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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第46話 古い石扉の音

 アルバ冒険者組合からの封書は、厚かった。


 湿気記録表の写し。

 第三層の現行地図。

 古い第三層の地図。

 《白狼の剣》三人の記録。

 リーネさんの報告書。


 工房の机に置くと、紙の重みで小さく音がした。


 ぱさ。


 ただの紙の音のはずなのに、その奥に湿った気配が混じっているような気がした。


 けれど、ミラは封を開ける前に言った。


「先に井戸を見ましょう」


 俺は頷いた。


「はい」


 ポロが封書を見て、少しそわそわしている。


「アルバの紙、先じゃないの?」


「井戸が先です」


 ミラはきっぱり答えた。


「外の記録を読む前に、村の水を確認します」


 ハンナさんも白い器を手に取った。


「そうだね。湿気の話なら、なおさら水を見ないと」


 俺たちは広場の井戸へ向かった。


 井戸札は『使用できます』。

 朝の光の中で、木札が小さく揺れている。


 から。


 ハンナさんが水を汲み、白い器に移す。

 水は澄んでいた。

 底に沈む泥も、昨日と変わらない。


 俺は井戸の縁に手を置き、底の音を聞いた。


 さら。

 りん。


 水脈石の音は、落ち着いている。


 濁っていない。

 急に増えてもいない。

 ただ、奥の方に残っている鈍りは、まだ完全には消えていなかった。


「井戸、異常なしです」


 ミラが記録する。


「アルバ湿気記録到着日。朝の井戸、安定」


 次に、水車小屋へ向かう。


 影車へ細い水を通す。


 こ、と。


 北の結界石が応える。


 りん。


 水車本体にも、少しだけ水を通した。


 こ、とん。

 こ、とん。


 軸の音は悪くない。

 挽き石は、今日の午後に少量だけ動かす予定だ。


「水車、影車、北結界石、安定しています」


 ミラが記録する。


 ポロが水車を見上げながら言った。


「村の音、大丈夫」


「はい」


 俺は頷いた。


「今のところ、大丈夫です」


 その言葉を口にしてから、少しだけ胸が冷えた。


 今のところ。


 アルバから届いた紙の中には、第三層の湿気の記録がある。

 古い石扉。

 水滴。

 輪。

 歯車。


 リント村の水守の印に似た言葉。


 もし、遠い迷宮の湿気が、村の古い水の仕組みと何か関わっているなら。


 考えかけて、俺は息を整えた。


 決めつけてはいけない。


 音を聞く前に、結論を急がない。

 見たもの、聞いたもの、記録されたものを、一つずつ並べる。


 工房へ戻ると、ミラはようやく封書を開いた。


 机の上に紙を並べる。


 湿気記録表の写しが何枚もある。

 リーネさんの字で、場所ごとに分けられていた。


 水路沿い。

 採石跡。

 中央広場。

 北回廊。

 古扉前。


 そのうち、古扉前の束だけが少し厚い。


 ミラが報告書を読み上げる。


「第三層の湿気記録表を回収したところ、不調報告の一部が北回廊奥の古い石扉周辺に集中していることが分かりました」


 ガンツさんが腕を組む。


「水路沿いじゃないのか」


「はい。現行地図では乾いた行き止まりとされています」


 ミラは地図を広げた。


 現行地図では、第三層の北回廊の奥に小さく印がある。


『古扉。開閉不可。調査済み』


 その横に、リーネさんの補足が添えられていた。


『水路なし。水音なし。空気湿りあり。金具曇りあり。』


 次に、古い地図を広げる。


 黄ばんだ紙に、薄い線が残っている。

 北回廊の奥。

 古扉の先に、細い線が一本、途中まで描かれていた。


 ミラが読み上げる。


「古い地図には、石扉の先に水抜き通路と思われる細線があります」


 ハンナさんが眉を寄せた。


「水抜き通路……」


 ポロが首を傾げる。


