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EP 5

影響力の武器と、見えない罠

ポポロ村の境界線の外れに、ルナミス帝国軍の仮設野営地が敷かれていた。

一番奥にある粗末な檻のテントに、ダイヤと銀河は無造作に放り込まれていた。

「……ごめんね、銀河。私のせいで」

月明かりだけが差し込む薄暗いテントの中。

ダイヤは自分のマントを破いて包帯代わりにし、銀河の腹部(実際には無傷だが、血糊で酷い怪我に見せかけている)を震える手で手当てしていた。

「痛かっただろう……。私が不甲斐ないばかりに、君を巻き込んで……っ」

大粒の涙をこぼすダイヤに、銀河は痛みを堪えるように弱く微笑んだ。

「ダイヤさんが無事なら、いいんです。……ダイヤさんは、僕が守りますから」

「馬鹿っ……君は自分を大切にしてくれ。これ以上、君が傷つくのを見たら、私は……っ」

ダイヤは銀河の手を固く握りしめ、顔を伏せて嗚咽を漏らした。

(ああ、いいよ。すごくいい。君の心の中は今、僕への『絶対的な罪悪感』で満たされている。もう少しだ。もう少しで、君は完全に僕の所有物になる)

銀河はダイヤの頭を優しく撫でながら、彼女が疲労と泣き疲れで微睡みに落ちるのを静かに待った。

やがて、ダイヤの寝息が規則正しくなった深夜。

銀河は音もなく立ち上がった。

腹を押さえる痛々しい演技をピタリとやめ、無表情でテントの入り口(魔導ロックがかかった鉄格子)に手を触れる。

(鑑定。構造解析。……解除)

カチリ、と小さな音がして、堅牢なはずの錠が呆気なく外れた。

銀河はダイヤを起こさないよう、夜の野営地へと音もなく滑り出た。

野営地の中心では、豪華な天幕の中でギデオンが高鼾をかいている。

その周囲で、夜通しの見張りをさせられている私兵たちが、焚き火を囲んで寒そうに身を寄せ合っていた。

「くそっ、あのクソ少佐。自分だけ毛布で寝やがって」

「口を慎め。給料が飛ぶぞ」

「給料だって? 危険手当も出ないのに、こんな辺境まで女一人のために連れ回されて。割に合わねえよ」

愚痴をこぼす私兵たち。

その影から、銀河が「こんばんは」とひょっこり顔を出した。

「なっ!? 貴様、なぜ檻から出た!」

「動くな! 撃つぞ!」

即座に銃を構える私兵たちに、銀河は両手を上げてヘラヘラと笑った。

「撃たないでくださいよ。逃げませんから。ただ……寒そうだったから、差し入れを持ってきたんです」

銀河は【無限収納】から、地球の最高級スコッチウイスキーのボトルと、高級葉巻のセットを取り出して見せた。

「……なんだ、それは?」

「極上の酒と、最高のタバコです。見張りの気休めにどうぞ。毒なんて入ってないですよ」

銀河は自らボトルを開け、一口飲んでみせた。

私兵の一人が、疑心暗鬼ながらもボトルを受け取り、匂いを嗅ぐ。そして、たまらず口をつけた。

「――ッ!! な、なんだこの酒は! 喉が焼けるように熱いが、香りが……っ」

「こっちの葉巻も試してみてください。火をつけますよ」

銀河に勧められるまま葉巻を吸い込んだ私兵の顔が、とろけるような恍惚に変わった。

アナスタシア世界の粗悪なタバコとは次元が違う、現代地球の計算され尽くした香りとニコチン。

過酷な労働と不満で乾ききっていた彼らの脳内報酬系に、それは強烈なクリティカルヒットを放った。

「う、うますぎる……」

「なんだこの天国みたいな時間は……」

完全に警戒を解いた私兵たちを見て、銀河は『影響力の武器』の第一段階――【返報性の原理】と【好意】のセットアップが完了したことを確信した。

「皆さん、本当に優秀なのに、苦労されてますね」

銀河は焚き火のそばに座り込み、同情に満ちた声で囁いた。

「ダイヤさんから聞きましたよ。皆さんは帝国でも腕利きの兵士だって。でも、あの少佐はあなたたちを『捨て駒』としか思っていない。……悲しいですよね。こんなに素晴らしい人たちが、誰にも評価されないなんて」

「……お前、分かってるじゃないか」

「あぁ、全くだ。俺たちは道具じゃねえ」

酒の勢いと、承認欲求を満たされたことで、私兵たちのギデオンへの不満が一気に噴出した。

銀河は相槌を打ちながら、言葉の毒をさらに深く注ぎ込む。

「もし、ギデオン少佐が『いなくなった』ら、皆さんはどうするんですか?」

「そりゃあ、本隊に戻るか、どこかのギルドに再就職するしか……」

「実は僕、ルナミスのゴルド商会に強力なツテがあるんです。もし皆さんが自由になったら、今の十倍の給料が出る護衛の仕事を斡旋できますよ。……このお酒も、毎日飲めるくらいの待遇で」

【権威】と【希少性】、そして圧倒的な【利益の提示】。

私兵たちの目の色が、完全に変わった。

「もちろん、反逆しろなんて言いません。ただ、明日、少佐が僕たちに何かひどいことをしようとした時……ほんの少しだけ、『聞こえないふり』をしてくれればいいんです」

銀河は、天使のように優しく、悪魔のように甘い笑顔で彼らを見つめた。

「皆さんの未来と、あの傲慢な少佐の命。……どちらが価値があるか、賢い皆さんなら分かりますよね?」

私兵たちは、手元の最高級スコッチと葉巻を見つめ、そして黙って頷き合った。

(あはっ。チョロいなぁ。人間の忠誠心なんて、美味しいお酒と少しの共感で、簡単にひっくり返る)

夜風が吹き抜ける中、銀河はテントへ戻る歩みを進める。

(ギデオン。君は明日、僕とダイヤさんをいたぶって最高の優越感に浸るつもりだろうけど。……君の足元はもう、完全に崩れ去っているよ)

テントに戻った銀河は、再び「弱々しい青年」の仮面を被り、ダイヤの隣にそっと横たわった。

愛を試すための、惨劇の舞台の準備が、完璧に整った。

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