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戦えない調律係はいらないと追放されましたが、壊れた魔道具の声が聞こえるので辺境で重宝されています  作者: 空乃 カナタ
第1章:捨てられた少年と鳴らない鐘

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第10話 鳴らない防護鐘

 翌朝、リント村はいつもより少し早く目を覚ました。


 井戸のそばには、水を汲む人の列ができている。

 水車小屋の方からは、まだ弱いながらも、こ、とん、という音が聞こえていた。

 南の畑では、ハンナさんが麦の様子を見ているらしい。


 村は、完全に元通りになったわけではない。


 井戸はまだ点検が必要だ。

 水車は仮止めのままだ。

 水路も全部を見たわけではない。

 結界石も、南以外は応急処置のまま残っている。


 それでも、音があった。


 水の音。

 木の音。

 土の音。

 人が動く音。


 数日前まで眠っていた村が、少しずつ息を吹き返している。


 けれど、村の中央だけは違った。


 鐘楼は、朝の光の中でも暗く見えた。


 石造りの塔。

 苔の残る石段。

 屋根の下に吊られた大きな防護鐘。


 それは、朝を告げるためにそこにあるはずだった。

 村を守るために鳴るはずだった。


 けれど今日も、鐘は鳴らない。


 俺は鐘楼の前に立ち、工具袋の紐を握り直した。


 隣にはミラがいる。

 彼女は昨日より厚い帳面を抱えていた。

 集会所に残っていた古い帳面と、自分で書き始めた記録をまとめて持ってきたのだ。


 ガンツさんは、すでに鐘楼の石段を調べていた。

 手には小さな槌。

 石を軽く叩いて、音を確かめている。


 こん。

 こん。

 ごん。


 同じように見える石でも、音は違う。

 生きている石。

 湿気を吸いすぎた石。

 内側が割れかけている石。


 ガンツさんは、叩くたびに眉間のしわを深くしていった。


「どうですか?」


 ミラが尋ねる。


「上の石はまだ持つ。だが、土台が悪い」


「土台石ですか」


「ああ。昨日エイルが言った通りだ。鐘そのものより、下の音が詰まっている」


 ガンツさんは石段の一番下を指さした。


 昨日、土埃と苔を払った場所。

 丸い模様の刻まれた土台石だ。


 朝の光で見ると、模様は思ったより複雑だった。


 中心には小さな水滴の形。

 そこから四方へ、細い溝が伸びている。

 北、南、東、西。

 溝は途中で曲がり、鐘楼の柱の下へ消えていた。


 ミラが帳面をめくる。


「祖母の荷物に、似た図がありました」


 彼女は一枚の古い板を取り出した。


 そこには、簡単な線で村の仕組みが描かれていた。

 井戸。

 水車。

 畑の結界石。

 外周の結界石。

 そして、中央の鐘楼。


 全部が細い線で結ばれている。


「これを見る限り、防護鐘は単独で鳴るものではなかったようです」


 ミラは板を指でなぞりながら言った。


「井戸の水、水車の巡り、水路の鐘の影、結界石の光。それらが鐘楼の土台石に集まって、防護鐘の音を遠くまで運ぶ仕組みだった、と書かれています」


「遠くまで運ぶ?」


 俺が聞くと、ミラは別の板を読んだ。


「防護鐘の音は、空だけでなく、水と石を通る。村を囲む結界石へ届き、森の魔物を遠ざけ、畑と井戸を安定させる……」


 ガンツさんが低く唸った。


「やはり、ただの鐘じゃないな」


「はい」


 ミラは帳面を閉じる。


「昔の水守は、防護鐘が鳴る前に、村の水と石の状態を確かめていたようです。鐘が黙った時ほど水を巡らせる、という言葉は、そのためだったのかもしれません」


 俺は土台石の前にしゃがんだ。


 四方へ伸びる溝。


 耳を澄ませる。


 まず、東の溝。


 さら。


 井戸の音がする。

 昨日より澄んでいる。

 水脈石は完全ではないが、ちゃんと息をしている。


 次に、北の溝。


 こ、とん。


