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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第23話 水車の軸材

 水車の軸材を選ぶ朝、リント村修理工房の前には、いつもより多くの人が集まっていた。


 水車が本格的に回るかもしれない。


 その話は、昨日のうちに村中へ広がっていたらしい。


 まだ今日すぐに回すわけではない。

 今日は、軸に使う木材を選ぶだけだ。

 削り出しも、金具の調整も、取り付けもこれからだ。


 それでも、村人たちの表情は明るかった。


 水車が回れば、麦が挽ける。

 麦が挽ければ、粉になる。

 粉になれば、パンが焼ける。


 その道筋が、ようやく目に見えるところまで戻ってきたからだ。


 ポロは朝から落ち着かなかった。


「今日、パン焼ける?」


「今日はまだです」


「じゃあ明日?」


「明日もまだだと思います」


「じゃあ、あさって?」


「それも、たぶんまだです」


「パンって遠い……」


 ポロはがっくり肩を落とした。


 ハンナさんが笑いながら、ポロの頭を軽く叩く。


「遠いから、おいしいんだよ。焦って水車を壊したら、もっと遠くなる」


「それは困る」


「だろう?」


 ポロは真剣に頷いた。


 俺は工具袋を肩にかけ、ミラとガンツさんと一緒に古い倉へ向かった。


 古い倉は、村の北側にあった。


 水車小屋よりさらに奥。

 北の結界石へ続く道の手前に、低い石垣に囲まれた木造の建物がある。

 壁板は黒ずみ、屋根の端には苔が残っていた。


 普段は農具や古い桶、使わなくなった水路板をしまっている場所らしい。


 ガンツさんが扉の前に立つ。


「ここに、乾かした木材がある」


「水車用ですか?」


「昔はな。今は、残っているか分からん」


 ミラが帳面を開いた。


「父の話では、祖母が水守だった頃、水車の軸に使える木を何本か選んで保管していたそうです」


「何年くらい前ですか」


「二十年以上前です」


 長い。


 木材は、乾けばいいというものではない。

 乾きすぎれば割れる。

 湿気を吸えば腐る。

 虫が入れば、外から見えなくても中が空になる。


 水車の軸に使うなら、重さと水に耐えなければならない。

 さらに、北の結界石と影車へ音を送る役目もある。


 ただ丈夫なだけでは駄目だ。


 ガンツさんが倉の鍵を開けた。


 ぎい、と扉が鳴る。


 中は薄暗く、乾いた木と古い藁の匂いがした。


 窓は小さい。

 光は細く差し込むだけだ。

 奥には、何本もの木材が横に積まれていた。


 太いもの。

 細いもの。

 短いもの。

 長いもの。


 どれも古いが、すぐに駄目だと分かるものは少なかった。


 ガンツさんが低く言う。


「思ったより残っているな」


 ミラは少しほっとしたように息を吐いた。


「祖母が残してくれたんですね」


「まだ使えるかは別だ」


 ガンツさんは一本の木材を叩いた。


 こん。


「これは駄目だ。中が空いている」


 見た目には分からない。

 だが、音は軽すぎた。


 俺も耳を澄ませる。


 こん。

 こ。

 かん。


 木材ごとに音が違う。


 乾いている音。

 湿気を吸った音。

 虫が入った音。

 芯が残っている音。


 水車の軸に使うなら、中心にまっすぐな音が必要だ。


 ガンツさんが一本ずつ確認していく。

 俺はその横で音を聞く。

 ミラは、長さ、太さ、状態、置かれていた場所を記録する。


 ポロは倉の入口で、木材の絵を描いていた。


「これ、全部ただの木に見える」


「ただの木ではないよ」


 ハンナさんが言う。


「昔から、木には向き不向きがある。畑の支柱にいい木、桶にいい木、水に強い木、火にくべる木。全部違う」


「木も仕事が違うんだ」


「そういうこと」


 ポロは納得したように頷いた。


「じゃあ、水車の軸になる木は、水車の仕事ができる木なんだ」


「そうです」


 俺は答えた。


 ポロは木材を見て、少しだけ姿勢を正した。


「大事な木だ」