「水を逃がす道?」


「そうです」


 俺が答えた。


「水が溜まりすぎないように、逃がしたり巡らせたりする道かもしれません」


「迷宮の中に?」


「昔の仕組みなら、あるかもしれません」


 ガンツさんが短く言う。


「あるかもしれん。だが、あると決めるな」


「はい」


 俺は頷いた。


 ガンツさんの言う通りだ。


 似ている。

 ありそう。

 そう思うことと、確かだと言うことは違う。


 ミラは《白狼の剣》三人の記録を取り出した。


 まず、セシアさんの記録。


『北回廊奥、古扉前。水路から遠い。魔力灯の留め金内側に薄い曇り。水音なし。空気が冷たい。扉表面の水滴のような紋の周辺が湿っている。』


 次に、ダリオさんの記録。


『北回廊奥。古い石扉の手前。水路なし。槍袋の底だけ湿った。壁に水は見えない。空気が冷たい。』


 最後に、レオルさんの記録。


『北回廊奥、古扉前。剣帯金具に曇り。外気湿度高。水音なし。扉表面に古い紋あり。水滴、輪、歯車に似た形。』


 ポロが目を大きくした。


「水滴、輪、歯車」


 彼はすぐに作業棚へ走った。


 持ってきたのは、水守の印を描き写した紙だった。


 水車の軸材に刻まれていた印。

 水滴。

 歯車。

 輪。


 ポロはその紙を机に置き、アルバから届いた記録の横に並べた。


「似てる」


 工房の中が静かになった。


 紙の上には、二つの印が並んでいる。


 一つは、リント村の水守の印。

 水滴は中央に近く、歯車は水の巡りを支え、輪は村全体を包むように描かれている。


 もう一つは、レオルさんたちの記録からポロが描き起こした仮の印。

 水滴のような形。

 輪のような線。

 歯車に似た欠けた模様。


 確かに似ている。


 けれど、同じではない。


 ガンツさんが紙を見て、すぐに言った。


「似ているだけだ」


 ポロが顔を上げる。


「同じじゃない?」


「同じかもしれん。違うかもしれん。絵だけでは決めるな」


 ポロは少ししゅんとしたが、すぐに頷いた。


「似てる、まで」


「そうだ」


 ミラが記録する。


「古扉の紋。水守の印に類似。ただし同一とは断定不可」


 その言葉が、机の上に落ち着いた。


 同一とは断定不可。


 少し冷たい言い方に見える。

 でも、今はそれが大事だった。


 俺は水守の印を見つめた。


 水車の軸材に刻まれていた印。

 ミラの祖母が残した軸材。

 水と水車と村の巡りを支える印。


 それに似たものが、迷宮第三層の古い石扉にある。


 もし同じ流れの印なら、どうして迷宮にあるのか。

 もし違う印なら、どうしてこんなに似ているのか。


 分からないことばかりだった。


「ミラさん」


「はい」


「村に、古い記録は残っていますか。水守の印について、もっと前の記録があるかもしれません」


 ミラはすぐに立ち上がった。


「水守小屋に古い帳面があります。祖母のものより前の代の記録も、少しだけ」


「見てもいいですか?」


「もちろんです」


 俺たちは水守小屋へ向かった。


 今は修理工房として使っているが、奥の棚にはまだ古い帳面が残っている。

 湿気を避けるため、油紙に包まれ、木箱に入れられていた。


 ミラはその箱を丁寧に開ける。


 古い紙の匂いがした。


 ハンナさんがすぐに言う。


「机を拭いてから出しな。古い紙は湿気に弱いよ」


「はい」


 机の上に乾いた布を敷き、その上に帳面を置く。


 表紙には、かすれた文字があった。


『水守控え』


 ミラが息をのむ。


「これは、祖母より前の代です」


 ページをめくる。


 井戸の水量。

 水車の修理。

 畑水路の泥上げ。

 防護鐘の点検。

 北の結界石の調整。


 村の生活の記録が続く。


 古い言い回しが多く、読みづらい。

 それでも、ミラは根気よく目を通した。


 やがて、あるページで手が止まる。


「水抜き門……」


 俺は顔を上げた。


「何ですか?」


 ミラはゆっくり読んだ。


