第36話 三件目の保存箱
二件目の方位石を返却したあと、工房の前には大きな影が立っていた。
縄で縛られた保存箱。
そして、それを片手で抱えている大柄な冒険者。
肩幅が広く、腕も太い。
背中には大きな斧を背負っている。
顔は怖いが、どこか困った犬のような目をしていた。
ポロが受付札を確認する。
『受付中』
それから、少し緊張した声で言った。
「三番の方、どうぞ」
大柄な冒険者は、保存箱を抱えたまま工房へ入ろうとした。
その瞬間、ミラが手を上げる。
「そのまま机には置かないでください」
「え?」
「縄で縛られている状態も記録します。まず、入口の布台へ置いてください」
「あ、ああ」
冒険者は慌てて、入口近くの厚い布の上に保存箱を置いた。
どすん。
重い音がした。
保存箱は、普通の小箱より二回りほど大きい。
外側は灰色の木材で作られ、角には金具が打たれている。
内側に魔冷石を入れて、食料や薬草を低温で保つためのものだ。
だが、その箱はかなり無理をしていた。
蓋は閉まりきっていない。
片側が浮いている。
浮いた蓋を、太い縄でぐるぐる巻きにして押さえている。
留め金は少し曲がり、箱の角には擦れた跡があった。
ポロが小声で言う。
「痛そう」
その言葉は、妙に合っていた。
ミラが受付記録を始める。
「三番。保存箱。持ち主のお名前をお願いします」
「ボルドだ」
「使用用途は?」
「食料と薬草の保存だ。迷宮へ三日潜る時に使っている」
ハンナさんの眉が少し動いた。
「食料と薬草、一緒に?」
ボルドは首を傾げる。
「だめなのか?」
ハンナさんはすぐには答えなかった。
「中を見てからだね」
ミラが記録する。
「使用用途、食料と薬草の保存。混在の可能性あり」
ボルドは少し不安そうに箱を見る。
「そんなにまずいか?」
「確認します」
ミラは淡々と答えた。
「不調の内容を教えてください」
「蓋が閉まらなくなった。冷えも弱い気がする。だから縄で縛って使ってた」
「いつからですか?」
「二週間くらい前から」
「その間も使用しましたか?」
「ああ。迷宮へ二回持っていった」
ミラの筆が止まらない。
「蓋が閉まらない状態で迷宮使用二回。縄で固定」
ボルドが胸を押さえる。
「記録って、思ったよりきついな」
トマと同じような反応だった。
ポロが小さく言う。
「みんな刺さるって言う」
「ポロ」
「はい」
ミラはさらに聞く。
「蓋が閉まらなくなった原因に心当たりはありますか?」
ボルドは少し考えた。
「薬草の束を多めに入れた時、蓋が浮いた。押したら閉まりそうだったから、上から押さえた」
「どのくらいの力で?」
「こう、ぐっと」
ボルドは両手で押し込む動きをした。
机が少し揺れた。
ガンツさんが低い声で言う。
「それで曲がったな」
「まだ見てないだろ」
「見なくても分かる」
ボルドは黙った。
俺は保存箱へ近づき、縄に触れないよう耳を近づけた。
こ。
……き。
しゅう。
冷気が漏れている音。
魔冷石の音はまだ生きている。
けれど、蓋の片側から冷気が逃げている。
さらに、箱の中から別の音がした。
もわ。
音というより、匂いが重く沈んでいる気配。
薬草と干し肉と湿った布が混ざったような、鈍い響きだ。
「冷気が片側から漏れています」
俺が言うと、ボルドは顔をしかめた。
「やっぱりか」
「蓋の歪みと、留め金の曲がりが原因だと思います。それから、中に匂いがこもっています」
ハンナさんが腕を組む。
「開ける前から分かるね。これは中を見る必要がある」
ミラが確認する。
「開封してもよろしいですか?」
ボルドは頷いた。
「ああ。頼む」
ガンツさんが縄を見た。
「切るぞ」
「縄、再利用できるか?」
「無理に締めた縄だ。伸びている」
「そうか……」
ボルドは少ししょんぼりした。
ガンツさんは容赦なく縄を切った。
ぶつ。
縄が解けると、蓋がわずかに浮いた。
