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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第42話 保存箱を返す条件

 翌朝、保存箱の音は少し軽くなっていた。


 左下の内張りを外し、匂い吸い布を二度入れ替え、夜の間も風を通しておいた。

 そのおかげか、蓋を動かしても、昨日のような重い匂いは戻ってこない。


 薬草と脂の混じった鈍い気配は、まだ完全には消えていない。

 けれど、箱の奥に閉じ込められていたものは、かなり外へ抜けていた。


 俺は保存箱の左下に耳を近づけた。


 こ。

 ……り。


 昨日の、もわ、と沈むような音は薄い。

 下角に残っていた湿気も、かなり乾いている。


「下角、乾いてきています」


 ミラがすぐに帳面を開いた。


「保存箱、返却延期翌朝。左下角、湿気音軽減」


 ハンナさんが鼻を近づけ、少しだけ息を吸った。


「まだ少し薬草の匂いはあるね。でも、食料へ移るほどじゃない。新しい内張りに替えて、仕切りを入れれば戻せると思う」


 ガンツさんは新しい内張り用の薄板を手に取った。


「では合わせる」


 板は昨日選んだものだ。

 匂いが強すぎず、乾きも良く、冷気を受けても濁った音を返さない。


 ガンツさんは箱の左下へ板を当てた。


 こ。


 少し高い。


「上が当たっています」


 俺が言うと、ガンツさんは頷き、鉋でほんの少しだけ削った。


 しゃっ。


 薄い木くずが落ちる。


 もう一度合わせる。


 こ。

 ……り。


「下は合いました。右端が少し浮いています」


「そこは削らん。受けの方を直す」


 ガンツさんは箱側の小さな受け木を調整した。

 内張りだけを削りすぎると、冷気の通り道に隙間ができるからだ。


 俺はその音を聞きながら頷いた。


「今ので合います」


 板が左下に収まる。


 かち。


 きつく押し込んだ音ではない。

 自然に入った音だ。


 ポロが横で見ていて、小さく言った。


「押し込んでない」


「押し込んでいません」


 ミラが記録する。


「新内張り、左下へ調整。削りすぎず、受け木を合わせる。押し込みなし」


 ハンナさんは保存箱の中へ、乾いた布を敷いた。

 食料を直接置くためではない。

 匂い確認用の布だ。


「少し時間を置いて、この布に匂いが移るか見るよ」


「どれくらいですか?」


「朝のうちに一度。昼前にもう一度。急いで返さない」


 ミラが頷く。


「匂い確認布。朝、昼前の二回確認」


 ガンツさんは魔冷石の固定具を戻し始めた。


 昨日、荷物を押し込まれたことで、固定具は右奥へ少しずれていた。

 このままでは冷気が箱全体に回らず、片側だけ冷える。


 金具を外し、位置を戻し、留め直す。


 かち。

 ……かち。


「固定具、戻した」


 俺は魔冷石を置く前の音を聞いた。


 こ。

 り。


 冷気の通り道は、悪くない。


「大丈夫です」


 魔冷石を布の上から戻す。


 しん。


 冷たい石の音が箱の底へ落ちる。


 しゅ。

 ……り。


 冷気が左下まで回り始めた。


 昨日のように右奥だけへ偏る音ではない。


「冷気、回っています」


 ミラが記録する。


「魔冷石固定具再調整。冷気の偏り改善」


 ハンナさんは、仕切り布を用意していた。


 食料用。

 薬草用。

 湿ったものを入れないための予備布。


 ただし、湿ったものを包んで戻すための布ではない。

 濡れたものは、まず外で乾かす。

 それでも一時的に分ける必要がある場合だけ使う布だ。


「ボルドさんには、ここを間違えないように言わないとね」


 ハンナさんが言う。


「予備布があるから濡れたものを入れていい、じゃない。濡れたものは入れない。どうしても一時的に分けるための布だよ」


 ポロが眉を寄せた。


「難しい」


「難しいね」


「じゃあ、絵にする」


 ポロは紙に、保存箱の中を描き始めた。


 左に食料。

 右に薬草。

 真ん中に仕切り。

 濡れた布を入れようとする手に大きなばつ印。


『ぬれたものは、いれない』

『どうしてもなら、あとでぜったい出す』


