EP 8
絶望のオーケストラ
「撃て」
ギデオンの冷酷な命令が、朝靄の野営地に響いた。
ダイヤは悲鳴を上げ、銀河をかばうように目を固く瞑った。
一秒。
二秒。
三秒。
――しかし。いつまで経っても、銃声は鳴らなかった。
「……あ?」
ギデオンが、怪訝そうに眉をひそめる。
彼が振り返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
周囲を取り囲む十数名の私兵たちが、全員、魔導ライフルの銃口をだらりと下げていたのだ。
「おい、どうした! なぜ撃たん!! 俺の命令が聞こえなかったのか!」
ギデオンが怒鳴りつける。
しかし、私兵たちは誰一人として動こうとしない。やがて、部隊長らしき初老の兵士が、面倒くさそうにため息をついた。
「……申し訳ありません、少佐。我々は、この任務から『降り』させていただきます」
「なんだと……? 貴様ら、帝国への反逆罪だぞ! 全員その場で銃殺――」
「反逆ではありませんよ。単なる『転職』です」
別の兵士が、鼻で笑うように言い放つ。
「危険手当も出ない。女一人のために辺境まで引きずり回される。その上、何かあれば『捨て駒』扱いだ。……俺たちはあんたの道具じゃねえんだよ、少佐殿」
「ゴルド商会に行けば、給料は今の十倍だ。毎晩、極上の酒とタバコも支給される。あんたのちっぽけな権力と心中してやる義理はねえ」
兵士たちは次々とライフルを肩に担ぎ直し、ギデオンに背を向け始めた。
「な……待て! 貴様ら、正気か! 俺を誰だと思っている! 公爵家の……!」
「――君の人望のなさを恨むんだね」
突如、空気を凍らせるような、ひどく冷たく、静かな声が響いた。
ギデオンがハッと振り返る。
そこには、今までダイヤの腕の中で怯え、ガタガタと震えていたはずの青年が立っていた。
「あーあ、疲れた。ずっと怯えてる演技をするのって、結構肩が凝るんだよね」
銀河は、首をコキリと鳴らしながら、衣服についた泥を無造作に払う。
そして、腹部から流れていた『血糊』を手の甲で無造作に拭い取った。その腹部には、傷一つついていない。
「お前……っ、その傷は……っ!?」
驚愕に目を見開くギデオン。
そして、彼以上に驚いていたのは、足元にへたり込んでいるダイヤだった。
「銀河、君……? どうして、怪我は……さっきまで、あんなに震えて……」
ダイヤが見上げる先。
そこにあるのは、純朴で、庇護欲をそそるドジっ子の顔ではない。
すべての感情を削ぎ落とし、虫ケラを見下ろすような、絶対的支配者の【冷徹な素顔】だった。
「ごめんね、ダイヤさん。少しだけ、痛いふりをしてたんだ。……だってそうしないと、ダイヤさんが『僕を一人にしたら死んじゃう』って、思ってくれないから」
銀河は、ダイヤに向けてだけ、甘く狂気的な微笑みを向けた。
その瞳の奥には、愛を渇望する底なしの暗い穴が口を開けている。
ダイヤは、自分の目の前にいる青年が、理解を超えた『何か』であることに気づき、背筋に強烈な悪寒が走った。しかし――同時に、彼から絶対に目を離せないという、致命的な依存の底に沈んでいくのを感じていた。
「き、貴様……っ! まさか、俺の兵を唆したのは……!」
ギデオンの顔が、屈辱と怒りで朱に染まる。
「唆すだなんて、人聞きが悪いな」
銀河は、ギデオンに向き直った。
その瞳は、文字通り『絶対零度』。
「君が彼らに与えなかったものを、僕が少しだけ与えただけさ。感謝と、温かさと、ささやかな快楽をね。……人を『道具』としか見られない君に、彼らの心は縛れないよ」
「黙れッ!! たかがゴミ虫が、俺を愚弄するなァァッ!!」
完全に理性を失い、発狂したギデオンが腰の軍刀を抜き放つ。
闘気を爆発させ、一直線に銀河の首を刎ね飛ばそうと突進してきた。
「死ねェェェェッ!!」
迫り来る死の刃。
しかし、銀河は一歩も動かない。
ただ、虚空から鈍く光るリボルバー――【神銃ガイアリボルバー】を抜き放ち、ギデオンに向けて無造作に銃口を向けた。
「……ねえ、ギデオン。愛って、どれくらいで壊れると思う?」
銀河の指が、リボルバーの撃鉄を静かに起こす。
「君のちっぽけな自尊心と一緒に、試してあげるよ」




