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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第7話 鍛冶師ガンツの試験

 鍛冶場の扉を開けた瞬間、熱が顔にぶつかった。


 畑の湿った土の匂いとは違う。

 乾いた鉄。

 古い炭。

 焼けた油。

 何度も火にかけられた道具たちの匂い。


 村の端にある鍛冶場は、外から見るより広かった。

 壁には鎚ややすり、火箸、曲がった釘、使い込まれた金床が並んでいる。

 奥の炉では赤い火が息をしていた。


 ごう、と火が鳴る。


 俺は思わず足を止めた。


 大きな音だ。

 強い音だ。

 井戸や結界石の細い音とはまるで違う。


 けれど、不思議と乱暴ではなかった。

 ガンツさんの鍛冶場の火は、きちんと手入れされた獣のように、低く落ち着いて鳴っている。


「入れ」


 ガンツさんは炉の前に立ち、太い腕を組んでいた。


「ただし、勝手に触るな。炉も金床も、見た目よりずっと熱い」


「はい」


 俺は工具袋を押さえながら中へ入った。


 ミラは少し後ろから、帳面を抱えてついてくる。

 ポロは入口の外で背伸びをしていた。


「僕も入っていい?」


「駄目だ」


 ガンツさんが即答する。


「なんで!」


「火の粉が飛ぶ。お前は入口から見ていろ」


「ちょっとだけ」


「駄目だ」


「じゃあ、入口なら?」


「そこから動くな」


「分かった!」


 ポロは扉のところに立ち、真剣な顔で鍛冶場を覗き込んだ。


 ミラはガンツさんに確認するように言った。


「私は記録しても大丈夫ですか?」


「邪魔にならなければな」


「邪魔にならない場所にいます」


「それと、火に近づくな。紙は燃える」


「はい」


 ミラは壁際の作業台のそばに立ち、帳面を開いた。


 ガンツさんは金床の上に、三つの金属片を置いた。


 一つ目は、赤みのある銅。

 二つ目は、黒っぽい鉄。

 三つ目は、少しくすんだ黄色の金属だった。


「小僧」


「はい」


「結界石の留め具を作る前に、試す」


「試す?」


「お前の耳が、鍛冶場でどこまで役に立つかだ」


 ガンツさんは三つの金属片を指で叩いた。


 こん。

 きん。

 りん。


 それぞれ違う音がした。


「畑の結界石に使うなら、どれを選ぶ」


 俺はすぐには答えなかった。


 見た目だけなら、銅は柔らかく加工しやすそうだ。

 鉄は丈夫そうだ。

 くすんだ黄色の金属は、昨日から何度か見ている真鍮に近い。


 でも、問題は強さだけではない。


 結界石は畑を守る。

 水の気配を受け、土の変化を伝え、作物を守る。

 そこに合わない金属を入れれば、石の音を濁らせる。


 俺は三つの金属片に耳を近づけた。


 まず銅。


 こん。


 柔らかい。

 水には馴染みそうだ。

 けれど、柔らかすぎる。

 強い雨の日には形が負けるかもしれない。


 次に鉄。


 きん。


 強い。

 まっすぐ。

 でも、畑の結界石には硬すぎる。

 音が鋭く、葉の模様を持つ石とはぶつかる気がする。


 最後に、くすんだ黄色の金属。


 りん。


 真鍮より少し低い。

 古い水路石の音に近い。

 水と土の間に置いても、どちらかだけに寄りすぎない。


「三つ目だと思います」


 俺が答えると、ガンツさんは眉を動かした。


「理由は」


「銅は柔らかすぎます。鉄は強すぎます。三つ目は、水路石と結界石の間に入りやすい音がします」


「これは古い水路金だ」


「水路金?」


「水路や結界石の周りに使われていた合金だ。今はほとんど作られん。古い水路を壊した時に、捨てずに取っておいた」


 ガンツさんは、くすんだ金属片を俺の前へ押した。


「正解だ」


 ほっと息を吐きかけた時、ガンツさんが続けた。


「だが、選べただけでは意味がない」


「はい」


「留め具にするには、こいつを叩いて、曲げて、石の音に合わせる必要がある。金属はな、叩けば言うことを聞くわけじゃない」


 ガンツさんは火箸で水路金を挟み、炉の中へ入れた。


 火が金属を包む。


 ごう。


 鍛冶場の音が少し変わった。


 金属が熱を吸い、内側に眠っていた音を起こされていく。

 俺はその音を聞きながら、畑の結界石を思い出した。


 ちり。

 ちりん。

 きし。

