表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/40

第8話 夜に弱る結界石

 南の畑へ向かう頃には、空の色が少しずつ変わり始めていた。


 昼の白い光が薄くなり、雲の端に淡い橙色がにじんでいる。

 雨上がりの土はまだ湿っていて、歩くたびに柔らかく沈んだ。


 俺の工具袋の中では、布に包んだ葉留めが小さく鳴っている。


 ちりん。


 それに応えるように、南の畑の方から細い音が返ってきた。


 ちり。

 ちり、ちり。


 畑の結界石だ。


 昼間より、明らかに音が弱くなっている。


「急いだ方がいいな」


 隣を歩くガンツさんが言った。


 彼は鎚と火箸の入った道具袋を肩にかけている。

 鍛冶場での作業を終えたばかりなのに、足取りは重くない。


「はい。石の傷が、さっきより開いている音です」


「割れるのか?」


「すぐに割れるわけではありません。でも、夜になると結界の流れが薄くなると思います」


 ミラは帳面を抱えたまま、俺たちの横を歩いていた。

 表情は真剣だ。


「日が落ちる前に取り付ける。取り付け時刻、石の音、光の変化、畑の様子……全部記録します」


「無理に全部書こうとしなくても大丈夫です」


「いえ。残します」


 ミラの声は静かだったが、強かった。


「また誰かが忘れてしまわないように」


 その言葉に、ガンツさんが何も言わず前を向いた。

 けれど、少しだけ口元が緩んだように見えた。


 ポロは俺たちの少し後ろを歩いていた。

 両手には水の入った小さな革袋を持っている。


「僕は水係!」


「畑の中には入らない約束だぞ」


 ガンツさんが言う。


「分かってるよ。外から見るだけ。でも、水がいる時は渡す」


「走るな」


「走らない」


「転ぶな」


「転ばない」


「虫を追いかけるな」


「それは……たぶん」


「追いかけるな」


「はい」


 ポロは少し不満そうに頬を膨らませた。


 そんなやり取りを聞きながら、俺は少しだけ肩の力が抜けた。


 けれど、畑が見えた瞬間、すぐに気持ちを引き締める。


 南の畑は、昼間より静かだった。


 麦の葉が夕方の風に揺れている。

 けれど、南端だけ光が薄い。

 結界石の葉模様は、昼間に見た柔らかな緑ではなく、青白く弱い色に戻りかけていた。


 石のそばには、ハンナさんが立っていた。


「来たね」


「遅くなりました」


「まだ畑は持ってる。でも、南の端に虫が戻り始めた」


 ハンナさんが指さした先で、土が小さく動いていた。


 黒い小さな虫が、畝の間から顔を出している。

 土喰い虫だ。

 昼間は結界石の光を嫌がって畑の外へ逃げていたはずなのに、また戻ろうとしている。


 ポロが不安そうに声を上げた。


「麦、食べられる?」


「まだ大丈夫です」


 俺は答えた。


 ただ、安心できる状況ではなかった。


 結界が薄くなると、虫は畑の中へ戻る。

 虫が根をかじれば、麦が弱る。

 麦が弱れば、種麦も減る。


 小さな虫の動きが、村の食卓につながっている。


 それが分かるようになったせいで、ただの作業とは思えなかった。


「始めます」


 俺は結界石の前にしゃがんだ。


 昼間に掘った根元は、ハンナさんが布で覆ってくれていた。

 土が崩れないように、麦の根が乾かないように、丁寧に守られている。


「触ったのは?」


「布をかけただけだよ。石には触ってない」


「ありがとうございます」


「礼は、麦が守れてからでいい」


 ハンナさんは腕を組んだ。


 厳しい言い方だった。

 でも、その目には昼間ほどの疑いはなかった。


 俺は工具袋から葉留めを取り出した。


 布を開くと、夕方の光を受けて、水路金の細い金具が静かに光った。

 葉脈のように少し曲がった、小さな留め具。


 鍛冶場でガンツさんと作ったものだ。


 ガンツさんが隣にしゃがむ。


「音は」


「石の傷は、上ではなく右下です。葉の模様の根元に近いところ」


