第44話 増えすぎる相談
アルバ冒険者組合からの封書が届いたのは、保存箱を返した翌々日の昼だった。
工房の前では、ポロが大きな紙を広げていた。
リーネさんからの助言を受けて、掲示用の絵を描き直しているのだ。
遠くからでも見やすいように、線は太く。
ばつ印は大きく。
丸印ははっきり。
魔力灯を強く光らせようとする手。
同じ袋に入った方位石と魔力石。
縄で縛られた保存箱。
焦げた結界札。
ぎゅっと握られた携帯結界灯。
その横に、ポロは一生懸命、太い文字を書いていた。
『まず見る』
『むりに使わない』
『あぶないものは、持ちこまない』
『順番に、ひとつずつ』
最後の文字は少し曲がっていたが、遠目にもよく分かった。
「大きく描くの、難しい」
ポロが筆を持ったまま言う。
「小さい絵より、ごまかせない」
ミラが横から覗き込む。
「分かりやすいです。アルバの掲示板に置くなら、このくらい大きい方がいいですね」
「本当?」
「はい」
ポロは嬉しそうに笑った。
その時、行商人の馬車が村道を上がってきた。
荷台の端に、アルバ冒険者組合の封書が見える。
俺は工房の扉の前で足を止めた。
アルバからの報告。
点検表がどう使われたのか。
次の相談希望があるのか。
第三層の湿気の話がどうなったのか。
気になることはいくつもあった。
けれど、ミラは封書を受け取ってすぐには開けなかった。
「先に、昼の井戸を確認しましょう」
そう言った。
俺は一瞬驚いてから、頷いた。
「はい」
ポロも筆を置く。
「封書より井戸?」
「はい」
ミラは静かに答えた。
「アルバからの相談が増えても、井戸の札は待ってくれません」
その言葉に、胸の奥が少し落ち着いた。
俺たちは広場の井戸へ向かった。
井戸札は『使用できます』。
水は澄んでいる。
ハンナさんが白い器で濁りを見て、頷いた。
「昨日と変わらないね。料理にも使える」
俺は井戸の縁へ手を置いた。
さら。
りん。
水脈石の音も安定している。
「井戸、異常なしです」
ミラが記録する。
「アルバ封書到着日。昼の井戸、安定」
次に水車小屋へ向かう。
影車に細い水を通す。
こ、と。
北の結界石が応える。
りん。
水車本体も少しだけ回す。
こ、とん。
こ、とん。
軸の音は良い。
挽き石は、明日の朝に少し動かす予定だ。
「水車、影車、北結界石、異常なし」
ミラが記録する。
ガンツさんが水車の軸を見ながら言った。
「外から紙が来ても、こっちはこっちで減らん」
「はい」
俺は頷いた。
工房へ戻ってから、ようやく封書を開けた。
ミラが中の報告書を取り出す。
紙は一枚ではなかった。
三枚。
いや、折り込まれた小さな紙を入れると、もっとある。
ミラの眉が、読み始めてすぐに少し動いた。
「点検表の写し希望が、かなり出ています」
ポロが顔を上げる。
「僕の絵?」
「はい。魔力灯用、方位石用、保存箱用、携帯結界灯用。結界札注意表も閲覧が多いそうです」
ポロの顔が明るくなる。
「アルバの人、見てくれた?」
「見てくれています」
ミラはそう言ったが、すぐに表情を引き締めた。
「それから、次回相談希望も増えています」
工房の中が少し静かになった。
ガンツさんが腕を組む。
「何件だ」
「組合側でまだ絞り込む前ですが、相談希望だけなら十二件」
「多い」
即答だった。
ポロが目を丸くする。
「十二件って、五件より多い」
「倍以上です」
ミラは報告書を机に置いた。
「内容は、魔力灯、方位石、保存箱、結界灯、魔力靴、湿気を吸った薬草箱、曇る鏡石、鳴る結界杭などです」
知らない道具の名前も混じっていた。
魔力靴。
鏡石。
結界杭。
聞いたことはあるが、触ったことは少ない。
俺は無意識に手を握っていた。
役に立てるかもしれない。