 ……りん。


 あの石の奥に残っていた細い傷。

 そこへ入れる留め具は、ただ塞ぐだけでは駄目だ。

 傷を押さえながら、余計な魔力を逃がさず、水の気配を通す必要がある。


 形は、まっすぐではない。

 葉脈のように、少しだけ曲がっている。


「形は分かるか」


 ガンツさんが聞いた。


「たぶん」


「たぶんで金属は打てん」


「……分かります」


「なら描け」


 作業台に薄い板が置かれた。

 炭筆も渡される。


 俺は畑の結界石の模様を思い出しながら、線を引いた。


 葉の根元に沿うような形。

 片側は細く、もう片側は少し広い。

 固定するのではなく、寄り添うように支える形。


 描き終えると、ガンツさんが覗き込んだ。


「奇妙な形だな」


「普通の留め具とは違うと思います」


「普通を知っているのか」


「あまり知りません」


「正直だな」


 ガンツさんは板を持ち上げ、しばらく線を見つめた。


「だが、悪くない。石の傷を塞ぐというより、逃げ場を残して押さえる形か」


「はい。完全に塞ぐと、たぶん音が詰まります」


「ふん」


 ガンツさんは炉から水路金を取り出した。


 金属は赤くなっている。

 熱のせいで、さっきより音が膨らんでいた。


 ガンツさんはそれを金床に置き、鎚を持つ。


「今から打つ。お前は音を聞け」


「俺が?」


「そうだ。強すぎる時、曲げる場所を間違えた時、熱が足りない時。分かるなら言え」


「分かるかどうか」


「分かるように聞け」


 短い言葉だった。


 でも、不思議と突き放された感じはしなかった。


 俺は金床のそばに立った。

 近すぎない。

 火花が飛ぶ場所には入らない。

 それでも、音は聞こえる位置。


 ガンツさんが鎚を振り下ろした。


 かん。


 鍛冶場全体が鳴った。


 思わず肩が跳ねる。

 井戸の小さな音に慣れた耳には、強すぎる。


 かん。

 かん。

 かん。


 打つたび、金属が少しずつ伸びる。

 しかし、音が大きすぎて、細かい違いが聞き取りにくい。


 炉の音。

 鎚の音。

 金床の響き。

 ポロの息を呑む声。

 ミラが帳面に筆を走らせる音。


 全部が重なって、肝心の水路金の声が見えなくなる。


「どうした」


 ガンツさんが手を止めた。


「音が……多すぎます」


「鍛冶場だからな」


「井戸や結界石みたいに、静かに聞けません」


「なら失格か?」


 ガンツさんの声は厳しかった。


 胸の奥が冷える。


 失格。

 役に立たない。

 戦えない。

 格好がつかない。


 今朝までよりずっと遠くなったはずの言葉が、一瞬で戻ってきそうになった。


 でも、ガンツさんは続けた。


「静かな場所でしか聞けない耳なら、壊れた村では使えん」


 俺は顔を上げた。


「壊れる時は、いつも静かとは限らん。雨の夜もある。魔物が柵を叩く時もある。火が鳴る場所もある。周りがうるさいから聞けません、では仕事にならん」


「……はい」


「だから試験だ」


 ガンツさんは鎚を金床に置いた。


「聞きたい音だけを探せ。全部を聞くな。全部を聞こうとするから迷う」


 聞きたい音だけ。


 俺は深く息を吸った。


 炉の音を、奥へ置く。

 火は強い。

 でも、今聞くべき音ではない。


 金床の響きも、少し下げる。

 鎚の音も、外側に置く。


 探すのは、水路金の音。


 叩かれた瞬間に、金属の内側から返ってくる細い揺れ。


 ガンツさんがもう一度、金属を炉へ入れた。

 赤みが戻る。

 火から出す。

 金床に置く。


 鎚が振り下ろされる。


 かん。


 その奥。


 り。


 聞こえた。


「少し硬いです」


 俺は反射的に言った。


 ガンツさんの鎚が止まる。


「どこがだ」


「右端です。そこだけ熱が逃げています」


 ガンツさんは水路金を火箸で返し、目を細めた。


「確かに色が落ちている」


 彼は金属を炉へ戻した。


 ポロが入口から小声で言う。


「兄ちゃん、聞こえた?」


「少し」


「すごい」


「まだ分からない」


 でも、さっきより息がしやすかった。


 次に打つ時は、もう少し聞けた。


 かん。

 りん。


「そこは大丈夫です」


 かん。

 り。


「今のは強いです」


「この程度でか」


「はい。音が尖りました」


 ガンツさんは黙って鎚の角度を変えた。


