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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第69話 外を示す目

 欠けた一歯から伸ばした線は、右の紙片が揺れた場所へ、まっすぐには届かなかった。


 その手前で、扉前の石床に描かれた古い継ぎ目を横切っている。


 しかも、その継ぎ目は石扉へ向かっていない。


 扉の右脇を通り、壁の下へ消えていた。


「欠けた一歯は、出口じゃない」


 俺が言うと、ポロは大きな位置図を見つめた。


「じゃあ、何?」


「外を見るための目かもしれません」


 朝の村の確認を終えたあと、俺たちはアルバから届いた記録を工房の机へ広げていた。


 井戸水は澄んでいた。


 さら。

 りん。


 水脈石の音にも、味にも変化はない。


 水車は無理のない量の水で二回転した。


 こ、とん。

 こ、とん。


 影車も、いつもの小さな合図を北結界石へ送っている。


 こ、と。


 北結界石が応えた。


 りん。


 石そのものの音は澄んでいる。


 北側の浅溝から聞こえる抜け音も安定していた。


 す。

 ……り。


 根元の湿りは、最初に見つけた頃よりずっと薄い。


 石の中央奥に残っていた冷えの芯も、同じ場所で小さくなっている。


 ……ん。


「北結界石、石音安定。浅溝の抜け音継続。冷えの芯、位置変化なし。強さ低下」


 ミラが朝の記録を締めた。


 村の音が安定している。


 それを確かめてから、俺たちはアルバの記録を開いた。


 机の上には、何種類もの紙が並んでいる。


 古い石扉全体の写し。


 水滴紋と輪へ向かう細線の拡大図。


 歯車状の紋にある、欠けた一歯の独立写し。


 扉前の足元図。


 湿った石床の中にある乾いた筋。


 左、中央、右の三点固定位置。


 右紙片が揺れた場所。


 すべて、同じ格子に合わせて描かれていた。


 ミラが欠けた一歯の報告を読み直す。


「欠け部分の左右の縁は、内側へ向かってほぼ同じ角度。底には細い平面状部分。新しい破断色、石粉なし」


 ガンツさんが腕を組む。


「自然に崩れた歯ではない可能性が高い」


「はい。ただし、実物へ触れていないため断定はできません」


 ミラが答える。


 ポロは欠けた一歯を大きく描いた紙を見た。


「外を向いてる」


「そう見えます」


 俺は答えた。


 欠けた部分は、輪の内側から右下へ開いている。


 水滴紋から輪へ向かう細線も、その空きへ少し寄っていた。


 そして、欠けた一歯の中心から外へ線を伸ばすと、右紙片が揺れた固定位置に近づく。


 完全には重ならない。


 格子一つ分ほど、ずれている。


 そのずれが気になった。


「目が示す方向と、紙が揺れた場所が少し違う」


 ポロが言う。


「はい」


「目が間違ってる?」


「そうとは限りません」


 俺は扉前の足元図を手元へ寄せた。


 湿った石床。


 その中に残った、乾いた細い筋。


 そして、石床そのものの継ぎ目。


 乾いた筋は、継ぎ目と完全には重なっていない。


 以前の観察でも、そう記録されていた。


 俺は薄い紙を一枚、足元図の上へ置いた。


 欠けた一歯の中心方向を写す。


 次に、右紙片の固定位置を写す。


 最後に、水滴紋から伸びる細線と、乾いた筋を重ねた。


 欠けた一歯から伸びる方向線は、右紙片の位置へ届く前に、石床の古い継ぎ目を横切った。


 しかも、その交わる場所は、乾いた筋の右側だった。


「ここです」


 ミラが顔を近づける。


「欠けた一歯の方向線と、石床の継ぎ目が交わっていますね」


「はい。右紙片が揺れた場所は、その少し先です」


 ポロが指を動かす。


「目。継ぎ目。揺れた紙」


「その順番です」


 ガンツさんが低く言った。


「線を引いたから道だと思うな」


「はい」


「石床の継ぎ目は、ただ石を並べた境かもしれん」


「分かっています」


 俺は答えた。


 欠けた一歯が示す方向。


 その途中にある石床の継ぎ目。


 さらに先で揺れる紙片。


 三つが近い位置に並んだ。


 だが、それだけで継ぎ目を水路と決めることはできない。


 ハンナさんが、大きな粉袋を持ってきた。


 袋の口近くには、一本だけ赤い糸が縫い込まれている。


「この赤い糸は、袋を開ける向きを示す目印なんだよ」


 ポロが袋を見る。


「赤い糸を切る?」


「切らないよ」


 ハンナさんは首を振った。


「赤い糸が、袋の口そのものじゃない。どちらから紐をほどけばいいかを教えるだけだ」


「目印」


「そう。印のところに穴を開けるんじゃない」


 俺は欠けた一歯の写しを見た。


「古い石扉の欠けも、同じように観察する方向を示すだけかもしれません」


「右へ行け、じゃない?」


 ポロが聞く。


「右を見ろ、かもしれません」


「行くのと、見るのは違う」


「はい。大きく違います」


 ミラが記録する。


