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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第94話 直さなかった仕事の代金

『交換した部材――なし』

『旧水守門への修理施工――なし』


 そこまで書いた俺は、請求額の欄へ「零」と書きかけた。


「その先を書く前に、一つ聞く」


 ガンツさんが、俺の手元へ短くなった炭筆を置いた。

 ポロが記録図を描くのに使っていたものだ。もう、指でつまむところがほとんどない。


「石を替えていたら、お前は代金を受け取ったか」

「必要な修理だったなら」

「では、替える必要があるかを調べた仕事は、誰がやった」


 筆の先から、墨が一滴落ちそうになった。

 俺は慌てて筆皿へ戻した。


 答えは分かっている。


 けれど、その仕事の隣へ金額を書くとなると、手が止まった。


     ◇


 七日目の報告が届いた日の昼前だった。


 アルバ冒険者組合から届いた二つの記録を読み終え、十四日目に次の点検を行う方針も決めた。

 村の井戸と水車、北結界石の確認も済んでいる。


 机に残ったのは、リーネさんからのもう一枚の紙だった。


『交換部材を使用していないことを理由に、診断費を省略しないでください』


 請求書を出してほしい。


 そう書かれているのに、俺はまだ、何を代金にすればいいのか迷っていた。


 部品なら分かる。

 新しい金具を取りつけた。割れた木を替えた。刃の欠けを整えた。


 前と後を並べれば、したことが見える。


 だが、旧水守門には触れていない。

 西分け石の第二座も、実物を見ていない。


 工房の床下には替え石が残り、防護鐘台の二枚の座合わせ片も使わずに保管されている。


「まだ、第二座がどうなっているかも分かっていません」


 俺が言うと、ミラは請求用の紙から顔を上げた。


「そのことも、報告しました」

「はい。でも、お金を受け取ったら……また分からないとは、言えなくなる気がして」


 ガンツさんの眉が動いた。


「逆だ」

「逆、ですか」

「代金を受け取るなら、分からんところも知らせろ。分かった顔で石を起こす方がまずい」


 ミラが、七日目の判断書を俺の前へ置いた。


『観察範囲に、座替えを急ぐ悪化は確認されず』


 第二座は正常、とも。

 もう安全だ、とも書いていない。


「私たちが出したのは、この判断です。北と西の記録を読み、違いを整理し、今は交換を急がないと決めた。その内容で請求します」

「十四日目に、悪くなっていたら?」

「新しい記録で、判断を見直します。今日の代金を受け取ったからといって、前の答えを守り続けるわけではありません」


 俺は判断書を読み直した。


 右の紙片が揺れたこと。

 冷えが道具へ残らなくなったこと。

 西では感じた人と、感じなかった人がいたこと。


 どれも、結論に都合よく書き換えなかった。


 請求書のためにだけ、急に「完全に直った」と付け足す必要はないのだ。


     ◇


 ミラは机の上に、三枚の小札を並べた。


『精算済み』

『今回』

『これから』


「まず、混ぜないようにしましょう」


 前に精算した作業の控えは、一枚目の札の下へ。

 七日間の北と西の報告、その照合と返答の記録は、二枚目へ。

 今後の保管と十四日目以降の点検については、三枚目へ置く。


 俺が古い材料帳の写しを手に取ると、ミラは端の日付を確かめた。


「以前の診断で計上した分を、もう一度入れないようにします。今回は、この七日分を読み合わせるために必要だった照合を数えます」


「乾布四の回収は?」


 ポロが、自分の描いた布受け枠の絵を持ってきた。


 ガンツさんが首を振る。


「あれは工房の床下を整えた仕事だ。組合の診断へ役立ったからといって、丸ごと向こうへ付けるな」


 ポロは絵を引っ込めた。


「じゃあ、村の帳面?」

「そうです」


 ミラが受け取り、別の控えへ戻した。


 何でも無料にするのでもない。

 調べたことを全部、組合へ載せるのでもない。


 誰から、何を頼まれたのか。

