第37話 四件目の結界札
三件目の保存箱を風通しのよい場所へ移したあと、工房の空気は少し変わった。
次は、結界札だ。
工房内では見ない。
村外れの石場で確認する。
それは、第33話で決めていたことだった。
危険性が低いと組合で一次確認されている。
発火のおそれは少ない。
それでも、焦げ音のある結界札を、木の机の上で開くわけにはいかない。
ガンツさんは厚い革手袋を手に取り、外用の道具箱を肩に担いだ。
砂の入った桶。
水桶。
濡れ布。
長い挟み具。
石の台。
火除け用の厚布。
ポロは絵入り札を抱えている。
『かってにひからせない』
『あついものは、そとでみる』
『あぶないときは、うけとれません』
その三枚を、いつもより強く胸に抱えていた。
「ポロ」
ミラが声をかける。
「石場では、線の内側に入らないこと」
「分かってる」
「札は私が指示した時だけ出してください」
「分かってる」
「結界札には触らないこと」
「分かってる」
三回目の返事は、少しだけ緊張していた。
俺は工房の外に立つ魔法使いを見た。
四件目の持ち主だ。
名前はユリス。
細身の青年で、白い外套の上から茶色の革帯を巻いている。
杖は持っているが、先端には布が巻かれていた。
工房に来る前に、リーネから「勝手に魔法を使わないように」と念を押されたのだろう。
ユリスは、両手で小さな革包みを持っていた。
その中に、焦げ音のある結界札が入っている。
ミラが受付机から出て、彼へ声をかけた。
「四番の方、結界札の確認を行います。事前説明の通り、工房内ではなく村外れの石場へ移動します」
「はい」
ユリスの声は硬かった。
「移動中、結界札を開かないでください。起動もしないでください」
「分かっています」
「石場では、こちらの指示があるまで包みを置かないでください」
「はい」
リーネも横に立っている。
「組合でも一次確認済みですが、リント村修理工房の判断が優先されます。危険と判断された場合、診断中止、または受け取り不可になります」
ユリスは唇を結んだ。
「分かっています」
その返事は、素直だった。
けれど、どこか切羽詰まっている。
俺たちは村外れの石場へ向かった。
水車小屋より北側。
森へ入る道の手前に、古い石材を置いている場所がある。
草は短く刈られ、周囲に燃えやすいものは少ない。
中央には平たい石があり、その上に確認用の石台を置ける。
ガンツさんは手早く場所を整えた。
石台。
砂桶。
水桶。
濡れ布。
長い挟み具。
ポロは少し離れた場所に立ち、ミラが地面に引いた線の外にいる。
ハンナさんは来ていない。
保存箱の匂い抜きと、工房の火の管理を見てくれている。
ミラは帳面を開いた。
「四件目。結界札。屋外確認開始。場所、北石場。砂、水、濡れ布、挟み具、革手袋あり」
リーネがユリスへ頷く。
「包みを石台の上へ置いてください」
ユリスはそっと革包みを置いた。
彼の手は、少し震えていた。
ガンツさんが長い挟み具で包みの端を押さえる。
「開けるぞ」
「お願いします」
革包みが開かれる。
中から出てきたのは、一枚の結界札だった。
手のひらより少し大きい。
薄い板状の札に、細い魔力線が刻まれている。
中央には小さな結界紋。
周囲には四つの留め点。
その右上の端が、黒く焦げていた。
焼け落ちてはいない。
けれど、魔力線の一部が焦げて、細いひびのようになっている。
俺は札へ耳を近づけた。
ただし、触れない。
距離を取り、音だけを拾う。
ち。
……じ。
じり。
焦げた音。
魔力線の端に、まだ熱の記憶が残っている。
火ではない。
魔力が擦れて焼けた音だ。
「焦げ音があります」
ミラが記録する。
「右上端、焦げ音あり」
俺はさらに耳を澄ませた。
結界札の中央は、まだ形を保っている。
だが、右上の焦げた線と左下の線の間に、妙な引っ張りがあった。
札一枚の中で起きた焦げではない。
外から別の結界の力が重なり、魔力線が干渉した音だ。
「ユリスさん」
俺は聞いた。