「取り付けるには、溝を少し開く必要があるな」


「はい。でも、削りすぎると石が嫌がります」


「なら、お前が止めろ」


「分かりました」


 ミラが帳面を開く。


「作業開始。夕方。南畑結界石、光は青白く弱い。土喰い虫が南端に戻り始めている……」


 彼女の筆の音が、夕方の畑に小さく混じった。


 俺は結界石に手を当てる。


 冷たい。

 昼間より冷えている。

 ただの気温のせいではない。


 石の中を流れる魔力が細くなり、外の冷たさを押し返せなくなっている。


 ちり。

 ちり、ちり。


 割れた鈴の音。


 その奥に、もっと細い音があった。


 し。

 しし。


 傷の音だ。


「ここです」


 俺は葉模様の右下を指さした。


「表面からは見えない」


 ガンツさんが目を細める。


「傷は奥です。でも、ここの溝がつながっています」


「よし」


 ガンツさんは細い鑿を取り出した。


「一打ずつ聞け」


「はい」


 鑿の先が、結界石の溝に触れる。


 こん。


 石が小さく鳴った。


 ちり。


「まだ大丈夫です」


 こん。


 ちりん。


「少し左です」


「左か」


 ガンツさんが鑿の角度を変える。


 こん。


 り。


 音が澄んだ。


「そこです」


 作業は鍛冶場の時より静かだった。


 けれど、緊張はむしろ強い。


 金属なら失敗しても作り直せるかもしれない。

 だが、結界石はそうはいかない。

 この石が割れれば、畑を守るものがなくなる。


 俺は息を浅くしながら音を聞いた。


 ガンツさんは驚くほど丁寧に鑿を動かす。

 太い腕からは想像できないほど、細かい力加減だった。


 ミラは手を止めずに記録している。

 ポロは畑の外で、口を結んで見守っている。

 ハンナさんは麦の畝を気にしながらも、視線を石から離さない。


 みんなが、この小さな音を待っている。


 こん。


 りん。


「止めてください」


 俺が言うと、ガンツさんはぴたりと手を止めた。


「入るか」


「はい。今なら」


 俺は葉留めを手に取った。


 小さな金具なのに、指先が重く感じる。

 鍛冶場で作った時よりも、ずっと重い。


 失敗できないからだ。


 いや。


 違う。


 一人で失敗するのが怖いのではない。

 この畑を守りたいと思っている人たちの前で、ちゃんと役目を果たしたい。


 その重さだった。


 俺は葉留めを結界石の溝へ合わせた。


 角度を少し変える。

 押し込まない。

 石の傷に寄り添わせる。


 ちり。


 違う。


 もう少し下。


 ちりん。


 近い。


 でも、まだ浮いている。


「ガンツさん、右端を軽く押さえてください」


「こうか」


「はい。でも力は半分で」


「半分だな」


 ガンツさんの指が葉留めを支える。

 俺は左の先端を溝へ沿わせた。


 その瞬間、結界石の音が大きく揺れた。


 ちりりり。


 ミラが息を呑む。


「失敗ですか?」


「まだです」


 俺は目を閉じた。


 音が暴れている。

 でも、嫌がっているわけではない。

 長く押さえられていた傷に、急に支えが入って驚いている音だ。


 押すな。

 待て。


 そう聞こえた。


「このまま、少し待ちます」


「固定しないのか」


 ガンツさんが低く聞く。


「今固定すると、音がずれます。石が葉留めの形を受け入れるまで、待ちたいです」


「石が受け入れる、か」


 ハンナさんが小さく呟いた。


「まるで生き物みたいだね」


「俺には、そう聞こえます」


 誰も笑わなかった。


 夕方の風が、畑を撫でていく。

 麦の葉がこすれる音。

 遠くの水車が、小さく動く音。


 こ、とん。


 その音が届いた時、結界石の響きが変わった。


 ちり。

 ちりん。

 ……りん。


「今です」


 俺が言うと、ガンツさんが小さな留め針を差し込んだ。


 かち。


 葉留めが、結界石に収まった。


 一瞬、何も起きなかった。


