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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第83話 布の下の白い筋

 布の下に残っていた白い筋は、新しく削れた跡ではなかったのかもしれない。


 古い水守が、白緻石の座りを見守るため、あえて払わずに残した粉。


『座見の粉筋』


 北床蔵の初置き記録には、そう呼ばれる白い筋が描かれていた。


 記録の位置は、乾布四の下に残る粉とよく似ている。


 もし同じものなら。


 白い粉は、石が壊れ続けている知らせではない。


 長い年月、石が動かなかったことを示す記録だった。


     ◇


 古い記録を調べる前に、俺たちは村の音を確認した。


 井戸札は『使用できます』。


 ハンナさんが白い器へ水を汲み、朝の光に透かす。


「濁りなし。匂いも味も、昨日と変わらないよ」


 俺は井戸の縁へ手を置いた。


 さら。

 りん。


 水脈石の音は澄んでいる。


 水車小屋では、影車へ細い水を通した。


 こ、と。


 北結界石が応える。


 りん。


 水車本体にも、無理のない水量を流す。


 こ、とん。

 こ、とん。


 二回転。


 軸と軸受けの音に乱れはない。


 挽き石から落ちる粉も、いつもと同じ粗さだった。


「井戸、水車、影車、粉、異常なし」


 ミラが帳面へ記録する。


 最後に、北結界石を確認した。


 根元に残っていた湿りは、周囲の土とほとんど見分けがつかなくなっている。


 石そのものの音。


 りん。

 ……りん。


 北側の石片裏にある浅溝。


 す。

 ……り。


 中央奥に残っていた冷えの芯は、耳を澄ませても、もうほとんど聞こえなかった。


 ……ん。


「北結界石。石音安定。浅溝の抜け音継続。冷えの芯、ほぼ消失」


 ミラが朝の記録を締める。


 ガンツさんは石の座りと、浅溝の周囲を確認した。


「追加処置なし」


「はい」


 俺は頷いた。


 村の音は、今日も落ち着いている。


 それを確かめてから、俺たちは水守小屋の記録棚へ向かった。


     ◇


 探すのは、白緻石を北床蔵へ置いた日の記録だ。


 昨日、乾布四の木札を確認したことで、床下にある布の正体はかなり絞られた。


 床板交換時に使われ、東点検板の下で見失われた四枚目の作業布。


 その可能性が高い。


 だが、布の下面には白い細粉が残っていた。


 き。

 ……りん。


 ガルドさんの荷物袋に噛み込んでいた細粒Bとは、音が違う。


 細粒B。


 きん。

 ……ぐ。


 重さを受けながら擦れた、鈍い残響。


 床下の白い粉には、その沈みがない。


 乾いた緻密石に近い、澄んだ鳴りだった。


 白緻石そのものの音。


 こん。

 ……りん。


 これとも近い。


 ただし、同じ石材だとは決められない。


 まず、白緻石を寝石へ載せた時に、粉が出たという記録がないかを探す。


 ミラが『北床蔵 石預け控』を受け台へ置いた。


 机には乾いた布。


 頁を無理に開かない。


 背へ重さをかけない。


 一枚ずつ、紙べらでめくる。


 白緻石の受入記録。


 西蔵から北ノ村へ移された記録。


 北床蔵の保管位置。


 西と東、二つの寝石。


 中央に残した空気の道。


 それらは、すでに確認している。


 その数頁後。


 小さな見出しがあった。


『替え石 初置き之事』


 ポロが身を乗り出しかけ、両手を背中へ回した。


「白い石を置いた日?」


「その可能性があります」


 ミラが答える。


 頁の上部には、横長の石と二つの寝石を描いた図があった。


 白緻石。


 西寝石。


 東寝石。


 中央空隙。


 現在、床下から聞こえる配置と同じ形だ。


 ただし、記録内の石が、今の工房床下にある石と同一であるとは、まだ断定できない。


 ミラが文字を読む。


「『初置き、東座へ触れ、白き粉一筋』」


 工房の中が静かになった。


 次の行。


「『削り直すにあらず。粉を払わず、座見とす』」


 ポロが首を傾げる。


「ざみ?」


「座りを見るための印、という意味でしょう」


 俺は答えた。


「白緻石を寝石へ載せた時、東側で少し表面が触れ、白い粉が出た。その粉を払わずに残したようです」


「粉が増えたら、石が動いたって分かる?」


「はい。その可能性があります」


 ガンツさんが記録へ顔を近づける。


「初置き時の粉を基準にしたんだな」


