第13話 白狼の剣、異変に気づく
迷宮都市アルバの朝は、いつも騒がしい。
東門の前には、冒険者たちが集まっていた。
剣を腰に下げた者。
大盾を背負った者。
魔法杖を磨く者。
干し肉を買い込む者。
露店からは焼きたての黒パンの匂いが流れ、依頼掲示板の前では、今日の稼ぎを狙う冒険者たちが肩をぶつけ合っている。
その中で、勇者候補パーティ《白狼の剣》は、いつも通り人目を集めていた。
先頭に立つのは、銀の胸当てを身につけた剣士レオル。
腰の長剣はよく磨かれ、朝日に鋭く光っている。
隣には槍使いのダリオ。
大きな体を揺らしながら、周囲の冒険者たちを見下ろすように笑っている。
少し後ろには魔法使いのセシア。
青い外套の胸元に魔力灯を吊るし、手には昨日の探索記録をまとめた羊皮紙を持っていた。
彼らは今日、迷宮第三層へ再び挑む予定だった。
第三層は湿気が多く、魔力の流れも乱れやすい。
結界灯、保存箱、方位石、足元を照らす魔力灯。
小さな魔道具の管理が、探索の安定を大きく左右する階層だ。
以前なら、出発前にエイルが必ず全部を確認していた。
留め金。
魔力管。
灯りの揺れ。
保存箱の冷え方。
結界具の音。
けれど、その姿はもうない。
「よし、行くぞ」
レオルが言った。
「今日は第三層の奥まで進む。昨日みたいに途中で戻るつもりはない」
昨日の探索は、予定より早く切り上げていた。
魔力灯の一つが不安定になり、保存箱の冷えも弱かったからだ。
レオルは、それを道具の古さのせいだと言った。
ダリオは、湿気が悪いと笑った。
セシアは何も言わなかった。
けれど、彼女だけは気づいていた。
昨日の不調は、エイルがいなくなってから初めて起きたものではない。
彼がいた頃にも、同じ兆しはあった。
ただ、そのたびにエイルが出発前に直していただけだった。
「セシア、何をぼんやりしている」
レオルの声で、セシアは顔を上げた。
「……結界灯を確認していました」
「またか」
ダリオが笑う。
「お前までエイルみたいなことを言い出すなよ。あいつがいなくなって、荷物が軽くなったんだ。むしろ調子いいくらいだろ」
セシアは魔力灯を指先で支えた。
灯りはついている。
青白い光は、見た目には安定していた。
けれど、ほんの少しだけ揺れている。
ちり。
小さな音がした。
セシアには、エイルほど音が聞こえるわけではない。
だが、何度も彼の整備に立ち会っていたせいで、違和感だけは分かるようになっていた。
「この灯り、昨日より揺れが大きいわ」
「点いているなら問題ない」
レオルは取り合わなかった。
「第三層は暗い。予備の灯りも持っていく。多少揺れたところで支障はない」
「でも、湿気で魔力管が曇ると」
「エイルの真似はやめろ」
その一言で、セシアは口を閉じた。
レオルは不機嫌そうに続ける。
「あいつはいつもそうだった。出発前に、あれが悪い、これが悪い、今日はやめた方がいい。そんなことばかり言っていた。だから足が鈍る」
「でも、あの警告で助かったことも」
「助かったんじゃない。慎重すぎただけだ」
ダリオも頷く。
「そうそう。あいつがいた時は、出発まで時間がかかって仕方なかった。歯車の音がどうとか、留め金がどうとか。第三層で必要なのは腕だよ、腕」
ダリオは自分の槍を肩に担ぎ、大げさに笑った。
「魔物が出たら突く。罠があれば飛ぶ。暗けりゃ灯りを増やす。それで十分だ」
セシアは、反論しなかった。
何を言っても、今の二人は聞かない。
それは分かっている。
けれど、胸の奥に引っかかりが残った。
ちり。
魔力灯が、また小さく鳴った気がした。
第三層への入口は、迷宮の中腹にあった。
石で組まれた階段を下りると、空気が湿ってくる。
壁には淡い苔が生え、ところどころから水が染み出していた。
足元の石畳は滑りやすく、奥からは低い風の音が聞こえる。
レオルは慣れた様子で先頭を歩いた。
「隊列はいつも通りだ。俺が前、ダリオが左、セシアは後ろで支援」
「荷物は?」