き。
嫌な音。
留め金が歪んでいる。
俺は手を上げた。
「そのまま開けないでください。右側が引っかかっています」
「ここか」
ガンツさんが留め金を見る。
「曲がっているな。無理に開けると、蓋枠ごと割れる」
ボルドの顔が青くなる。
「割れるのか?」
「このまま力で開ければな」
「力でやるところだった」
「だから止めた」
ポロがすぐに絵を描いた。
保存箱。
浮いた蓋。
上から押す大きな手にばつ印。
無理に開ける手にもばつ印。
『おしてしめない』
『むりにあけない』
ハンナさんが覗き込む。
「これは絶対に必要だね」
ミラも頷いた。
「保存箱用点検表に入れます」
ガンツさんは細い工具を使い、留め金を少しずつ戻した。
かち。
き。
……かち。
強く曲げ戻すのではない。
歪みを逃がすように、少しずつ。
「蓋を押さえるな」
「はい」
ボルドは両手を背中に回した。
触りたくなるのを我慢しているらしい。
留め金が外れると、蓋がほんの少し開いた。
その瞬間、工房の中に匂いが広がった。
薬草。
干し肉。
湿った布。
古い脂。
そして、冷えきらなかった食料の重い匂い。
ポロが鼻を押さえた。
「うっ」
ハンナさんがすぐに言う。
「ポロ、下がって」
「はい」
ミラも少し眉を寄せながら記録する。
「開封時、薬草、干し肉、湿った布、脂の混合臭あり」
ボルドは気まずそうに頭をかいた。
「そんなに匂うか?」
「匂います」
ハンナさんが即答した。
「食料と薬草を一緒に入れて、湿った布まで入れたら、匂いが移るよ。薬草の効きにも、食べ物の味にもよくない」
「でも、箱は一つしかなくてな」
「一つしかないなら、仕切る。布を乾かす。匂いの強いものは包む。何でも一緒に押し込まない」
ハンナさんの声は厳しかった。
ボルドは大きな体を少し縮めた。
「はい」
俺は保存箱の中を見た。
内側の壁に、薄く水滴の跡がある。
魔冷石は底の右奥に入っていた。
だが、上から荷物を押し込んだせいで、固定具が少しずれている。
冷気が箱全体へ回らず、右奥に偏っていたのだろう。
さらに、左側の内張りが少し膨らんでいる。
湿った布が長く触れていた跡だ。
「魔冷石の固定具もずれています」
ミラが記録する。
「魔冷石固定具のずれ。冷気の偏り。内張り左側に湿気膨らみ」
ボルドは保存箱を見て、低く呻いた。
「閉まれば使えると思ってた」
「閉まっていませんでした」
ガンツさんが言う。
「縄で縛っただけだ」
「……そうだな」
ボルドは素直に認めた。
ハンナさんは中に残っていた布をつまみ上げた。
「これは?」
「干し肉を包んでた布だ」
「湿ってる」
「迷宮で水をかぶったから、帰ってから干そうと思って忘れた」
ハンナさんは布を別の皿に置いた。
「保存箱に湿った布を戻さない。これは絶対」
ポロが鼻を押さえながら書いた。
『ぬれたぬのをいれない』
ミラが記録する。
「湿った布を入れたまま保管。匂いと湿気の原因」
診断は、保存箱そのものと使い方の両方に広がっていた。
箱の蓋が歪んだ。
留め金が曲がった。
魔冷石の固定具がずれた。
冷気が漏れた。
中に湿気と匂いがこもった。
原因は一つではない。
無理に押し込んだこと。
縄で縛ったこと。
湿った布を入れたこと。
食料と薬草を混ぜたこと。
点検しなかったこと。
全部が、少しずつ保存箱を悪くしていた。
「修理できますか?」
ボルドが聞いた。
俺は箱の音をもう一度聞いた。
こ。
き。
しゅう。
……り。
「蓋と留め金の仮調整はできます。魔冷石の固定具も戻せます。ただ、内張りの湿気と匂いは一日では抜けません」
「使えるようになるのは?」
ガンツさんが答える。
「無理に急ぐなら、また歪む」
ボルドはすぐに口を閉じた。
俺が続ける。