『欠けた一歯は、実際の出口ではなく、観察方向を示す目印の可能性。示す方向へ接近する意味ではない』


 ポロは大きな紙へ二つの絵を描いた。


 一つ目。


 欠けた一歯から伸びる線を見て、右へ走っていく人。


 大きなばつ印。


 二つ目。


 同じ線を紙の上で比べる人。


 丸印。


『見るむき』

『行くむきじゃない』


 ガンツさんが頷いた。


「それをアルバへ送れ」


 次に、水守控えを調べることになった。


 ミラが机へ乾いた布を敷く。


 古い帳面をその上へ置き、一枚ずつ慎重にめくった。


 門印。


 水滴紋。


 輪へ渡る筋。


 欠けた一歯。


 前回見つけた記述の近くに、さらに細い文字が残っている。


 墨はかすれ、紙の端も欠けていた。


 ミラは帳面を傾けた。


 窓からの光を斜めに当てる。


「読めます」


 俺たちは机へ集まった。


 ミラがゆっくり読み上げる。


「『門の目は、出口にあらず。息の向かう外を示す』」


 ポロが欠けた一歯の絵を見る。


「やっぱり、目」


 ガンツさんが言う。


「記録が同じ門印を指しているなら、だ」


「うん。同じとは、まだ決めない」


 ミラは続きを読んだ。


「『目の先を掘るな。目と揺れの間に、道の影を置け』」


 工房の中が静かになった。


 目と揺れの間。


 欠けた一歯と、右紙片が揺れた場所。


 その間にあったもの。


 石床の古い継ぎ目。


 俺は重ね図へ目を戻した。


「道の影……」


 ポロが小さく言う。


「継ぎ目?」


「可能性があります」


 俺は答えた。


「でも、継ぎ目そのものが道とは限りません」


 ミラは記録する。


『水守控え。門の目は出口ではない。息の向かう外を示す。目の先を掘るな。目と揺れの間に道の影を置け』


 ガンツさんが重ね図を見た。


「道の影を置け、という言い方なら、実際の道を見つけろとは書いていない」


「はい」


「印と揺れの間を、紙の上で比べろという意味かもしれん」


「その可能性があります」


 ポロが線を指でたどる。


「目と紙の間に、継ぎ目の影を置く」


「はい。今、俺たちがしていることに近いです」


 現地で石を動かすのではない。


 過去の写しを重ねる。


 位置を比べる。


 見える線と、揺れた場所の間に何があるのかを探す。


 記録の上で、道の影を置く。


 ハンナさんが言った。


「影なら、踏めないし、掘れないね」


「はい。だから安全です」


 ミラは水守控えの次の行を探した。


 文字の大半は欠けている。


 それでも、一部だけ読めた。


「『影、継ぎに宿ることあり。継ぎを道と決めず……』」


 その先は破れていた。


 ガンツさんが低く繰り返す。


「継ぎに宿ることあり。だが、継ぎを道と決めるな」


「はい」


 俺は重ね図に書き加えた。


『古い石床の継ぎ目=道の影の候補。

 実際の通路または水路とは断定不可』


 ポロが言う。


「影は、道じゃない」


「そうです」


「道があるかもしれないって、教える形?」


「そのくらいに考えるのがいいと思います」


 ガンツさんが石床の足元図を見た。


「継ぎ目の先は、どこへ向かっている」


 ミラが格子を追う。


「扉の右脇を通り、右壁の下へ向かっています」


「扉の中じゃない?」


 ポロが聞く。


「少なくとも、写しの上では扉の中央へは向かっていません」


 俺は答えた。


 欠けた一歯は、右を示す。


 右紙片は、そこで揺れる。


 その間にある継ぎ目は、扉を避けるように右壁へ向かう。


 古い石扉が、人を通すための扉ではない可能性が、また少し強くなった。


 もし、あれが水抜き門なら。


 人が通る開口部ではなく、水や冷えの状態を整えるための大きな石の仕組みなら。


 実際の逃げ道は、扉そのものではなく、脇や床下へ伸びているのかもしれない。


 ただし、まだ図の上の話だ。


「アルバへは、現地で継ぎ目を追わないよう強く伝えます」


 ミラが頷く。


「過去の記録だけで重ね図を作るようお願いします」


「はい。次の予定観察日まで、北回廊奥へは行かない方がいいです」


 ガンツさんも言う。


「継ぎ目を見つけたからといって、砂を払うな。鏡を近づけるな。壁際へ寄るな」


 ミラはアルバへの返答用紙を用意した。


『欠けた一歯の方向と、右紙片微揺れ位置の間を、過去の足元図で比較しました。

 その間に、扉前の石床の継ぎ目があります。

 継ぎ目は扉中央へ向かわず、右壁下方向へ伸びています。


 水守控えには、次の記述があります。


「門の目は、出口にあらず。息の向かう外を示す」

「目の先を掘るな。目と揺れの間に、道の影を置け」

「影、継ぎに宿ることあり。継ぎを道と決めず……」


 ただし、記録は一部欠損しており、古い石扉と同一の門印を指すとは断定できません。』


 ガンツさんが言う。


「禁止事項」


 ミラは太い文字で書いた。


『重要』


 一、欠けた一歯の示す方向へ接近しないこと。

 二、右紙片固定位置へ近づかないこと。

