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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第22話 影車の金具

 影車の金具は、思っていたよりずっと小さかった。


 水車小屋の裏で見つかった影車は、手のひらより少し大きい。

 水車のように堂々と回るものではない。

 細い水の始まりを受け、北の結界石へ知らせるための小さな補助輪だ。


 けれど、その小さな軸を支える金具がなければ、大きな水車は安全に回せない。


 リント村修理工房の作業机に、古い金具を並べる。


 錆びた輪。

 欠けた小さな留め具。

 薄く曲がった軸受け。


 どれも指先でつまめるほどの大きさだ。

 だが、耳を近づけると、ずっと役目を果たしてきた音が残っていた。


 こ。

 こ、と。


 水を受ける前に鳴る、小さな合図の音。


 俺はその音を聞きながら、机に置いた紙へ線を引いた。


 影車の軸を締めすぎない形。

 水の初めの力を受け流す丸み。

 北の結界石へ音を送るための、ほんのわずかな隙間。


 南畑の結界石に作った葉留めとは違う。

 葉留めは、傷を支える金具だった。

 今度の金具は、動きを止めずに支えるものだ。


「細いな」


 隣で見ていたガンツさんが言った。


「はい。強く作りすぎると、影車が動かなくなります」


「弱すぎれば折れる」


「そうです」


「面倒な金具だ」


「はい」


「だが、悪くない」


 ガンツさんは古い金具を指で弾いた。


 ちん。


 錆びているのに、まだ澄んだ音が少し残っている。


「水路金を使う。だが、そのままでは硬い。薄く延ばして、少し銅を足す」


「銅を?」


「粘りを出す。影車は大きな力ではなく、小さな揺れを受け続ける。硬すぎる金具は割れる」


 俺は頷いた。


 音でも、同じことが分かる。

 硬すぎる金属は、影車の小さな揺れを跳ね返してしまう。

 柔らかすぎれば、軸を支えきれない。


 必要なのは、受け止めて、少し逃がして、また戻す音だ。


 ミラは作業机の端で帳面を開いていた。


「影車金具。水路金を主に使い、銅を少量。理由は、小さな揺れを受けるため……」


 彼女は書きながら顔を上げる。


「銅の量は記録できますか?」


 ガンツさんが少し考えた。


「水路金十に対して、銅一より少し少ない。正確な秤があればいいが、今は目と音で合わせる」


「では、目安として書きます。今後、秤も必要ですね」


「工房らしくなってきたな」


 ガンツさんがそう言うと、ミラは少しだけ嬉しそうにした。


 窓の外では、ポロが影車の絵を描いている。


 大きな水車。

 小さな影車。

 北の結界石。


 昨日の絵に加えて、今日は金具の絵も描こうとしていた。

 ただ、小さすぎる金具をどう描けばいいか分からないらしい。


「兄ちゃん!」


 窓の外からポロが呼ぶ。


「金具って、どこに描けばいい?」


「影車の真ん中です。軸を支えるところ」


「真ん中……ここ?」


「はい。でも、実物より大きく描いていいです。見えるように」


「分かった! 小さいけど大事だから、大きく描く!」


 その言葉に、ガンツさんが鼻を鳴らした。


「絵としては正しい」


「やった!」


 ポロはまた紙へ向かった。


 ハンナさんも工房へ来ていた。

 今日は畑の作業の前に、古い記憶を話してくれることになっている。


「影車のこと、もう少し思い出しましたか?」


 ミラが尋ねると、ハンナさんは腕を組んだ。


「はっきりとはねえ。でも、祖母がよく言ってたよ。大きい水は急に通すな、小さい水で石に挨拶してからだって」


「石に挨拶……」


 ミラがすぐに書く。


「昔の言い方でしょうか」


「たぶんね。子どもの頃は、本当に石に挨拶してるんだと思ってた」


 俺は影車の古い金具に耳を近づけた。


 小さい水で石に挨拶する。


 それは、かなり正しい説明だと思った。


 影車が水の始まりを受ける。

 北の結界石が先に反応する。

 それから水車本体に大きな水を通す。


 ただの機械ではない。

 水と石の順番を整える仕組みだ。


「手順書の最初に入れましょう」


