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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第12話 朝を告げる鐘

 夜明け前のリント村は、深い青色に沈んでいた。


 空にはまだ星が残っている。

 家々の窓は暗く、広場の井戸だけが、かすかな水音を立てていた。


 さら。


 静かな音だった。


 昨日までなら、俺はその音を聞き逃さないように、息を詰めていたと思う。

 けれど今は違う。


 井戸の音は、一人で聞かなくてもいい。


 集会所の前では、ミラが帳面を抱えて待っていた。

 昨日の夜、彼女はほとんど眠っていないのではないかと思う。

 それでも、その目ははっきりしていた。


「おはようございます、エイルさん」


「おはようございます」


 声を出すと、喉が少し痛んだ。


 昨日、西の結界石で自分の声を使いすぎたせいだ。

 ミラはすぐに気づいたらしく、眉を寄せる。


「まだ痛みますか?」


「少しだけです」


「今日は無理に声を使わないでください」


「はい」


「本当にですよ」


「……はい」


 念を押されて、俺は頷いた。


 ミラは小さく息を吐くと、帳面を開いた。


「夜のうちに、できる範囲で記録をまとめました。井戸、水車、水路、南の結界石、西の結界石。それぞれの音が鐘楼へ届く順番も、エイルさんが話してくれた通りに」


「ありがとうございます」


「それから、父にも話を聞きました」


「お父さんに?」


「はい。体は弱っていますが、昔の防護鐘の朝のことを少し覚えていました」


 ミラは一枚の紙を取り出した。

 古い帳面から写したものらしい。


「防護鐘を鳴らす朝は、まず井戸の水を一杯汲み、水車の水路を少し開け、畑の結界石を確認し、西の結界石へ朝の水を通す。それから鐘楼の土台石に手を置き、音が四つ返るのを待つ」