そう思った。
同時に、耳の奥が前の相談日の疲れを思い出した。
五件で、かなり集中した。
その翌日は無理をしない手順が必要になった。
十二件など、受けられるはずがない。
でも、困っている人がいる。
その二つが胸の中でぶつかった。
ミラが俺を見た。
「エイルさん」
「はい」
「十二件は受けません」
はっきりした声だった。
俺は息を吐いた。
「……はい」
少しだけ、安心した。
ガンツさんも頷く。
「受けるな。工房が壊れる」
ハンナさんが水差しを置きながら言う。
「工房が壊れたら、村の井戸も水車も困るよ。外の道具を見て、村の粉が挽けなくなったら本末転倒だね」
「はい」
ミラは新しい紙を広げた。
『外部相談 受付条件改定案』
その文字を見て、ポロが首を傾げる。
「改定?」
「決まりを少し変えることです」
「受けすぎない決まり?」
「そうです」
ポロはすぐに紙を持ってきた。
『うけすぎない』
太い字で書く。
ガンツさんがそれを見て、短く言った。
「それも貼れ」
ミラは苦笑しながらも頷いた。
「分かりやすいですね」
条件を一つずつ考えることになった。
ミラが筆を持つ。
「まず、通常相談の件数です。初回は五件でしたが、毎回五件は多いでしょうか」
俺は少し考えた。
「内容によります。魔力灯や方位石のように危険性が低く、診断で終わるものなら五件でも何とか。ただ、保存箱のように預かりになるものや、結界札のような危険確認があると、五件は重いです」
ガンツさんが言う。
「通常は三件。安全と分かるものだけなら五件まで」
ミラが書く。
一、通常相談は三件まで。
二、安全性が高く、簡易診断中心の場合のみ五件まで。
「危険品がある場合は?」
「その日は三件以下。結界札、結界杭、熱を持つもの、用途不明のものは、組合一次確認後でも慎重にする」
ミラが書く。
三、危険確認品が含まれる日は三件以下。
四、用途不明品、出所不明品は受け付けない。
五、熱、焦げ、煙、異臭、勝手に起動する品は工房内に入れない。
ハンナさんが加える。
「食料や水に関わるものは、時間がかかるよ。保存箱、薬草箱、水袋、粉袋。匂いと湿気は一日で終わらないことが多い」
ミラが書く。
六、食料、水、薬草に関わる品は、返却まで時間がかかる可能性を事前説明する。
俺も言った。
「預かり品が残っている時は、新しい外部相談を減らした方がいいです」
「はい」
ミラが書く。
七、預かり品が残っている場合、新規外部相談は減らす。
八、預かり棚が二つ埋まっている日は、新規受付しない。
ポロが驚いた顔をする。
「預かり棚、二つでいっぱい?」
「物の数ではなく、見続ける手間が増えます」
ミラが説明した。
「棚に置けば終わりではありません。湿気を見たり、匂いを確認したり、返却書を書いたりします」
「そっか。置くだけじゃない」
「はい」
ポロはまた書いた。
『あずかるだけじゃない』
ハンナさんが頷く。
「それも大事だね」
次に、村の修理予定との重なりを決めた。
ミラは村の予定表を出した。
井戸の水脈石清掃。
水車の挽き石確認。
影車の金具点検。
畑道具の修理。
防護鐘の月点検。
粉挽きの日。
こうして見ると、村の仕事も少なくない。
「粉挽き前日と当日は、外部相談を入れません」
ハンナさんがきっぱり言った。
「粉が必要な日は、村の方が大事だよ」
「はい」
ミラが書く。
九、粉挽き前日と当日は外部相談なし。
ガンツさんが続ける。
「防護鐘の点検日も駄目だ。鐘を後回しにするな」
十、防護鐘点検日は外部相談なし。
俺も考える。
「井戸の清掃日と、その翌朝も避けたいです。水の味見と記録が必要です」
十一、井戸清掃日と翌朝は外部相談なし。
ミラは書いた条件を読み返した。