 倉の中ほどまで確認したところで、ガンツさんが一本の太い木材を引き出した。


 長さは十分。

 太さもある。

 表面には細かい傷があるが、腐っている様子はない。


 俺は指で軽く叩いた。


 こん。


 低く、まっすぐな音が返ってきた。


 悪くない。


 しかし、水車の軸としては少し硬い。

 大きな力には耐えそうだが、影車や北の結界石へ音を送るには鈍いかもしれない。


「丈夫ですが、音が少し重いです」


「水車は重い。軸も重くていい」


 ガンツさんはそう言ったが、すぐに俺の顔を見た。


「……と言いたいところだが、北の石へ音を送るなら違うか」


「はい。水車本体を支える力は必要です。でも、水の始まりや軸の揺れを完全に飲み込む木だと、結界石へ届く音が鈍ります」


 ミラが書き込む。


「候補一。丈夫だが音が重い。北結界石への伝達に難あり」


 ガンツさんは次の木材を引き出した。


 これは表面が綺麗だった。

 手入れされていたようにも見える。

 ポロが「これ良さそう」と言った。


 俺は叩いた。


 かん。


 高い音。


 乾きすぎている。


「これは割れやすいです」


 ガンツさんも頷いた。


「見た目はいいが、乾きすぎだな。水を受けると割れる」


 ポロが驚く。


「きれいなのに?」


「きれいでも駄目な時はある」


 ガンツさんが言う。


 ポロは紙に書き足した。


『きれいでも、たたいてみる』


 ミラがそれを見て頷く。


「点検表に入れましょう」


「本当?」


「本当です」


 ポロは嬉しそうにした。


 何本も確認した。


 重すぎる木。

 軽すぎる木。

 外側は良いが中に虫の音がある木。

 芯は良いが曲がりが強い木。

 水には強そうだが、音が濁る木。


 どれも使えないわけではない。

 けれど、水車の軸にするには決め手が足りなかった。


 倉の奥に、布をかけられた木材があった。


 他の材とは違い、直接床に置かれていない。

 小さな台の上に乗せられ、湿気が上がらないようにしてある。


 ミラが近づき、布に触れた。


「これは……」


 布を外すと、一本の木材が現れた。


 太く、まっすぐで、表面は落ち着いた飴色をしている。

 長く乾かされた木の色だ。


 そして、端に小さな印が刻まれていた。


 水滴と歯車。

 その周りに、細い輪。


 ミラが息を呑む。


「水守の印です」


 ガンツさんが無言で木材の前にしゃがんだ。


 ハンナさんも倉の入口から覗き込む。


「それ、見覚えがあるよ」


「本当ですか?」


「子どもの頃、祖母たちが『次の軸はこれだ』って話していた気がする。使わないまま、しまわれたんだね」


 ミラの手が、木材の印の上で止まる。


「祖母が、次の修理のために残したもの……」


 俺は木材に耳を近づけた。


 触れる前から、音がした。


 こぉ。


 深い音だった。


 水車の大きな回転を受け止める低さ。

 影車へ返す軽い響き。

 北の結界石へ届く、澄んだ芯。


 ただ丈夫な木ではない。

 水の中で鳴ることを知っている木だ。


 俺は、そっと指で叩いた。


 こん。


 音が倉の中に広がる。


 こ、とん。


 まるで、まだ水車になっていないのに、水車の音を少し覚えているようだった。


「これです」


 俺は言った。


 ガンツさんも頷く。


「芯がいい。乾きも悪くない。少し表面を削れば使える」


 ミラは、木材の印を見たまま動かなかった。


「ミラさん?」


 声をかけると、彼女ははっとしたように顔を上げた。


「すみません」


「大丈夫ですか」


「はい。ただ……祖母は、本当に次のことを考えていたんですね」


 ミラの声は静かだった。


「水車が止まる前に。自分がいなくなった後に。誰かがまた直せるように、この木を残していた」


 ガンツさんが木材の端を撫でる。


「水守は、そういう仕事だったんだろう」


「そういう仕事……」


「壊れてから慌てるのではなく、次に必要なものを残す。手順を残す。材を残す。人に伝える」


 ミラは帳面を抱きしめた。


「私たちが、受け取れなかったんですね」


「今、受け取った」


