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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第14話 リント村の正式依頼

 防護鐘が朝を告げた翌日、リント村の空は高く澄んでいた。


 昨日までと同じ村のはずなのに、広場に立つと少し違って見える。


 井戸のそばには、水を汲む人の列がある。

 水車小屋の方からは、こ、とん、こ、とん、と弱いながらも規則正しい音が届いていた。

 南の畑では、ハンナさんが麦の葉を確かめている。


 そして、村の中央には防護鐘がある。


 今は鳴っていない。

 けれど、昨日までの沈黙とは違う。


 眠っているのではなく、次の朝を待っている。

 そんな静けさだった。


 俺は井戸の縁に手を置き、音を聞いた。


 さら。


 水の流れは安定している。

 ただし、完全ではない。

 水脈石の表面にはまだ泥が残っているし、巻き上げ機の軸も本格的に取り替えたわけではない。


 直った、とは言いきれない。


 でも、息はしている。


「エイルさん」


 後ろからミラの声がした。


 振り返ると、彼女はいつもの帳面を抱えて立っていた。

 今日は、その上に何枚かの紙と、小さな木箱を重ねている。


「おはようございます」


「おはようございます」


 ミラは一度、井戸を見てから言った。


「集会所へ来てもらえますか」


「何か壊れましたか?」


「いいえ」


 彼女は少しだけ笑った。


「壊れる前に、話しておきたいことがあります」


 壊れる前に。


 その言葉が、自然に出たことが少し嬉しかった。


 俺は工具袋を肩にかけ直し、ミラと一緒に集会所へ向かった。


 集会所には、すでに何人かの村人が集まっていた。


 ガンツさんは腕を組んで壁際に立っている。

 ハンナさんは畑用の手袋を外し、机の上に置いていた。

 井戸の水をよく使う老人。

 水車小屋を手伝ってくれた若者。

 ポロも、入口の近くに立っている。


 ただの雑談ではない。

 村の大事な話をするために集まっている空気だった。


 俺は少しだけ足を止めた。


「俺がいてもいいんですか?」


 ミラが不思議そうにこちらを見る。


「エイルさんの話ですから」


「俺の?」


「はい」


 彼女は集会所の中央の机へ進み、紙を置いた。

 そこには丁寧な文字で、こう書かれていた。


『リント村 音繕い修理依頼書』


 俺は思わず、まばたきをした。


「依頼書……ですか」


「はい」


 ミラはまっすぐ俺を見た。


「リント村として、エイルさんに正式に依頼します」


 集会所の中が、静かになる。


 ミラは紙を一枚ずつ並べた。


「依頼内容は、井戸、水車、水路、結界石、防護鐘の点検と修理。それから、作業記録の作成です」


「作業記録も?」


「はい。エイルさんがいなくても、村が次に気づけるようにするためです」


 ミラは自分の帳面を軽く叩いた。


「私は記録を続けます。でも、私だけでは音の意味までは分かりません。だから、エイルさんに教えてもらいながら、村の記録として残します」


 俺は言葉を探した。


 正式な依頼。

 作業記録。

 村の記録。


 それは、今まで俺がしてきた仕事とは、まるで違って聞こえた。


 勇者候補パーティにいた時、俺の整備は当たり前だった。

 やっておけ。

 早くしろ。

 邪魔になるな。

 それだけだった。


 記録を書いても、読まれない。

 警告しても、聞かれない。

 道具が壊れなければ誰にも気づかれず、壊れれば責められる。


 でも、目の前にある紙には、俺の仕事が依頼として書かれている。


 ミラは続けた。


「報酬についても、村で話し合いました」


「報酬は、あまり無理しないでください。防護鐘が鳴ったばかりで、村もまだ」


「無理はしません」


 ミラはきっぱり言った。


「でも、払います」


 その声は、昨日よりずっと強かった。


「井戸を直してもらった時にも言いました。直してもらったものに、ちゃんと対価を払わない村にはなりたくありません」


 ハンナさんが頷く。


「畑からも出すよ。麦はまだ収穫前だけど、種麦を守ってもらったんだ。払わない理由にはならない」


 水車小屋を手伝っていた若者も言った。


「水車が回れば、粉ひきも戻ります。今すぐ大きくは払えませんが、今後の分も含めて決めた方がいいと思います」


 老人がゆっくり口を開く。


「昔は、水守にも鍛冶師にも、村で食い扶持を出していた。村を支える仕事に、村が払うのは当たり前じゃ」


 その言葉に、胸の奥が詰まった。


 当たり前。


 でも、俺にとっては初めてだった。


 ミラは一枚の紙を読み上げた。


「まず、住む場所として、集会所の二階の部屋を引き続き使ってください。食事は村で用意します。ただし、作業で忙しい日でも、必ず食べてもらいます」


「そこまで」


「必要です」


 ミラが少しだけ眉を寄せる。


「食べずに作業する人を、昨日見ました」


「……すみません」


 ポロが入口から言う。


「兄ちゃん、すぐごはん忘れそうだもん」


「忘れないよ」


「昨日、パン半分残して井戸見に行こうとした」


「それは」


「忘れてた」


 集会所に小さな笑いが起きた。


 ガンツさんが鼻を鳴らす。


「職人は食わんと手が鈍る」


「はい」


「返事だけはいい」


 ミラは話を戻した。


「報酬は、毎月の定額と、特別な大修理ごとの追加分に分けます。すぐに多くは出せませんが、村の収穫や水車の粉ひきが戻ったら増額します」


「そんなに細かく決めたんですか?」


「はい。曖昧にすると、また誰かが無理をします」


 彼女は紙を指で押さえた。


「エイルさんにも、村にも、無理が出ない形にしたいんです」


 俺は返す言葉を失った。


 曖昧にしない。

 ただ頼むのではなく、仕事として決める。


 それが、こんなに安心するものだとは知らなかった。


 ミラは次の紙を見せた。


「作業内容は、大きく分けて五つです」


 彼女は一つずつ読み上げる。


「一つ目。井戸の水脈石と巻き上げ機の本格点検。

 二つ目。水車と北水路の本格修理。

 三つ目。村の四方の結界石の点検と記録。

 四つ目。防護鐘の朝の手順の整理と、安全な鳴らし方の記録。

 五つ目。村人が異常に気づけるように、音以外の確認方法をまとめること」


 最後の項目で、俺は顔を上げた。


「音以外の確認方法?」


「はい」


 ミラは頷いた。


「エイルさんの耳は特別です。でも、村人全員が同じように聞けるわけではありません。だから、光の色、水の量、土の柔らかさ、歯車の揺れ、灯りの弱り方。そういう、誰でも見られる変化も記録したいんです」