 ミラが続きを読んだ。


『粉筋、東座内端より中央息へ、指二つ』


『幅、細糸一つ』


『七日、増えなし』


『三十日、散りなし』


『鳴り、こん。返り、りん』


『座り良し』


 ポロが指を二本立てた。


「東の寝石から、真ん中へ。指二つ」


「はい」


「今の白い筋も?」


「比較してみましょう」


 ミラが古い図を別紙へ写す。


 東寝石の内側。


 そこから中央空隙方向へ伸びる白い筋。


 長さは、指二つほど。


 幅は、細い糸一本分。


 昨日、点検板の下で見た白い粉の筋も、東寝石と中央空隙の間にあった。


 位置も、向きも近い。


 ガンツさんが低く言う。


「近いだけだ」


「はい」


 ミラが頷く。


「現在の粉筋は乾布四に一部覆われています。全長も確認できていません」


 ポロは二つの図を並べた。


 昔の図。


 昨日描いた現在の床下図。


 どちらも、東寝石から中央の息へ向かう細い線。


「似てる」


「はい」


「でも、同じって決めない」


「その通りです」


 ポロは大きく書いた。


『むかしの粉筋』

『いまの白い筋』

『にてるまで』


     ◇


 記録は、それだけではなかった。


 初置きから七日目。


 三十日目。


 さらに一年後。


 白い粉筋の点検が続いている。


『一年、粉筋の幅変わらず』


『東座、沈みなし』


『中央息、通り良し』


『替え石の鳴り、澄む』


 次の年。


『粉筋、薄る』


『増えなし』


『払わず』


 三年目。


『粉筋、なお東に残る』


『座り良し』


 粉は、異常がなかったから消されたのではない。


 薄くなっても、そのまま残された。


 新しい粉が増えたか。


 筋が太くなったか。


 位置が動いたか。


 それを比べるための記録だった。


「白い粉は、壊れた証拠ではなく、動かなかったことを見るための印だった可能性があります」


 俺が言うと、ミラが筆を構えた。


「可能性、ですね」


「はい。今ある粉筋が、初置き時の座見粉と同一なら、です」


 ガンツさんが頷く。


「今も擦れ続けている音がないこととは合う」


 床下の粉。


 き。

 ……りん。


 乾いている。


 音が落ち着いている。


 今この瞬間に、石が削れ続ける音はない。


 白緻石にも、寝石にも、強い擦れ音はない。


「粉筋が増えた音は、聞こえません」


 俺は言った。


「ただし、布の下に隠れている部分があります。全体を見ていないため、増えていないとは断定できません」


 ミラが記録する。


『北床蔵初置き控に、東座内端から中央空隙へ白色粉筋を残した記録あり。

 七日、三十日、一年後に増加なし。

 座り確認用「座見」の可能性。

 現在の布下白色細粉と、位置、方向、音に類似点。

 同一粉筋とは未確定』


 ポロが聞いた。


「座見の粉って、消さない方がいい?」


「今は消してはいけません」


 俺は答えた。


「古い粉筋なら、石がどれだけ動いたかを見るための基準です」


「きれいにしちゃだめ」


「はい」


「掃除なのに?」


「掃除してはいけない場所もあります」


 ガンツさんが短く言った。


「粉は汚れとは限らん」


 ポロは新しい札を書いた。


『白い粉は、よごれじゃないかもしれない』

『はらわない』

『ふかない』


     ◇


 初置き控には、乾布四が落ちた時より前の点検記録も残っていた。


 床板交換が行われた年の、春。


『粉筋、東に残る』


『幅、細糸一つ』


『長さ、指二つ弱』


『鳴り、澄む』


 床板交換は、その年の秋。


 乾布四が点検板下へ見失われたのも秋だ。


 つまり、白い粉筋は布が落ちる前からあった。


「粉筋は乾布四より古い」


 ミラが言った。


「はい」


 俺は頷いた。


「布が白い粉を作ったわけではない可能性が高いです」


「じゃあ、布が粉を隠した」


 ポロが言う。


「はい。そして、守った可能性があります」


 床板交換後の記録を探す。


 その年の冬。


『東点検、行わず』


 次の春。


『床板閉じ、北床蔵の鳴りを上より聞く』


『替え石、澄む』


『寝石、左右近し』


 床下を直接見てはいない。


 だが、上から音を聞き、異常なしとしている。


 その後、点検板を開いた記録は見つからない。


 乾布四は、白い粉筋を覆ったまま残された。


 長い年月。


 東側の通気を少しずつ弱めた。


 その一方で、床板の隙間から落ちる埃や木屑から、粉筋を守った可能性がある。