 俺が言うと、ミラが頷いた。


「『大きい水を通す前に、小さい水で北の結界石へ知らせる』ですね」


「はい」


 ポロが窓の外から叫ぶ。


「『石にあいさつ』も入れる?」


 ミラは少し考えて、笑った。


「子ども用の絵入り手順書には入れましょう」


「やった!」


 ガンツさんは道具袋を担いだ。


「話は鍛冶場で続けろ。金具は火にかけねば始まらん」


 俺たちは鍛冶場へ移動した。


 リント村修理工房の看板が、朝風で小さく鳴る。


 からん。


 その音を背に受けながら、俺は水路金の小片を布で包んで持った。


 鍛冶場では、炉の火が赤くなっていた。


 ごう。


 火の音は、相変わらず強い。

 けれど、第7話で初めてここへ来た時ほど、耳が迷うことはなかった。


 火の音。

 金床の音。

 ガンツさんの足音。

 ミラの筆の音。

 外でポロが紙を押さえる音。


 それらの中から、今聞くべき音を探す。


 水路金。

 銅。

 影車の古い金具。


 ガンツさんが金属片を炉へ入れる。


「エイル、影車の音を忘れるな」


「はい」


「葉留めとは違う。今度は止める金具ではない」


「動かすための金具です」


「そうだ」


 火の中で、水路金が赤みを帯びていく。


 少量の銅が溶け合い、音が少し柔らかくなる。


 り。

 りん。


 まだ高い。

 もう少し低く、丸くする必要がある。


「少し硬いです」


 俺が言うと、ガンツさんは銅片をほんのわずか足した。


 炉の音が変わる。


 ごう。


 金属の内側で、細い震えが丸くなった。


 りん。


「近いです」


「まだだな」


「はい。影車の軸には、もう少し粘りが必要です」


「分かった」


 ガンツさんは金属を取り出し、金床に置いた。


 かん。


 一打目。


 音が広がる。


 かん。

 かん。


 薄く延ばす。

 だが、薄くしすぎれば弱い。

 厚すぎれば影車の小さな動きを止める。


「そこで少し止めてください」


 俺が言うと、ガンツさんの鎚が止まった。


「厚いか」


「右側が少し厚いです。水を受ける側なので、厚すぎると返りが遅れます」


「返りか」


「水を受けたあと、戻る音です」


「なるほどな」


 ガンツさんは向きを変え、右側を軽く打った。


 かん。


 音が整う。


「合っています」


 ミラは離れた場所で必死に記録していた。


「影車金具。水を受ける側は厚すぎない。戻る音を邪魔しない……」


 ポロは鍛冶場の外でしゃがみ込み、金具の形を見ようとしている。


「ポロ、近づきすぎるな」


 ガンツさんが言う。


「線の外にいる!」


「火の粉は線を知らん」


「もう一歩下がる!」


 ポロは素直に下がった。


 金具の形は、だんだん見えてきた。


 小さな半月のような板。

 中央に軸を受ける丸み。

 片側には、水の揺れを逃がす細い切れ込み。

 反対側には、北の結界石へ音を伝えるための小さな爪。


 爪といっても、引っかくものではない。

 石組みの溝に軽く触れて、影車の揺れを音として送るためのものだ。


「この爪が重要です」


 俺が言うと、ガンツさんが目を細めた。


「折れやすいぞ」


「強くしすぎると、石へ音が刺さります」


「弱すぎれば鳴らん」


「はい」


「本当に面倒な金具だな」


 ガンツさんはそう言いながらも、手は慎重だった。


 細い鑿で爪の形を作る。

 強く叩かず、少しずつ起こす。

 俺は音を聞いた。


 ち。

 ちり。

 ……り。


「少し尖っています」


「削るか」


「先端だけ丸めてください。音が刺さらないように」


 ガンツさんはやすりを取った。


 しゃ。

 しゃ。


 ほんの数回。

 それだけで、音が変わる。


 りん。


「合いました」


 ガンツさんは金具を水桶に入れず、少し待った。


「急冷はしない」


「はい。急に冷やすと硬くなりすぎます」


「分かっているな」


「音がそう言っています」


「便利な返事だ」


 ガンツさんは低く笑った。


 金具はゆっくり冷まされた。

 その間に、ミラは手順書の下書きを読み上げる。


「水車開始前の確認手順。

