↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/89

第45話 第三層の湿った記録

 アルバ冒険者組合の受付机に、新しい紙束が置かれた。


『第三層湿気記録表』


 紙の上には、細かい記入欄が並んでいる。


 使用階層。

 使用場所。

 水路からの距離。

 道具の種類。

 不調の内容。

 湿気を感じた時刻。

 乾燥後に改善したか。

 同じ場所で、他の道具にも不調が出たか。


 見ただけで、面倒そうな紙だった。


 最初にそれを見た冒険者は、はっきり顔をしかめた。


「何だよ、これ」


 リーネは受付机の向こうで、いつものように眼鏡を直した。


「第三層で発生している湿気由来の魔道具不調について、状況を記録するための用紙です」


「湿ってた、でいいだろ」


「それでは原因が分かりません」


「第三層なんて、だいたい湿ってる」


「水路沿いか、そうでないかで意味が違います」


 冒険者は頭をかいた。


「細かいな」


「細かくなければ、道具の不調は追えません」


 リーネは紙を一枚差し出した。


「記入してください」


「俺が?」


「第三層で魔力灯が曇ったと報告したのは、あなたです」


「言わなきゃよかった」


「言った以上、書いてください」


 冒険者は渋々、筆を取った。


 その横では、別の冒険者が方位石用の記録表を見ていた。


「水路からの距離って、どう書けばいいんだ?」


「歩数で構いません。分からなければ、近い、遠い、不明のいずれかに丸をつけてください」


「不明で」


「本当に不明ですか?」


「……たぶん、遠い」


「では、遠いに丸を」


 リーネは容赦がなかった。


 朝の組合は、いつも通り騒がしい。

 だが、掲示板横の木箱と受付机の紙束のせいで、いつもと少し違う騒がしさになっていた。


 討伐依頼の取り合い。

 報酬への文句。

 装備の自慢。


 その間に、魔力灯の曇り方を書かされる冒険者がいる。

 方位石が戻らなかった場所を思い出す冒険者がいる。

 保存箱の中が湿った日時を聞かれて、首をひねる冒険者がいる。


 誰もが真面目に書いたわけではない。


『なんか湿っていた』

『だいたい第三層』

『覚えていない』

『帰ったら直った』


 そういう雑な記録もあった。


 リーネはそれらを、無表情で差し戻した。


「もう少し詳しく」


「これ以上は覚えてないって」


「では、不明と書く欄があります。空欄にしないでください」


「厳しい……」


「必要です」


 その一言で終わりだった。


 昼前になる頃、受付机には十数枚の湿気記録表が積まれていた。


 リーネはそれを一枚ずつ確認し、場所ごとに分けていく。


 水路沿い。

 地下水の滴る通路。

 第三層中央広場。

 古い採石跡。

 乾いた北回廊。

 石扉前。


 そこで、彼女の手が止まった。


「石扉前……」


 もう一枚。


『第三層、北東寄り。古い石扉の前。水路から遠い。魔力灯が内側から曇った。乾かすと戻ったが、翌日また曇った』


 さらに一枚。


『第三層、地図外れの石扉近く。方位石の針が遅れた。水音なし。壁が冷たかった』


 別の紙にも、似た記載があった。


『古い扉のある袋小路。保存箱の外側が湿った。水は見えない。空気が重い』


 リーネは眉をひそめた。


 第三層の水路沿いなら分かる。

 湿気が多い場所で、魔力灯が曇る。

 方位石の袋が湿る。

 保存箱の外側に水気がつく。


 それは自然だ。


 しかし、記録が集まり始めた場所は、水路沿いではなかった。


 古い石扉の周辺。


 それも、組合の現行地図では細く描かれているだけの行き止まりに近い通路だ。


 リーネは地図棚から第三層の写しを取り出した。


 広げる。


 水路は南側。

 採石跡は西側。

 北回廊は、比較的乾いている通路として記録されている。


 その北回廊の奥に、小さな印があった。


『古扉。開閉不可。調査済み』


 古い記録では、そう書かれている。


 だが、リーネが見た湿気記録表の中には、こう書かれていた。


『古い石扉。表面に水滴のような模様あり。前より壁が湿っている気がする』


 水滴のような模様。


 リーネは、その言葉を赤い線で囲んだ。


 午後、《白狼の剣》が組合へ戻ってきた。


 第三層からの短い潜行を終えたばかりだった。


 ダリオは入口で槍袋を外し、まず布の外側を確認した。

 泥はついていない。

 だが、袋の底に少し湿りがあった。


「うわ」


 彼は顔をしかめた。


「水路、通ってないのに」


 セシアが外套を脱ぎながら振り返る。


「槍袋?」


