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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第39話 初回相談日の終わり

 アルバから来た馬車が村道の向こうへ消えたあと、リント村修理工房の前には、少しだけ長い静けさが残った。


 がたん、がたん、と遠ざかっていく車輪の音。

 それが聞こえなくなると、急に体の力が抜けた。


 五件。


 たった五件。

 けれど、俺の耳には、五つ分の音がまだ残っていた。


 湿った魔力灯の、ちり、という音。

 方位石の針に入り込んだ魔力粉の、さり、という音。

 縄で縛られていた保存箱の、しゅう、という冷気漏れの音。

 焦げた結界札の、じり、という危ない音。

 携帯結界灯の持ち手から響いた、うう、という低い音。


 それぞれ違う。

 どれも小さい。

 でも、放っておけば迷宮で大きな危険につながったかもしれない音だった。


 俺は工房の柱に軽く手を置いた。


 少し、耳の奥が疲れている。


「エイルさん」


 ミラの声がした。


「大丈夫ですか?」


「はい。少し疲れただけです」


「今日は五件続きましたから」


 ミラも疲れているはずだった。

 受付、聞き取り、記録、料金、預かり、返却、修理不可、次回予約。

 彼女の筆は、一日中止まらなかった。


 それでも、彼女は帳面を抱えたまま立っている。


「先に、井戸と水車を確認しましょう」


 ミラが言った。


 俺は頷いた。


「はい」


 外の音を聞いた日でも、最後は村の音へ戻る。


 それが、今日の締めくくりだった。


 ポロは番号札の箱を抱えたまま、工房の入口に座り込んでいた。


「ポロ、行けますか?」


「行く」


 返事は早かったが、立ち上がる動きは少し遅い。


 ハンナさんが笑う。


「番号札係見習いも、今日はよく働いたからね」


「僕、ちゃんと順番にできた?」


「できていたよ」


 ポロは少しだけ胸を張った。


「順番に、ひとつずつ」


「そう。それを守れた」


 ガンツさんは道具袋を肩に担ぎ直した。


「保存箱は風を通してある。魔力灯も棚で休ませている。行くぞ」


 俺たちは、まず広場の井戸へ向かった。


 夕方の光が井戸の石に当たっている。

 札は『使用できます』のままだ。

 ポロが札を見上げて、指で確認する。


「札、合ってる」


 ミラが記録する。


「相談日夕方。井戸札、使用できます」


 ハンナさんが白い器に水を汲み、濁りを見る。


「朝と変わらないね。底に少し泥はあるけど、悪くなってはいない」


 俺は井戸の縁に手を置いた。


 さら。

 りん。


 水脈石の音は、朝と同じく澄んでいた。

 外部相談の日で、村の人の出入りも多かった。

 それでも、井戸の音は乱れていない。


「井戸、安定しています」


 そう言うと、胸の奥が少し落ち着いた。


 ミラが書く。


「井戸水、相談日終了時点で安定」


 次に水車小屋へ向かった。


 夕方の水車は、静かだった。

 今日は無理に粉を挽いていない。

 外部相談に備えて、朝の確認だけに留めていたからだ。


 ハンナさんが水路の小板を少し開ける。


 さら。


 影車へ細い水が触れる。


 こ、と。


 北の結界石が淡く光った。


 りん。


 俺は少し目を閉じた。


 アルバの魔道具の音で疲れた耳に、影車の小さな音はよく馴染んだ。


「影車、正常。北の結界石、安定」


 ミラが記録する。


