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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第64話 弱まりながら寄る

 三度目の観察で確かめるのは、冷えが右へ寄ったかどうかだけではない。


 寄りながら弱まっているのか。


 それとも、出口の影に集まりながら強くなっているのか。


 二つは、まったく違う。


 弱まりながら寄っているなら、閉じた息が少しずつ外へ向かっている可能性がある。


 強まりながら寄っているなら、出口になりかけた場所で冷えが溜まり、詰まり始めているのかもしれない。


 どちらに見えても、扉には触れない。


 その約束を確認してから、リーネは三つの紙片を受付机へ並べた。


 左。


 中央。


 右。


 三枚とも、前日の観察で使ったものだ。


 一晩、別々の木枠で風に当てられている。

 破れはない。

 湿りもない。

 目立った曲がりもない。


 リーネは記録板へ書いた。


『出発前。

 左紙片、冷えなし。

 中央紙片、冷えなし。

 右紙片、冷えなし。

 三紙片、別枠保管。

 混在なし。

 密封なし。』


 その横には、新しい確認表が置かれていた。


『冷えの強さ』


 強い。


 弱い。


 なし。


 三段階で記録する。


 ただし、一人の感覚だけで決めない。


 ダリオと迷宮記録係の補助員が、紙面から指二本分だけ離れた位置へ手をかざす。

 二人は相談せず、先に別々の小札へ判断を書く。


 結果が一致すれば、そのまま記録。


 違えば、両方を残す。


 リーネは二人へ念を押した。


「紙面には触れないでください。握らない。こすらない。息を吹きかけない」


「分かってる」


 ダリオは答えたあと、自分から記録へ書き足した。


『紙面接触なしで確認予定』


 リーネが少しだけ目を上げる。


「自分から書きましたね」


「紙片係だからな」


「よろしいです」


 ダリオは満足そうに頷いた。


 掲示板横には、ポロの新しい絵が貼られている。


 三つの青い丸。


 大きな丸。

 小さな丸。

 白い丸。


『つよい』

『よわい』

『なし』


 その下に、右へ動く青い丸が二種類描かれていた。


 一つは、右へ行くほど小さくなる。


 もう一つは、右へ行くほど大きくなる。


『ちいさくなりながら、よる』

『おおきくなりながら、よる』


 さらに、大きなばつ印。


『よったから、ほらない』


 冒険者たちの何人かが、その絵の前で足を止めていた。


「右へ寄ったなら、右が出口じゃないのか?」


 一人が言う。


 別の冒険者が、先に答えた。


「寄るを流れと決めるな、って書いてあるだろ」


「でも、弱くなってるならいい変化じゃないのか?」


「いい変化に見える時ほど触るな、って最近ずっと言われてるぞ」


 リーネは口を挟まなかった。


 組合の中で、注意を守る言葉が自然に返るようになっていた。


 《白狼の剣》の三人は、出発前の道具確認を始めた。


 セシアは魔力灯を見る。


「外殻曇りなし。留め金浮きなし。冷えなし。起動予定なし」


 レオルは剣帯の金具を確認した。


「曇りなし。冷えなし。確認布、乾燥」


 ダリオは槍袋の底と紐を確かめる。


「底、乾燥。紐、冷えなし。三紙片、破れなし。左、中央、右の札あり」


 リーネは観察条件を読み上げた。


「前日と同じ時刻。同じ経路。同じ人数。同じ三点。同じ高さ。同じ砂時計。同じ滞在時間です」


 セシアが頷く。


「変化が出ても、追加観察はしません」


「はい」


「良い変化に見えても?」


「行いません」


 レオルが短く言った。


「弱くなったなら、なおさら触らず戻る」


 ダリオが彼を見る。


「悪くなった時だけじゃないのか」


「良くなったように見える時は、確かめたくなる」


「……そうだな」


「だから戻る」


 セシアは、そのやり取りも記録した。


『変化の良否にかかわらず、追加観察なしを確認』


 第三層北回廊の入口は、前日と変わらなかった。


 水音はない。

 壁に水滴もない。

 空気も、入口付近では冷えていない。


