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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第41話 保存箱の内張り

 保存箱の匂いは、朝になっても戻っていた。


 工房の窓を開け、風を通し、匂いを吸わせるための乾いた布も入れ替えた。

 それでも、蓋を少し動かすと、奥から重い匂いが出てくる。


 薬草。

 干し肉。

 湿った布。

 冷えきらなかった脂。


 それらが混ざった匂いだ。


 表面に残っているだけなら、昨日の風通しで薄くなる。

 けれど、この匂いは違った。


 箱の奥に潜っている。


「やっぱり内張りだね」


 ハンナさんが言った。


 彼女は保存箱の中を覗き込み、眉を寄せている。


「表面はだいぶましになった。でも、蓋を動かすと戻る。これは木の奥か、内張りの裏に染みてるよ」


 俺は保存箱の左側に耳を近づけた。


 しゅう。

 ……も。

 こ。


 冷気の道が少し曲がっている。

 その奥に、湿ったものが押し込まれたような鈍い音があった。


「左の内張りの裏です」


 俺は答えた。


「昨日の湿った布が当たっていた場所と同じです。匂いだけじゃなく、湿気も残っています」


 ミラが帳面を開いた。


「保存箱内張り確認。左側奥に湿気音、匂い戻りあり」


 ガンツさんは箱の縁を指でなぞった。


「外すなら、一部だけだ。全部外せば戻すのに時間がかかる。冷気の通り道も崩れる」


「一部だけで足りますか?」


「エイルが聞け」


 俺は頷き、保存箱の内側を順に叩いた。


 右側。


 こ。


 奥。


 こん。


 底。


 こ。


 左側。


 も。


 やはり左だけ重い。


「左側だけでいいと思います。ただし、上から半分ではなく、下の角まで見たいです」


「理由は」


「匂いが下へ落ちています。湿った布から染みた水分が、内張りの裏を伝って下角に残っている音です」


 ガンツさんが頷いた。


「なら、左内張りの下半分を外す」


 ポロが保存箱を見つめながら聞いた。


「箱、痛くない?」


「痛くしないために、ゆっくり外します」


 俺が答えると、ポロは真剣に頷いた。


「むりに外さない」


「そうです」


 ポロはすぐに紙へ書いた。


『むりにはがさない』


 ハンナさんが笑う。


「保存箱にも優しくしないとね」


 ガンツさんは細い刃のような工具を取り出した。

 ただし、切るためではない。

 内張りの端を少し浮かせるための薄い道具だ。


「刃は立てない。差し込んで、浮かせるだけだ」


 彼はそう言って、箱の左側に工具を当てた。


 き。


 内張りが小さく鳴った。


 俺はすぐに手を上げる。


「少し強いです」


 ガンツさんは動きを止めた。


「ここか」


「はい。内張りの裏に、湿気で膨らんだ部分があります。そこへ刃が当たっています」


「なら、上からではなく横から入れる」


 工具の角度が変わる。


 か。

 ……こ。


「大丈夫です」


 少しずつ、内張りの端が浮いた。


 ポロは息を止めて見ている。

 ミラは、工具の入れ方まで記録していた。


「左内張り下半分。上から無理に外さず、横から浮かせる。湿気膨らみ部分に刃を当てない」


 ガンツさんは、薄い木片を差し込んで隙間を保った。

 一度に大きく外さず、少し浮かせては音を聞く。


 こ。

 も。

 ……しゅ。


 匂いが出てきた。


 ポロが鼻を押さえる。


「うっ」


「ポロ、少し下がって」


 ハンナさんが声をかける。


「でも見る」


「見るなら、少し離れて」


「はい」


 内張りの裏が見えた。


 そこには、薄い染みが広がっていた。

 黒く腐っているわけではない。

 けれど、湿気を吸った跡が残り、薬草の細かな粉が隙間に入り込んでいる。


 干し肉の脂らしい薄い膜も、木の角に残っていた。


 ハンナさんが険しい顔になる。


「これは、食料用としては駄目だね。このまま返したら、次に入れたものへ匂いが移る」


 ボルドさんに返す前に分かってよかった。


 俺はそう思った。


 見た目だけなら、表面を拭いて終わりにできたかもしれない。

 蓋と留め金を直し、冷気が戻れば、使えるように見えたかもしれない。


 でも、中はまだ食べ物を守れる状態ではなかった。


「内張りの裏に薬草粉、湿気、脂の残り。食料用として返却不可」


 ミラが書く。


 ポロが小さく呟いた。


「閉まっても、冷えても、だめなときある」


「そうだよ」


 ハンナさんが頷いた。


「食べ物を入れる箱は、匂いも大事なんだ」


 ポロは紙に大きく書いた。


『しまっても、ひえても、においをみる』


 ガンツさんが内張りの外した部分を確認する。


「内張り板は、洗えば戻せるか?」