 水車の音。

 まだ弱い。

 でも、水が少しずつ巡っている。


 南の溝。


 りん。


 畑の結界石。

 葉留めが効いている。

 傷を支え、麦を守っている音。


 最後に、西の溝。


 ……。


 音が、ない。


 いや、完全な無音ではない。

 遠くの奥で、かすかに擦れるような音がした。


 しゅ。

 しゅう。


 水が届いていない。

 石も応えていない。

 何かが乾いている。


「西の溝が沈黙しています」


 俺が言うと、ミラが古い図を確認した。


「西は、外周結界石につながっています。村の西側、森に一番近い場所です」


「昨日見た結界石とは別ですか?」


「はい。昨日の夜に応急処置したのは東側に近い石です。南の畑も見ました。でも西側は、まだ確認していません」


 ガンツさんの顔が険しくなる。


「西は古い森に近い。昔から一番負担が大きい場所だ」


「だから、防護鐘が鳴らないんでしょうか」


 ミラが聞く。


 俺は土台石に手を当てた。


 東、北、南。

 三つの音は届いている。

 だが、西だけが抜けている。


 防護鐘は、四つの足で立つ机のようなものなのかもしれない。

 一つが折れていれば、上に乗せたものは傾く。

 無理に鐘を鳴らせば、音がまっすぐ広がらず、土台石の中で跳ね返る。


 ごぉん。


 低い音が土台の奥で震えた。


「西の音が戻らないまま鐘を鳴らすと、危ないと思います」


「鐘が壊れるのか?」


 ガンツさんが聞く。


「鐘そのものか、土台石か。どちらかに負担が集中します。最悪、音の流れが逆に戻って、結界石が乱れるかもしれません」


 ミラの顔が青ざめた。


「結界石が乱れると、村の外周が薄くなりますよね」


「はい」


「つまり、防護鐘を直そうとして、村の守りを壊す可能性がある……」


 彼女の声が小さくなる。


 俺は頷いた。


 だから、鐘は鳴らないのかもしれない。


 鳴れないのではなく、鳴ってはいけないから黙っている。


 そう聞こえた。


「西の結界石を見に行くべきだな」


 ガンツさんが言った。


「はい。ただ、その前に鐘そのものも確認したいです」


「鐘もか」


「西の音が戻っても、鐘の内側が傷んでいたら鳴らせません」


 ミラが鐘楼を見上げた。


「上へ登れますか?」


「石段は生きている。だが、手すりは信用するな」


 ガンツさんはそう言って、石段を見た。


「俺が先に登る。エイルは真ん中。ミラは下で記録していろ」


「私も上へ」


「駄目だ」


 ガンツさんは即答した。


「上は狭い。足場も悪い。帳面を持って登る場所じゃない」


「でも、鐘の状態を記録しないと」


「下で聞け。エイルが言うことを書けばいい」


 ミラは反論しかけたが、すぐに口を閉じた。


 昨日の彼女なら、無理にでも登ると言ったかもしれない。

 でも今は違う。

 自分が何をすべきか、少しずつ考えられるようになっている。


「分かりました。下で記録します」


 彼女はそう言って、石段から少し離れた場所に立った。


 俺とガンツさんは、鐘楼の石段を登り始めた。


 一段目。

 二段目。


 石は冷たく、少し湿っている。

 ところどころ苔が残っていて、足を置く場所を選ぶ必要があった。


 上へ行くほど、風が強くなる。


 鐘楼の柱の間から、リント村が見えた。


 井戸のある広場。

 水車小屋へ続く道。

 南の畑。

 家々の屋根。

 その向こうに広がる森。


 小さな村だった。


 けれど、上から見ると、井戸も水車も畑も道も、全部がつながっているように見えた。


 この村は、バラバラに壊れていたのではない。

 一つの仕組みが、少しずつ音を失っていたのだ。


 最上段に着くと、防護鐘が目の前にあった。


 大きい。


 近くで見ると、広場から見上げていた時よりずっと大きく感じる。

 青銅のような色の表面には、細かな模様が刻まれていた。

 水滴。

 麦の穂。

 歯車。

 石の輪。

 そして、村を囲む森。