「『北の巡り、弱る年あり。水抜き門の音を忘るべからず。水は閉じたままにすれば濁り、走らせすぎれば石を削る。小輪を聞き、大輪を動かすこと』」


 ポロが首を傾げる。


「小輪?」


「影車に似ていますね」


 俺は言った。


 小さな輪を聞き、大きな輪を動かす。

 影車を聞いてから、水車を動かす。


 リント村で見つけた仕組みと近い考え方だ。


 ガンツさんが帳面を覗く。


「水抜き門というのは、村のものか?」


 ミラはページを追う。


「場所は……書いてありません。ただ、『北の巡り』とあります」


「北の結界石か?」


「その可能性はあります」


 ハンナさんが不安そうに言った。


「迷宮の北回廊と、村の北の結界石が同じ話ってことはないよね?」


 誰もすぐには答えられなかった。


 村と迷宮は離れている。

 ただ、古い水の仕組みが広い範囲でつながっている可能性は、完全には否定できない。


 俺は慎重に言った。


「同じかは分かりません。ただ、言葉が似ています。北、水抜き、門、小輪、大輪」


 ミラが記録する。


「水守控えに『水抜き門』の記載あり。『小輪を聞き、大輪を動かす』。影車、水車の手順と類似」


 ポロは机の端で、三つの絵を描き始めた。


 一つ目。

 リント村の水守の印。


 二つ目。

 アルバ第三層の古い石扉の紋。


 三つ目。

 水守控えに出てきた言葉を絵にしたもの。


 小さな輪。

 大きな輪。

 水の道。


 ポロは三つを並べて、うーんと唸った。


「同じじゃないけど、親戚みたい」


 ハンナさんが少し笑った。


「印の親戚かい」


「うん。似てるけど、家が違う」


 ガンツさんが腕を組んだまま言った。


「悪くない言い方だ」


 ミラはその言葉も記録した。


「印の類似。ポロ案、同一ではなく系統が近い可能性」


 ポロが照れた顔をした。


「僕の言葉も記録?」


「分かりやすいので」


 その後も、古い帳面を調べた。


 水抜き門についての記録は多くなかった。

 ただ、いくつか似た言葉が出てきた。


『北の湿り、鐘に遅れる』

『門の奥、水を溜めるな』

『輪の歯が欠ければ、石は汗をかく』

『門は力で開けず、音を聞いて待つ』


 最後の一文で、ガンツさんが低く言った。


「開けるな、だな」


「はい」


 俺は頷いた。


「少なくとも、無理に開けるものではなさそうです」


 ミラはアルバへの返答用に、別紙を用意した。


 だが、まだ返答は書かない。


 まず、整理する。


 机の上に、情報を並べた。


 一、第三層北回廊奥の古い石扉周辺で湿気由来の不調が多い。

 二、水路から遠いが、空気だけが湿っている。

 三、石扉には水滴、輪、歯車に似た紋がある。

 四、リント村の水守の印に類似しているが、同一とは断定できない。

 五、水守控えに『水抜き門』『小輪』『大輪』の記載あり。

 六、古い記録には『門は力で開けず、音を聞いて待つ』とある。

 七、現時点で、村の井戸、水車、影車、北結界石に異常はない。


 ミラは最後を強調した。


「村に異常はない」


 ハンナさんが頷く。


「それは大事だね。不安だけ広げても困る」


 俺も同意した。


「はい。今は、村の音は安定しています」


 ポロが少し不安そうに聞く。


「これ、村も湿る?」


「分かりません」


 俺は正直に答えた。


「だから、毎日聞きます。今まで通り、井戸と水車と影車と北の結界石を」


「増やす?」


「北の結界石は、少し丁寧に見た方がいいかもしれません」


 ガンツさんが頷いた。


「明日、北結界石の周りを見る。苔、湿り、ひび、金具」


 ミラが書く。


「明朝、北結界石周辺を追加確認」


 ハンナさんが言う。


「井戸の味も、朝夕で見るよ」


「お願いします」


 不安はある。

 けれど、やることは決まっている。


 記録を読む。

 似ているものを並べる。

 断定しない。

 村の音を確認する。

 アルバへ、無理に開けないよう伝える。