「四つ返る……」


「井戸、水車、畑、西の結界石。その四つだと思います」


 俺は鐘楼の方を見た。


 広場の中央に立つ鐘楼は、夜明け前の薄闇の中でじっとしている。

 昨夜よりも静かだった。


 苦しそうな音は、ほとんど消えている。

 ただ、奥に低い震えがある。


 ごぉん。


 まだ鳴っていない。

 けれど、待っている。


「ガンツさんは?」


「もう鐘楼です」


 ミラが視線を向ける。


 見ると、鐘楼の石段の下に、ガンツさんの大きな背中があった。

 手には道具袋。

 足元には、太い縄と、細い金具がいくつか置かれている。


 俺たちが近づくと、ガンツさんは振り返らずに言った。


「遅いぞ」


「まだ夜明け前です」


「鐘の朝は、夜のうちから始まる」


 それは、古い言葉のように聞こえた。


 ミラが帳面に書き留める。


「鐘の朝は、夜のうちから始まる……」


「書くな。今のは俺が言っただけだ」


「でも、大事そうなので書きます」


「勝手にしろ」


 ガンツさんは不機嫌そうに言ったが、止めはしなかった。


 鐘楼の土台石は、昨日よりはっきり見えるようになっていた。

 丸い模様の四方から伸びる溝。

 中心の水滴の形。

 その上に重なる、鐘の舌にも似た小さな刻み。


 ガンツさんが夜のうちに、苔と土をきれいに払ってくれたのだろう。

 石の表面は濡れたように黒く、朝の冷気を吸っていた。


「鐘の舌は?」


 俺が尋ねると、ガンツさんが上を見た。


「傾きはそのままだ。無理に戻すと鐘を傷める。先に土台石の音を整える」


「はい」


「その後、俺が上で舌を支える。お前は下で音を聞け」


「下で?」


「昨日の声をまた使う気か」


「……少しなら」


「駄目だ」


 ガンツさんとミラの声が重なった。


 俺は口を閉じた。


 ミラが少しだけ厳しい顔で言う。


「今日は、村の音を聞く日です。エイルさんが一人で鳴らす日ではありません」


 ガンツさんも頷く。


「鐘は村で鳴らす。お前一人が喉を潰して鳴らすものじゃない」


 その言葉に、胸の奥が少し熱くなった。


 村で鳴らす。


 そうだ。

 防護鐘は、きっと最初からそういうものだった。


 一人の英雄が鳴らす鐘ではない。

 村の井戸があり、水車があり、畑があり、結界石があり、水守がいて、職人がいて、記録する人がいて、暮らす人がいる。


 その全部がつながって、初めて鳴る鐘なのだ。


「分かりました」


 俺は土台石の前に膝をついた。


「まず、四つの音を確認します」


 夜明け前の村に、ミラの声が響いた。


「井戸の水、お願いします」


 広場の端で待っていた老人が、井戸から水を汲み上げた。

 昨日より軽くなった巻き上げ機が、静かに回る。


 から。

 さら。


 桶が水に触れる音。

 澄んだ水が上がる音。


 東の溝に、細い響きが届いた。


 さら。


「井戸、届いています」


 ミラが記録する。


「東、井戸の音。澄み。安定」


 次に、北。


 水車小屋の方から、ガンツさんの弟子のように手伝っていた村人が合図を送る。

 仮止めしていた水路を、ほんの少しだけ開ける手順だ。


 遠くで、水が木を叩いた。


 こ、とん。


 水車はまだ完全には回らない。

 けれど、その小さな音は村の朝に混じった。


 北の溝に、少し低い響きが届く。


「北、水車の音。弱いですが、届いています」


 ミラの筆が走る。


「北、水車。仮巡り。音あり」


 次に、南。


 畑から、ハンナさんの声が小さく聞こえた。

 朝の冷たい空気を越えて、彼女が結界石のそばで合図をしているのだろう。


 南の畑の結界石が、かすかに鳴った。


 りん。


 葉留めの音も混じっている。

 傷を支えながら、麦を守っている音。


 南の溝が、柔らかく光った。


「南、届いています。畑の結界石、安定」


 ミラが記録する。


「南畑、葉留め有効。光、緑。音、安定」


 最後に、西。


 俺は自然と息を浅くした。


 昨日、黒い根を外した場所。

 俺の声が、村の音とつながった場所。


 西の結界石は、夜の間ずっと持ってくれた。

 けれど、朝になって本当に音が鐘楼まで届くかは、まだ分からない。


 西側から、村人の声が聞こえた。


「水、通します!」


 ミラが頷く。


「お願いします!」


 しばらく、何も聞こえなかった。


 夜明け前の空気が、広場を包む。