 音も止まった。

 光も揺れない。


 ポロが小さく言う。


「……だめ?」


 次の瞬間。


 結界石の葉模様に、柔らかな緑の光が走った。


 根元から上へ。

 上から左右へ。

 そして、畑の畝に沿って、見えない波のように広がっていく。


 麦の葉が一斉に揺れた。


 風ではない。

 結界の流れが畑を撫でたのだ。


 土の中から、土喰い虫が次々に出てきた。


 一匹。

 二匹。

 五匹。

 十匹。


 虫たちは慌てるように畑の外へ逃げていく。

 ポロが目を丸くした。


「すごい! みんな出ていく!」


「追いかけるな」


 ガンツさんがすぐに言う。


「分かってる!」


 ポロはその場で足踏みしながら、虫たちが畑の外へ出ていくのを見ていた。


 ハンナさんは麦のそばに膝をついた。

 土に手を入れ、指先で感触を確かめる。


「柔らかい……昼より、もっと」


 彼女の声が震えていた。


「水が通ってる。根の周りまで、ちゃんと」


 ミラは急いで記録する。


「葉留め取り付け後、結界石の光、緑色に安定。土喰い虫、畑外へ移動。南端の土、柔らかさ増す……」


 その声も少し震えていた。


 俺は結界石に耳を近づけた。


 りん。


 澄んだ音。


 完全ではない。

 古い石だ。

 無理をしてきた時間は長い。

 これからも点検は必要だ。


 でも、傷の音は収まっている。


「成功です」


 俺が言うと、ポロが飛び跳ねた。


「やった! 麦、守れた!」


「まだ油断はできないよ」


 ハンナさんが言う。


 けれど、その口元は笑っていた。


「でも、今日は守れた。そうだろう?」


「はい」


 俺は頷いた。


「今日は、守れました」


 その言葉に、畑の周りの空気が少し緩んだ。


 ガンツさんは結界石と葉留めをじっと見ていた。


「小僧」


「はい」


「試験は終わりだ」


 俺は思わず背筋を伸ばした。


「結果は」


「見れば分かる」


「でも」


「畑が答えだ」


 ガンツさんはそう言って、麦の畝を顎で示した。


「道具が役目を果たしている。なら、仕事は通った」


 通った。


 その言葉が、胸の奥にまっすぐ入ってきた。


 褒められたのとは少し違う。

 認められたのとも、少し違う。


 でも、職人の仕事として、ここに立っていていいと言われた気がした。


「ありがとうございます」


「礼を言うのはこっちだ」


 ハンナさんが立ち上がった。


 彼女は土のついた手を布で拭き、俺に向き直る。


「疑って悪かったね」


「いえ。畑を守るなら、当然だと思います」


「そう言ってくれるなら助かるよ」


 ハンナさんは結界石を見た。


「この畑はね、村が貧しくなってからもずっと残ってくれた。井戸が弱って、水車が止まって、粉も満足に挽けなくなっても、それでも麦だけは少しずつ実ってくれた」


 夕方の光が、麦の葉にかかる。


「だから怖かったんだ。石をいじって、これ以上悪くなったらと思うと」


「ハンナさん」


「でも、見てよかった。直るところを見てよかった」


 彼女はミラの帳面を見た。


「それ、私にも後で見せておくれ。畑のことは、私も覚えておきたい」


 ミラの顔が明るくなった。


「もちろんです。ハンナさんが知っていることも、教えてください」


「ああ。昔の植え方や、南端の土の変化なら覚えてる」


「全部書きます」


「全部は長いよ」


「書きます」


 そのやり取りを聞いて、俺は少し笑ってしまった。


 村が、覚え直していく。


 井戸だけではない。

 水車だけではない。

 畑だけでもない。


 人も、村の仕組みを思い出そうとしている。


 それが一番大事なのかもしれない。


 日がさらに傾いた。


 空の橙色が濃くなり、畑の影が長く伸びる。

 結界石の緑の光は、夜に向かう空の下でも安定していた。


 これなら、今夜は持つ。


 そう思った時だった。


 遠くから、低い音が聞こえた。


 ごぉん。


 俺は顔を上げた。


