第40話 魔力灯の返却
初回外部相談日の翌朝、工房は昨日より少し遅く動き出した。
相談日の翌日は、無理をしない。
ミラが帳面に書き、ポロが丸をつけた新しい手順だ。
だからといって、何もしないわけではない。
井戸を見る。
水車を見る。
預かり品を見る。
ただし、急がない。
俺は工房の戸を開ける前に、まず広場の井戸へ向かった。
井戸札は『使用できます』。
朝の水は、昨日と同じように澄んでいる。
白い器の底に、細かな泥がほんの少しだけ沈むが、悪い濁りではない。
井戸の縁に手を置き、底の音を聞く。
さら。
りん。
水脈石の音は落ち着いていた。
「井戸、安定しています」
ミラが記録する。
「相談日翌朝。井戸水、安定。札、使用できます」
ポロは札を見て、眠そうに頷いた。
「札、合ってる」
「確認ありがとうございます」
次は水車小屋だ。
影車へ細い水を通す。
こ、と。
北の結界石が淡く応える。
りん。
水車本体には、ほんの少しだけ水を通した。
こ、とん。
昨日休ませたおかげか、軸の音は重くない。
挽き石は今日もまだ動かさない。
外部相談の後、工房の預かり品を先に確認する日だからだ。
「水車、影車、北結界石、異常なし」
ミラが書く。
ポロが水車を見上げる。
「今日は粉はなし?」
「なしです」
「薄焼きもなし?」
「今日は、魔力灯と保存箱の日です」
「外の道具の日」
「はい。でも、村の音を先に聞きました」
ポロは満足そうに頷いた。
「順番、守った」
工房へ戻ると、預かり棚の上には、小型魔力灯が布に包まれて置かれていた。
一件目。
ライナさんの魔力灯。
湿気で光が細くなり、右留め金が少し浮いていた。
さらに、持ち主が外殻を開けようとした跡もあった。
一晩預かって、湿気を抜いた。
強く乾かすのではなく、風を通し、乾いた布で周囲の湿りを吸わせ、魔力管の曇りを少しずつ落ち着かせた。
俺は布を開き、魔力灯を手に取る。
昨日より軽い音がした。
ち。
まだ完全に消えたわけではない。
けれど、湿気の音はずいぶん薄くなっている。
魔力管の奥からは、り、と細い音が返る。
濁りは少ない。
「湿気はかなり抜けています」
ミラが記録する。
「一晩乾燥後、湿気音軽減」
ガンツさんが右留め金を指で弾いた。
かち。
「浮きは戻せる」
「完全に直りますか?」
俺が聞くと、ガンツさんは首を振った。
「完全ではない。外殻を開けようとして、留め金に癖がついている。今は戻せるが、強く開け閉めすればまた浮く」
「では、仮調整ですね」
「そうだ」
ミラが書く。
「右留め金、仮調整可能。ただし再浮きの可能性あり。強い開閉禁止」
ガンツさんは細い工具を取り出した。
留め金の根元に当て、ほんの少しだけ角度を戻す。
かち。
……かち。
強く曲げない。
一度で戻そうとしない。
金具が覚えてしまった歪みを、少しだけ正しい位置へ戻す。
俺は音を聞く。
き。
……り。
「もう少しだけです」
「ここか」
かち。
音が整う。
りん。
「合いました」
ガンツさんは工具を置いた。
「これ以上はやらん。今はここまでだ」
「はい」
次に、弱光で確認する。
魔力灯を診断台に置き、外殻が熱を持たないよう、下に薄い石板を敷く。
ポロが横から『いきなり強く光らせない』の札を置いた。
「ありがとう」
「大事だから」
ミラが確認する。
「弱光確認。短時間。異音があれば停止」
俺は魔力灯を弱く起動した。
ふ。
小さな光が灯る。
昨日のように細く揺れる感じはない。
魔力管の中を光が通る音も、昨日より滑らかだ。
り。
……りん。
「弱光、安定しています」
ミラが記録する。
「弱光、安定。外殻熱なし」
次に、中光。
ふわ。
光が少し広がる。
魔力灯の内側で、右留め金がわずかに鳴った。