 ガンツさんの言葉は短かった。


 けれど、優しかった。


 ミラは小さく頷いた。


「はい。今度は、残します」


 ポロが木材の印をじっと見ていた。


「水守の印、点検表にも描く?」


 ミラは少し考えてから答えた。


「描きましょう。ただし、これは特別な印です。大事な材や手順に使うものだと説明も入れます」


「分かった。大事に描く」


 ポロはいつもより丁寧に紙を持った。


 木材を倉から出すには、村人の手が必要だった。


 水車の軸に使うほどの材だ。

 大人四人で慎重に運び出す。


 俺とガンツさん、若者二人が持ち上げる。

 ハンナさんが足元を確認し、ポロは少し離れた場所で道を空ける係をした。


「石ある!」

「そこ、ぬかるみ!」

「こっち通れる!」


 ポロはいつになく真剣だった。


 材を水車小屋の前まで運び、台の上に置く。


 水車が、こ、とん、と鳴った。


 まるで新しい軸材を見ているようだった。


 俺は木材と水車の音を交互に聞いた。


 木材。


 こん。


 水車。


 こ、とん。


 影車。


 こ、と。


 北の結界石。


 りん。


 合う。


 まだ削っていない。

 まだ軸になっていない。

 それでも、音の方向は合っている。


「大丈夫です。この木なら、水車に合います」


 村人たちの間に、安堵の声が広がった。


 ポロが小さく跳ねる。


「パン、近づいた?」


「少し近づきました」


「また少し!」


「でも、昨日より大きい少しです」


「大きい少し!」


 ポロは嬉しそうに繰り返した。


 ハンナさんが笑う。


「いいね。大きい少し」


 ガンツさんは軸材を見ながら、すぐに現実的な話へ移った。


「このままでは太すぎる。芯を外さないように削る。軸受けに合わせるには、金具も作り直す必要がある」


「どれくらいかかりますか?」


 ミラが尋ねる。


「急げば三日。だが急がん。五日は見る」


「五日」


「削り、乾き直し、合わせ、試し回し。どれも飛ばせん」


 ミラは頷いた。


「水車軸材加工、五日予定。工程は、粗削り、音確認、金具合わせ、乾き確認、試し回し……」


 俺も付け足す。


「影車と北の結界石の確認も毎回必要です。軸材を削るたび、水車の音が少し変わります」


「分かりました」


 ポロが手を上げる。


「毎日、影車も見る?」


「見ます」


「じゃあ僕、影車係?」


 ハンナさんがすぐに言った。


「一人では駄目だよ」


「見習い!」


「それならいい」


 ミラが書く。


「ポロ、影車確認見習い。ただし大人同伴」


「やった!」


 ガンツさんが低く言う。


「浮かれるな。見るだけだ」


「はい!」


 軸材の確認が終わった後、ミラは水守の印を写した。


 水滴と歯車。

 細い輪。


 古い材の端に刻まれていた印を、帳面に丁寧に描く。


「この印は、どういう意味なんでしょう」


 ミラが呟く。


 ハンナさんが少し考えた。


「水滴は水。歯車は水車。輪は、村を巡るってことじゃないかね」


「村を巡る……」


 俺は印を見た。


 井戸の水。

 水車の回転。

 結界石の光。

 防護鐘の音。


 全部が巡る。


 たしかに、そんな印に見えた。


「水守の印は、ただの署名ではないのかもしれません」


「どういう意味ですか?」


 ミラが聞く。


「この材は、水車だけのものではなく、村の巡りを支えるものだと示しているのかもしれません」


 ミラは真剣に頷いた。


「記録します」


 ポロが絵を見ながら言った。


「じゃあ、この印がある木は、みんなで使う大事な木?」


「そうですね」


「勝手に燃やしたらだめな木」


「絶対に駄目です」


 ポロは大きくばつ印を書いた。


『水守の印の木は、かってにもやさない』


 ハンナさんが笑いながらも頷く。


「大事だね。昔、印の意味を知らない人が見たら、ただの古い木に見えるかもしれない」


 ミラの表情が引き締まった。


「そうならないように、倉の記録も作ります」


「倉の記録?」


「はい。どこに何があるのか。何に使うものなのか。使っていいものと、確認が必要なものを分けます」