 三つの紙片を確認する。


 左、揺れなし。


 中央、揺れなし。


 右、揺れなし。


 二人の冷え判定も、すべて『なし』で一致した。


 セシアが記録する。


『北回廊入口。

 三紙片、揺れなし。

 冷えなし。

 湿りなし。

 水音なし。』


 奥へ進む。


 こつ。

 こつ。


 足音だけが石壁へ返る。


 北回廊の中ほどで、ダリオが右紙片を見た。


 下端が一度だけ震える。


 ひら。


「右、下端微揺れ。一度」


 セシアが時刻を書く。


「前日は?」


 補助員が写しを確認する。


「前日も中ほどで、右紙片下端に微揺れあり」


「強さは?」


 ダリオは少し考えた。


「同じくらいか、今日の方が少し弱い」


 補助員は別の小札へ、自分の判断を書いた。


『前日と同程度』


 判定が分かれた。


 セシアは両方を記録する。


『北回廊中ほど。

 右紙片下端、微揺れ一度。

 ダリオ判定、前日より弱い可能性。

 補助員判定、前日と同程度。

 左、中央、揺れなし。』


「違っても、そのまま残す」


 ダリオが小さく言った。


「はい」


 セシアは頷いた。


 古い石扉の前へ着く。


 灰色の大きな扉は、今日も閉じていた。


 水音なし。


 滴下なし。


 扉前の石床には薄い湿りがあり、その中に乾いた細い筋が残っている。


 位置も長さも、前日と大きく変わらない。


 セシアは、まず観察枠を使って水滴紋を見た。


 観察枠は、木で作られた四角い枠だ。

 縁に細かな目印が入り、毎回同じ距離、同じ角度から紋を見るために使う。


 扉には触れない。

 観察線の手前で持つだけだ。


 水滴紋。


 輪。


 歯車のような欠けた線。


 セシアは目を細めた。


「水滴紋の右下が……」


 言いかけて、止まる。


 先に前日の写しを見ない。

 今見えた形を、別紙へ描く。


 補助員も別の紙へ描いた。


 描き終えてから、前日の写しと並べる。


 水滴紋の右下縁。


 前日より、ほんの少しだけ色が薄いように見える。


 完全に消えた線はない。

 水滴の形も保たれている。


 ただ、右下の縁だけが、髪一本分ほど浅い。


 セシアが自分の写しを見る。


 補助員の写しにも、同じ場所に薄化の印がある。


「二人とも、右下縁を薄く描いています」


 補助員が言った。


「ですが、光の違いかもしれません」


「はい。変化の可能性として残します」


 セシアが記録する。


『水滴紋。

 全体形状、前日と同程度。

 右下縁のみ、わずかな薄化の可能性。

 セシア、補助員の独立写しで位置一致。

 光条件による差の可能性あり。

 断定不可。

 滴下なし。

 水音なし。』


 ダリオが扉を見た。


「薄くなったなら、息が抜けてるのか?」


「まだ決めない」


 セシアが答える。


「紋が薄くなることと、冷えが抜けることが同じとは限らないわ」


 レオルも言う。


「見る場所が増えただけだ」


 次に、三点固定観察へ入る。


 左。


 同じ位置。

 同じ高さ。

 同じ時間。


 紙片は動かない。


 冷えの確認は、ダリオと補助員が別々に行った。


 二人とも『なし』。


『左固定位置。

 揺れなし。

 冷えなし。

 湿りなし。』


 中央。


 紙片は動かない。


 ダリオは指二本分離れた位置へ手をかざし、小札へ判断を書く。


 補助員も、先に答えを見ずに書く。


 二枚を開く。


 ダリオは『弱い』。


 補助員も『弱い』。


「中央、揺れなし。冷え、弱い」


 セシアが記録する。


『中央固定位置。

 揺れなし。

 下端冷え、弱い。

 二名判定一致。

 湿りなし。

 前日観察直後より冷えが浅い可能性。』


 最後は右。


 同じ位置。

 同じ高さ。

 同じ時間。


 紙片はしばらく動かなかった。


 ひら。


 下端が一度だけ震える。


 前日は二度だった。


 ただし、回数だけで強さを決めてはいけない。


 ダリオと補助員が、冷えを別々に確認する。


 どちらも『弱い』。


「右、下端微揺れ一度。冷え、弱い」


 セシアが記録する。