き。
悪い音ではない。
ただ、まだ癖が残っている。
「中光も使えます。ただし、長時間は避けた方がいいです」
ミラが書く。
「中光、短時間使用可。長時間使用注意」
ガンツさんが腕を組む。
「強光は試すな」
「はい」
俺も同じ考えだった。
強光で試せば、使えるかもしれない。
でも、今の留め金に負担をかける。
返却前にわざわざ弱らせる必要はない。
「強光確認は行いません。使用禁止とします」
ミラがはっきり書いた。
「返却時使用制限。強光使用禁止」
ポロがすぐに絵を描く。
小さな光に丸。
中くらいの光に三角。
大きな光にばつ。
『つよくひからせない』
「分かりやすいです」
俺が言うと、ポロは眠そうな顔のまま少し笑った。
返却用の診断書も作ることになった。
ミラは新しい紙を用意し、ゆっくり読み上げながら書く。
『小型魔力灯 返却時診断書』
一、預かり時の状態。
湿気あり。
魔力管曇りあり。
右留め金に浮き。
右留め金に工具跡。
外殻開封未遂の可能性あり。
二、処置内容。
一晩乾燥。
魔力管周辺の湿気抜き。
右留め金の仮調整。
弱光、中光の短時間確認。
三、返却時の状態。
弱光は安定。
中光は短時間使用可。
強光は未確認、使用禁止。
湿った階層での長時間使用注意。
四、今後の注意。
湿った階層の後は乾いた布で拭く。
外殻を自分で開けない。
留め金が浮いたら使用を止める。
強く光らせる前に点検する。
再び光が細くなった場合は再診断。
ミラは書き終えると、俺に見せた。
「これでよいでしょうか」
「はい。分かりやすいです」
ガンツさんも見て、頷く。
「強光禁止は太く書け」
「はい」
ミラはその部分を太く書き直した。
ポロは絵入りの返却札を作っている。
『かえしたあとも、みる』
『つよくひからせるまえに、みる』
『ぬれたら、ふく』
『あけない』
最後の『あけない』には、外殻をこじ開けようとする手に大きなばつ印が描かれていた。
昼前、ライナさんが工房へ来た。
昨日より少し落ち着いた顔をしている。
腰には予備の魔力灯が二つ下がっていた。
預けた魔力灯がない分、少し軽そうにも見える。
リーネも一緒だった。
組合の返却確認のためらしい。
「魔力灯、どうなった?」
ライナさんは受付机の前で、すぐに聞いた。
ミラは『受付中』の札を置き、返却記録を開いた。
「まず、返却時の説明を行います。説明後、状態を確認し、署名をいただいて返却します」
ライナさんは少し苦笑した。
「やっぱり、ちゃんとしてるな」
「必要です」
ミラは静かに答えた。
「では、読み上げます」
ミラは診断書を一つずつ読み上げた。
預かり時の状態。
処置内容。
返却時の状態。
今後の注意。
ライナさんは最初、腕を組んで聞いていた。
しかし、右留め金の工具跡のところで少し視線をそらした。
「そこ、やっぱり残るか」
「記録には残します」
ミラが答える。
「責めるためではありません。次に同じことをしないためです」
「分かってる」
ライナさんは頷いた。
「もう開けようとしない」
俺は魔力灯を布の上に置き、弱光で灯した。
ふ。
小さな光が安定して広がる。
ライナさんの表情が少し明るくなった。
「昨日より綺麗だ」
「弱光は安定しています」
次に中光。
ふわ。
光は広がる。
ただし、俺は短く確認しただけですぐに落とした。
「中光は短時間なら使えます。ただし、長時間は避けてください」
「強光は?」
「使わないでください」
ライナさんは一瞬口を開きかけて、閉じた。
「やっぱり駄目か」
「今の状態で強光を使うと、右留め金がまた浮く可能性があります。湿気を吸った階層では特に危険です」
ガンツさんが補足する。