「この結界札を、一枚だけで使いましたか?」
ユリスの顔が強張った。
「……二枚、重ねました」
ミラの筆が止まり、すぐに動く。
「使用時、結界札二枚重ね」
ガンツさんの眉が深くなる。
「重ねたのか」
ユリスは俯いた。
「第三層で、後ろに魔物が来ました。通路が狭くて、一枚では不安で……二枚重ねれば強くなると思ったんです」
「結果は?」
リーネが聞く。
「一瞬は強く光りました。でも、すぐに端が焦げて、ぱちっと鳴りました。結界は消えなかったので、その場は抜けられました」
ポロが絵入り札を抱え直す。
「ぱちって鳴ったのに、使ったの……?」
ユリスは小さく頷いた。
「使うしかなかった」
その声には、言い訳だけではないものがあった。
恐怖。
焦り。
仲間を守りたかった気持ち。
俺はそれを責める言葉を探さなかった。
迷宮の中で、一瞬の判断が必要なことはある。
でも、その判断で道具が傷むこともある。
大事なのは、その後だ。
「その後も使いましたか?」
「一度だけ。弱くですが」
ミラが記録する。
「焦げ発生後、弱出力で再使用一回」
ガンツさんが低く言った。
「焦げた札を再使用するな」
ユリスは肩を落とした。
「はい」
「その場で生き残るために重ねたことは、ここで責めん」
ガンツさんは続けた。
「だが、焦げた後に使ったのは悪い。焦げは、札がもう無理だと言っている音だ」
ユリスは顔を上げた。
俺も頷いた。
「この札は、再使用しない方がいいです」
ユリスの表情が揺れる。
「修理は……」
俺はもう一度、札の音を聞いた。
じり。
ち。
……きん。
右上の焦げは、表面だけではない。
魔力線の奥まで熱が入っている。
中央の結界紋は残っているが、そこへつながる道が歪んでいる。
仮に焦げを削り、線をつなぎ直したとしても、同じ強度では戻らない。
迷宮で使えば、また端から破れるだろう。
「修理して再使用するのはおすすめしません」
俺ははっきり言った。
「この札は、使用不可です」
石場が静かになった。
ユリスは結界札を見つめた。
「高かったんです」
その声は小さかった。
「これ、一枚でもかなり高いんです。だから、できれば直して使いたかった」
ミラは何も言わずに記録している。
リーネも黙っている。
俺は慎重に言葉を選んだ。
「高い札だからこそ、無理に使ってはいけないと思います」
ユリスがこちらを見る。
「この札は、一度、あなたたちを守ったんですよね」
「はい」
「なら、役目は果たしています。今無理に使えば、次は守れないかもしれません」
ユリスの目が、少し赤くなった。
「……そうですね」
ポロが小さな声で言った。
「がんばった札なんだ」
誰も笑わなかった。
ガンツさんが挟み具で結界札の端を軽く動かす。
「魔力線の焦げを見る。エイル、音を聞け」
「はい」
ガンツさんが札をひっくり返す。
裏側にも、薄い焦げが回っていた。
表より浅いが、魔力の熱が抜けた跡だ。
「裏まで入っています」
俺が言う。
「再使用不可。原因は、重ね使いによる魔力線干渉。焦げ発生後の再使用で悪化」
ミラが書き込む。
ユリスは両手を握りしめた。
「重ねれば強くなると思っていました」
「似た札を重ねれば強くなる場合もある」
ガンツさんが言う。
「だが、それは重ねて使うよう作られたものだけだ。別々の札を勝手に重ねれば、魔力線同士が引っかかる」
俺は札の端を見ながら補足した。
「この札は、一枚で広がる結界線が決まっています。そこへ別の札の結界線を重ねたことで、右上と左下で引っ張り合ったんだと思います」
「それで焦げた?」
「はい。力が逃げる場所がなくなって、端で焼けています」
ポロが紙に絵を描き始めた。
一枚の札。
その上にもう一枚の札。
線がぐちゃぐちゃに絡まる絵。
端が焦げている絵。
『かさねない』
太い字で書いている。
ミラがちらりと見て、頷いた。
「結界札用注意表に入れます」
ユリスはポロの絵を見た。
「分かりやすいですね」
「焦げたら使わない、も入れる」