紙の上には、受けるための条件より、受けないための条件が増えている。
それでいい。
工房を守るための条件だ。
ポロが紙を見て言った。
「いっぱい断る」
ミラは少し考えてから答えた。
「断るためではなく、続けるためです」
「続けるために、断る?」
「はい」
ポロはしばらく黙って、それから新しい紙に大きく書いた。
『つづけるために、ことわる』
工房の中が静かになった。
ガンツさんがそれを見て、低く言った。
「いい」
ハンナさんも頷いた。
「いいね」
俺はその文字を見ながら、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。
続けるために、断る。
昔の俺には、できなかったことだ。
求められれば全部やろうとした。
役に立てないと思われるのが怖くて、無理を飲み込んだ。
でも今は、違う。
俺だけではなく、工房として断れる。
それは冷たいことではない。
続けるための形だ。
ミラは報告書の続きを読んだ。
「第三層の湿気増加についても、記載があります」
セシアさんたち《白狼の剣》も、次の潜行で確認するらしい。
乾いていたはずの通路でも湿気が増えているという報告。
魔力灯の曇り。
方位石の戻り不良。
薬草箱の湿気。
結界灯の鳴り。
全部が同じ原因とは限らない。
けれど、無関係とも言い切れなかった。
「湿気の相談は、受けた方がいい?」
ポロが聞く。
俺はすぐには答えられなかった。
第三層の環境が変わっているなら、道具の音から分かることがあるかもしれない。
リント村修理工房が役に立てるかもしれない。
でも、すぐに迷宮へ行く話ではない。
俺はゆっくり言った。
「まず、記録を集めたいです」
ミラが顔を上げる。
「道具の記録ですか?」
「はい。どの階層で使ったのか。水路沿いか、そうでないか。湿気が出た日。魔力灯なら曇り方。方位石なら針の戻り。保存箱なら匂いと湿気。そういう記録を見れば、何か分かるかもしれません」
ガンツさんが頷く。
「道具を見ずに迷宮へ行くな。まず持ち帰った音を聞け」
「はい」
ミラは新しい項目を書いた。
『第三層湿気記録表』
一、使用階層。
二、使用場所。
三、水路の近くか。
四、湿気を感じた日時。
五、道具の種類。
六、不調の内容。
七、乾燥後に改善したか。
八、同じ場所で複数の不調があるか。
ポロが聞く。
「湿気の地図?」
「そうですね」
ミラが答える。
「道具の不調から、湿気の場所を探す地図です」
「じゃあ、絵いる?」
「必要です」
ポロの目が少し輝いた。
大きな掲示絵の次は、湿気記録表の絵。
彼の仕事も増えている。
ミラはすぐに釘を刺した。
「ただし、今日は全部描かなくていいです」
「休むのも仕事?」
「はい」
ポロは少しだけ残念そうに頷いた。
アルバへの返答を書くことになった。
ミラは紙を整え、筆を持つ。
『アルバ冒険者組合 リーネ様』
そこから始まる返答は、いつもより長くなった。
点検表の写し希望への礼。
ポロの掲示用絵を大きく描き直すこと。
次回相談希望が増えていることへの対応。
受け入れ条件の改定。
第三層湿気記録表の提案。
ミラは一文ずつ、皆へ確認しながら書いた。
『次回外部相談は、通常三件までとします。
安全性が高く簡易診断中心の場合のみ、最大五件まで相談可能です。
危険確認品が含まれる場合は三件以下とします。
用途不明品、出所不明品、煙、焦げ、発熱、異臭、勝手に起動する品は工房内に入れません。
預かり品が残っている場合、新規相談数を減らします。
粉挽き前日と当日、防護鐘点検日、井戸清掃日と翌朝は外部相談を受けません。
相談日の翌日は、預かり品確認と村点検を優先します。』
ミラはそこで筆を止めた。
「厳しすぎますか?」
誰もすぐには答えなかった。