 ハンナさんが言った。


「表へ出ていた粉は、少しずつ薄くなってたんだろうね」


「はい」


 ミラが古い記録を見る。


「布の下に入った部分だけ、明るく残った可能性があります」


「乾いた布を、粉の上に置いて保管することもあるよ」


 ハンナさんは続けた。


「風で飛ばさないようにするため。でも、この布は通気を塞いだから、置き方はよくなかった」


「守ったけど、息も塞いだ」


 ポロが言う。


「そうですね」


 忘れられた乾布四は、問題だけを残したわけではない。


 白い筋を覆い、昔の位置を今まで守った。


 だが、東側の息を吸い、寝石の音を低くした。


 一つのものが、良いことと悪いことを同時に残す。


 だから、簡単に「邪魔な布」とだけ決めてはいけなかった。


     ◇


 記録との比較を終えてから、点検板を開く準備をした。


 目的は、粉や布を動かすことではない。


 古い初置き図と、現在見えている粉筋の位置を、同じ格子で比較すること。


 昨日までと同じ安全条件を守る。


 棚を動かさない。


 床上荷重を変えない。


 直風なし。


 周囲へ黒い乾燥布。


 見学者なし。


 点検板を段階的に持ち上げる。


 粉の移動音なし。


 布の移動音なし。


 板を受け台へ水平に渡す。


 小さな開口部が現れた。


 白緻石。


 二つの寝石。


 中央空隙。


 東へ垂れた乾布四。


 木札。


 そして、布の折り目の下に残る白い粉筋。


 位置は昨日と変わっていない。


 ミラとポロが、互いの紙を見ずに床下図を描く。


 ガンツさんは、石の見える範囲を記録する。


 ハンナさんは、布の折りと粉の乗り方を記録する。


 俺は音を聞く。


 白緻石。


 こん。

 ……りん。


 西寝石。


 ご、と。


 東寝石。


 ご。

 ……ぐ。


 中央の息。


 す。

 ……り。


 点検板が開いたことで、東寝石の低音は少し軽くなっている。


 布。


 ふ。

 ……さ。


 白い粉。


 き。

 ……りん。


 昨日と同じ。


 新しい擦れ音はない。


「現在進行する粉の増加音は確認できません」


 ミラが記録する。


 次に、古い初置き図の格子と、現在の図を重ねる。


 白緻石の東端。


 東寝石の内側。


 中央空隙。


 白い粉筋。


 見えている部分の始点は、初置き図の粉筋と近かった。


 方向も同じ。


 中央空隙へ向かっている。


 長さは、乾布四の下へ入っているため全体を確認できない。


 だが、露出部分と布の折り目の下に見える部分を合わせれば、指二つ弱に近い。


 幅も、細糸一本ほど。


「記録上の座見粉と、現在の白い筋は、位置と幅がおおむね一致します」


 ミラが言った。


 ガンツさんがすぐに付け加える。


「おおむね、だ。布を動かして全体を見てはいない」


「はい」


 ミラが正式に書く。


『初置き控の座見粉筋と、現在の布下白色細粉。

 始点、方向、見える範囲の幅がおおむね一致。

 全長は乾布四に覆われ未確認。

 長期の粉移動、別粉混入の可能性あり。

 同一粉筋とは断定せず』


 ポロが小さく息を吐いた。


「石、壊れてない?」


「見える範囲と音では、今も壊れ続けている様子はありません」


 俺は答えた。


「白い粉筋も、新しい破損の粉ではない可能性が高まりました」


「よかった」


 その言葉は、まだ少し早い。


 だが、小さな安心として受け取ってもいいと思った。


 白緻石には、割れ音がない。


 寝石にも、明確な破損はない。


 白い筋は、現在進行する傷ではなく、初置き時の基準である可能性が高い。


 すぐに替え石を取り出さなければならない理由は、また一つ減った。


     ◇


 布を回収してもよいか。


 次に考えるべきなのは、それだった。


 乾布四は、東側の通気を弱めている可能性がある。


 点検板を開くと、東寝石の低音が少し軽くなる。


 布を回収すれば、中央空隙の息が戻るかもしれない。


 だが、布の下面には座見粉の可能性がある白い筋が接している。


 引きずれば、粉の位置が崩れる。


 布を持ち上げる時に風が起これば、粉が飛ぶ。


 木札が寝石へ当たれば、別の粉が出るかもしれない。


「布を取る前に、条件を決めます」


 俺が言うと、ミラが筆を構える。


「はい」


「布が白緻石と寝石へ挟まれていないこと」


「見える範囲では、挟まれていません」


 ガンツさんが答える。


