小走りで去っていった。
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