 ミラが見て、少し考えた。


「『どうしてもなら』は、使い方が広くなりすぎますね」


 ハンナさんも頷く。


「そうだね。ボルドさんは都合よく読むかもしれない」


 ポロは書き直した。


『ぬれたものは、いれない』

『いれたら、その日じゅうに出してかわかす』


「それならいいでしょう」


 ミラが言った。


 昼前、匂い確認布を取り出した。


 ハンナさんが匂いを確かめる。


「うん。少し木の匂いが移っているくらいだね。薬草の重い匂いはほとんどない」


 俺も音を聞く。


 こ。

 りん。


 保存箱の中に、冷気が静かに回っている。

 左下の新しい内張りも、箱の音に馴染み始めていた。


「返せる状態だと思います」


 そう言うと、ミラは顔を上げた。


「条件つきで、ですね」


「はい。条件つきです」


 ミラは返却用の紙を用意した。


『保存箱 返却時診断書』


 一、預かり時の状態。

 蓋の歪み。

 右留め金の曲がり。

 魔冷石固定具のずれ。

 内部湿気。

 薬草、干し肉、湿った布による匂い移り。

 縄で縛った跡あり。


 二、追加確認。

 左下内張り裏に湿気、薬草粉、脂の付着。

 食料用として返却不可と判断し、返却延期。

 左下内張り一部交換。

 下角乾燥。

 匂い確認実施。


 三、処置内容。

 蓋と留め金の仮調整。

 魔冷石固定具の再調整。

 左下内張り交換。

 内部乾燥。

 匂い抜き。

 仕切り布追加。

 保存箱用絵入り使用表作成。


 四、返却条件。

 食料と薬草を仕切る。

 湿った布を入れっぱなしにしない。

 蓋を押し込まない。

 縄で縛って閉めない。

 匂いが戻ったら使用を止める。

 冷えが片寄ったら再診断。

 使用後は蓋を開けて風を通す。

 箱も休ませる。


 最後の一文を見て、ポロが頷いた。


「箱も休ませる」


「はい。これは残します」


 ミラはその文字を少し太くした。


 午後、ボルドさんがリント村へやって来た。


 リーネさんも同行している。

 返却延期の知らせを受けて、組合側の確認として来たらしい。


 ボルドさんは工房へ入るなり、保存箱へ目を向けた。


「箱は……」


 言いかけて、すぐに口を閉じる。


 昨日の彼なら、「もう返せるか」と聞いたかもしれない。

 でも今日は、少し違った。


「状態を聞かせてくれ」


 ミラが受付机の前に立つ。


「保存箱の返却説明を行います。説明後、状態を確認し、条件に同意いただける場合のみ返却します」


「条件か」


「はい」


 ボルドさんは大きく頷いた。


「聞く」


 ミラは診断書を読み上げた。


 蓋の歪み。

 留め金の曲がり。

 魔冷石固定具のずれ。

 湿気。

 匂い移り。

 左下内張り裏の汚れ。

 返却延期の理由。

 内張り交換。

 仕切り布。

 返却条件。


 ボルドさんは黙って聞いていた。

 ときどき顔をしかめたが、口を挟まなかった。


 ハンナさんが布に包んだ古い内張りを出した。


「これが外した内張りだよ。匂いが移るから、開けるのは少しだけだよ」


 布を少し開く。


 ボルドさんは鼻を近づけ、すぐに顔を引いた。


「……これは駄目だ」


「食料用には戻せない」


 ハンナさんははっきり言った。


「干し肉も粉も、この匂いを吸う。薬草も傷む。冷えていても、これでは保存箱としては駄目だよ」


 ボルドさんは保存箱を見た。


「俺、こんな中に食料を入れてたのか」


「はい」


 ミラが静かに答えた。


 ボルドさんは大きな手で顔をこすった。


「悪かったな、箱」


 また、保存箱へ向かって謝った。


 ポロが小さく言う。


「箱、今日は中の服替えた」


「中の服?」


「内張り」


「ああ」


 ボルドさんは少し笑った。


「そうか。着替えさせてもらったのか」


 ポロは真剣に頷いた。


「でも、また濡れた布入れたらだめ」


「入れない」


「食べ物と薬草、混ぜたらだめ」


「仕切る」


「押して閉めたらだめ」


「押さない」


「縄でぎゅうぎゅうもだめ」


「やらない」


 ポロは絵入り使用表を差し出した。


「これ、見る」


 ボルドさんは両手で受け取った。