セシアが聞く。
いつもなら、その問いに答えるのはエイルだった。
彼が荷物の重さを調整し、使う順番に道具を並べ、取り出しやすい位置へ入れていた。
今は、三人で分けて持っている。
保存箱はダリオ。
予備の結界灯はレオル。
薬草と魔力石はセシア。
「問題ない」
レオルが言った。
「荷物持ちがいなくても、これくらい運べる」
その言葉通り、重さだけなら問題なかった。
だが、重いか軽いかと、使いやすいかどうかは別だった。
最初に困ったのは、下り階段の途中だった。
セシアが魔力石を取り出そうとした時、薬草袋の紐が絡まっていた。
ほどこうとすると、小瓶が一つ転がり落ちる。
からん。
「気をつけろ」
レオルが振り返る。
「ごめんなさい」
セシアは小瓶を拾い、袋を結び直した。
以前なら、魔力石は右側の小袋。
薬草は左側。
割れやすい小瓶は布で包んで、別の仕切りに入っていた。
エイルが、そうしていた。
地味な工夫だった。
誰にも褒められない工夫だった。
けれど、その工夫がなくなった途端、使いづらさだけが残った。
第三層へ入ってしばらくは、探索は順調に見えた。
レオルの剣は鋭く、ダリオの槍も強い。
小型の魔物なら、二人が前に出ればすぐに追い払える。
セシアも、魔法の詠唱に遅れはなかった。
だが、少しずつ不調が増えていく。
まず、保存箱の冷えが弱くなった。
「ダリオ、保存箱を開けた?」
セシアが聞くと、ダリオは肩をすくめた。
「干し肉を取っただけだ」
「蓋が少し浮いているわ」
「閉めればいいだろ」
ダリオが乱暴に押すと、保存箱の蓋は一応閉まった。
けれど、セシアには分かった。
留め金が噛んでいない。
エイルなら、ここで必ず蓋を外し、留め金の歪みを直しただろう。
それから魔冷石の向きを調整し、箱の内側の湿気を布で拭いたはずだ。
「一度、止まって確認した方が」
「またか」
レオルが苛立った声を出した。
「保存箱が少し温いくらいで立ち止まれるか。今日は奥へ行くと言っただろう」
「でも、魔冷石が弱ると薬草も」
「薬草が必要になる前に、魔物を倒せばいい」
ダリオが笑う。
「そういうことだ」
セシアは小さく息を吐いた。
次におかしくなったのは、方位石だった。
第三層の通路は、何度も曲がる。
同じような湿った壁が続き、方向感覚を失いやすい。
方位石は、迷宮内で帰り道を示すための大事な魔道具だった。
その針が、ふとした瞬間に震えた。
東を示していたはずの細い針が、南へ揺れ、また東へ戻る。
「方位石が乱れています」
セシアが言うと、レオルは石を覗き込んだ。
「戻っただろ」
「でも、一瞬ずれました」
「迷宮の魔力だ。よくあることだ」
「今までは、ここまで揺れませんでした」
レオルは眉を寄せた。
「セシア。今日のお前は慎重すぎる」
「慎重すぎるのではなく、道具が」
「道具、道具、道具」
レオルはうんざりしたように言った。
「エイルがいなくなったら、今度はお前が道具係か?」
セシアは唇を結んだ。
その時、ダリオが笑いながら言った。
「いいじゃないか。セシアがやってくれるなら。あいつより見栄えもいい」
「ダリオ」
セシアの声が低くなる。
「冗談だよ」
ダリオは肩をすくめた。
「そんな顔するなって」
しかし、セシアは笑えなかった。
エイルは、見栄えのためにそこにいたわけではない。
彼がいた頃、方位石は出発前に必ず磨かれていた。
針の動きが鈍い日は、油ではなく乾いた布で拭いていた。
迷宮の湿気を吸うから、魔力石の近くへ入れるなとも言っていた。
その時は細かいと思っていた。
けれど、今なら分かる。
細かいのではない。
必要だったのだ。
通路の奥で、水の落ちる音がした。
ぽたり。
ぽたり。
その音に混じって、魔力灯が揺れる。
ちり。
まただ。
セシアは胸元の魔力灯を見た。
青白い光が、一瞬だけ細くなる。
「止まりましょう」
今度は強く言った。
「灯りも方位石も不安定です。このまま進むのは危険です」