ポロは続けて書いた。
『こげたら、つかわない』
その文字を見て、ユリスは苦笑した。
「本当に、その通りです」
診断は続いた。
札をそのまま返すか。
工房で無効化するか。
組合へ危険品として戻すか。
ミラがリーネへ確認する。
「組合としては、再使用不可の札をどう扱いますか?」
リーネは少し考えた。
「持ち主が希望する場合、組合で廃札処理します。原因確認済みの証明があれば、次回購入時に一部補助が出る可能性があります」
ユリスが顔を上げた。
「補助?」
「迷宮内で仲間を守るために使用し、危険な再使用を避けるため廃札と判断された場合です。ただし、重ね使いについては注意記録が残ります」
ユリスは少しだけ顔をしかめた。
「注意記録……」
「必要です」
リーネの声は、ミラと同じくらい迷いがなかった。
「同じ使い方を繰り返せば、次は仲間を危険に晒します」
ユリスは深く頭を下げた。
「記録してください」
ミラが少し目を細める。
「よろしいのですか?」
「はい。恥ずかしいですが、残してください。自分で忘れないように」
その言葉に、俺はユリスへの印象が少し変わった。
焦って重ね使いをした。
焦げた後も使った。
それは危険だった。
でも、彼は記録から逃げなかった。
ミラは丁寧に書いた。
「持ち主、注意記録を了承。今後、結界札の重ね使いを行わないこと」
ガンツさんが低く言う。
「いい判断だ」
ユリスは小さく頷いた。
次に、結界札を安全に包み直す。
焦げた札をそのまま革包みに戻すのではない。
熱は残っていないが、焦げた魔力線が他の札に触れないよう、無魔力布で挟む。
ガンツさんが用意していた厚布を広げる。
「この布に包む。組合まで開くな」
リーネが受け取る準備をする。
「廃札処理は組合で行います。リント村修理工房では預かりません」
ミラが記録する。
「結界札、再使用不可。工房預かりなし。組合へ廃札処理依頼」
ポロが『受け取れません』の札を持ち上げるべきか迷っている。
ミラがそれに気づいた。
「今回は、受け取れませんではなく、診断後に預かりなしです」
「札、違う?」
「違います。診断はしました。でも、修理品としては受け取りません」
ポロは少し考えた。
「じゃあ、新しい札いる?」
「どんな札ですか?」
「なおしてつかうのは、だめ。でも、みたよって札」
ミラが目を瞬かせた。
「診断済み、修理不可、という札ですね」
ガンツさんが頷く。
「いるな」
ポロはすぐに紙へ書いた。
『しんだんずみ』
『しゅうりできません』
『つかいません』
ユリスがその札を見て、苦笑した。
「きついけど、必要ですね」
「正式には少し整えます」
ミラはそう言って、別の板に書いた。
『診断済み・修理不可』
その下に小さく。
『再使用しないでください』
ポロが横に、焦げた札へばつ印を描いた。
また一つ、工房の札が増えた。
結界札用の点検表も、その場で作られることになった。
ポロの絵。
ミラの文字。
俺の確認項目。
ガンツさんの注意。
『結界札を勝手に重ねない』
『焦げた札は使わない』
『熱い札をすぐ袋に戻さない』
『ぱちっと鳴ったら使用を止める』
『使った後は端を見る』
『結界が弱い時は、等級の高い札か、重ね使い用の札を用意する』
『迷宮内で異常が出た札は、組合か職人へ相談する』
ユリスはそれを見ながら、何度も頷いた。
「等級の高い札を買うべきだったんですね」
リーネが答える。
「状況によります。ですが、重ね使いを前提にするなら、組合で対応品を確認してください」
「はい」
「今回の診断結果も、組合の購入相談に添付できます」
「お願いします」
ミラは診断書を作ることにした。
外部依頼で、初めての修理不可診断書だ。
『四件目 結界札診断結果』
状態。
焦げ位置。
原因推定。
再使用不可理由。
今後の注意。
組合廃札処理推奨。
ユリスはそれに署名した。
手はまだ少し震えていたが、逃げなかった。
診断が終わると、ガンツさんが砂桶の位置を戻した。