 大きな手に、ポロの絵入りの紙は少し小さく見えた。


 彼は一つずつ読んでいく。


『おしてしめない』

『なわでぎゅうぎゅうにしない』

『ぬれたぬのをいれない』

『たべものとくすりは、しきる』

『においがしたら、まずかぜをとおす』

『しまっても、ひえても、においをみる』

『はこも、やすませる』


 ボルドさんは最後の一文で止まった。


「箱も、休ませる」


 それから、深く息を吐いた。


「俺も覚える」


 ミラが返却条件を確認する。


「食料と薬草を仕切ること」


「守る」


「湿った布を入れっぱなしにしないこと」


「守る」


「蓋を押し込まないこと」


「守る」


「縄で縛って閉めないこと」


「守る」


「匂いが戻った場合、食料用として使わず、風を通して再診断すること」


「守る」


「冷えが片寄った場合、魔冷石固定具を自分で動かさず、再診断すること」


「守る」


「使用後は蓋を開け、風を通すこと」


「守る」


「箱も休ませること」


 ボルドさんは保存箱を見て、ゆっくり言った。


「守る」


 ミラは書類を差し出した。


「では、返却条件に同意の署名をお願いします」


 ボルドさんは署名した。


 大きな文字だった。

 少し曲がっていたが、力強い字だった。


 ガンツさんが保存箱の蓋を見せる。


「閉めるぞ。見ていろ」


 蓋を下ろす。


 こ。


 無理なく閉まる。

 縄はいらない。

 押し込む必要もない。


 留め金をかける。


 かち。


 軽い音がした。


 ボルドさんの目が少し丸くなる。


「こんな音だったのか」


「本来はな」


 ガンツさんが言う。


「重い音がしたら、どこか無理をしている」


 俺は保存箱の横に耳を近づけた。


 しゅ。

 ……りん。


 冷気は箱全体へ回っている。

 左下の新しい内張りにも、無理な反発はない。


「冷気、回っています。蓋も安定しています」


 ミラが記録する。


「返却前最終確認。蓋閉まり良好。留め金安定。冷気循環良好。匂い戻りなし」


 ハンナさんが仕切り布を中へ入れ、使い方を見せた。


「食料はこっち。薬草はこっち。匂いの強いものは包む。湿った布は入れない。もし入れてしまったら、その日中に出して乾かす」


「分かった」


「干し肉と薬草を同じ仕切りに入れない」


「分かった」


「粉は湿気を吸うから、袋を二重にする」


「分かった」


「分かっただけじゃ駄目だよ」


 ハンナさんが言うと、ボルドさんは真面目な顔で頷いた。


「やる」


「ならいい」


 リーネさんは横で組合用の記録を取っていた。


「保存箱の返却条件、組合にも記録します。食料管理に問題が出た場合、次回迷宮行の準備確認に影響します」


 ボルドさんは少し顔をしかめた。


「そこまで残るのか」


「残します」


 リーネさんは容赦なかった。


「ですが、今回きちんと修理と使用条件を受け入れたことも記録します」


 ボルドさんは少しほっとした顔になった。


「それならいい」


 ポロが不思議そうに聞く。


「いい記録も残る?」


 ミラが答える。


「残ります。悪かったところだけでなく、直したこと、守ると決めたことも記録です」


 ポロは嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、箱もいい記録」


「そうですね」


 保存箱を持ち上げる前に、ボルドさんは両手を布で拭いた。


 昨日までなら、そのまま抱えたかもしれない。

 だが今日は、少し気を使っている。


 彼は保存箱を抱え上げた。


 どすん、ではなく。


 す、と。


 重いものを軽く扱うように、ゆっくり持ち上げた。


「重いな」


 ボルドさんが言う。


「でも、前より変に重くない」


「冷気が片寄っていないからだと思います」


 俺が答える。


「箱全体で重さを受けています」


「そうか」


 ボルドさんは保存箱を見下ろした。


「今度はちゃんと使う」


 その声は、工房に来た時よりずっと静かだった。


 ミラは返却記録を締める。


「三件目、保存箱。返却完了。使用条件あり。内張り一部交換済み。仕切り布、絵入り使用表付き」