「ただし、布の奥側は未確認だ」


「布の重さが、石へかかっていないこと」


「大きな荷はなさそうだが、布の折りが東寝石の側面へ触れている」


 ハンナさんが言う。


「粉筋の位置を、独立した図で残すこと」


 ミラが書く。


「回収時に粉を飛ばさないこと」


「直風を止め、ゆっくり上へ持ち上げる必要があります」


「布を横へ引かないこと」


 ガンツさんが低く言う。


「木札を寝石へ当てないこと」


 ポロが追加した。


「布を取ったあと、すぐ点検板を閉じないこと」


 俺は言った。


「通気が急に変わるため、白緻石と寝石の音を短時間確認する必要があります」


 ミラが整理する。


『乾布四・回収前条件』


 一、布が白緻石、寝石へ挟まれていないことを確認。

 二、粉筋の位置を独立図二枚以上で記録。

 三、直風を止める。

 四、布を横へ引かない。

 五、粉筋へ布を擦らせない。

 六、木札を石へ当てない。

 七、床下へ棒、鉤、刃物を入れない。

 八、布回収後、白緻石、寝石、中央通気音を確認。

 九、音が大きく変わった場合、追加作業を行わない。

 十、回収した布は粉を落とさず、折り方を保って木枠へ置く。


 ポロが最後に大きく書いた。


『布は、横にひかない』

『上へ、そっと』

『白い筋を、のこす』


 ガンツさんが頷く。


「今日は取らない」


「はい」


 条件を決めたばかりだ。


 今すぐ実行すれば、準備不足になる。


 乾布四は何十年も床下にあった。


 もう一日、位置を保ったまま待たせることはできる。


 点検板を閉じる。


 粉も、布も、木札も動かさない。


 閉鎖後の音。


 白緻石。


 こん。

 ……りん。


 西寝石。


 ご、と。


 東寝石。


 ご。

 ……ぐ。


 中央の息。


 す。


 布。


 ふ。

 ……さ。


 白い粉。


 き。

 ……りん。


 すべて、開放前と大きく変わらない。


「点検板閉鎖。床下物、位置変化なし」


 ミラが記録した。


     ◇


 ポロは点検板の横へ、今日の札を立てた。


『布の下の白い筋』

『むかしの座見の粉かもしれない』

『いま、けずれてる音なし』

『白い石、寝石、割れ見えず』

『明日も、まだ急がない』


 ハンナさんが最後の一行を見た。


「布を取る日は決めたんじゃないの?」


「条件が全部そろったらです」


 俺は答えた。


「明日とは、まだ決めていません」


 ポロは札の最後を書き直した。


『条件がそろうまで、急がない』


「それならいいですね」


 ミラが言った。


 工房の看板が夜風で鳴った。


 からん。


 井戸の札が鳴る。


 から。


 影車が鳴る。


 こ、と。


 北結界石の浅溝から、細い息が抜ける。


 す。

 ……り。


 工房の床下では、使われなかった白緻石が澄んだ音を返している。


 こん。

 ……りん。


 その下の二つの寝石。


 西。


 ご、と。


 東。


 ご。

 ……ぐ。


 乾布四の下に残された白い筋。


 き。

 ……りん。


 白い筋は、壊れた石の傷ではないのかもしれない。


 石が最初に置かれた場所。


 七日後も。


 三十日後も。


 一年後も。


 動かなかったことを見守るため、古い水守が残した粉。


 乾布四は東側の息を少し塞いだ。


 けれど、その布の下で、座見の白い筋を何十年も守っていたのかもしれなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、乾布四の下に残る白い粉筋と、白緻石を北床蔵へ置いた日の記録を照合する回でした。


初置き控には、


・初置き時、東座との接触で白い粉が一筋出た

・粉を払わず、「座見」として残した

・東寝石の内側から中央空隙へ、指二つほど

・七日後、三十日後、一年後も粉筋の増加なし

・白緻石の鳴りも安定


という記録がありました。


現在、乾布四の下に残る白い筋は、


・始点

・向き

・幅

・澄んだ音


が、この座見粉筋と似ています。


また、現在進行する石の擦れ音も確認されていません。


そのため、白い粉は新しい破損の痕跡ではなく、白緻石が長く動かなかったことを示す基準線である可能性が高まりました。


ただし、乾布四が一部を覆っているため、まだ全長は確認していません。


布を回収する際も、白い粉筋の位置を壊さない条件が必要です。

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