 俺はもう一度、古い帳面の一文を見た。


『門は力で開けず、音を聞いて待つ』


 その言葉が、胸に残った。


 夕方、俺たちは北の結界石を見に行った。


 まだ明日の詳細確認前だが、今日のうちに音だけ聞いておきたかった。


 北の結界石は、畑の端で静かに立っている。

 影車からの合図を受ける、小さな光の石だ。


 俺は石に手を近づける。


 りん。


 音は澄んでいる。


 ただ、石の根元に、ほんの少し湿った土があった。

 朝露の残りかもしれない。

 昨日の水路の影響かもしれない。


 判断はできない。


「根元に少し湿りがあります」


 ミラが記録する。


「原因不明。明朝再確認」


 ガンツさんがしゃがみ込む。


「今は掘るな。周りを荒らすな」


「はい」


 ポロが小さく言った。


「待つ」


「そうです」


 俺は北の結界石の音を聞いた。


 りん。

 ……りん。


 悪い音ではない。


 でも、今日読んだ記録のせいか、その澄んだ音の奥に、遠い石扉の湿った気配が重なるような気がした。


 実際に聞いたわけではない。

 まだ、記録の中の音だ。


 それでも、確かに何かが近づいている。


 工房へ戻り、ミラはアルバへの返答を書き始めた。


『第三層北回廊奥の古い石扉について、記録を確認しました。

 リント村の水守印に似た紋が報告されていますが、現時点では同一とは断定できません。

 村の古い水守控えに、水抜き門、小輪、大輪に関する記載があります。

 無理な開扉は避けてください。

 可能であれば、扉周辺の湿気、不調道具の種類、発生時刻、乾燥後の変化を引き続き記録してください。

 石扉そのものを起動、打撃、開閉しないでください。』


 ガンツさんが頷いた。


「打撃禁止は太く書け」


 ミラはその部分を太くした。


 ポロも絵を描いた。


 古い石扉。

 大きな手で叩こうとする絵にばつ。

 無理にこじ開けようとする棒にばつ。

 耳を近づけて聞く人に丸。


『たたかない』

『こじあけない』

『まずきく』


 ハンナさんがそれを見て、少し笑った。


「冒険者には大きく描いた方がいいね」


「大きく描く」


 ポロは真剣に答えた。


 夜、工房の机には、三つの紙が並んでいた。


 アルバから届いた古い石扉の記録。

 リント村の水守控え。

 ポロが描いた三つの印の比較。


 外から届いた湿った記録と、村に眠っていた古い言葉が、同じ机の上にある。


 工房の看板が夜風で鳴った。


 からん。


 井戸の札が鳴る。


 から。


 影車が鳴る。


 こ、と。


 村の音は、今夜も落ち着いている。


 けれど、俺はもう、アルバの湿った石扉をただの外の出来事とは思えなかった。


 水滴。

 輪。

 歯車。

 水抜き門。

 小輪。

 大輪。


 それらの言葉が、遠くから小さく鳴っている。


 まだ見えない扉の向こうで、古い水が眠ったまま息をしているように。


 俺は机の上の記録へ手を置き、静かに息を吐いた。


 今は行かない。

 開けない。

 決めつけない。


 まず、聞く。


 古い石扉の音は、まだ紙の上にしかない。


 それでも、その音は確かにリント村修理工房へ届いていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、アルバから届いた第三層の湿気記録を、リント村修理工房側で読み解く回でした。


古い石扉の紋は、リント村の水守の印に似ている。

けれど、同じとはまだ断定できません。


そこでエイルたちは、村の古い水守控えを調べます。

そこに出てきたのは、


・水抜き門

・小輪

・大輪

・門は力で開けず、音を聞いて待つ


という言葉でした。


迷宮へすぐ向かうのではなく、まず記録を読み、村の井戸や水車、北の結界石を確認する。

工房らしい調査の始まりです。

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