「今日できるのは、蓋の歪み確認、留め金の仮調整、魔冷石固定具の戻し、内部の乾燥開始です。匂い抜きと内張りの確認には、最低一晩。食料用として安心して使うなら、二日は見たいです」
「二日……」
ボルドは少し困った顔をした。
「明日また潜る予定だったんだが」
ハンナさんが厳しく言った。
「この箱に食料を入れて?」
「……」
「やめた方がいいね」
ボルドは大きく息を吐いた。
「分かった。預ける」
ミラが確認する。
「二日預かりでよろしいですか。内容は、蓋と留め金の調整、魔冷石固定具の確認、内部乾燥、匂い抜き、内張りの状態確認です」
「ああ」
「食料と薬草の仕切り、布の扱いについて、点検表と使用手順を作成しますか?」
ボルドは少し考えたあと、ポロの絵を見た。
「絵入りで頼む」
ポロが鼻を押さえたまま目を輝かせた。
「保存箱用!」
「頼む。俺、字だけだと読まんかもしれん」
ボルドは正直だった。
ハンナさんが呆れたように笑う。
「読んでもらわないと困るよ」
「絵なら見る」
「なら、絵でも覚えな」
「はい」
保存箱を預かる前に、持ち込み時の状態を記録した。
外側の傷。
縄の跡。
蓋の浮き。
右留め金の曲がり。
左内張りの膨らみ。
魔冷石固定具のずれ。
内部の匂い。
湿った布の残留。
ミラが読み上げるたび、ボルドの肩が下がっていった。
「俺、箱に悪いことしてたな」
その言葉に、工房の中が少し静かになった。
ポロが保存箱を見る。
「箱、がんばってた」
「そうだな」
ボルドは保存箱を見つめた。
「冷えてたから大丈夫だと思ってた。閉まらないのも、縄で縛ればいいと思ってた」
俺は静かに言った。
「冷えているうちは、まだ箱が頑張ってくれていたんだと思います」
「そうか」
「でも、頑張らせすぎると壊れます」
ボルドは深く頷いた。
「人と同じだな」
ハンナさんが小さく笑った。
「水車も井戸も、みんなそうだったよ」
ボルドは驚いたようにハンナさんを見る。
「井戸も?」
「この村ではね」
ハンナさんは保存箱の中から湿った布を取り出しながら言った。
「使えるから大丈夫、って放っておくと、ある日困るんだよ」
ボルドは何も言わなかった。
ガンツさんは保存箱の蓋枠を調べる。
「蓋枠の右奥が沈んでいる。留め金だけ直しても閉まらん」
「木枠もですか?」
俺が聞く。
「ああ。だが削るな。削れば隙間が増える。蒸気で少し戻して、重しで休ませる」
「保存箱も休ませる?」
ポロが聞いた。
「休ませる」
ガンツさんは即答した。
「歪んだ木は、戻す時間がいる」
ポロはすぐに書いた。
『ゆがんだはこも、やすませる』
ボルドがそれを見て苦笑した。
「俺も休ませた方がいい気がしてきた」
「明日潜る予定なら、本当に休んだ方がいいよ」
ハンナさんが言う。
「保存箱なしで三日潜るつもりなら、食料計画を見直しな」
「……はい」
大柄な冒険者が、ハンナさんの前で完全に小さくなっていた。
リーネがその様子を静かに見ている。
「ボルドさん、組合にも保存箱の使用記録を出してください」
「そこまで?」
「食料と薬草を同じ箱に入れていた件、次の迷宮許可時に確認します」
「うわ……」
「必要です」
リーネの声は、ミラとよく似ていた。
預かり記録が終わると、保存箱は『預かり中』の棚ではなく、工房の風通しのよい場所へ移された。
匂い抜きと乾燥が必要だからだ。
ただし、他の道具に匂いが移らないよう、離して置く。
ハンナさんが乾いた布を小さく丸めて、中に入れる。
「これは匂いを吸わせるため。あとで捨てるよ」
「使い回さないんですか?」
ポロが聞く。
「この匂いを吸った布は、食べ物には使えない」
「そっか」
ポロは書く。
『においをすったぬのは、たべものにつかわない』
ミラが頷いた。
「保存箱用手順に入れます」
ボルドは受付机で料金の説明を受けていた。
診断料。
蓋と留め金の調整。
魔冷石固定具の確認。
内部乾燥と匂い抜き。
絵入り点検表。