 ポロが集会所の前で、両手を握りしめている。

 子どもたちも何人か、戸口から顔を出していた。

 ハンナさんは畑の方。

 村人たちはそれぞれの場所で、息をひそめている。


 みんなが、西の音を待っていた。


 俺は土台石に手を置いた。


 冷たい石。

 その奥で、東、北、南の音が待っている。


 あと一つ。


 西。


 り。


 かすかに聞こえた。


 細い。

 でも、昨日までのように消される音ではない。


 りん。


 西の結界石の音が、土台石へ届いた。


 その瞬間、丸い模様の四方の溝が、淡く光った。


 東。

 北。

 南。

 西。


 四つの音が、中心へ集まる。


 土台石の奥で、低い響きが生まれた。


 ごぉん。


 けれど、昨日のように詰まっていない。

 石の中で、まっすぐ上へ向かおうとしている。


「四つ、揃いました」


 俺が言うと、ミラの筆が止まった。


 彼女は深く息を吸い、帳面に書く。


「四方の音、鐘楼土台石に到達」


 ガンツさんが縄を手に取った。


「では、上へ行く」


「俺も」


「お前は下だ」


「でも、鐘の舌を戻すなら」


「音を聞くのは下の方がいい。土台石と鐘がつながる瞬間を逃すな」


 ガンツさんはそう言って、鐘楼の石段を上り始めた。


 その背中は大きく、頼もしかった。


 俺は土台石の前に残る。

 ミラは少し横に膝をつき、帳面を開いた。


「エイルさん」


「はい」


「今から、何が起きるんですか」


「分かりません」


「正直ですね」


「でも、音は聞きます」


 ミラは頷いた。


「私は記録します」


 それだけで、不思議と心が落ち着いた。


 ガンツさんが鐘楼の上に着いた。


 朝の薄い光の中で、彼の影が防護鐘のそばに立つ。

 鐘の舌に縄をかけ、ゆっくりと位置を確かめている。


「エイル!」


 上から声が降ってきた。


「少し動かすぞ!」


「お願いします!」


 ガンツさんが縄を引く。


 鐘の舌が、ほんのわずかに動いた。


 その瞬間、土台石の音が揺れる。


 ご。

 ごぉ。


「まだです! 西に寄っています!」


「どれくらいだ!」


「指一本分、東へ!」


「分かった!」


 ガンツさんが力を調整する。


 鐘の舌が、少し戻る。


 土台石の四つの音が、中心でぶつかる。


 さら。

 こ、とん。

 りん。

 りん。


 それらが一つに重なろうとして、まだ少しだけずれる。


「北が遅れています」


 俺は言った。


 ミラが顔を上げる。


「水車ですか」


「はい。水車の音が、少しだけ遅れています。水路をほんの少し開けてください」


 ミラがすぐに村人へ声を張った。


「水車小屋! 水路を少しだけ開けてください! ほんの少しです!」


 遠くで返事が聞こえる。


 しばらくして、水車の音が変わった。


 こ、とん。

 こ、とん。


 さっきより、少しだけ力がある。


 北の音が追いつく。


「合いました!」


 ミラが帳面に書く。


「北水路、微開放。水車音、土台石に同期」


 同期、という言葉が少し難しく聞こえたが、ミラらしくていいと思った。


 ガンツさんがまた舌を動かす。


 今度は、土台石の音が大きく揺れた。


 ごぉん。


 防護鐘そのものが、上でかすかに震える。


 村人たちがざわめいた。


「鳴るのか」

「鐘が」

「本当に」


 ポロが一歩前に出かけて、ハンナさんに肩を掴まれていた。


「まだだよ」


「でも!」


「まだ」


 ハンナさんの声も少し震えていた。


 俺は土台石に集中した。


 四つの音は揃っている。

 鐘の舌も、だいぶ中央へ戻った。

 けれど、最後の引っかかりがある。


 土台石の中心。

 水滴の形をした溝の奥に、古い空気が詰まっている。


 泥でもない。

 根でもない。

 壊れた部品でもない。


 長い間、鐘が鳴らなかったことで、音の通り道が眠っているのだ。


「中心が、まだ起きていません」


 俺は言った。


 ミラが首を傾げる。


「起きていない?」


「はい。壊れてはいません。でも、長く使われなかったせいで、音が通る道が固まっています」


「どうすれば」


 俺は少し考えた。


 声は使わない。

 ガンツさんにもミラにも、そう言われた。


 なら、村の音を使う。


「井戸の水を、土台石へ一滴ください」


 ミラはすぐに頷いた。


「井戸の水を!」