 次に水車本体へ、ごく少量の水を通す。


 こ、とん。


 軸の音も悪くない。

 軸受けの音も落ち着いている。

 水車は、今日も自分の休み方を覚えているようだった。


「水車も大丈夫です」


 俺が言うと、ポロが水車を見上げた。


「今日は外の道具を見たけど、水車もちゃんと見た」


「はい」


「忘れてない」


「忘れていません」


 ポロは満足そうに頷いた。


 ガンツさんが水車の軸へ目を向ける。


「明日は少し挽き石を動かす。今日は休ませて正解だ」


 ハンナさんも言った。


「外の仕事が入る日ほど、村の道具を無理させちゃいけないね」


 ミラはその言葉も記録した。


「外部相談日でも、村の道具を無理させない」


 工房へ戻る頃には、夕方の風が少し冷たくなっていた。


 看板が鳴る。


 からん。


 その音を聞いて、俺はようやく今日が終わりに向かっているのだと感じた。


 けれど、工房の仕事はまだ残っている。


 五件分の記録整理だ。


 ミラは机の上に大きな紙を広げた。


『初回外部相談結果』


 その下に、五つの欄を作る。


 一件目。

 二件目。

 三件目。

 四件目。

 五件目。


 俺たちは、それぞれの結果を確認していった。


「一件目。小型魔力灯」


 ミラが読み上げる。


「持ち主、ライナさん。症状、湿気により光が細くなる。診断結果、魔力管の曇り、右留め金の浮き、外殻開封未遂による歪みの疑い。一晩預かり。湿気抜き、留め金仮調整、安定確認予定」


 俺は預かり棚の魔力灯へ耳を澄ませた。


 ちり。


 朝よりかなり小さい。


「湿気音は弱くなっています。明日の朝、もう一度確認すれば返却できるかもしれません」


 ミラが追加する。


「返却予定、翌朝確認後」


「二件目。方位石」


 ミラは次の欄へ移る。


「持ち主、ニナさん。同行者、トマさん。症状、針が北へ戻りにくい。原因、魔力石と同じ袋に入れたことによる魔力粉混入、袋内湿気、針の手動戻し。簡易清掃済み。方位石用袋、魔力石用袋、絵入り点検表を提供。返却済み」


 ポロが顔を上げる。


「青い袋と赤い袋」


「はい。色分けも記録しました」


「よかった」


「三件目。保存箱」


 ミラが続ける。


「持ち主、ボルドさん。症状、蓋が閉まらない、冷えが弱い。原因、蓋の歪み、右留め金の曲がり、魔冷石固定具のずれ、内部湿気、匂い移り。二日預かり。乾燥、匂い抜き、蓋と留め金の調整、仕切り提案」


 ハンナさんが保存箱の方を見る。


「匂いは少し抜けてきたけど、まだ食料用には戻せないね」


「あと二日は必要ですか?」


「少なくとも明日の朝までは様子を見る。匂いが戻るようなら、内張りを外して確認だね」


 ミラが書き足す。


「匂い残りあり。翌朝再確認」


「四件目。結界札」


 ミラの声が少し慎重になる。


「持ち主、ユリスさん。症状、使用時に焦げ音。原因、結界札の重ね使いによる魔力線干渉。焦げ発生後、弱出力で再使用一回。診断結果、再使用不可。工房預かりなし。組合で廃札処理。診断済み・修理不可」


 ポロは新しい札を見た。


『診断済み・修理不可』


「悲しいだけじゃない札」


 彼が小さく言う。


「使っちゃだめって分かる札」


「そうです」


 ミラは頷いた。


「とても大事な札です」


「五件目。携帯結界灯」


 最後の欄だ。


「持ち主、ルカさん。症状、使用時に低い鳴り。原因、底脚の凹み、持ち手内部固定輪の緩み、強く握った跡。仮調整済み。革巻き、手首紐追加。弱出力で低音改善。強出力使用禁止。次回潜行前に完全修理または再診断予約」