 ハンナさんは首を振った。


「これは食料用には戻したくない。薬草用ならまだしも、干し肉や粉を入れる箱には嫌だね」


「交換だな」


「交換ですか?」


 ミラが聞く。


「ああ。左下だけ新しい内張りに替える。全部ではない。傷んだ部分だけだ」


 俺は箱の音を聞いた。


 内張りを外したことで、左側の鈍い音は少し抜けている。

 ただ、下角の木にも少し湿気が残っていた。


「交換する前に、下角を乾かした方がいいです」


「どれくらいだ」


「今日一日。風を通して、匂いを吸わせる布を入れ替えて、明日の朝にもう一度聞きたいです」


 ボルドさんには二日預かりと伝えてある。

 だが、この状態なら、返却は延びるかもしれない。


 ミラが静かに言った。


「返却予定を変更する可能性がありますね」


「はい」


 俺は頷いた。


「急いで返さない方がいいです」


 ガンツさんも同意した。


「食料箱として返すなら、焦るな」


 ハンナさんが腕を組む。


「ボルドさんには悪いけど、これは延びても説明した方がいいね」


「そうします」


 ミラは新しい紙を取り出した。


『保存箱返却延期理由』


 一、左内張り裏に湿気と匂い残り。

 二、薬草粉と脂の付着あり。

 三、食料用として返却するには不適。

 四、左下内張りの一部交換が必要。

 五、下角の乾燥確認後、交換作業へ進む。


 ポロがそれを見て、小さく頷いた。


「理由があるなら、待てる?」


「待ってもらえるよう、きちんと伝えます」


 ミラが答えた。


 ハンナさんは傷んだ内張り板を別の布の上に置いた。


「これは見本として残しておくといいよ」


「見本?」


「匂いが染みた内張りの見本。食べ物用には戻せないって説明する時、見せた方が早い」


 ミラの目が光った。


「記録見本ですね」


「そう。ただし、匂いが移らないように包んでおくんだよ」


 ポロがまた書く。


『くさい見本は、つつむ』


 ガンツさんが低く言った。


「言い方」


 ポロは慌てて書き直した。


『におい見本は、つつむ』


「それならいい」


 工房の中に、少し笑いが戻った。


 保存箱の下角には、乾いた布を細く丸めて差し込むことになった。

 匂いと湿気を吸わせるためだ。


 ただし、押し込まない。

 風の通り道を塞がない。

 入れた時間を記録し、あとで必ず取り出す。


 ミラが手順を読み上げる。


「匂い吸い布。左下角へ軽く入れる。押し込まない。風の通り道を塞がない。入れた時刻を記録。夕方に交換。翌朝に再確認」


 ポロが横に絵を描く。


 布をぎゅうぎゅうに詰める絵にばつ。

 ふんわり置く絵に丸。


『ぬのをぎゅうぎゅうにしない』


 ハンナさんが頷いた。


「それ、大事」


 ガンツさんは新しい内張り用の薄板を選び始めた。


 保存箱の内張りには、普通の板は使えない。

 冷気を受けても割れにくく、匂いを吸いすぎず、薄くても反りにくいものがいい。


「これは硬すぎる」


 ガンツさんが一本を避ける。


「これは匂いを吸いやすい」


 ハンナさんが別の板を避ける。


 俺も音を聞く。


 こん。

 こ。

 ……り。


 一本だけ、乾いていて、軽すぎず、冷気を受けても響きが濁らなさそうな板があった。


「これが合うと思います」


 ガンツさんが受け取り、叩く。


 こん。


「悪くない」


 ハンナさんが匂いを嗅ぐ。


「木の匂いも強すぎないね。食料用なら、このくらいがいい」


 ミラが記録する。


「交換用内張り候補。匂い少なめ、乾き良好、冷気音に濁りなし」


 ポロが板を見て言った。


「箱の新しい服?」


「内張りです」


「中の服」


 ハンナさんが笑う。


「まあ、そんなものかもしれないね」


 ポロは紙に書いた。


『はこの中のふくは、きれいに』


 ミラは少し考えてから、子ども用手順に入れた。


 昼過ぎ、ボルドさんへ返却延期の知らせを出すことになった。


 本人はアルバへ戻っているため、リーネさん宛ての連絡にする。

 組合を通して伝えてもらう形だ。


 ミラは短い文を書いた。


『保存箱について、内張り裏に湿気、薬草粉、脂の付着を確認しました。

 食料用として安全に返却するため、左下内張りの一部交換と乾燥確認を行います。

 そのため、返却予定を一日以上延期します。

 無理に早めることは推奨しません。』


 ガンツさんが最後の一文を見て頷いた。


「それでいい」


 ハンナさんも言った。


「食べ物に関わることだからね。はっきり書いた方がいい」


 ポロが尋ねる。


「ボルドさん、怒る?」


「怒るかもしれません」


 ミラは正直に答えた。


「でも、理由を伝えます」


「理由があるなら、待つ?」


「待ってくれると信じます」


 俺は保存箱を見た。


 ボルドさんは昨日、保存箱に謝っていた。