レオルは足を止めた。
振り返った顔には、明らかな苛立ちがあった。
「セシア。俺たちは勇者候補だ」
「分かっています」
「第三層の湿気程度で引き返していたら、王都の騎士団に笑われる」
「笑われるより、迷う方が危険です」
「迷わない。俺が道を覚えている」
「第三層は、魔力の流れで通路の見え方が変わります」
「だから方位石を持っている」
「その方位石が乱れています」
二人の視線がぶつかった。
ダリオが間に入る。
「まあまあ。少し休めばいいだろ。セシアも神経質になってるみたいだし」
「神経質ではありません」
「分かった分かった」
ダリオは保存箱を床に置いた。
その瞬間。
かちん。
保存箱の留め金が外れた。
蓋が少し開き、中から冷気ではなく、ぬるい空気が漏れる。
セシアの顔色が変わった。
「やっぱり」
箱の中の薬草は、少ししおれていた。
魔冷石は本来なら淡い白色に光っているはずだが、今は青く濁っている。
ダリオが慌てて蓋を押さえた。
「おいおい、まだ使えるだろ」
「冷えが逃げています。魔冷石も向きがずれています」
「向き?」
「内側の溝に合わせないと、冷気が回らないの」
「そんなの、誰が知るかよ」
言ってから、ダリオは少し気まずそうな顔をした。
誰が知るか。
以前は、知っている者がいた。
エイルだ。
セシアは保存箱の横に膝をつき、留め金を見た。
曲がっている。
強く押したせいで、噛み合わせが余計に悪くなっていた。
「直せるか?」
レオルが聞いた。
「応急処置なら」
「なら早くしろ」
その言い方に、セシアは一瞬だけ手を止めた。
早くしろ。
エイルは、何度この言葉を聞いていたのだろう。
出発前に。
休憩中に。
夜営の前に。
誰かが壊した道具を直している時に。
早くしろ。
まだか。
そんなものに時間をかけるな。
胸の奥に、重いものが落ちる。
セシアは布を取り出し、保存箱の内側を拭いた。
魔冷石の向きを直し、留め金をできるだけ噛ませる。
エイルがしていたのを、何度か見ていた。
けれど、見るのとやるのは違った。
うまくいかない。
留め金は指先で滑り、魔冷石の溝は微妙に合わない。
焦るほど、冷気は逃げていく。
レオルが短く息を吐く。
「時間がかかるな」
「慣れていないからです」
「エイルなら早かった」
その言葉が、通路に落ちた。
言ったレオル自身が、少しだけ表情を固くする。
ダリオも黙った。
セシアは手を止めなかった。
そう。
エイルなら早かった。
早く見えただけではない。
彼は、壊れる前から手を入れていた。
だから、探索中にこんなふうに時間を取られなかった。
誰も、それを仕事として見ていなかった。
保存箱が何とか閉まる頃には、三人の間に嫌な沈黙が落ちていた。
「戻ります」
セシアは言った。
今度は、相談ではなかった。
「薬草の保存状態が悪い。方位石も乱れている。魔力灯も不安定。このまま奥へ進むのは危険です」
レオルは奥の通路を見た。
第三層の奥。
今日こそ進むはずだった場所。
彼の手が剣の柄を握る。
「……少し戻って、入口付近で立て直す」
「撤退ではなく?」
「立て直しだ」
レオルはそう言った。
意地のようなものが声に混じっていた。
セシアはそれ以上言わなかった。
だが、戻る途中で、方位石がまた揺れた。
今度は一瞬ではない。
針が東を指し、南へ流れ、西へぶれる。
迷うように震え続ける。
「おい、道はこっちで合ってるのか?」
ダリオが初めて不安そうな声を出した。
「合っているはずだ」
レオルが答える。
「はず?」
「来た道を戻っている」
しかし、第三層の壁はどれも似ていた。
湿った石。
苔の光。
水滴の音。
魔力灯が、ちり、と鳴る。
灯りが一瞬消えかけた。
暗闇が通路の奥から押し寄せる。
「セシア、灯りを」
「予備を出します」
セシアは鞄を開けた。
予備の結界灯。
予備の魔力灯。
魔力石。
いつもなら、取り出したいものがすぐ出てきた。
けれど、今は荷物が整理されていない。
