EP 9
愛の証明と、神の救済
「俺を誰だと思っている! 公爵家の……ッ!」
ギデオンの怒声が響くが、買収された私兵たちは冷ややかな目で彼を見つめるだけだった。
完全に孤立無援となった絶対的強者。その事実を前にして、ギデオンの理性が完全に弾け飛んだ。
「黙れッ!! たかがゴミ虫が、俺を愚弄するなァァッ!!」
ギデオンは腰のホルスターから魔導式の軍用拳銃を乱暴に引き抜いた。
私兵が止める間もない。彼は一直線に銀河へと距離を詰め、その冷たい銃口を、無抵抗な青年の眉間にピタリと突きつけた。
「死ね、ゴミ虫!! お前がいなくなれば、ダイヤはまた俺の従順な道具に戻るんだ!!」
ギデオンの指が引き金にかかる。
銀河は、抵抗しなかった。ただ悲しそうに眉を下げ、「ダイヤさん、逃げて……」と弱々しく呟くだけ。
(……さあ、ダイヤさん。君の愛を、証明してよ)
銀河は、銃口を突きつけられながら、心の中で極上のシナリオを描いていた。
『パーン』という破裂音が、野営地の空気を引き裂く。
だが、火を噴いたのは、ギデオンの拳銃ではなかった。
「……あ?」
ギデオンが、間抜けな声を漏らした。
彼の胸のど真ん中。ルナミス軍の軍服に、ぽっかりと黒い風穴が空いていた。
遅れて、ゴボッと口から大量の血が溢れ出す。
「やめろおおおおッ!! 銀河君に、手を出すなああああァァァッ!!」
絶叫。
振り向いた先には、ダイヤが立っていた。
トラウマの象徴であるギデオンの前では震えることしかできなかった彼女が、愛用の魔導拳銃を両手で構え、銃口から真っ白な硝煙をくゆらせていた。
「俺、が……ダイヤ、に……? 俺の、道具、に……」
ギデオンは信じられないものを見る目でダイヤを見つめ、そのままドサリと泥の中に崩れ落ちた。
完全に、心臓を撃ち抜かれていた。即死だった。
「あ……ああ……っ」
拳銃が、ダイヤの手からこぼれ落ちる。
彼女は自分の震える両手を見つめ、極限のパニックに陥った。
人を殺した。ずっと逆らえなかった元婚約者を、この手で撃ち殺した。
「わ、私……ギデオンを、殺して……」
膝から崩れ落ちそうになるダイヤ。
しかし、そんな彼女を、温かく力強い腕が優しく抱き止めた。
「銀河、君……っ! ああ、銀河君……ッ!!」
ダイヤは銀河の胸に顔を押し当て、すがりつくように激しく泣き崩れた。
銀河は、血に濡れたダイヤの背中を、愛おしそうにゆっくりと撫でる。
「ありがとう、ダイヤさん。……僕のために、一番怖いものに立ち向かってくれたんだね」
(素晴らしい。君は僕を守るために、人殺しという最悪の罪を背負ってくれた。これ以上の『愛の証明』はないよ。君の心は、永遠に僕の共犯者だ)
銀河は、ダイヤの泣き顔を優しく拭い、聖母のような微笑みを浮かべた。
「嬉しかったよ、ダイヤさん。……でも、君を人殺しにはさせないよ」
「え……?」
銀河はダイヤをそっと離すと、【無限収納】から小さなスプレー缶を取り出した。
アマテラスが持たせたチートアイテムの一つ――『完全回復スプレー』。
銀河は、事切れているギデオンの死体の胸に向けて、プシューッとスプレーを吹きかけた。
シュワシュワと光の粒子が舞い、撃ち抜かれた心臓と肉体が、ビデオの巻き戻しのように一瞬で再生していく。
「……ガッ、ハァァッ!!?」
死んだはずのギデオンが、大きく息を吸い込んで跳ね起きた。
「は!? 俺は、撃たれて……死んで……ッ!?」
自分の胸を狂ったようにまさぐるギデオン。傷一つない。
だが、ダイヤに『撃ち殺された』という絶対的な恐怖と絶望の記憶だけが、脳髄にこびりついて離れない。
「ヒッ……ァ、アァァァ……ッ!!」
ギデオンはダイヤを見て、ガチガチと歯を鳴らし、腰を抜かしたまま後ずさりした。
自分を見下していた所有物に殺される恐怖。そして、それを赤子の手をひねるように蘇生させる、銀河という理解不能な化け物への恐怖。
ギデオンの精神は完全に崩壊し、涎を垂らしながら泥の上を這いずって逃げようとしていた。
「よかった。これでダイヤさんは、誰の命も奪っていない。綺麗なままですよ」
銀河は、発狂したギデオンには目もくれず、ダイヤに向けて純度100%の『良い子』の笑顔を向けた。
「銀河君……っ。君は、神様だわ……私の、たった一人の……っ」
ダイヤは再び銀河に抱きつき、その温もりの中に完全に溶け込んでいった。
暴力を一切使わず、他者の愛と罪悪感を操り、敵の精神を完全破壊する。
哀れな愛の破壊者は、自らの手を一切汚すことなく、また一つ、この世界に逃げ場のない『沼』を完成させたのだった。