 鐘の中央には、古い文字があった。


『朝は、水とともに来る』


 俺はその文字を指でなぞらず、目で追った。


「触らないのか」


 ガンツさんが聞く。


「まだ触るのは怖いです」


「怖い?」


「はい。大きすぎて」


 正直に言うと、ガンツさんは鼻を鳴らした。


「怖いと思うなら、まだましだ。怖がらずに大物へ触るやつほど、道具を壊す」


 それは励ましなのか、注意なのか。

 たぶん両方だ。


 俺は鐘の前に膝をつき、耳を澄ませた。


 風の音。

 村の音。

 下でミラが筆を構える音。

 ガンツさんの衣擦れ。


 そして、防護鐘の音。


 ごぉん。


 近くで聞くと、その音は苦しそうだった。


 鐘の内側に、音が溜まっている。

 外へ出られない。

 下から上がってくるはずの音が、途中で欠けているからだ。


 俺は鐘の縁に耳を近づけた。


 低い音の奥に、細い震えが混じっている。


 り。

 りり。


 傷ではない。


 鐘は壊れていない。


「鐘そのものは、生きています」


 俺は下にいるミラへ聞こえるように言った。


 ミラがすぐに記録する音がした。


「ただ、鳴ろうとしても、音が下へ戻ってしまう。西の溝が沈黙しているせいで、音の逃げ道が歪んでいます」


 ガンツさんが鐘の舌を見た。


「鐘を打つ部分はどうだ」


 鐘の内側には、太い金属の舌が吊られていた。

 人が紐を引くと、それが鐘の内側を打つ仕組みらしい。


 けれど、舌はまっすぐ下がっていなかった。


 ほんの少し、西側へ傾いている。


「舌が傾いています」


「西か」


「はい」


「西の音が抜けないせいで、引っ張られているのか?」


「たぶん。長い間、音の流れが偏っていたから、少しずつ癖がついたんだと思います」


 ガンツさんは鐘の舌を見上げ、低く言った。


「無理に鳴らせば、片側だけを強く打つな」


「はい。鐘の縁が割れるかもしれません」


 その言葉に、下でミラが息を呑んだのが分かった。


 俺も、背中に冷たいものを感じた。


 あと少し遅ければ。

 誰かが焦って鐘を鳴らそうとしていたら。


 この鐘は、壊れていたかもしれない。


「鳴らなかったんじゃない」


 俺は呟いた。


 ガンツさんがこちらを見る。


「何?」


「この鐘、鳴らなかったんじゃなくて、鳴らなかったんだと思います」


「同じことを言っているぞ」


「いえ」


 うまく言葉が出てこなかった。


 でも、どうしても伝えたかった。


「壊れて鳴れなかったんじゃなくて、壊れないために鳴らなかった。村を守るために、黙っていたんだと思います」


 鐘の表面を、風が撫でる。


 ごぉん。


 防護鐘が低く震えた。


 返事のように聞こえた。


 ガンツさんはしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくり息を吐く。


「道具が、主より賢いこともある」


 その声は、とても小さかった。


 鐘楼から下りると、ミラがすぐに近づいてきた。


「鐘は、直せそうですか?」


「鐘そのものは生きています。ただ、鐘の舌が西側へ傾いています。原因は西の結界石か、西の音送りの溝だと思います」


「では、西の結界石を直せば、防護鐘は鳴るんですか?」


「鳴る可能性はあります。でも、その前に鐘の舌を戻す必要があります。西の音が戻った時、傾いたままだと逆に危ない」


 ミラは帳面に書きながら頷いた。


「西の結界石、音送りの溝、鐘の舌。三つ確認ですね」


「はい」


 その時、広場の向こうから声がした。


「ミラ姉!」


 ポロだった。


 畑に残っていたはずのポロが、息を切らしながら走ってくる。

 後ろからハンナさんの声が聞こえた。


「走るなって言っただろう!」


「でも、急ぎ!」


 ポロは鐘楼の前まで来ると、膝に手をついて息を吸った。


「西の方、変な音がする!」


 俺は顔を上げた。


「変な音?」


「うん。畑から見えた。森の近くの石が、ちかちかしてる。ハンナさんが、昔あそこが弱ると獣が近づくって」