 俺はその記録を見つめた。


 五件とも違う結果だった。


 預かったもの。

 返したもの。

 廃札にしたもの。

 仮調整に留めたもの。


 一つも同じではない。


「全部、直して終わりじゃなかったね」


 ポロが言った。


「そうですね」


 俺は頷く。


「直すものもありました。預かるものもありました。使わない方がいいものもありました」


「それでも、みんな少し分かった顔して帰った」


 ポロの言葉に、ハンナさんが笑った。


「いい言い方だね」


 ミラは記録欄の下に、今日のまとめを書いた。


『初回外部相談。

 五件すべて受付完了。

 診断、預かり、返却、修理不可、仮調整の各対応を実施。

 危険品は工房内で扱わず、結界札は屋外石場で確認。

 外部依頼中も、井戸、水車、影車、北結界石の確認を実施。

 村の修理優先の約束を維持。』


 その最後の一文を見て、俺は息を吐いた。


 村の修理優先の約束を維持。


 今日、一番大事だったのはそこかもしれない。


 外から人が来た。

 外の道具を見た。

 外の料金を受け取った。

 外の組合へ報告する。


 それでも、井戸と水車を先に見て、最後にも見た。


 リント村修理工房は、リント村の工房のままだ。


 ガンツさんが椅子に腰を下ろした。


「問題は、これを続けられるかだ」


 ミラが顔を上げる。


「続けるための条件ですね」


「ああ。初回は五件で正解だった。これ以上は無理だ」


 俺も頷いた。


「耳が疲れました。五件でも、かなり集中が必要でした」


「次からも五件まで?」


 ポロが聞く。


 ミラは少し考えた。


「内容によります。ただ、危険品がある日は三件まででもいいかもしれません」


 ガンツさんが頷く。


「結界札のような品がある日は、数を減らせ」


 ハンナさんも言う。


「保存箱みたいに匂いや食料が絡むものも、時間がかかるよ」


 ミラは新しい項目を書いた。


『次回以降の外部相談条件案』

 一、通常相談は最大五件。

 二、危険確認品が含まれる場合は最大三件。

 三、預かり品が多い場合、次回受付を減らす。

 四、村の修理予定と重なる日は受付しない。

 五、相談日の翌日は、預かり品作業と村点検を優先する。


「相談日の翌日は、また外部相談を入れない方がいいですね」


 俺が言うと、ミラは頷いた。


「はい。明日は魔力灯と保存箱、井戸と水車の確認があります」


 ポロが手を上げる。


「僕、明日も番号札係?」


「明日は番号札より、点検表の清書ですね」


「アルバに行くやつ?」


「はい。魔力灯、方位石、携帯結界灯の組合見本用があります」


 ポロは眠そうだった目を少し開いた。


「ちゃんと描く」


「今日はもう休んでください」


「でも、ちょっとだけ……」


「休むのも仕事」


 ハンナさんが言うと、ポロは口を閉じた。


「それ、水車にも言った」


「人にも言うんだよ」


「はい」


 ポロは素直に番号札の箱を片付けた。


 ミラは組合向けの報告書を書き始めた。


 リーネへ渡すための写しだ。


『アルバ冒険者組合 初回相談報告』


 内容は簡潔だが、必要なことは全部入っている。


 一、各相談品の結果。

 二、預かり品と返却予定。

 三、修理不可品の処理。

 四、次回予約。

 五、点検表写し代。

 六、今後の受付条件案。


 ミラは書きながら、何度も確認した。


「報告書に、結界札の重ね使い注意を強く入れておきます」


「お願いします」


「方位石と魔力石の同袋保管も」


「それも多そうです」


「保存箱の食料と薬草の混在も、組合向けに注意として入れます」


 ハンナさんが頷く。


「それは本当に入れておくれ。迷宮で腹を壊したら大変だからね」


「携帯結界灯の持ち手については?」


 ミラが聞く。


「落下後は必ず点検。持ち手の緩み、低音、強握跡も確認項目に」


「分かりました」


 報告書が一枚、また一枚と増えていく。


 ガンツさんがそれを見て言った。


「紙が増えたな」


「必要です」


 ミラが即答する。


「分かっている」


 ガンツさんは少しだけ笑ったように見えた。


「必要な紙だ」


 その言葉に、ミラは嬉しそうにした。


 夜になる前、俺は預かり品をもう一度確認した。


 まず、小型魔力灯。


 布を少し開ける。


 ちり。


 まだ湿気はある。

 だが、朝のように重くはない。

 留め金の浮きも、ガンツさんが仮調整を始めれば戻せそうだ。


「明日、弱光で確認します」


 ミラが記録する。


 次に保存箱。


 蓋は開いたまま、風を通している。

 匂いを吸わせるための布が入っている。

 魔冷石は外して、別の布の上で休ませていた。


 しゅう。


 冷気の音は弱い。

 箱そのものは、ようやく無理に閉められていない状態で休んでいる。


「保存箱は、まだ時間が必要です」


 ハンナさんが言う。


「急がない方がいいですね」


「急がない。ボルドさんにも言ったからね」


 ミラが記録する。


「保存箱、匂い抜き継続。急がない」