「ああ。底が湿ってる。壁にぶつけたかと思ったけど、違うな。空気で湿った感じだ」


 レオルも剣帯の金具を確認した。


 指先に、うっすら曇りがつく。


 彼は黙って眉を寄せた。


「レオル?」


 セシアが声をかける。


「金具が曇っている」


「剣帯の?」


「ああ」


 レオルは剣そのものではなく、剣帯の留め具を見ていた。

 以前なら見過ごしたかもしれない場所だ。


 セシアは自分の魔力灯を取り出した。

 布袋に入れていたため、外側は乾いている。


 しかし、留め金の内側に、薄い曇りがあった。


「私の魔力灯も少し曇っているわ」


 ダリオが顔を上げた。


「水路は避けたよな?」


「避けたわ」


「じゃあ、どこだ?」


 リーネが受付机から声をかけた。


「第三層湿気記録表に記入してください」


 ダリオが少しだけ嫌そうな顔をした。


「帰ってすぐ?」


「帰ってすぐです。覚えているうちに」


「ですよね」


 三人は受付机の前に並んだ。


 リーネはそれぞれに記録表を渡す。


 セシアは丁寧に書いた。

 使用場所。

 時刻。

 曇り方。

 水路からの距離。

 乾燥後に戻るかは、これから確認。


 ダリオは最初、簡単に済ませようとしたが、リーネの視線に負けて書き直した。


『北回廊奥。古い石扉の手前。水路なし。槍袋の底だけ湿った。壁に水は見えない。空気が冷たい。』


 レオルは短く書いた。


『北回廊奥、古扉前。剣帯金具に曇り。外気湿度高。水音なし。扉表面に古い紋あり。』


 リーネはその一文で顔を上げた。


「扉表面の紋とは?」


 レオルは少し考えた。


「削れていた。はっきりは見えない」


「形は?」


「水滴のようなものと、輪のようなもの」


 セシアが補足する。


「歯車にも見えました。古くて欠けていたので、断定はできません」


 リーネの手が止まった。


 水滴。

 輪。

 歯車。


 それは、ただの装飾かもしれない。

 古い迷宮の印かもしれない。


 だが、リーネはリント村修理工房からの報告を思い出した。


 水守の印。

 水滴。

 歯車。

 輪。


 もちろん、同じものだと決めつけるには早い。

 けれど、見過ごすには似すぎている。


「その扉は、現行地図では開閉不可、調査済みとされています」


 リーネが言う。


 セシアは眉を寄せた。


「ですが、周囲の空気は明らかに変わっていました。以前より湿っています」


「いつ頃から変化したと思いますか?」


「私たちが気づいたのは今日です。ただ、魔力灯の曇り相談が増えた時期と重なるなら、半月ほど前からかもしれません」


 ダリオが槍袋を広げながら言った。


「壁から水が出てるわけじゃないんだよな。なのに、袋の底が湿る。変な感じだった」


 レオルは静かに続けた。


「扉の前に立つと、金具が冷える。水の音はないが、空気だけが湿っている」


 リーネは三人の記録表を受け取った。


「組合の迷宮記録係へ共有します」


「リント村にも送るの?」


 ダリオが聞いた。


「送ります」


 リーネは即答した。


「第三層湿気記録表は、リント村修理工房からの提案です。道具の不調と場所の記録を照合するため、写しを送ります」


 セシアは静かに頷いた。


「エイルなら、道具の音から何か分かるかもしれない」


 その言葉に、レオルは何も言わなかった。


 ただ、剣帯の曇った金具を布で拭いた。


 ダリオも槍袋を開き、底を乾かし始める。


「濡れたまましまうな、だよな」


「ええ」


 セシアは魔力灯の留め金を確認した。


「強く光らせる前に確認」


 レオルは剣帯を見たまま、低く言った。


「金具が曇ったら、拭く。放置しない」


 三人とも、もう点検表の言葉を笑わなかった。


 その夕方、組合の小会議室に、湿気記録表が並べられた。


 リーネ。

 迷宮記録係の老職員。

 魔道具係。

 そして、希望して残ったセシアが同席している。


 テーブルの上には第三層の地図。


 リーネは記録表を場所ごとに置いた。


 水路沿い。

 採石跡。

 中央広場。

 北回廊。

 古扉前。


 紙の枚数を数える。


「水路沿いの不調は、以前からある範囲です。ですが、ここ半月で増えた報告は、北回廊奥、古扉前に集中しています」


 迷宮記録係の老職員が地図を覗き込む。


「古扉前? あそこは乾いた行き止まりだろう」


「現行地図ではそうです」


「昔から開かない扉だ。調査済みの印もある」


 リーネは古い地図も広げた。


 紙は黄ばんでいる。

 線も薄い。


 そこには、現行地図とは少し違う形で第三層が描かれていた。


 北回廊の奥。

 古扉の先に、細い線が一本だけ伸びている。


 その線は途中で途切れていた。