「今日は起動しなくて済んだな」
「はい」
俺は頷いた。
「起動しないで分かってよかったです」
「焦げた札を試しに光らせる必要はない」
「はい」
ポロがすぐに書く。
『ためしにひからせない』
ミラが見て、少し笑った。
「これも大事ですね」
リーネは結界札を包んだ布を受け取った。
「組合で廃札処理します。リント村修理工房の診断書も添付します」
ユリスは俺たちへ頭を下げた。
「ありがとうございました。直らなかったのは残念ですが……止めてもらえてよかったです」
「仲間を守るためにも、その方がいいと思います」
俺が言うと、ユリスは小さく頷いた。
「次は、札の等級と使い方を確認します」
ガンツさんが短く言う。
「それがいい」
石場から工房へ戻る道で、ポロはずっと新しい札を見ていた。
『診断済み・修理不可』
「これ、悲しい札?」
ポロが聞く。
ミラは少し考えた。
「悲しい時もあります」
「でも、必要?」
「はい。使ってはいけないものを、使わないための札です」
俺も頷いた。
「直せないと分かることも、大事です」
ポロはしばらく黙った。
「がんばった道具に、おつかれさまって言う札でもある?」
その言葉に、俺は結界札を思い出した。
仲間を守るために使われ、焦げた札。
もう使えない札。
「そうかもしれません」
ポロは少し安心したように笑った。
「じゃあ、悲しいだけじゃない」
「はい」
工房へ戻ると、ハンナさんが保存箱の前で風を通していた。
「結界札は?」
ミラが答える。
「再使用不可です。工房では預からず、組合へ廃札処理を依頼します」
「そうかい。危ないものを残さなくてよかったね」
ハンナさんはそう言って、保存箱の蓋を少し動かした。
「こっちは、匂いが少し抜けてきたよ」
俺は保存箱へ耳を近づける。
しゅう。
冷気漏れの音はまだある。
けれど、こもった重い音は少し軽くなっていた。
「保存箱、少し楽になっています」
ハンナさんが頷く。
「箱も休んでるからね」
次に、預かり棚の魔力灯を見る。
ちり。
湿気の音は、さらに弱くなっている。
完全ではないが、一件目のライナへ返す時には、かなり安定するかもしれない。
「魔力灯も、湿気が抜けています」
ミラが記録する。
「一件目魔力灯、乾燥進行。三件目保存箱、匂い軽減。四件目結界札、診断済み・修理不可、組合廃札処理」
ポロが『診断済み・修理不可』の札を受付棚に置いた。
「ここでいい?」
「はい」
ミラが言う。
「でも、勝手に出さないこと」
「分かってる」
外では、五件目の持ち主が待っている。
携帯結界灯。
使用時に低い鳴りが出るという相談品だ。
結界札の緊張がまだ体に残っている。
けれど、次で初回外部相談の五件目になる。
俺は井戸水を一口飲んだ。
すっとする。
村の水が、胸の奥の硬さを少しほどいてくれた。
ミラが新しいページを開く。
「五件目へ進みますか?」
俺は工房の外の音を聞いた。
井戸の札。
から。
水車小屋の影車。
こ、と。
工房の看板。
からん。
村の音は、落ち着いている。
「はい」
俺は頷いた。
「五件目、聞きます」
ポロが受付札を替える。
『受付中』
そして小さく呟いた。
「順番に、ひとつずつ」
結界札を直すことはできなかった。
でも、使ってはいけないと伝えることはできた。
それも、リント村修理工房の仕事だった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、四件目の結界札診断でした。
焦げ音のある結界札は、工房内ではなく村外れの石場で確認しています。
原因は、結界札の重ね使い。
仲間を守るための判断ではありましたが、重ね使いによって魔力線が干渉し、札の端が焦げていました。
この札は修理して再使用するのではなく、再使用不可。
組合で廃札処理となります。
「直す」だけでなく、「使ってはいけない」と伝えることも工房の仕事です。
次回は、五件目の携帯結界灯。
初回外部相談、最後の一件へ進みます。