 俺は診断机を片付けた。


 今日、五件の道具が置かれた机だ。

 魔力灯。

 方位石。

 保存箱。

 携帯結界灯。


 結界札だけは、屋外の石場で見た。


 机の厚布には、細かな粉が少し残っていた。

 魔力石の粉だろう。


 俺は布を畳まず、まず外で払うことにした。


「その布、きれいな布には戻さないでね」


 ハンナさんがすぐに言う。


「はい。診断用として分けます」


 ミラが書く。


「診断後の布は用途分け。魔力粉付着の可能性あり」


 ポロが疲れた顔で、でもしっかり書き足した。


『つかったぬのは、まぜない』


 それを見て、俺は少し笑った。


「まだ書けるんですね」


「眠いけど、大事」


「はい。大事です」


 工房の片付けが終わる頃には、外はすっかり夕闇になっていた。


 水車小屋の方から、かすかな音が届く。


 こ、と。


 影車だ。


 井戸の札も、風で小さく鳴る。


 から。


 看板も鳴る。


 からん。


 三つの音が、ゆっくり重なる。


 今日聞いた外の魔道具の音は、どれも不安を含んでいた。

 でも、村の音は違う。


 完全ではない。

 まだ手入れが必要だ。

 それでも、戻ってくる場所の音だった。


 俺は診断机に手を置いた。


「疲れました」


 思わず、そう言っていた。


 ミラが笑う。


「はい。私もです」


 ハンナさんが茶を置いてくれた。


「疲れたなら、ちゃんと疲れたって言う。これも大事だよ」


 ガンツさんが頷く。


「疲れた職人は、細かい音を聞き落とす」


「明日は無理をしません」


 俺が言うと、ミラがすぐ記録しようとした。


「それも書くんですか?」


「書きます」


 彼女は真面目な顔で答えた。


『相談日翌日は、無理をしない。』


 ポロがそれを見て、自分の紙にも書いた。


『つかれたら、ちゃんという』


 その文字を見て、胸の奥が少し温かくなった。


 昔の俺には、それができなかった。

 疲れても、言わなかった。

 無理だと思っても、飲み込んだ。

 聞こえている危ない音を伝えても届かないなら、自分だけで抱えるしかなかった。


 でも今は違う。


 疲れたと言える。

 無理なものは断れる。

 危ないものは受け取らない。

 直せないものは、修理不可と書ける。


 それは、俺一人が強くなったからではない。


 工房が、そういう場所になったからだ。


 ミラの帳面。

 ガンツさんの判断。

 ハンナさんの生活の目。

 ポロの絵。

 村の井戸と水車の音。


 全部が、俺の仕事を支えてくれている。


 夜の工房で、ミラが今日の最後の記録を書いた。


『初回外部相談日、終了。

 五件受付。

 大きな事故なし。

 危険品は屋外確認。

 修理不可判断あり。

 預かり品二件。

 返却済み二件。

 組合処理一件。

 次回完全修理予約一件。

 相談日後、井戸、水車、影車、北結界石に異常なし。

 工房全員、疲労あり。

 明日は無理をしない。』


 最後の一文に、ポロが大きく丸を描いた。


「これ、大事」


「そうですね」


 ミラが頷いた。


 俺は工房の外へ出た。


 夜風が頬に当たる。


 アルバの方角は、もう暗い。

 今日来た冒険者たちは、今頃どこまで戻っただろう。

 自分の道具について、少しでも考えているだろうか。


 ライナは魔力灯のない腰を気にしているかもしれない。

 ニナとトマは、青と赤の袋を間違えないように見ているかもしれない。

 ボルドは保存箱なしの荷物を眺めているかもしれない。

 ユリスは廃札になる結界札のことを考えているかもしれない。

 ルカは携帯結界灯を、いつもより優しく持っているかもしれない。


 その全部は、もう俺の耳には届かない。


 でも、今日の診断で渡した言葉と記録と点検表は、彼らの手元に残っている。


 それで十分なのかもしれない。


 工房の看板が鳴る。


 からん。


 井戸の札が鳴る。


 から。


 影車が鳴る。


 こ、と。


 俺はその音を聞きながら、小さく息を吐いた。


 初回相談日は終わった。


 明日は、預かった魔力灯と保存箱を見る。

 そして、井戸と水車も見る。


 外の音を聞いても、戻る場所はここにある。


 リント村修理工房の一日は、そうして静かに閉じていった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、初回外部相談日の締めくくり回でした。


五件の結果は、


・魔力灯:一晩預かり

・方位石:清掃後返却

・保存箱:二日預かり

・結界札:診断済み、修理不可、組合で廃札処理

・携帯結界灯:仮調整で返却、次回完全修理予約


となりました。


外の依頼を受けても、最後に井戸、水車、影車、北の結界石を確認する。

リント村修理工房が「村の工房」であることを守る回です。


そして今回は、「疲れたら、ちゃんと言う」も大事な手順になりました。


次回は、預かった魔力灯の返却準備へ進みます。

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