布袋の中で、魔力石と薬草の包みと結界具の部品が混ざっている。
焦る。
手が滑る。
その時、レオルが舌打ちした。
「エイルは、こういう時だけは役に立ったな」
セシアの手が止まった。
ダリオも何か言いかけて、黙る。
「こういう時だけ?」
セシアの声は、自分でも驚くほど冷たかった。
レオルが振り返る。
「何だ」
「こういう時だけ、ではありません」
「セシア」
「あの人は、こういう時が起きないようにしていたんです」
通路の空気が重くなる。
魔力灯の光が、弱く揺れている。
セシアは続けた。
「出発が遅れると、あなたたちはよく苛立っていました。細かい、地味だ、そこまで見る必要はないって。でも、エイルはその必要があるから見ていたんです」
「今さら何を」
「今さらだから言っています」
セシアは予備の魔力灯をようやく取り出した。
灯りをつける。
青白い光が通路を照らした。
「保存箱の冷え。方位石の針。魔力灯の留め金。荷物の並べ方。結界灯の湿気対策。全部、あの人がやっていました。私たちは、それをできて当然だと思っていただけです」
レオルは黙っていた。
ダリオは気まずそうに槍を握り直す。
「だったら、戻って呼び戻せばいいんじゃないか」
ダリオが軽く言った。
「どうせ行く場所もないだろ。銅貨も渡したんだし、謝れば戻ってくるって」
セシアは彼を見た。
「本気で言っているの?」
「何だよ。役に立つなら戻せばいいだろ」
「役に立つなら?」
セシアの声に、ダリオが少し怯んだ。
「いや、そういう意味じゃ」
「そういう意味でしょう」
レオルが低く言う。
「今は口論している場合じゃない。まず戻る」
「戻れるのなら」
セシアが方位石を見る。
針はまだ揺れていた。
その時、通路の奥で音がした。
ずる。
何かが湿った床を這う音。
レオルが剣を抜く。
ダリオが槍を構える。
魔力灯の光が、通路の奥を照らした。
そこにいたのは、第三層に棲む湿泥蜥蜴だった。
大きさは犬ほど。
危険な上級魔物ではない。
だが、暗い通路で複数に囲まれると厄介な相手だ。
一匹。
二匹。
三匹。
湿った体を低く伏せ、こちらを見ている。
「突破する」
レオルが言った。
「灯りを強くしろ、セシア」
「魔力灯が不安定です。強くすると消えるかもしれません」
「なら魔法で照らせ」
「照明魔法を使えば、攻撃魔法に回す魔力が減ります」
「いいからやれ!」
セシアは歯を食いしばった。
詠唱する。
杖の先に光がともる。
通路が明るくなった瞬間、湿泥蜥蜴たちが動いた。
レオルの剣が一匹を弾き飛ばす。
ダリオの槍がもう一匹を壁際へ追いやる。
セシアは足元に魔法の光を置き、影を減らした。
戦闘そのものは、長くはなかった。
三人とも実力はある。
小型の魔物に負けるほど弱くはない。
だが、終わった後、全員の息は荒かった。
理由は明らかだった。
足元が暗く、方位石が乱れ、保存箱の薬草は弱り、道具の取り出しにもたついた。
戦闘力以外の部分が、少しずつ彼らの余裕を削っていた。
レオルは剣についた泥を払う。
「……戻るぞ」
今度は、立て直しとは言わなかった。
入口まで戻るのに、予定の倍近い時間がかかった。
第三層から出た時、三人は誰も勝ち誇っていなかった。
外の空気は乾いていて、朝よりずっと軽い。
それだけで、セシアはようやく息ができた。
ダリオは階段に座り込んだ。
「くそ、今日は調子が悪かったな」
「道具が悪かったのよ」
セシアが言う。
「分かったよ。道具が悪かった。で、どうするんだ?」
レオルは黙っていた。
彼は第三層の入口を見つめている。
剣はまだ握ったままだ。
けれど、その顔には苛立ちだけではないものが浮かんでいた。
認めたくない。
だが、無視もできない。
そんな表情だった。
「エイルを探す」
レオルが言った。
セシアは彼を見た。
「何のために?」
「戻すためだ」
「謝るためではなく?」
レオルの眉が動いた。
「必要なら謝る」
「必要なら?」
「セシア」