 老人が、朝一番に汲んだ水を小さな器へ入れて持ってきた。


 ミラがそれを受け取り、俺に渡す。


「どこへ?」


「中心の水滴の溝へ。一滴だけ」


 俺は器を傾けた。


 水が一滴、土台石の中心へ落ちる。


 ぽつ。


 その音が、思ったより大きく響いた。


 水は溝を伝い、中心へ染み込む。


 さら。


 井戸の音が、土台石の中で広がった。


 続いて、水車の音が重なる。


 こ、とん。


 南の畑の結界石。


 りん。


 西の結界石。


 りん。


 四つの音が、中心の水滴へ集まる。


 そして、上へ向かう。


「今です!」


 俺は叫んだ。


 ガンツさんが鐘の舌を中央へ戻す。


 ごぉん。


 防護鐘が震えた。


 でも、まだ鳴らない。


 足りない。


 何かが、最後に足りない。


 俺は息を吸った。


 声を出そうとした瞬間、ミラが俺の手を掴んだ。


「一人で鳴らさないでください」


 その声は、静かだった。


「村で鳴らすんです」


 ミラは振り返った。


 広場に集まった村人たちへ向かって、声を張る。


「みなさん、朝の水を!」


 村人たちは一瞬戸惑った。


 けれど、老人が井戸の桶を掲げた。

 ハンナさんが畑の方から手を上げた。

 水車小屋の村人が返事をした。

 西の結界石の近くにいた若者も声を上げた。


 それぞれの場所から、水の音が返る。


 井戸の水。

 水車の水路。

 畑の水気。

 西の結界石を通る朝の水。


 小さな音が、村のあちこちで鳴った。


 さら。

 ぽつ。

 こ、とん。

 りん。


 ポロが、集会所の前で叫んだ。


「鐘、起きて!」


 子どもたちも続く。


「起きて!」

「朝だよ!」


 その声は、特別な呪文ではなかった。

 ただの子どもの声だ。


 でも、村の朝には必要な音だった。


 土台石が震える。


 四つの音に、人の声が混じる。


 ミラの筆が止まった。

 彼女は帳面を胸に抱え、鐘楼を見上げる。


 俺は土台石に手を置いたまま、耳を澄ませた。


 村の音が、上へ向かっている。


 水。

 木。

 土。

 石。

 人。


 その全部が、防護鐘へ届く。


「ガンツさん!」


 俺は叫んだ。


「今です!」


 鐘楼の上で、ガンツさんが縄を引いた。


 鐘の舌が、中央へ戻る。

 そして、ゆっくりと防護鐘の内側を打った。


 ご――


 一瞬、世界が止まったように静かになった。


 次の瞬間。


 ごぉぉぉん。


 防護鐘が鳴った。


 低く、深く、澄んだ音だった。


 音は空へ広がった。

 同時に、土台石を通り、村の下を流れる水路へ降りていく。

 井戸が震え、水車が応え、畑の結界石が光り、西の結界石が強く鳴った。


 ごぉぉぉん。


 二度目の響きが、森の方へ広がる。


 木柵の外に残っていた獣の気配が、すうっと遠ざかった。

 黄色い目はもう見えない。

 森の影が、村から一歩退いたようだった。


 朝日が、山の向こうから差し込んだ。


 その光を受けて、防護鐘の表面に刻まれた模様が輝く。

 水滴。

 麦の穂。

 歯車。

 石の輪。

 森。


 全部が、朝の色に染まっていた。


 村人たちは、しばらく誰も声を出せなかった。


 ただ、防護鐘の余韻だけが、村の上に残っている。


 ごぉん。


 やがて、ポロが叫んだ。


「鳴った!」


 その一言で、広場の空気が弾けた。


「鐘が鳴った!」

「防護鐘だ!」

「何年ぶりだ」

「本当に、鳴ったんだ……」


 誰かが泣いた。

 誰かが笑った。

 誰かが膝をついて、石畳に手を当てた。


 ハンナさんは畑の方を見て、目元を拭っている。

 老人は井戸の桶を抱えたまま、何度も頷いていた。

 子どもたちは鐘楼の下へ駆け寄ろうとして、大人たちに止められている。


 ミラは、泣いていた。


 けれど、顔を伏せてはいなかった。

 鐘楼を見上げたまま、涙をこぼしていた。


「ミラさん」


 声をかけると、彼女は帳面を胸に抱きしめたまま笑った。


「書かないと、いけないのに」


「今は、後でもいいと思います」


「そうですね」


 ミラは涙を拭った。


 そして、震える手で帳面を開き、ゆっくり書いた。


『夜明け。

 四方の音、揃う。

 防護鐘、鳴る。

 リント村、朝を迎える。』


 短い記録だった。


 でも、それで十分だと思った。


 鐘楼から、ガンツさんが下りてきた。