 水路の鐘の影かと思った。

 だが、違う。


 これはもっと上から聞こえた。


 村の中央。

 鐘楼の方角。


 ミラも気づいたらしく、はっとして振り返る。


「今の……」


 ガンツさんの顔が険しくなった。


「防護鐘か?」


 鳴ったわけではない。

 誰かが鐘を打った音ではない。


 けれど、確かに震えた。


 南の結界石が安定したことで、村全体の音の流れが変わったのだろうか。


 井戸。

 水車。

 水路。

 畑の結界石。


 少しずつ戻った音が、村の中央へ集まっている。


 その先に、防護鐘がある。


 ポロが不安そうに俺を見る。


「兄ちゃん、鐘、鳴った?」


「まだ鳴ってない」


「じゃあ、今のは?」


「鳴る前の音だと思う」


 自分で言って、背筋が冷えた。


 鳴る前の音。


 それは、直る前の音かもしれない。

 けれど、壊れる前の音でもある。


 ミラが帳面を強く抱きしめた。


「防護鐘は、何年も鳴っていません」


「はい」


「でも、今の音……苦しそうでした」


 俺は頷いた。


 ミラにも、そう聞こえたのかもしれない。

 音繕いではなくても、今の響きには何かがあった。


 待っているだけではない。

 急かしているだけでもない。


 限界が近いものが、奥歯を噛みしめるような音。


 ガンツさんが道具袋を担ぎ直した。


「鐘楼へ行くか」


 俺は首を振った。


「今すぐ触るのは危険です。今日は畑の結界石を安定させたばかりですし、水路も水車も仮の状態です」


「では放っておくのか」


「放っておきません。でも、まず鐘楼の周りを見たいです。防護鐘そのものより、鐘へ音を送る道がどうなっているか」


 ミラが小さく息を吸った。


「鐘へ音を送る道……」


「水路からの音、結界石からの音、井戸からの音。それがどこで鐘につながるのかを確認する必要があります」


 ハンナさんが麦を見てから、村の中央へ視線を向けた。


「畑は今夜なら持つんだね?」


「はい。強い雨が来なければ大丈夫です」


「なら、行っておいで。ここは私が見てる」


「ありがとうございます」


 ポロが手を上げた。


「僕も行く!」


「日が落ちるから、危ない」


 ミラが言うと、ポロはすぐに反論しかけた。

 でも、結界石を見て、畑を見て、少しだけ考えた。


「……じゃあ、ハンナさんと畑を見てる」


 意外な答えだった。


 ハンナさんも驚いた顔をする。


「いいのかい?」


「うん。虫が戻ってきたら知らせる」


「追いかけないならね」


「追いかけない!」


 ポロは胸を張った。


 少しずつ、みんなが自分の役目を持ち始めている。


 それが頼もしくて、少しだけ眩しかった。


 俺は結界石にもう一度触れた。


 りん。


 澄んだ音が返ってくる。


「今夜、畑をお願いします」


 そう呟くと、石の葉模様が淡く光った。


 返事のように見えた。


 俺たちは畑を後にし、村の中央へ向かって歩き出した。


 背後では、南の結界石が柔らかな緑の光を放っている。

 その光に守られるように、麦の葉が夜風に揺れていた。


 前方には、夕闇に沈みかけた鐘楼が立っている。


 鳴らない防護鐘。


 その黒い影の奥から、また低い音が聞こえた。


 ごぉん。


 今度は、さっきより少しだけ近い。


 まるで、こちらへ来いと呼んでいるようだった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、南畑の結界石に「葉留め」を取り付ける回でした。

ガンツの試験は、作って終わりではなく、実際に畑を守れるかどうかで決まるもの。


エイルとガンツが作った葉留めは、無事に結界石の傷を支え、畑を守る力を取り戻しました。


そして、ついに防護鐘が本格的に反応し始めます。

次回は、村長代理ミラが抱えてきた不安と、鐘楼へ向かう前の大事な話になります。


ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