 どこまでを、今回の仕事として渡したのか。


 線を引いていくと、机の上の紙束は少し薄くなった。


 それでも、なくなりはしなかった。


 北と西の記録の読み合わせ。

 古い記録との照合。

 座替えを見合わせる判断。

 十四日目の点検までに何が起きたら退避し、報告するかをまとめた返答。


 俺は、残った紙へ手を置いた。


 石を動かさなかった理由は、ここにある。


「名前は、どう書きますか」


 ミラが尋ねる。


 俺は少し考えた。


「旧水守門、七日間の記録照合と経過判断。……それで、お願いします」


 ミラの筆が動いた。


『旧水守門・七日間の記録照合および経過判断』


 修理完了、とは書かなかった。

 書かなくても、何を引き受けた仕事か分かる名前になった。


     ◇


 金額は、使った時間と材料の控えを突き合わせて決めた。


 記録を読み合わせた時間。

 必要な箇所を調べ直し、判断をまとめた時間。

 相手へ伝わる形に、返答を整えた時間。


 七日間待ったから、七日分の手間を数えるのではない。

 その間に、工房で実際にした仕事を数える。


「工房の作業分が、銀貨三枚。今回の写し紙と墨の実費が、銅貨六枚です」


 ミラが算定の控えを横へ添えた。


 俺は金額を見た。


 法外だとは思わない。

 誰か別の職人が同じことをしたなら、必要な代金だと思えただろう。


 それでも、自分が受け取る側になると、数字が重く見えた。


「俺の分だけ、少し減らせませんか」

「理由は?」


 ミラは筆を置いた。


「今回は、ほとんど紙を読んで、考えていただけですから」


 言い終わる前に、机の上の炭筆が目に入った。


 短くなるまで使われた筆。

 何枚も描き直された図。

 ミラの中指には、墨のついた小さな跡がある。


「紙には払うのに、それを読んだ人には払わないのか」


 ガンツさんの声は、怒ってはいなかった。


「……ミラたちの分を削るつもりはありません」

「自分の分なら、消していいと?」

「俺が納得すれば」


 ミラが、算定の控えを俺へ向けた。


 作業をした者の欄に、俺の名前もある。


「エイルさんが休んだ日に、誰かへ代わりを頼むなら、その人の時間も必要です」

「はい」

「今だけ一人分を消した金額を、工房のいつもの値段にはしたくありません」


 俺は黙った。


 昔、夜の間に済ませた点検は、朝には見えなくなっていた。

 灯りがつく。金具が外れない。刃がいつもどおり鞘へ収まる。


 そうなっていれば、誰も尋ねない。


 何も起きなかったから、何もしていない。

 言われたことだけではなかった。


 俺自身も、自分の仕事をそう扱っていたのかもしれない。


 ハンナさんが、冷めかけていた湯を取り替えてくれた。


「組合は払うと言ってくれてるんだろう?」

「はい」

「なら、したことを説明して受け取りな。使ってない石の代金まで取れって話じゃないんだから」


 湯気が、請求用の紙へかからないところで揺れた。


 俺は筆を取った。


『工事費――請求なし』

『交換部材費――請求なし』


 その下に、銀貨三枚と銅貨六枚。


 今度は、零を書かなかった。


     ◇


 ポロが請求書を横から覗いた。


「門を開けなくて済んだお礼も、入ってる?」

「お礼?」


「リーネさん、そう書いてたから」


 俺は手紙を見た。


 開けるべきでない門を、開けずに済んだ。

 その判断に使った工房の仕事を残したい。


 ありがたい言葉だった。


 だが、門を開けていたら何が起きたかは、俺たちにも分からない。


「助かった人数を想像して、お金を足すわけではありません」

「じゃあ、どうするの?」

「頼まれて、実際にした仕事の分だけです。お礼は……ちゃんと、受け取ります」


 ポロは少し考え、自分の小札へ書いた。


『した仕事の代金』


 その横へ、小さく丸をつける。


 ミラはそれを見てから、『これから』の紙束を開いた。


「ここは、今回の請求とは別です」


 十四日目の点検結果を受けた後の再判断。

 ガルドさんの袋を、今後も診断のために預かる期間。

 必要になった場合の追加調査。