『右固定位置。

 下端微揺れ一度。

 冷え、弱い。

 二名判定一致。

 湿りなし。

 前日観察直後より、冷えが浅い可能性。』


 三つを並べる。


 左、変化なし。


 中央、揺れなし、弱い冷え。


 右、微揺れあり、弱い冷え。


 前日は、観察直後の右が中央より冷たい可能性が記録されていた。


 今日は、中央も右も『弱い』で一致している。


「冷えの差が、小さくなっています」


 セシアが言った。


 ダリオは右紙片を見た。


「右へ寄ってる感じはある。でも、冷え自体は弱い」


「そう見えます」


「弱まりながら寄ってる?」


 セシアは少し考えた。


「その可能性があります」


 レオルが砂時計を見る。


「時間だ」


 観察終了。


 ダリオは紙片を下ろし、別々の通気袋へ入れた。


「もう一度は見ない」


「はい」


 セシアが記録する。


『水滴紋右下縁に薄化可能性。

 三点紙片の冷え、前日より全体に弱い可能性。

 変化確認後、追加観察なし。』


 古い石扉は、閉じたままだ。


 見える変化は、紋の縁がわずかに薄く見えることだけ。


 音はない。


 水も落ちていない。


 それでも、冷えの強さは前日より浅く感じられた。


 帰り道、北回廊中ほどで確認する。


 左。


 冷えなし。


 中央。


 二人とも『なし』。


 右。


 ダリオは『弱い』。

 補助員は『なし』。


 判定が分かれた。


 セシアはそのまま残す。


『北回廊中ほど。

 左、冷えなし。

 中央、冷えなし。二名一致。

 右、ダリオ判定・弱い。補助員判定・なし。

 湿りなし。』


 前日は、この地点で右の冷えが明確に残っていた。


 今日は、一人は弱いと感じ、一人は感じなかった。


 少なくとも、強くはない。


 北回廊出口で、もう一度確認する。


 左、冷えなし。


 中央、冷えなし。


 右、二人とも冷えなし。


『北回廊出口。

 三紙片、冷えなし。

 湿りなし。』


 ダリオが右紙片を見た。


「昨日は出口でも残ってた」


 補助員が記録を確かめる。


「はい。前日は右紙片に冷え残り。本日は消失」


 セシアが追記する。


『右紙片の冷え、本日は前日より早く消失』


 レオルは剣帯金具を確認した。


「曇りなし。冷え、弱い」


 セシアの魔力灯留め金も、曇りはない。

 冷えは弱い。


 ダリオの槍袋は、底も紐も乾いている。


 前日より、道具全体に残る冷えも浅いようだった。


 組合へ戻ると、リーネは前日と同じ三つの木枠を用意していた。


 左。


 中央。


 右。


 ダリオは紙片を別々に置く。


「混在なし。密封なし。紙面接触なし」


 自分から記録する。


 帰還直後の確認。


 左、冷えなし。


 中央、冷えなし。


 右、冷えなし。


 三つとも湿っていない。


 リーネは前日の表を横へ置いた。


『前日帰還直後』

 左、冷えなし。

 中央、冷えほぼ消失。

 右、冷え残り。


『本日帰還直後』

 左、冷えなし。

 中央、冷えなし。

 右、冷えなし。


「右の冷えは、前日より早く消えています」


 リーネが言った。


 セシアは頷く。


「中央も、観察直後から弱い冷えだけでした」


「冷え全体が浅くなった可能性がありますね」


「はい。右寄りの揺れは残っていますが、冷えは弱まっています」


 リーネは記録へ書く。


『三度目の同条件観察。

 右紙片の微揺れ継続。

 中央、右の冷えは観察直後から弱い。

 中央冷え、中ほどまでに消失。

 右冷え、出口までに消失。

 帰還後、三紙片すべて冷えなし。

 前日より冷えの残り時間短縮。』


 砂時計を一度落とす。


 三つの紙片に変化はない。


 冷えなし。

 湿りなし。


 二回目も同じだった。


 リーネが記録する。


『砂時計一回後、二回後。

 三紙片、冷えなし。

 湿りなし。』


 前日と今日を並べる。


 前日は、中央から右へ冷えの残る位置が変わったように見えた。


 今日は、右寄りの揺れは残っている。

 しかし、冷えの強さも、残る時間も小さくなっている。


 冷えの座が息の道へ寄りながら、弱まっている。