 顔はいつも通り険しい。

 けれど、目元だけが少し赤かった。


「ガンツさん」


「何だ」


「成功、ですよね」


「聞こえなかったのか」


「聞こえました」


「なら聞くな」


 そう言って、ガンツさんは俺の頭に大きな手を置いた。

 乱暴に撫でるわけではない。

 ただ、重い手が一度だけ乗った。


「よく聞いた」


 短い言葉だった。


 胸の奥が詰まった。


「ありがとうございます」


「礼は村が言う」


 その言葉に、周りの村人たちがこちらを見た。


 ミラが一歩前に出る。


「エイルさん」


「はい」


「リント村を代表して、改めて依頼します」


 彼女は深く頭を下げた。


「井戸、水車、水路、結界石、防護鐘。まだ完全に直っていないものはたくさんあります。この村の仕組みを、私たちは覚え直さなければいけません」


 ミラの声は、広場にまっすぐ響いた。


「どうか、もう少しこの村にいてください。修理だけではなく、私たちが自分たちで守れるようになるまで、力を貸してください」


 広場が静かになった。


 ポロが真っ先に声を上げる。


「いてよ、兄ちゃん!」


 ハンナさんも頷く。


「畑の記録も、まだ半分もできてないよ」


 老人が言う。


「水車も、あれでは粉は挽けん」


 別の村人も続く。


「西の結界石も見直さないと」

「水路の奥もまだだ」

「鐘が鳴った朝の手順を、ちゃんと残さないとな」


 声が、少しずつ増えていく。


 必要とされている。


 その事実に、まだ慣れない。


 でも、もう逃げたいとは思わなかった。


 俺は勇者候補のパーティを追放された。

 戦えないと言われた。

 格好がつかないと言われた。

 荷物持ちで、掃除係で、いなくてもいい人間だと思われていた。


 けれど、この村では違った。


 井戸が俺を呼んだ。

 水車が待っていた。

 結界石が助けを求めた。

 防護鐘が朝を待っていた。


 そして、人が、俺の音を聞いてくれた。


「俺でよければ」


 声が少し震えた。


「この村に、もう少しいます」


 ポロが飛び跳ねた。


「やった!」


 ハンナさんが笑い、村人たちが安堵の声を上げる。

 ミラはもう一度、深く頭を下げた。


「ありがとうございます、エイルさん」


「こちらこそ」


 俺は鐘楼を見上げた。


 防護鐘は、朝日の中で静かに揺れている。

 今はもう、苦しそうな音ではない。


 ごぉん。


 余韻が、村の中を巡っている。


 その音を聞きながら、俺は初めて思った。


 ここにいてもいいのかもしれない。


 その日の朝、リント村では久しぶりに水車小屋の火が入った。


 まだ粉を挽けるほどではない。

 それでも、ハンナさんが少しだけ残していた麦粉を出し、村の女たちが薄い焼きパンを作った。


 小さくて、硬くて、少し焦げていた。


 ポロはそれを両手で持って、宝物みたいに食べた。


「兄ちゃん、パンだよ!」


「うん」


「水車がちゃんと動いたら、もっと大きいの焼ける?」


「たぶん」


「じゃあ、早く直そう!」


 その言葉に、周りの大人たちが笑った。


 俺も笑った。


 やることは、まだ山ほどある。


 井戸の水脈石の泥を取る。

 水車を本格的に回す。

 水路を最後まで確認する。

 結界石を全部点検する。

 防護鐘の朝の手順を、ミラの帳面に残す。


 壊れたものは、まだある。


 けれど、その一つ一つが、もう絶望には聞こえなかった。


 直せるかもしれない音に聞こえた。


 防護鐘が、朝の空の下で静かに光っている。


 その音は、今日の始まりを告げていた。


 そして同じ頃。


 迷宮都市アルバの第三層入口で、勇者候補パーティ《白狼の剣》の魔力灯が、嫌な音を立てて消えた。


 ちり。


 誰も、その音の意味に気づかなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、リント村の防護鐘がついに朝を告げる回でした。


井戸、水車、水路、結界石。

一つずつ戻してきた音が、最後に防護鐘へ届きます。


エイルは「自分一人で直す」のではなく、村のみんなと一緒に鐘を鳴らしました。

リント村の再生は、ここから本格的に始まります。


そして、最後に少しだけ、エイルを追放した《白狼の剣》側にも異変が……。


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