 俺は、ミラの帳面を見た。


 彼女の文字で埋まり始めた記録。

 井戸の水位。

 水車の仮止め。

 結界石の光。

 葉留めの形。

 防護鐘が鳴った朝の手順。


 俺が聞いた音を、彼女は村の言葉に変えようとしている。


「いいと思います」


 俺は言った。


「俺の音だけに頼らない方がいいです」


「はい」


 ミラは少しだけ笑った。


「でも、エイルさんの音も必要です」


 その一言に、胸が温かくなった。


 ガンツさんが机に近づいた。


「もう一つある」


 ミラが頷き、木箱を開けた。


 中には、古い鍵が入っていた。


 真鍮のような色をした、小さな鍵。

 表面には水滴と歯車の模様が刻まれている。


「これは?」


「水守の作業小屋の鍵です」


 ミラが言った。


「水車小屋の裏に、小さな道具部屋があります。祖母が水守だった頃に使っていた場所です。長く閉めたままでしたが、昨日、父に場所を聞きました」


「そこを、俺が?」


「はい。エイルさんの作業場として使ってください」


 俺は鍵を見つめた。


 作業場。


 自分の道具を置いていい場所。

 記録を広げていい場所。

 壊れたものを持ち込んで、直すための場所。


 そんなものを持ったことはなかった。


 今までは、どこかの宿の隅か、迷宮の入口か、野営地の片隅で工具袋を開いていた。

 邪魔にならないように、誰かの足元を避けながら。


 でも、この鍵は違う。


 ここで直していい。

 ここで聞いていい。

 そう言われている気がした。


「受け取ってください」


 ミラが鍵を差し出した。


 俺はすぐには手を出せなかった。


 怖かった。


 受け取った瞬間、ここにいていいと思ってしまいそうで。

 そう思った後で、やっぱりいらないと言われるのが怖かった。


 ミラは、そんな俺を急かさなかった。


 ガンツさんも、ハンナさんも、村人たちも黙っている。


 ポロだけが、小さく言った。


「兄ちゃんの部屋、できるの?」


「作業場だよ」


「でも、兄ちゃんの場所でしょ?」


 ポロの言葉は、簡単だった。


 けれど、逃げ道がないくらいまっすぐだった。


 俺は息を吸った。


 そして、鍵を受け取った。


 手のひらの上で、鍵が小さく鳴る。


 りん。


 悪くない音だった。


「ありがとうございます」


 声が少し震えた。


 ミラはほっとしたように笑った。


「それから、依頼書には署名が必要です」


「署名」


「はい。エイルさんの名前を」


 机の上に、羽根ペンが置かれる。


 俺はその前に立った。


 紙には、すでにミラの署名があった。


『リント村村長代理 ミラ・リント』


 その下に、空白がある。


 依頼を受ける者の名を書く場所。


 俺は羽根ペンを取った。


 指先が少し震える。


 ただ名前を書くだけなのに、胸が苦しかった。


 エイル・ノート。


 自分の名前。


 勇者候補パーティで呼ばれる時は、たいてい命令の前だった。


 エイル、これを持て。

 エイル、早くしろ。

 エイル、邪魔だ。

 エイル、抜けろ。


 けれど今、この名前は依頼書に書かれようとしている。


 職人として。

 音繕いとして。


 俺はゆっくりと文字を書いた。


『音繕い エイル・ノート』


 書き終えた瞬間、集会所の中に小さな拍手が起きた。


 最初に叩いたのはポロだった。

 次にハンナさん。

 老人。

 若者。

 ミラも、少し照れくさそうに手を叩いた。


 ガンツさんだけは腕を組んだままだった。


 けれど、彼は短く言った。


「字は下手じゃないな」


「そこですか」


「大事だ。記録に残る」


 ミラが笑う。


「では、正式に決まりです」


 彼女は依頼書を丁寧に折らず、木の板に挟んだ。


「エイルさん。これからよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 頭を下げると、ポロがこちらへ駆け寄ってきた。