 無理に閉めて悪かったと。


 なら、きっと分かってくれる。

 そう思いたかった。


 午後は、保存箱を休ませる時間になった。


 外した内張りは別に包み、匂い見本として保管。

 左下角には匂い吸い布。

 蓋は開けたまま、風が通るように固定。

 魔冷石は戻さず、別の布の上で休ませる。


 保存箱は、まるで治療を受けているようだった。


 ポロがその横で小さく言う。


「箱、今日はお腹開けて休み」


「言い方が少し怖いです」


 ミラが苦笑する。


「じゃあ……中を見て休み」


「それなら」


 ハンナさんが笑った。


 俺は保存箱に耳を澄ませた。


 朝より、少し軽い。


 も。

 ……こ。


 まだ奥に匂いは残っている。

 でも、内張りを外したことで、閉じ込められていたものが少しずつ外へ出ている。


「音は良くなっています」


 ミラが記録する。


「内張り一部取り外し後、湿気音軽減。匂い残りあり。乾燥継続」


 夕方、匂い吸い布を取り出すと、布には薬草と脂の匂いが移っていた。


 ハンナさんが確認して、顔をしかめる。


「まだ残ってるね。もう一回入れ替えよう」


 新しい布を軽く差し込む。

 押し込まない。

 時間を書く。


 ポロが確認する。


「ぎゅうぎゅうじゃない」


「はい」


「時間、書いた?」


「書きました」


 ミラが答える。


 いつの間にか、ポロも手順を確認する側になっている。


 外部依頼の品でも、工房のやり方は同じだ。

 誰か一人だけが抱えない。

 見える形にする。

 声に出す。

 残す。


 日が沈む前、俺たちは井戸と水車を見に行った。


 井戸札は『使用できます』。

 水は安定している。


 さら。

 りん。


 水車小屋では、影車が細く鳴った。


 こ、と。


 北の結界石が応える。


 りん。


 水車本体は、今日も無理に回していない。

 外部依頼の保存箱に手がかかったからだ。


「明日は、少しだけ水車を回しましょう」


 俺が言うと、ミラが頷いた。


「はい。外部依頼が続いても、水車を放置しないようにします」


 ポロが言う。


「村の音も、休みすぎると忘れちゃう?」


「忘れるというより、変わっていても気づけなくなります」


「じゃあ、明日は聞く」


「はい」


 工房へ戻ると、保存箱は静かに口を開けていた。


 新しい内張り候補の板は、机の上に置かれている。

 外した古い内張りは、布に包まれて別の棚に置かれている。

 匂い吸い布は、時間を書いた札と一緒に箱の中へ軽く入っている。


 ミラは今日の記録をまとめた。


『保存箱内張り確認。

 左下内張り裏に湿気、薬草粉、脂の付着あり。

 食料用返却不可と判断。

 左下内張り一部交換予定。

 下角乾燥中。

 匂い吸い布を時間管理して使用。

 返却予定延期を組合へ連絡。

 明朝、音と匂いを再確認。』


 その下に、ポロが絵入り注意表の清書を貼った。


『しまっても、ひえても、においをみる』

『ぬれたぬのをいれない』

『たべものとくすりは、しきる』

『においがもどったら、おくをみる』

『はこの中のふくは、きれいに』

『むりにはがさない』


 ハンナさんがそれを見て、満足そうに頷いた。


「これなら、ボルドさんにも分かるだろうね」


 ガンツさんが言う。


「分からなければ、箱は返さん」


「厳しいですね」


 ミラが言うと、ガンツさんは当然のように答えた。


「また縄で縛られたら困る」


 その言葉に、みんなが少し笑った。


 夜、工房の看板が鳴った。


 からん。


 井戸の札が遠くで鳴る。


 から。


 水車小屋の影車が、小さく鳴る。


 こ、と。


 保存箱は、開いたまま静かに休んでいる。


 明日、新しい内張りを合わせる。

 それでようやく、食べ物を守る箱として戻れるかもしれない。


 冷えればいいわけではない。

 閉まればいいわけでもない。


 食べ物を守る箱は、食べ物を安心して入れられてこそ、保存箱なのだ。


 俺はその音を聞きながら、ゆっくり息を吐いた。


 返す前に気づけてよかった。


 今日の仕事は、それに尽きた。


ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、保存箱の内張り確認回でした。


表面の匂いは抜けたように見えても、内張りの裏には薬草粉、脂、湿気が残っていました。


冷えればいい。

蓋が閉まればいい。


それだけでは、食料用の保存箱としては不十分です。


ハンナの生活目線、ガンツの職人作業、エイルの音診断によって、返却前に内張り交換が必要だと分かりました。


次回は、新しい内張りを合わせ、保存箱を食料用として戻せるか確認します。

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