「広く照らしたいなら、予備を組み合わせろ。一つを無理に強く光らせるな」
ライナさんは腰の予備灯を見た。
「二つを弱めに?」
「その方が安全です」
俺は言った。
「それでも足りない場合は、強光対応の大型魔力灯を用意した方がいいです」
ライナさんは少し悔しそうにした。
「荷物が増えるな」
「命より軽いです」
ガンツさんが短く言った。
ライナさんは苦笑しながらも頷いた。
「分かった。強光は使わない」
ミラが確認する。
「返却時使用制限に同意しますか」
「同意する」
「強光使用禁止。湿った階層後の乾拭き。留め金浮き時は使用停止。外殻を自分で開けない。再診断推奨」
「全部、分かった」
ライナさんは署名した。
ポロが絵入り返却札を渡す。
「これ、見るやつ」
ライナさんは受け取って、ふっと笑った。
「助かる。強光ばつ、でかいな」
「大事だから」
「そうだな」
ライナさんは魔力灯を腰に戻そうとして、少し止まった。
「このまま他の魔力灯と一緒に下げていいのか?」
俺は見た。
腰の道具帯には、金具が三つ並んでいる。
そのうち一つは、少し錆びていた。
「湿った後に全部まとめてしまうと、湿気が移るかもしれません。できれば、この魔力灯だけ乾いた布袋に入れてください」
ハンナさんがすぐに布棚から袋を出した。
「これを使いな。口は完全に閉じすぎない。帰るまでは風が通る方がいい」
「袋まで必要か」
「湿気で光が細くなったんだろう?」
ハンナさんが言うと、ライナさんは素直に受け取った。
「使う」
ミラが追加で記録する。
「返却時、乾燥用布袋を追加」
ポロが小さく言う。
「ぬれたら、ふく。しまうとき、かわかす」
ライナさんは頷いた。
「覚えた」
リーネも診断書の写しを確認した。
「組合側にも、この使用制限を記録します。強光禁止を破って再故障した場合、次回は通常修理扱いではなく、使用方法不備として記録されます」
ライナさんは肩をすくめる。
「逃げ道がないな」
「記録は逃げ道を塞ぐためではなく、事故を減らすためです」
リーネが言う。
ミラと似た言い方だった。
ライナさんは苦笑しながらも、真面目に頷いた。
「分かった。助かった」
彼女は俺へ向き直った。
「エイルさん」
「はい」
「昨日、預けるのは正直嫌だった。でも、一晩でここまで戻るなら、無理に使わなくてよかった」
「今止めたから戻せました」
「そういうことか」
ライナさんは魔力灯の布袋を軽く叩いた。
「今度、光が細くなったら、早めに見る」
「はい」
「あと、開けようとしない」
「お願いします」
ポロが横から言う。
「あけない」
ライナさんは笑った。
「あけない」
そう言って、彼女は工房を出ていった。
リーネも頭を下げる。
「返却手順、確認しました。組合報告に反映します」
ミラが応じる。
「よろしくお願いします」
魔力灯の返却が終わると、工房の中に少しだけ安堵が広がった。
一件目が、正式に返却済みになった。
ミラは記録を締める。
「一件目、小型魔力灯。返却完了。使用制限あり。診断書写し、組合提出」
ポロが小さく拍手しようとして、途中で止めた。
「工房では静かに」
「拍手してもいいですよ」
ミラが言うと、ポロは小さくぱちぱちと手を叩いた。
「一件、ちゃんと返った」
その言葉に、俺も頷いた。
預かって返す。
それは、診断だけより重い。
預かった間、その道具の時間も、持ち主の不安も、工房で抱えることになる。
返せてよかった。
ただし、工房の仕事はまだ終わっていない。
保存箱がある。
ハンナさんが保存箱の前で、眉を寄せていた。
「エイル、ちょっと聞いておくれ」
俺は保存箱へ近づいた。
昨日から風を通し、匂いを吸わせる布を入れている。
朝は少し軽くなっていたはずだ。
けれど、今は違う。