 ガンツさんが頷いた。


「それは必要だな。木材だけでなく、金具、古い水路石、魔力管の残りも分けた方がいい」


「工房の管理表ですね」


 ミラの目が少し輝いていた。


 やることが増えている。

 でも、彼女は以前のように押しつぶされそうな顔をしていない。


 分からないまま抱えるのではなく、分かる形にしているからだろう。


「ミラさん、無理はしないでください」


 俺が言うと、ミラは少し笑った。


「はい。だから、手伝ってもらいます」


「誰に?」


「村の人にです。倉を使う人、畑の道具を使う人、水車を見る人。みんなで記録します」


 その答えに、俺は頷いた。


 リント村は、少しずつ変わっている。


 誰か一人が全部を覚えるのではなく、みんなで残す方向へ。


 昼過ぎ、軸材は水車小屋の横に仮置きされた。


 直接地面に置かず、石の台と乾いた板で支える。

 雨が当たらないように、上には布をかける。

 ただし、風が通るように完全には覆わない。


 ガンツさんが細かく指示を出し、ハンナさんが布を整え、若者たちが石台を置いた。


 ポロは点検表に新しい項目を書いた。


『木は、じめんにおかない』

『あめはだめ』

『かぜはいる』


 ミラがそれを見て、正式な手順に直す。


『軸材は地面に直接置かない』

『雨を避ける』

『風通しを確保する』


 同じ内容でも、ポロの言葉とミラの言葉が並ぶと、どちらも役に立つ気がした。


 夕方近くになって、俺はもう一度軸材の音を聞いた。


 こん。


 低く、まっすぐ。


 こ、とん。


 水車が返す。


 影車が小さく鳴る。


 こ、と。


 北の結界石が応える。


 りん。


 順番は整っている。


「このまま一晩置いて、明日の朝もう一度確認します」


 俺が言うと、ガンツさんが頷いた。


「木は、置いた場所でも音が変わる。明日の朝の音が大事だ」


「はい」


 ミラが記録する。


「軸材候補、水守の印あり。水車との音の相性良好。一晩置き、翌朝再確認」


 ポロが隣で、木材へそっと手を合わせた。


「明日からよろしくお願いします」


 俺は少し笑ってしまった。


「挨拶ですか?」


「小さい水で石に挨拶するなら、木にも挨拶していいかなって」


 ハンナさんが笑う。


「いいんじゃないかい。大事な木だしね」


 ガンツさんも止めなかった。


 むしろ、小さく頷いたように見えた。


 その夜、リント村修理工房では、ミラが倉の管理表を作り始めた。


 俺は軸材の音を書き取るための簡単な表を作った。


『叩いた位置』

『音の高さ』

『濁り』

『湿り』

『水車との相性』


 ポロは水守の印を何度も練習している。


 最初は歯車が花のようになり、輪が丸すぎて団子のようになっていた。

 それでも、何度も描いているうちに少しずつ形になっていった。


「これ、難しい」


「大事な印ですから」


 ミラが言う。


「うん。ちゃんと描く」


 ポロは真剣だった。


 工房の看板が、夜風で鳴る。


 からん。


 水車小屋の方からは、影車の小さな音が届く。


 こ、と。


 そして、軸材が静かに眠っている。


 明日から、木を削る作業が始まる。

 水車を本当に回すための、大きな一歩だ。


 俺は机の上に置かれた水守の印を見た。


 次の誰かのために、残された木。

 次の修理のために、忘れられないよう刻まれた印。


 俺たちは今、それを受け取った。


 そして今度は、俺たちが残す番なのだと思った。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、水車本体の軸材を選ぶ回でした。


古い倉に残されていた木材の中から、水車に合う一本を探すエイルたち。

選ばれたのは、かつて水守が次の修理のために残していた、水守の印つきの軸材でした。


水車の修理は、ただ壊れたものを直すだけではありません。

昔の水守が残した準備を受け取り、今度は次へ残していく作業でもあります。


次回は、いよいよ軸材の削り出しへ進みます。

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