 ポロが小さく拍手した。


「保存箱、帰る」


 ハンナさんが笑う。


「今度はちゃんと休ませてもらえるといいね」


 ボルドさんは苦笑した。


「休ませる。俺も少しは休む」


「それも大事」


 ボルドさんが工房を出ると、外の光が保存箱の角に当たった。

 修理した左下の内張りは外からは見えない。

 けれど、箱の音は確かに変わっている。


 見える場所だけが、直った場所ではない。


 リーネさんはミラへ頭を下げた。


「返却条件と説明、確認しました。組合で共有します」


「よろしくお願いします」


「リント村修理工房の点検表は、冒険者たちに必要だと思います。特に、保存箱の使用表は」


 ミラは少し驚いた顔をした。


「保存箱もですか?」


「はい。食料管理は軽く見られがちです。迷宮では、灯りや武器と同じくらい重要です」


 ハンナさんが満足そうに頷いた。


「分かってる人がいてよかったよ」


 リーネさんは真面目に答えた。


「組合でも、今後は保存箱の扱いを注意事項に入れます」


 ポロが目を輝かせた。


「僕の絵、またアルバ?」


「見本としてですが」


「ちゃんと清書する」


 ミラがすぐに言う。


「今日は休んでからです」


「はい」


 工房の中に、少しだけ笑いが広がった。


 これで、初回外部相談の預かり品はすべて返却された。


 魔力灯。

 保存箱。


 方位石と携帯結界灯は返却済み。

 結界札は組合で廃札処理。


 五件すべてに、一つずつ答えを出した。


 けれど、終わったというより、何かが始まったような気もした。


 点検表がアルバへ行く。

 組合の記録に残る。

 冒険者たちの使い方が少し変わる。


 リント村修理工房の音が、外へ渡っていく。


 夕方、俺たちは井戸と水車を確認した。


 井戸札は『使用できます』。


 さら。

 りん。


 水車小屋では、影車が鳴る。


 こ、と。


 北の結界石が応える。


 りん。


 今日は、水車本体も少しだけ回した。


 こ、とん。

 こ、とん。


 無理のない音だった。


「水車、問題ありません」


 ミラが記録する。


「保存箱返却日。井戸、水車、影車、北結界石、異常なし」


 ポロが水車を見上げて言った。


「外の箱、帰った。村の水車も見た」


「はい」


「順番に、ひとつずつ、できた」


 俺は頷いた。


「できました」


 工房へ戻ると、保存箱があった場所は空いていた。


 少し寂しい。

 けれど、それでいい。


 預かった道具は、持ち主のもとへ帰るためにある。


 ミラは今日の最後の記録を書いた。


『保存箱、返却完了。

 返却条件説明済み。

 使用表渡し済み。

 組合記録共有予定。

 初回外部相談の預かり品、すべて処理完了。』


 ポロがその下に、小さな保存箱の絵を描いた。


 蓋はきちんと閉まっている。

 縄はない。

 横には風を通している絵。

 そして、箱の上に小さく書かれていた。


『はこも、やすむ』


 工房の看板が夕風で鳴る。


 からん。


 井戸の札が鳴る。


 から。


 影車が鳴る。


 こ、と。


 返す条件を守ってこそ、道具は安心して帰れる。


 俺はその音を聞きながら、空になった預かり棚を見た。


 またいつか、外から別の音が来るかもしれない。

 けれど今は、村の音が静かに整っている。


 それが、今日の一番の答えだった。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、保存箱の返却回でした。


左下の内張りを交換し、魔冷石固定具を戻し、匂いと冷気の確認を行った上で、ようやく保存箱は返却できる状態になりました。


ただし、条件つきです。


・食料と薬草を仕切る

・湿った布を入れっぱなしにしない

・蓋を押し込まない

・縄で縛って閉めない

・匂いが戻ったら使わない

・使用後は風を通す

・箱も休ませる


「返す」ことは、ただ持ち主へ戻すことではなく、次に壊さない使い方まで渡すこと。

リント村修理工房らしい返却回になりました。

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