「兄ちゃん、これでリント村の人?」


「え?」


「だって、部屋もあるし、仕事もあるし、鍵もある」


 俺は答えに詰まった。


 リント村の人。


 そんなふうに考えたことはなかった。


 旅の途中で依頼を受けた人間。

 追放されて行き場がなくなった人間。

 壊れたものの音に引き寄せられただけの人間。


 でも、鍵は手の中にある。

 依頼書には名前を書いた。

 村人たちは、俺を見ている。


 ミラが静かに言った。


「無理に決めなくていいと思います」


「ミラさん」


「でも、リント村は、エイルさんがここにいてくれることを歓迎します」


 その言葉で、十分だった。


「はい」


 俺は鍵を握った。


「ありがとうございます」


 その後、さっそく作業の確認が始まった。


 最初は水車だ。


 ガンツさんが机の上に簡単な図を描く。


「水車を本格的に回すには、軸の交換が必要だ。今のまま水量を増やせば割れる」


「軸の木材はありますか?」


「古い倉に乾かしてある材がある。だが、削り出しに時間がかかる」


 ハンナさんが言う。


「水車が回れば、麦を挽ける。でも急いで割ったら意味がない。畑は数日は持つよ」


 ミラが記録する。


「水車本修理、軸交換が必要。急がず段階的に」


 次は井戸。


「水脈石の表面の泥を取る方法を考えます。ただ、井戸の底へ直接入るのは危険です」


「長い柄の道具を作る」


 ガンツさんが言う。


「泥を削るのではなく、撫でて取る形がいいです」


「また妙な注文だな」


「石を傷つけたくないので」


「分かっている」


 ミラが書き留める。


「井戸、水脈石清掃用の長柄道具を作る」


 次は結界石。


「南と西は見ました。東は応急処置済み。北がまだです」


「北は水車小屋に近いですね」


 ミラが図を見ながら言う。


「水車の本修理前に北の結界石も見た方がいいです」


「はい。水量を増やした時に、北の石へ負担が出るかもしれません」


 そして、防護鐘。


 ミラの筆が一瞬止まった。


「防護鐘は、毎朝鳴らせますか?」


 俺は少し考えた。


「しばらくは、毎朝鳴らすより、三日に一度くらいの方がいいと思います。土台石も鐘の舌も、長く使われていなかったので」


「無理をさせない、ですね」


「はい。ただ、鳴らさない日も四方の音は確認した方がいいです」


 ミラが頷く。


「防護鐘、しばらくは三日に一度。毎朝、四方の音確認」


 そうやって話しているうちに、集会所の机の上は、記録と図でいっぱいになった。


 けれど、誰も嫌そうではなかった。


 むしろ、壊れている場所が分かるほど、村人たちの顔は少しずつ明るくなっていく。


 壊れていることが怖いのではない。

 分からないまま放っておくことが怖かったのだ。


 どこが悪いのか。

 何をすればいいのか。

 誰が何を担当するのか。


 それが見えてくるだけで、村は前へ進める。


 昼前になり、集会所の扉が開いた。


 入ってきたのは、行商人だった。

 防護鐘が鳴った日の朝、村へ向かっていたという人だ。

 背中には荷物を背負い、帽子を取って頭を下げる。


「ミラさん、少しよろしいですか」


「はい。何かありましたか?」


「アルバの町で、こちらの村のことを聞かれました」


 俺の手が止まった。


 アルバ。


 迷宮都市。

 俺が追放された場所。


 行商人は、こちらを一度見た。

 俺のことも聞いているのだろう。


「銀の胸当てをつけた若い剣士と、大柄な槍使い、それから青い外套の魔法使いです。リント村へ行く馬車を尋ねていました」


 集会所の空気が、少し変わった。