レオルの声が低くなる。
「今はパーティの機能を戻すことが先だ。あいつの整備が必要なら、戻せばいい」
セシアは、深く息を吐いた。
分かっていた。
レオルはまだ、エイルの価値を人として見ていない。
パーティに必要な部品として見ている。
それでも、今日の不調で何かが変わり始めているのは確かだった。
ダリオが頭をかく。
「でも、あいつどこ行ったんだ? 銅貨七枚じゃ、遠くには行けないだろ」
「受付に聞けば分かるかもしれない」
セシアは言った。
レオルは頷く。
「行くぞ」
冒険者受付の女性は、《白狼の剣》を見ると少し驚いた顔をした。
「リント村の依頼を受けた方ですか?」
セシアが尋ねると、受付の女性はすぐに思い出したようだった。
「エイルさんですね。辺境リント村の雑務手伝い依頼を受けて出発されました」
「リント村?」
ダリオが眉をひそめる。
「どこだよ、それ」
「北東の辺境です。馬車で半日、その後徒歩で二時間ほどです」
「そんなところに?」
レオルは不機嫌そうに言った。
「報酬は」
「少ない依頼です。井戸、水車、結界石に不具合あり。住み込み可、食事あり。そういう内容でした」
セシアの胸が、少し痛んだ。
井戸。
水車。
結界石。
エイルが放っておけるはずがない依頼だった。
「戻ってきたという連絡は?」
「ありません」
受付の女性は少し考えてから続けた。
「ただ、今朝、リント村へ向かう行商人から妙な話を聞きました」
「妙な話?」
「何年も鳴らなかったリント村の防護鐘が、今朝、鳴ったそうです」
セシアは息を止めた。
レオルも、ダリオも黙る。
「防護鐘?」
レオルが聞き返す。
「はい。辺境の村にある魔物除けの鐘です。長く壊れていたそうですが、今朝、村中に響いたと」
受付の女性は少し微笑んだ。
「その行商人は、村の人たちがとても喜んでいたと言っていました」
セシアの頭に、エイルの姿が浮かんだ。
工具袋を腰に下げ、しゃがみ込み、何かの音に耳を澄ませる姿。
誰にも気づかれない不調を見つける姿。
小さな声で、でも確かに直すと言う姿。
リント村の防護鐘。
もし、それを鳴らしたのがエイルなら。
彼はもう、ただの荷物持ちではない。
いや、最初からそうではなかった。
それに気づかなかっただけだ。
レオルは受付台に手を置いた。
「リント村へ行く馬車は」
「本日はもう出ています。次は明日の朝です」
「明日……」
レオルは苛立ったように舌打ちした。
ダリオが言う。
「明日行って、連れ戻せばいいだろ」
セシアは窓の外を見た。
北東の空は、夕方の色に染まり始めている。
その向こうの辺境の村で、防護鐘が鳴った。
エイルは、そこで何を見つけたのだろう。
誰に名前を呼ばれているのだろう。
どんな顔で、音を聞いているのだろう。
セシアは、小さく呟いた。
「簡単には、戻らないかもしれないわ」
レオルが彼女を見る。
「なぜだ」
「必要とされているなら」
セシアは、朝から何度も揺れていた魔力灯を見下ろした。
今はもう、光がほとんど消えかけている。
「人は、必要とされる場所を選ぶものだから」
誰もすぐには返事をしなかった。
魔力灯が、最後に小さく鳴った。
ちり。
そして、静かに消えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は、エイルを追放した勇者候補パーティ《白狼の剣》側の回でした。
魔力灯、保存箱、方位石、荷物の整理。
エイルが当たり前のように整えていた小さな仕事が、彼の不在によって少しずつ崩れ始めます。
セシアだけは、その異変の意味に気づき始めました。
一方で、レオルとダリオはまだ「役に立つなら戻せばいい」という考えから抜け出せていません。
次回は、リント村側へ戻ります。
防護鐘が鳴った後、エイルは正式に村の修理依頼を受けることになります。
ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