 まだ行っていない仕事は、請求しない。

 これから依頼を受ける分は、範囲と見積もりを先に伝える。


「村が元から管理している替え石や座合わせ片まで、急に保管料をつけることはしません。ただ、組合の依頼で追加の点検をするなら、その仕事は別に決めます」


 ミラは、未定のところを無理に数字で埋めなかった。


 ガルドさんの袋の保管料も、後から日数だけ数えて請求しない。

 持ち主と組合に、今後の扱いを確認する。


 俺は十四日目の欄を見た。


 今日は、最初の観察日から九日目だ。

 次の点検まで、五日ある。


「異変の連絡は、費用の相談が終わっていなくても受け取れるようにしてください」

「はい。退避と組合への報告を、支払い待ちにはしません」


 その上で、工房が追加で何をするかは相談する。


 何でも引き受ける、とは書かない。

 何があっても大丈夫、とも約束しない。


 次の仕事を、また確かめてから受け取る。


     ◇


 請求書を清書する頃には、窓から差す光が机の端へ移っていた。


 俺は一行ずつ読み直した。


 七日分の記録を照合したこと。

 その範囲では、座替えを急ぐ悪化を確認できなかったこと。

 第二座の正常や、完全復旧を保証する判断ではないこと。

 十四日目の再点検と、異変時の退避・報告を提案したこと。


 何をしたか。

 どこまでは言えないか。


 報告書へ残したものを、請求書のために変えずに済んだ。


「この金額で、お願いします」


 俺が言うと、ミラは静かに頷いた。


「算定の控えも添えます。確認が必要な箇所があれば、組合から聞いてもらえます」


 まだ、代金が届いたわけではない。

 この額で先方の確認が済んだわけでもない。


 それでも、自分の仕事を説明して、値段をつけて渡すところまではできた。


 署名の欄へ、名前を書く。


『リント村修理工房 エイル』


 筆の先は、今度は止まらなかった。


 ポロが、机の上の短い炭筆を拾った。


「これ、もう描きにくい」


「新しいものを一本、使ってください」


 俺は引き出しから、まだ長い炭筆を出した。

 ポロが受け取り、紙の端へ線を一本引く。


 しゃ。


 指を縮めずに、まっすぐ描けた。


 ミラは消耗品の控えへ、その一本を書き加えた。

 今回の請求額へ、勝手に足したのではない。これから工房で使う分の記録だ。


「次に買う時、補充しておきます」


 俺はそう言って、引き出しを閉じた。


 工房を続けるには、石と工具だけでは足りない。

 紙も、筆も、それを扱う人の時間もいる。


 そのどれかを、見えないまま使い切らないための代金だった。


 夕方の便へ渡す封筒には、十四日目の点検への返答と、請求書を入れた。

 これからの仕事の見積もりは、別紙にした。


 ガンツさんが、封を閉じる前に金額の欄を見た。


「消さなかったな」

「はい」


 俺は答えた。


「俺の名前も、残しました」


 工房の床下では、使われなかった替え石が静かに鳴っている。


 こん。

 ……りん。


 部材を替えなかった仕事の請求書が、初めて、修理の報告と同じ重さの一枚に思えた。


 明日も、何も壊れていない方がいい。


 そう願いながら代金を求めることは、間違いではなかった。


 俺は封を閉じた。


 次は、この請求書がアルバの机へ届く。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


誰かの仕事なら必要な代金だと思えるのに、自分の分だけは消したくなる。


今回は、そんなエイルが請求書に自分の名前を残す回でした。


請求するのは、直したふりの工事費でも、起きなかった事故への値段でもありません。

依頼された記録を読み、判断し、その根拠と限界を伝えた仕事の代金です。


まだ分からないことがあっても、それを隠さず仕事を引き受ける。

そして、自分の時間も工房の一人分として数える。


短くなった炭筆を新しい一本へ替えたように、工房を続けるための小さな一歩になりました。

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