 ミラの顔が引き締まる。


「西の結界石……」


 ガンツさんは道具袋を担ぎ直した。


「予想より早いな」


 俺は耳を澄ませた。


 遠い。

 でも、確かに聞こえる。


 しゅ。

 しゅう。

 ちり。


 乾いた音。

 石が水を失い、結界の光を保てなくなっている音。


 そして、その奥に別の音があった。


 低く、湿った息のような音。


 森の音だ。


 何かが近づいている。


「西へ行きましょう」


 俺が言うと、ミラは頷いた。


「私も行きます」


「危ないかもしれません」


「だから行きます。記録も必要ですし、西の結界石のことを知っている村人を探す時間はありません」


 その目は、昨日までの不安だけの目ではなかった。


 怖がっている。

 けれど、逃げてはいない。


 ガンツさんが短く言う。


「行くなら、俺の後ろだ。ポロは来るな」


「えっ」


「絶対に来るな」


 ポロは反論しようとしたが、俺が首を振ると、唇を噛んで黙った。


「……分かった。じゃあ、ハンナさんに知らせてくる。西が危ないって」


「頼む」


 俺が言うと、ポロはぱっと顔を上げた。


「うん!」


 今度は走り出しかけて、ハンナさんに怒られたことを思い出したのか、早歩きで戻っていった。


 俺たちは西の結界石へ向かう。


 村の家々を抜け、木柵へ近づくにつれて、森の匂いが濃くなった。


 湿った葉。

 黒い土。

 獣の気配。


 夕方にはまだ早い。

 それなのに、西側だけ空気が冷えている。


 木柵の向こうで、枝が揺れた。


 何かがいる。


 ミラが息を詰める。


 ガンツさんが槌を握った。


 俺は工具袋を押さえ、西の結界石を見た。


 石は、弱々しく明滅していた。


 青白い光が、ついては消え、ついては消える。

 そのたびに、土台石へつながるはずの音が途切れる。


 しゅ。

 ちり。

 しゅう。


 これは、ただの詰まりではない。


 水が届いていないだけでもない。


 石の下で、何かが音を食っている。


 俺は結界石の前に膝をついた。


 その瞬間、森の奥から低い唸り声が聞こえた。


 ミラが小さく呟く。


「来ています」


 ガンツさんが俺の前に立つ。


「小僧、聞け。俺が時間を稼ぐ」


「はい」


 俺は石に手を当てた。


 冷たい。

 乾いている。

 なのに、奥だけぬめるような嫌な音がする。


 西の結界石が沈黙している理由。


 その正体が、やっと聞こえた。


 根だ。


 森から伸びた黒い根が、石の下の水路に入り込み、音送りの溝を塞いでいる。


 水を吸い、音を吸い、結界を弱らせている。


「根が絡んでいます」


「木の根か?」


「ただの木ではありません。森の魔力を吸った根です。西の水路に入り込んで、音を止めています」


 木柵の向こうで、また枝が揺れた。


 黄色い目が、暗がりの中に一つ、二つ、浮かぶ。


 防護鐘が鳴らない理由は、鐘楼だけではなかった。


 西の結界石が、森に食われかけている。


 俺は冷たい石に手を当てたまま、息を吸った。


 防護鐘を鳴らすには、まずこの根を外さなければならない。


 だが、根の音は結界石の奥深くまで絡んでいる。


 無理に引けば、石ごと傷つく。


 森の方から、低い唸り声が近づいてきた。


 西の結界石は、ちり、とか細く鳴った。


 助けを求めるように。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


今回は、鳴らない防護鐘の調査回でした。


防護鐘そのものは壊れていない。

けれど、西の結界石からの音が途切れているせいで、鐘は鳴ることができませんでした。


そして、その西の結界石には、森から伸びた黒い根が絡んでいます。


次回は、エイル自身の「音」が試される回になります。


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