条件は多い。
断る日も多い。
アルバ側からすれば、不便だろう。
でも、これがなければ続かない。
俺は言った。
「必要です」
ガンツさんも頷く。
「足りないくらいだ」
ハンナさんも言う。
「村の暮らしを守るなら、このくらいでいいよ」
ポロが小さく言う。
「つづけるために、ことわる」
ミラは頷き、その言葉を返答の最後に入れようとして、少し考えてやめた。
代わりにこう書いた。
『継続して対応するため、上記条件を守ります。』
工房の返答としては、その方がよかった。
次に、第三層湿気記録表について書く。
『第三層の湿気増加について、当工房では現地調査をすぐに行うことはできません。
まずは、持ち帰られた道具の不調記録から傾向を確認したいと考えます。
組合側で、使用階層、使用場所、水路との距離、不調内容、乾燥後の改善有無を記録いただければ、次回相談時に道具の音と合わせて確認します。』
俺はその文を見て、少し安心した。
すぐに行くのではない。
まず聞く。
まず記録する。
まず持ち帰られた音を見る。
それが、今の俺たちにできることだ。
ポロはその横で、大きな掲示絵を乾かしている。
絵の下には、太い字が並んでいた。
『うけすぎない』
『つづけるために、ことわる』
『村の音が先』
最後の一文を見て、ミラが少し困った顔をした。
「それはアルバ掲示用ではなく、工房用ですね」
「じゃあ、工房に貼る」
「そうしましょう」
工房の入口近くに、その紙を貼る場所が決まった。
夕方、返答文が書き上がった。
明日の行商人に託す予定だ。
その前に、俺たちはもう一度、井戸と水車を見に行った。
井戸。
さら。
りん。
水車小屋。
こ、と。
影車。
りん。
北の結界石。
こ、とん。
水車本体。
村の音は、今日も整っていた。
「アルバから相談が十二件来ても、井戸は一つです」
ミラが言った。
「水車も一つ。影車も一つ。防護鐘も一つ」
ハンナさんが続ける。
「粉を待ってる人もいるし、水を汲む人もいる」
ガンツさんが軸を見ながら言う。
「だから、外の数に引っ張られるな」
俺は頷いた。
「はい」
ポロが水車を見上げて、少し誇らしげに言った。
「村の音が先」
「はい」
その言葉は、工房の壁に貼られることになった。
夜、工房の看板が鳴る。
からん。
井戸の札が鳴る。
から。
影車が鳴る。
こ、と。
机の上には、アルバへの返答文。
大きく描き直された点検表。
第三層湿気記録表の下書き。
外部相談の新しい受付条件。
仕事は増えている。
でも、流されてはいない。
俺は壁に貼られたポロの文字を見た。
『村の音が先』
その下に、ミラの丁寧な文字で小さく添えられている。
『続けるために、条件を守る。』
それは、今日の工房の答えだった。
増えた相談を、全部受けることはできない。
でも、聞ける音を、続けて聞くことはできる。
そのために、俺たちは断る線を引いた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、アルバで評判が広がったことで、相談希望が増えすぎる回でした。
点検表が使われるのは嬉しいことです。
けれど、リント村修理工房は村の井戸、水車、影車、防護鐘、日々の道具を守る工房でもあります。
そのため、外部相談の条件を改定しました。
・通常相談は三件まで
・安全性が高い簡易診断のみ五件まで
・危険確認品がある日は三件以下
・預かり品が残っている日は新規相談を減らす
・粉挽き、防護鐘、井戸清掃の日は外部相談なし
・相談日翌日は無理をしない
「続けるために断る」ことを、工房として選ぶ回になりました。
次回は、第三層の湿気記録表をもとに、アルバ側の不調情報が少しずつ集まり始めます。