必要なら仕切り布。
彼は財布を出しながら、少し渋い顔をした。
「まあ、自分で悪くした分だしな」
トマよりは素直に払った。
ミラが領収記録を作る。
「返却予定は二日後です。ただし、内部の匂いが抜けない場合は延びます」
「分かった」
「返却時に、保存箱の使い方を説明します。食料用と薬草用の仕切りも確認します」
「はい」
ボルドはもう抵抗しなかった。
ポロが保存箱用の仮点検表を見せた。
『おしてしめない』
『むりにあけない』
『なわでぎゅうぎゅうにしない』
『ぬれたぬのをいれない』
『たべものとくすりは、しきる』
『においがしたら、まずあけてかぜをとおす』
『はこも、やすませる』
ボルドは真剣に読んだ。
「最後、いいな」
「はこも、やすませる?」
「ああ。覚えやすい」
ポロは嬉しそうにした。
「採用?」
ミラが答える。
「採用です」
ガンツさんは保存箱の蓋を見ながら、ぼそりと言った。
「子ども用だけでなく、大人にも必要だな」
ボルドは苦笑した。
「俺みたいな大人にはな」
三件目の保存箱は、二日預かりとなった。
ミラが記録を締める。
「三件目、保存箱。蓋歪み、右留め金曲がり、魔冷石固定具ずれ、内部湿気、匂い移り。二日預かり。乾燥と調整開始」
俺は保存箱へ耳を澄ませた。
しゅう。
冷気漏れの音はまだある。
だが、縄で無理に押さえられていた時の苦しそうな音は消えていた。
箱は今、開いて風を通している。
休んでいる音だ。
ポロが小さく言う。
「箱、ちょっと楽そう」
「そうですね」
ボルドは保存箱へ頭を下げた。
「悪かったな」
大きな体で、保存箱に向かって真面目に謝る姿は少し不思議だった。
でも、誰も笑わなかった。
道具を雑に扱っていた人が、初めて道具へ目を向けた。
それは、工房にとって大事な瞬間だった。
ボルドが工房を出ると、外で待っていた魔法使いが緊張した顔で立ち上がった。
四件目。
焦げ音のある結界札。
工房内では見ない。
村外れの石場で確認する品だ。
空気が少し引き締まる。
ガンツさんが厚い革手袋を手に取った。
「次は外だ」
ミラが札を替える。
『診断中』
さらに、外用の札を手に取る。
『危険確認中』
ポロも、自分の絵入り札を持った。
『かってにひからせない』
『あついものは、そとでみる』
『あぶないときは、うけとれません』
ハンナさんは工房の奥に置かれた保存箱をもう一度確認した。
「私はこの箱の風通しを見てから行くよ。匂いが他に移ると困るからね」
「お願いします」
俺は預かり棚を見る。
一件目の魔力灯。
三件目の保存箱。
どちらも、すぐには返せない。
時間をかけて直す必要がある。
二件目の方位石は返却済み。
けれど、点検表と袋が持ち主の手元に残った。
外部相談は、ただ修理するだけではない。
使い方を変える。
保管を変える。
道具を休ませる。
そのための仕事なのだと、少しずつ分かってきた。
俺は井戸水を一口飲んだ。
すっとする。
それから、工房の外へ出た。
工房の看板が鳴る。
からん。
井戸の札が遠くで鳴る。
から。
水車小屋の影車が、小さく鳴る。
こ、と。
次は、結界札。
焦げた音を聞く仕事だ。
俺は胸の中で、いつもの約束を繰り返した。
一件ずつ、聞く。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、三件目の保存箱診断でした。
原因は、蓋の歪みと留め金の曲がりだけではありません。
食料と薬草を一緒に入れたこと。
湿った布を入れっぱなしにしたこと。
閉まらない蓋を押し込み、縄で縛って使い続けたこと。
「閉まればいい」
「冷えていれば大丈夫」
そう思っていた保存箱には、冷気漏れと匂い移りが残っていました。
ハンナの生活目線も活きる回です。
次回は、四件目の結界札。
工房内ではなく、村外れの石場で危険確認を行います。