「これは?」


 セシアが聞く。


 老職員は目を細めた。


「古い写しだな。今は使われていない。扉の先に水抜き通路があるという説があったが、扉が開かず、確認できなかった」


「水抜き通路……」


 リーネはその言葉を書き留めた。


 魔道具係が腕を組む。


「もし扉の向こうに古い水路か水抜き通路があり、そこに湿気が溜まっているなら、扉の隙間から空気だけが漏れている可能性があります」


「しかし、扉は閉じている」


 老職員が言う。


「完全に閉じていないのかもしれません」


 セシアは静かに言った。


「表面の紋の一部が湿っていました。水滴の模様の周りだけ、色が濃かった」


 リーネはまた筆を止めた。


「水滴の模様の周りだけ?」


「はい。歯車のような輪の部分は乾いていたように見えます。水滴の下に細い筋がありました」


 魔道具係が地図を見つめる。


「結界封鎖ではなく、水路機構の封印かもしれませんね」


「開けられるのか?」


 老職員が聞く。


「分かりません。ですが、無理に開けるべきではありません」


 リーネの声が強くなった。


「出所不明の箱と同じです。用途不明の古い扉を、好奇心で開けてはいけません」


 セシアは頷いた。


「同意します」


 リーネは湿気記録表の束を揃えた。


「まずは記録を送ります。リント村修理工房へ、現時点の情報を共有します」


 魔道具係が少し驚いた顔をした。


「工房に?」


「はい。道具の不調から傾向を見ると言っていました。現地調査の前に、記録と持ち帰った道具の音を確認するそうです」


 老職員は少し笑った。


「面白い工房だな。迷宮へ来ずに、迷宮の湿りを聞こうというのか」


 リーネは真面目に答えた。


「少なくとも、記録を取らずに騒ぐよりは有効です」


 老職員は笑うのをやめ、頷いた。


「それはそうだ」


 夜になる前に、リーネはリント村修理工房へ送る封書を書いた。


『リント村修理工房 御中』


 本文には、記録表の写しをまとめた。


『第三層湿気記録表を回収したところ、不調報告の一部が北回廊奥の古い石扉周辺に集中していることが分かりました。

 当該地点は水路沿いではなく、現行地図では乾いた行き止まりとされています。

 しかし、魔力灯の曇り、方位石の針戻り不良、槍袋や剣帯金具の湿りが複数報告されています。


 古い地図には、石扉の先に水抜き通路と思われる細線が記載されています。

 現在、扉は開閉不可、調査済み扱いですが、周囲の湿度変化が報告されています。


 扉表面には、水滴、輪、歯車に似た削れた紋があるとの報告があります。

 無理な開扉は行いません。

 まずは記録の共有を行います。』


 リーネはそこまで書いてから、別紙を添えた。


『添付。

 湿気記録表写し。

 第三層現行地図写し。

 旧第三層地図写し。

 《白狼の剣》三名の記録写し。』


 さらに、短く追記する。


『ポロさんの掲示絵は、写し希望が増えています。

 大きい版が届けば、掲示板横へ追加します。』


 封を閉じる前に、リーネは少しだけ手を止めた。


 水滴。

 輪。

 歯車。


 ただの偶然なら、それでいい。


 だが、もしリント村の古い水守の印と何か関係があるなら。


 彼女は余計な推測は書かなかった。

 記録に必要なのは、今分かっていることだ。


 推測は推測として、後で扱えばいい。


 封を閉じる。


 その外で、組合の掲示板横には、まだ絵入り点検表の木箱が置かれていた。


 帰り際の冒険者たちが、一人、また一人と自分の道具を確かめていく。


 魔力灯の曇り。

 袋の湿り。

 金具の曇り。

 札の焦げ。


 小さな不調を、面倒だと笑わず見る者が少しずつ増えている。


 リント村修理工房が送った紙は、アルバで記録になり始めていた。


 そして、その記録の先に、昔の地図にしか残っていない湿った扉が浮かび上がろうとしていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、アルバ冒険者組合側で「第三層湿気記録表」が使われ始める回でした。


最初は面倒がられていた記録ですが、集めてみると不調の多くが水路沿いではなく、北回廊奥の古い石扉周辺に集まっていることが見えてきます。


《白狼の剣》も調査帰りに記録へ協力しました。

ダリオの槍袋、セシアの魔力灯、レオルの剣帯金具。

点検表で身についた確認の癖が、迷宮の異変を見つけるきっかけになっています。


そして、古い石扉には水滴、輪、歯車に似た紋があるという報告が出ました。


次回は、この記録がリント村修理工房へ届きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。