 そう見える。


 だが、一日だけでは決められない。


 リーネは報告書に書いた。


『本日の観察では、右寄りの微揺れが継続する一方、中央および右の冷えは前日より弱く、早く消失しました。

 「弱まりながら右へ寄る」変化の可能性があります。

 ただし、一回の観察結果であり、断定しません。』


 次に、水滴紋の記録を加える。


『水滴紋の右下縁が、前日よりわずかに薄く見える可能性があります。

 セシア、補助員の独立写しで位置は一致しています。

 光条件差の可能性を除外できず、断定しません。

 水音、滴下、扉開閉、乾いた筋の位置変化はありません。』


 ダリオが報告書を覗き込む。


「良くなってるように見えるな」


「見えます」


 リーネは答えた。


「ですが、規制は変えません」


「扉にも近づかない?」


「近づきません」


「観察回数も増やさない?」


「増やしません」


 レオルが静かに言った。


「弱くなったなら、なおさら今のやり方を変えるな」


 リーネがその言葉を記録する。


『レオル所見。弱化傾向が見えても、観察条件と禁止事項を変更しない』


 レオルが少し眉を寄せた。


「また俺の言葉か」


「有用です」


 ダリオが笑う。


「記録される側になったな」


「うるさい」


 掲示板へ、今日の簡単な結果が貼られた。


『三度目の同条件観察。

 右紙片の微揺れあり。

 冷えは前日より弱く、早く消失。

 水滴紋右下縁にわずかな薄化の可能性。

 未確定。

 接触、清掃、水掛け、魔力投入、加熱、追加観察を禁止。』


 冒険者たちは、紙を読んだ。


「弱くなってるなら、もう大丈夫なのか?」


「未確定って書いてある」


「紋が薄くなったなら、開くんじゃなくて閉じるのか?」


「分からないから触るなってことだろ」


 ガルドが掲示の前に立った。


 しばらく読んだあと、今日は何も提案しなかった。


 ただ、ポロの絵を見て、小さく呟く。


「良く見えても、触るな、か」


 近くの冒険者が頷いた。


「今のところ、それで事故が出てない」


 リーネはその言葉を聞きながら、リント村修理工房への封書を整えた。


 三紙片の冷え判定。

 二名の独立記録。

 前日との残り時間比較。

 水滴紋の独立写し。

 追加観察を行わなかった記録。

 道具の冷えが浅かったこと。


 本文の最後に書く。


『冷えは右寄りの揺れを残しながら、前日より弱く、早く消えました。

 冷えの座が息の道へ寄りつつ、冷え全体が小さくなっている可能性があります。

 また、水滴紋右下縁にわずかな薄化の可能性があります。

 どちらも一回の変化であり、断定しません。

 観察条件および接触禁止事項は変更していません。』


 封を閉じる。


 三つの紙片は、一晩休ませるため、また別々の木枠へ置かれた。


 左は変わらない。


 中央は、冷えをほとんど持ち帰らなかった。


 右は揺れた。

 けれど、冷えを早く手放した。


 古い石扉は、まだ閉じている。


 乾いた筋も、そのままだ。


 ただ、水滴紋の右下縁だけが、ほんの少し薄く見える。


 冷えは、道へ寄ったのかもしれない。


 そして、寄りながら弱まり始めたのかもしれない。


 その小さな変化は、余計な手を加えなかったからこそ、記録としてリント村へ持ち帰られることになった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、前日と同じ条件で三度目の観察を行い、


「冷えが右へ寄りながら、弱まっているのか」


を確認する回でした。


結果は、


・左:変化なし

・中央:揺れなし、冷えは弱い

・右:微揺れあり、冷えは弱い

・中央と右の冷えは、前日より早く消失

・帰還後は三紙片すべて冷えなし


となりました。


右寄りの揺れは続いています。

けれど、冷えの強さと残る時間は小さくなっています。


さらに、水滴紋の右下縁がわずかに薄くなった可能性も出ました。


良い変化に見えるからこそ、追加観察は行わず、禁止事項も変えません。

触れずに記録を持ち帰る回です。

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