 三、石床の継ぎ目へ触れないこと。

 四、継ぎ目の砂、苔、石粉を払わないこと。

 五、継ぎ目を削らないこと。

 六、継ぎ目へ水または魔力を流さないこと。

 七、継ぎ目を実際の出口、水路、通路と断定しないこと。

 八、右壁下を掘らないこと。

 九、継ぎ目を追って観察線を越えないこと。


 ポロも大きな絵を描いた。


 欠けた一歯。


 継ぎ目。


 右紙片。


 三つを紙の上で並べる人には丸印。


 継ぎ目をたどって走る人には、ばつ印。


『紙の上で、ならべる』

『ゆかでは、たどらない』


 ミラがその絵を見た。


「とても分かりやすいです」


 次に、記録を重ねる方法を書く。


『現地で追加確認を行う前に、以下の既存記録を同一格子で重ねてください。


 一、欠けた一歯の中心方向。

 二、右紙片固定位置。

 三、乾いた筋。

 四、石床の継ぎ目。

 五、水滴紋から輪へ向かう細線。

 六、扉右壁の位置。

 七、過去の湿り範囲。


 新しい現地観察は、重ね図を作成してから検討してください。』


 俺は少し考え、追加した。


「現地へ行く場合も、次の予定日までは待ってください。継ぎ目が見つかったからといって日程を早めないように」


 ミラが追記する。


『重ね図の作成を理由に、予定観察日を早めないでください。』


 ポロが書く。


『見つけても、いそがない』


 午後、北結界石の浅溝を再確認した。


 す。

 ……り。


 抜け音は安定している。


 浅溝は見えている。


 けれど、実際に音が最も軽く抜けるのは右縁だった。


 見える溝と、抜ける位置は完全には同じではない。


 古い石扉の継ぎ目も、見える道そのものではなく、道の位置を示す影にすぎない可能性がある。


「北結界石でも、見える浅溝と抜け音の中心は一致していません」


 ミラが記録する。


「古扉の継ぎ目を実際の道と決めない理由として、参考になりますね」


「はい。ただし、村側と迷宮側は別の仕組みです」


「その注意も入れます」


 ハンナさんは畑の土を見た。


「村の冷えは、もうほとんど気にならないね」


「はい。冷えの芯は、位置を変えず弱くなっています」


「こっちは、今のところ待って正解だった」


「そう見えます」


「でも、向こうも同じとは決めない」


「はい」


 ポロが二つの絵を描いた。


 一つは北結界石の浅溝。


 一つは古い石扉の継ぎ目。


 その間に、大きく書く。


『べつもの』


 ミラが笑う。


「それも大事です」


 夕方、北結界石の最後の記録を取る。


 石音、安定。


 影車応答、安定。


 浅溝の抜け音、継続。


 冷えの芯、ほぼ消失。


 湿り、わずかに残る。


「北結界石は、追加処置なしで継続確認します」


 ミラが書いた。


 ポロが言う。


「目は、出口じゃない」


「はい」


「どこを見るか、教える」


「そうかもしれません」


「継ぎ目は、道じゃない」


「はい」


「道があるかもしれない影」


「そう考えています」


 ポロは大きな重ね図の上に、最後の文字を書いた。


『目は、見るむきを教える』

『影は、道のありかを教えるかもしれない』


 夜、アルバへ送る封書が整えられた。


 中には、水守控えの写し。


 欠けた一歯の方向線。


 石床の継ぎ目。


 右紙片の固定位置。


 乾いた筋。


 ポロの大きな重ね図。


 ミラが最後の一文を読み上げた。


『欠けた一歯が示しているのは、開ける場所ではなく、記録を比較する方向である可能性があります。

 目が示す先を掘らず、目と揺れの間にある道の影を、まず紙の上で確かめてください。』


 俺は頷いた。


「それでお願いします」


 工房の看板が鳴る。


 からん。


 井戸の札が鳴る。


 から。


 影車が鳴る。


 こ、と。


 北結界石の浅溝が、細く息をする。


 す。

 ……り。


 欠けた一歯は、出口ではない。


 そこへ行けと命じる矢印でもない。


 閉じた息が向かう外側を、人の手が遠くから見失わないための目。


 その目の先には、扉ではなく、石床の古い継ぎ目があった。


 そして継ぎ目の先は、右壁の下へ消えていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、欠けた一歯が示す役割を、アルバから届いた位置図と水守控えから読み解く回でした。


欠けた一歯は、出口そのものではない。


水守控えには、


「門の目は、出口にあらず」

「息の向かう外を示す」

「目の先を掘るな」

「目と揺れの間に、道の影を置け」


と記されていました。


欠けた一歯の方向と、右紙片が揺れた場所の間には、石床の古い継ぎ目があります。


ただし、その継ぎ目も実際の水路や出口とは断定できません。


現地でたどるのではなく、まず過去の記録を紙の上で重ねる。

「見る方向」と「行く方向」を分ける回になりました。

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