 かん。


 今度は音が丸い。


「合っています」


「ふん」


 それからしばらく、言葉は少なくなった。


 ガンツさんが打つ。

 俺が聞く。

 違えば言う。

 合えば頷く。


 ミラは横で必死に記録していた。


「水路金、右端は熱が逃げやすい……」

「強く打ちすぎると音が尖る……」

「曲げる時は、葉脈の線に沿う……」


 ポロは入口で、息を止めたり、拳を握ったりしている。


 鍛冶場の中に、少しずつ一つの流れができていった。


 火。

 金属。

 鎚。

 音。


 俺は鍛冶はできない。

 鎚を振る腕もない。

 火の扱いも知らない。


 でも、音を聞くことはできる。


 ガンツさんの鎚が、俺の聞いた音に合わせて金属を形にしていく。


 それは、不思議な感覚だった。


 今まで俺は、壊れたものの前で、原因を探すだけだった。

 けれど今は違う。


 まだ壊れていない未来のために、必要な形を作っている。


「曲げるぞ」


 ガンツさんが言った。


 水路金は、細い葉のような形になっていた。

 ここからわずかに曲げる。

 畑の結界石の傷に沿わせるためだ。


「ここです」


 俺は炭筆で、曲げる位置に線を入れた。


「本当にそこか」


「はい」


「ずれたら使い物にならん」


「分かっています」


 ガンツさんは少し笑った。


「少しは言い切るようになったな」


 その言葉に、胸が熱くなる。


 彼は金属を温め直し、金床の角へ当てた。

 鎚を小さく振る。


 かん。

 かん。


 金属が曲がる。


 音が、少しずつ畑の結界石に近づいていく。


 り。

 りん。

 ……ちりん。


「止めてください」


 俺は言った。


 ガンツさんの鎚が、ぴたりと止まる。


「今です」


「まだ曲げられるぞ」


「これ以上だと、塞ぎすぎます」


「確かか」


「はい」


 静かな時間が落ちた。


 炉の火だけが鳴っている。


 ガンツさんは金属片を火箸で持ち上げ、光にかざした。

 細く曲がった水路金。

 葉脈のような形。

 片側に小さな逃げ道を残した留め具。


 彼はそれを水桶へ近づけた。


「焼きを入れる」


「待ってください」


「何だ」


「水に入れる前に、一度だけ音を合わせたいです」


 俺は音叉を取り出した。


 古い音叉を軽く鳴らす。


 りん。


 水路金が、かすかに震えた。


 でも、まだ少し高い。


「左の先端を、ほんの少しだけ削れますか」


「今からか」


「はい。そこだけ音が浮いています」


 ガンツさんは低く唸った。


「面倒な耳だ」


「すみません」


「褒めている」


 そう言って、彼はやすりを取った。


 しゃ。

 しゃ。


 ほんの数回。

 水路金の先端を削る。


 俺はもう一度音叉を鳴らした。


 りん。


 今度は、水路金が静かに応えた。


 ちりん。


 畑の結界石が、正常に鳴った時の音に近い。


「合いました」


「よし」


 ガンツさんは水路金を水桶へ入れた。


 じゅう、と白い湯気が上がる。

 ポロが入口で「おお」と声を漏らした。


 ガンツさんは冷えた留め具を取り出し、布で拭いた。

 そして、俺に渡す。


「持ってみろ」


 手のひらに乗せると、思ったより軽かった。

 けれど、芯がある。


 小さな留め具だ。

 村の外から見れば、何の価値もない金属片に見えるかもしれない。


 でも、これがあれば畑の結界石は強い雨に耐えられる。

 麦が守られる。

 種麦が残る。

 いつか水車が回れば、粉になり、パンになる。


 小さな金属片の向こうに、村の食卓が見えた気がした。


「ガンツさん」


「何だ」


「これは、俺が作ったとは言えません。打ったのはガンツさんです」


「当たり前だ。お前の腕では一打目で曲がる」


「はい」


「だが、線を引いたのはお前だ。止めたのもお前だ。音を合わせたのもお前だ」


 ガンツさんは、まっすぐ俺を見た。


「だから、これは俺たちが作った」


 俺たち。


 その言葉が、鍛冶場の熱より強く胸に残った。


 ミラが帳面から顔を上げる。


「記録には、どう書けばいいですか?」


 ガンツさんは少し考えた。


「南畑結界石用、水路金の葉留め」


「葉留め……」


 ミラが繰り返す。


「いい名前ですね」


「名前など何でもいい」


「でも、記録には必要です」