 一、影車の周りの泥と落ち葉を確認する。

 二、影車へ細い水を通す。

 三、影車が小さく動くことを確認する。

 四、北の結界石の光を見る。

 五、光が安定してから水車本体の水量を増やす。

 六、影車が鳴らない時は、水車本体を大きく回さない」


「いいと思います」


 俺は頷いた。


 ハンナさんが付け足す。


「畑の人間にも分かるように、『水を急に増やさない』を太く書いた方がいいよ。水路を開ける人は、つい一気にやりたくなるからね」


「分かりました」


 ポロが手を上げる。


「太い字、僕が描く?」


「文字は私が書きます。ポロは絵で太くしてください」


「絵で太く!」


 ポロは楽しそうに紙へ向かった。


 金具が冷えると、俺は手に取って耳を澄ませた。


 りん。


 澄んでいる。

 ただし、少しだけ高い。


 影車に取り付けると、木の軸と水の音で下がるはずだ。

 今の状態なら、合う。


「大丈夫だと思います」


 俺が言うと、ガンツさんは頷いた。


「なら、取り付けだ」


 昼前、俺たちは水車小屋の裏へ戻った。


 影車は昨日の仮復旧のまま、小さく水を受けている。


 こ、と。


 半分だけ回り、止まる。

 また水を受け、少し動く。


 北の結界石は、薄く光っていた。

 ひびの音はない。

 しかし、本格的に水車を回すにはまだ弱い。


 ガンツさんが古い金具を外す。


 かり。

 かり。


 錆びた金具が外れると、影車の軸が少し不安そうに鳴った。


 こ。


「大丈夫です。支えてください」


「分かっている」


 ガンツさんが軸を押さえ、俺が新しい金具を合わせる。


 小さい。

 少しでも角度を間違えれば、軸が噛む。


 ミラは少し離れた場所で記録している。


「取り付け開始。影車軸、古い金具除去。新金具、水路金と銅の合金……」


 ポロは固唾を呑んで見守っていた。


「動くかな」


「今は静かに」


 ミラが小声で言う。


「うん」


 俺は金具を軸へ合わせた。


 ち。


 違う。

 少し高い。


 右へほんの少し。


 り。


 近い。

 でも、爪が石組みに触れていない。


「ガンツさん、下を少しだけ」


「どの程度だ」


「紙一枚分くらいです」


「また細かいな」


「影車が小さいので」


「分かっている」


 ガンツさんが金具を調整する。


 かち。


 金具が軸に収まった。


 音が変わる。


 こ。

 ……りん。


「入りました」


 俺が言うと、ガンツさんは留め具を固定した。


「水を通せ」


 ミラが水路の小板を持つ。


「少しだけですね」


「はい。昨日と同じ量から」


 水が影車へ流れる。


 さら。


 小さな羽根に、水が当たる。


 一瞬、影車は動かなかった。


 ポロが息を止める。


 次の瞬間。


 こ、と。


 影車が回った。


 昨日より滑らかに。

 半分ではなく、一回転。


 こ、と。

 こ、と。


 新しい金具が、軸を締めすぎず、緩めすぎず支えている。


 そして、小さな爪が石組みに触れた。


 りん。


 北の結界石が、すぐに反応した。


 遅れがない。


 水車本体より先に、影車の合図が届いている。


 ポロが両手を上げた。


「回った!」


 ミラの顔も明るくなる。


「北の結界石、光が安定しています」


 俺は音を聞いた。


 影車。


 こ、と。

 こ、と。


 北の結界石。


 りん。

 りん。


 いい順番だ。


「次に、水車本体へ少しだけ水を増やします」


 ガンツさんが水車を見上げた。


「本当に少しだ」


「はい」


 ミラが記録を確認する。


「手順通り、影車確認後、水車本体の水量を一段階だけ増やします」


 ガンツさんが水路の板を調整した。


 水が少し増える。


 水車の羽根が、今までより大きく動いた。


 こ、とん。

 こ、とん。


 影車が先に鳴る。


 こ、と。


 北の結界石が応える。


 りん。


 水車が続く。


 こ、とん。


 三つの音が、きれいに並んだ。


 昨日までの遅れはない。

 北の石が驚くようなひびの音もない。


「大丈夫です」