蓋を少し動かした途端、奥から薬草と脂の混じった匂いが戻ってきた。
もわ。
音ではない。
匂いの重さが、内側から戻ってくる。
「匂いが戻っています」
ハンナさんが言った。
「表面の匂いは抜けたけど、内張りの奥に染みてるね」
俺は保存箱の内側に耳を近づけた。
しゅう。
……も。
冷気漏れよりも、内張りの奥に残った湿気と匂いの音が気になる。
「内張りを確認した方がいいです」
俺が言うと、ハンナさんは頷いた。
「このまま食料用に戻すのは嫌だね」
ガンツさんも来て、内張りの端を見た。
「左側が少し浮いている。昨日の湿った布が当たっていた場所だな」
「外せますか?」
「一部なら外せる。だが、外せば戻すのに手間がかかる」
ハンナさんはきっぱり言った。
「食べ物を入れる箱なら、見た方がいい」
ミラが記録する。
「保存箱、匂い戻りあり。内張り奥に染み込み疑い。左内張り浮き。食料用返却前に内張り確認推奨」
ポロが保存箱を見て言う。
「箱、まだ休み足りない?」
「それもあります」
俺は答えた。
「でも、休ませるだけでは抜けない匂いかもしれません」
「奥に入っちゃった?」
「はい」
ポロは新しい紙に書いた。
『においがもどったら、おくをみる』
ハンナさんが頷く。
「その通り」
ガンツさんは工具を取りに行った。
「今日は無理をしない日だが、確認だけはしておく。外すなら明日だ」
ミラがすぐに言う。
「相談日翌日は無理をしない、です」
「だから、今日は開ける場所を決めるだけだ」
「分かりました」
保存箱の返却は、まだ先になりそうだった。
一件目は返った。
三件目は、もう少し深く見る必要が出た。
外部依頼は、一つ終われば一つ進む。
簡単には片付かない。
でも、それでいいのだと思った。
急いで返して、食料に匂いが移るよりいい。
冷気が漏れたまま使われるよりいい。
また縄で縛られるよりいい。
昼過ぎ、工房の記録はまた増えた。
『魔力灯返却記録』
『保存箱内張り確認予定』
『使用制限説明済み』
『強光禁止』
『匂い戻り』
ポロは隣で、魔力灯の返却表を清書している。
『かえしたあとも、みる』
『つよくひからせない』
『あけない』
その横に、保存箱用の新しい絵も描き始めた。
『においがもどったら、おくをみる』
俺はその二つの紙を見た。
返す道具。
まだ返せない道具。
どちらにも、理由がある。
夕方、俺たちはもう一度井戸と水車を見た。
井戸。
さら。
りん。
水車。
こ、とん。
影車。
こ、と。
北の結界石。
りん。
村の音は、今日も落ち着いている。
ライナさんの魔力灯は、アルバへ戻った。
保存箱は、まだ工房で休んでいる。
明日は、内張りを確認する。
工房の看板が、夕風で鳴った。
からん。
俺はその音を聞きながら思った。
返すことも、待たせることも、どちらも工房の仕事だ。
直ったから終わりではない。
使い方を伝え、制限を伝え、無理なものはまだ返さない。
そうして初めて、道具は持ち主のところへ戻れる。
リント村修理工房の返却第一号は、強光禁止の札つきで、無事に持ち主の手へ帰っていった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、一件目の預かり品だった小型魔力灯の返却回でした。
一晩かけて湿気はかなり抜け、右留め金も仮調整できました。
ただし、完全修理ではありません。
・弱光は安定
・中光は短時間のみ
・強光は禁止
・湿った階層の後は乾拭き
・外殻を自分で開けない
・留め金が浮いたら使用停止
「返せるけれど、条件つき」という形です。
そして、保存箱の方は匂いが戻り、内張りの確認が必要になりました。
次回は、保存箱の内張り確認へ進みます。