「なら書け」


 ミラは嬉しそうに帳面へ書き込んだ。


『南畑結界石用 水路金の葉留め。

 エイルさんが音を聞き、ガンツさんが打つ。

 水の気配を塞がず、石の傷を支える形。』


 ポロが入口から叫んだ。


「葉留めができたら、麦は守れる?」


「まだ取り付けていない」


 ガンツさんが言う。


「じゃあ、今から畑?」


「焦るな」


「なんで?」


 俺は手の中の葉留めに耳を澄ませた。


 ちりん。


 音は合っている。

 けれど、取り付ける時間が問題だ。


 結界石は昼間より、夕方から夜にかけて弱る。

 昨日の雨の夜もそうだった。

 畑の結界石も、おそらく日が落ちる頃に傷の音が強くなる。


「取り付けるなら、夕方がいいと思います」


 俺が言うと、ミラが首を傾げた。


「どうしてですか?」


「石が弱る時間に合わせた方が、傷の場所がはっきり聞こえます。昼間は光が安定しているので、逆に細かいずれが隠れるかもしれません」


 ガンツさんが頷く。


「理屈は通る」


「でも、夜は危なくないですか?」


 ミラが心配そうに言う。


「完全に暗くなる前に行います。夕方、石の音が変わり始める時間に」


「分かりました。ハンナさんにも伝えておきます」


 その時、鍛冶場の外で小さな鐘の音がした。


 いや、鐘ではない。

 風が何かの金具を揺らしただけだ。


 けれど俺の耳は、別の音を拾っていた。


 ちり。


 遠く、南の畑の方から。


 昼間なのに、結界石が小さく鳴った。


 手の中の葉留めも、それに応えるように震える。


 ちりん。


 俺は顔を上げた。


「どうした」


 ガンツさんが聞く。


「畑の石が、呼んでいます」


「夕方を待つと言ったばかりだろう」


「はい。でも……」


 俺は葉留めを握った。


 畑の結界石の音は、まだ弱い。

 危険なほどではない。


 けれど、昨日までよりもはっきり聞こえる。


 水が巡り始めたから。

 水路の鐘の影が鳴ったから。

 村の仕組みが少しずつ起き始めているから。


 その分、隠れていた傷も目を覚ましている。


「夕方、急いだ方がいいです」


 俺が言うと、ガンツさんは炉の火を落とし始めた。


「ミラ、ハンナに伝えろ。ポロ、お前は水を飲んでから来い。走って転ぶな」


「僕も行っていいの?」


「入口までだ。畑の中には入るな」


「うん!」


 ミラは帳面を閉じ、深く頷いた。


「行きましょう。今日のうちに、畑を安心させたいです」


 安心させる。


 その言葉は、畑を人のように扱っている。

 普通なら少し変に聞こえるかもしれない。


 でも、今の俺には自然に聞こえた。


 井戸は泣いていた。

 水車は待っていた。

 水路の鐘の影は、眠っていた。

 畑の結界石は、痛みに耐えていた。


 なら、安心させるという言い方も、間違っていない気がした。


 俺は葉留めを布に包み、工具袋へ入れた。


 小さな金属片が、かすかに鳴る。


 ちりん。


 鍛冶師ガンツの試験は、終わったのだろうか。


 そう思った時、ガンツさんが俺の肩を軽く叩いた。


「小僧」


「はい」


「試験は半分だ」


「半分?」


「作れたかどうかは、石に取り付けてから決まる」


 彼はにやりともせず、いつもの厳しい顔で言った。


「職人の仕事は、道具が役目を果たして初めて終わる」


 俺は背筋を伸ばした。


「はい」


 鍛冶場の外へ出ると、昼の光が少し傾き始めていた。


 南の畑の方から、風が吹いてくる。

 土と若葉の匂いに混じって、細い鈴のような音が聞こえた。


 ちり。

 ちりん。


 畑を守る結界石が、夕方を待たずに揺れ始めている。


 俺は工具袋を握り直した。


 今度は、聞くだけではない。

 作ったものを、届けに行くのだ。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、鍛冶師ガンツの鍛冶場で、結界石用の留め具を作る回でした。


エイルの耳だけでは形にならない。

ガンツの腕だけでも、結界石の音には届かない。

二人の力が合わさって、南畑結界石用の「葉留め」が生まれました。


次回は、いよいよ畑の結界石へ取り付けます。

ただし、結界石は夕方を待たずに揺れ始めていて……。


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