 俺が言うと、みんなの空気が少し緩んだ。


 ポロは跳ねそうになって、ハンナさんに肩を押さえられた。


「水路のそばでは跳ねない」


「はい!」


「でも、よかったね」


「うん!」


 ポロは嬉しそうに影車を見た。


「小さいの、ちゃんと教えてる!」


 その言葉に、俺は少し笑った。


 影車は、こ、と、こ、と、と小さく回り続けている。

 目立たない。

 大きな水車の影に隠れている。


 けれど、その音があるから、北の結界石は備えられる。

 大きな水を受ける準備ができる。


 ガンツさんが水車の軸へ目を向けた。


「これで、明日から本体の軸材を削れる」


「はい。ただ、今日の水量はここまでです」


「分かっている。慣らしが必要だ」


 ミラが手順書に書き足す。


「新金具取り付け後、初日は水量を増やしすぎない。影車、北結界石、水車本体の音を確認する」


 ハンナさんが頷く。


「昔の祖母も、最初の日は水を欲張るなって言っていた気がするよ」


「それも書きます」


 ミラがすぐに記録する。


 ポロが絵の下に、大きな字を書いた。


『さいしょのひは、よくばらない』


 ガンツさんがそれを見て、少しだけ口元を動かした。


「悪くない」


「やった!」


 ポロはまた喜んだ。


 夕方まで、影車と北の結界石の様子を見た。


 水量を少し増やし、戻す。

 影車の動きが遅れないか。

 北の結界石の光が揺れないか。

 水車本体の軸に無理な音が出ないか。


 確認するたびに、ミラが記録した。


「水量一段階、影車安定」

「北結界石、光揺れなし」

「水車本体、軸に負担音なし。ただし本格回転は不可」

「翌朝、再確認」


 ポロの絵入り手順書も、少しずつ形になっていく。


 大きな水車。

 小さな影車。

 北の結界石。

 水を少しずつ増やす手。

 ばつ印のついた「いきなり大水」。


 ハンナさんはそれを見て言った。


「これなら、水路を開ける係の人にも分かりやすいね」


「文字が苦手でも?」


 ポロが聞く。


「分かるよ」


「よし!」


 夕方、工房へ戻ると、ミラは影車用の手順書を清書した。


 表題はこうだった。


『水車を動かす前の影車確認手順』


 その一番上に、ポロの言葉が入った。


『ちいさいおとをきいてから、おおきくうごかす』


 ミラはその横に、少しだけ小さな字で説明を加えた。


『影車は、北の結界石へ水の気配を知らせる大切な仕組みです。影車が動かない時は、水車本体を大きく回してはいけません。』


 俺はそれを見て、胸の奥が温かくなった。


 俺が聞いていた音が、手順になっている。

 ポロの言葉が、村の約束になっている。

 ガンツさんの金具が、仕組みを支えている。

 ハンナさんの記憶が、意味を補っている。

 ミラの文字が、次の誰かへ残している。


 これが、工房の仕事なのだと思った。


 その夜、北の結界石は静かだった。


 ひびの音はしない。

 影車が、風と細い水を受けて、時々かすかに鳴る。


 こ、と。


 その小さな音に、北の石が淡く応える。


 りん。


 明日は、水車本体の軸材を見る。


 いよいよ、大きな水車を本当に回すための仕事が始まる。


 俺は工房の机に向かい、工具袋を開けた。


 水車の軸に必要な音。

 木材の乾き具合。

 金具の形。

 水量の順番。


 考えることは多い。


 けれど、焦らない。


 小さい音を聞いてから、大きく動かす。


 影車の金具は、そのことを教えてくれていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、影車の金具作りの回でした。


南畑の「葉留め」が結界石の傷を支える金具だったのに対し、今回の影車の金具は「動きを止めずに支える」ための金具です。


小さな影車が先に鳴り、北の結界石へ知らせる。

それから大きな水車を動かす。


ポロの言葉、

「ちいさいおとをきいてから、おおきくうごかす」

が、リント村修理工房の大事な考え方として手順書に残りました。


次回は、いよいよ水車本体の軸材確認へ進みます。

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