 ミラが静かに聞く。


「その人たちは、いつこちらへ?」


「早ければ明日の昼過ぎには。馬車があれば、ですが」


 ポロが不安そうに俺を見る。


「兄ちゃんの知ってる人?」


 俺はすぐに答えられなかった。


 レオル。

 ダリオ。

 セシア。


 勇者候補パーティ《白狼の剣》。


 俺を追放した人たち。


 銅貨七枚を投げ、戦えないと言い、格好がつかないと言った人たち。


 胸の奥が、冷たくなる。


 でも、手の中の鍵が小さく鳴った。


 りん。


 俺はその音で、少しだけ息を取り戻した。


 今の俺は、あの時のままではない。


 リント村の依頼書に名前を書いた。

 作業場の鍵を受け取った。

 防護鐘を、村のみんなと鳴らした。


 ミラが俺を見た。


「エイルさん」


 その声は穏やかだった。


「会いたくなければ、そう言ってください」


「え?」


「この村は、エイルさんを無理に誰かへ差し出す場所ではありません」


 ガンツさんが腕を組んだまま言う。


「当たり前だ。正式に依頼を受けた職人を、勝手に連れていかれてたまるか」


 ハンナさんも頷く。


「畑の記録もまだだよ。勝手に持っていかれたら困るね」


 ポロが一歩前へ出る。


「兄ちゃん、行かないよね?」


 俺は、集会所にいる人たちを見た。


 誰も、俺を荷物のように扱っていない。

 便利だから置いておきたいだけでもない。


 仕事があるから。

 記録があるから。

 直すものがあるから。

 そして、俺の意思を聞こうとしてくれている。


 それが、何より違った。


「……会います」


 俺は言った。


 ミラが少し驚いた顔をする。


「いいんですか?」


「はい。でも、戻るためではありません」


 声は震えなかった。


「俺は、リント村の正式依頼を受けました。だから、そのことをちゃんと伝えます」


 ガンツさんが、ほんの少しだけ口元を上げた。


「そうだ。それでいい」


 ミラも頷く。


「では、明日もし彼らが来たら、集会所で話しましょう。広場で言い争いになるのは避けたいです」


「ありがとうございます」


「記録も残します」


「そこもですか?」


「大事な話ですから」


 ミラは真面目な顔で言った。


 思わず少し笑ってしまった。


 外から、水車の音が聞こえる。


 こ、とん。


 井戸の水音も続く。


 さら。


 防護鐘は鳴っていない。

 けれど、朝の余韻はまだ村に残っている。


 俺は手の中の鍵をもう一度握った。


 明日、《白狼の剣》が来るかもしれない。


 怖くないと言えば嘘になる。


 けれど、もう一人で立つわけではない。


 机の上には、正式な依頼書がある。

 帳面には、ミラの記録がある。

 村には、俺を必要としてくれる仕事がある。


 そして俺には、ここで聞くべき音がある。


 りん。


 鍵が、小さく鳴った。


 それは、ここが今の俺の仕事場だと教えてくれる音だった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、エイルがリント村から正式に依頼を受ける回でした。


住む場所、報酬、作業内容、記録作り。

エイルは「便利な下働き」ではなく、「音繕いの職人」として村に迎えられます。


そして、迷宮都市アルバから《白狼の剣》がリント村へ向かおうとしていることも判明しました。


次回は、エイルを追放した側との再会へ。

ただし、エイルはもう、銅貨七枚で追い出された時の彼ではありません。


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