EP 4
過去の亡霊と、完璧な弱者
翌朝。ポポロ村の空き地には、甘ったるい暴力的な香りが漂っていた。
「ダイヤさん、朝ごはんできましたよ。パンケーキです」
「ぱん……けーき? この、雲のようにフワフワした食べ物が……?」
銀河が(ネット通販で買って無限収納から出した)特製パンケーキを前に、ダイヤは感動で震えていた。
と、そこへ猛烈な土煙を上げて「何か」が滑り込んできた。
「ハッ! 五円、十円、ご縁ハイッ! そこのお兄さん! その神々しい食べ物の端っこでいいので、恵んでくれませんかぁぁっ!」
地面に完璧なスライディング土下座を決めたのは、パンの耳をかじっていたはずの極貧人魚、リーザである。
しかし、彼女がパンケーキに飛びつく直前。マッハ1の速度で飛来した人影が、リーザの首根っこを的確に掴み上げた。
「こらリーザちゃん。新入りさんに迷惑かけないの」
「ひぃん! 村長ぉ! 胃袋が限界なんですぅ!」
バタバタと暴れるリーザを片手で持ち上げているのは、ラフな格好をした兎耳の少女。
ポポロ村村長、キャルルだった。
「初めまして、銀河君だね。私は村長のキャルル。村のルールを守る限り、ここは絶対安全だから安心してね」
キャルルは星の王子様のように優しく微笑んだ。
しかし、銀河の【鑑定】スキルは、彼女のステータス画面に並ぶ『月影流・顎砕き』『超電光流星脚(277トン)』という致死級の武力情報を正確に読み取っていた。
(……なるほど。三大国家が手出しできない緩衝地帯って、そういうことか。面白い村だ)
「あ、ありがとうございます……っ。僕、ドジですけど、迷惑かけないように頑張ります」
銀河が愛想笑いを浮かべた、その時だった。
――ギュイィィィンッ!!
のどかな村の空気を引き裂き、ルナミス帝国の紋章を掲げた三台の『魔導装甲車』が乱暴に乗り込んできた。
キャルルの表情から、スッと愛想が消える。
装甲車から降りてきたのは、最新鋭の軍服を着崩した金髪の男だった。
ルナミス帝国軍少佐にして、ダイヤの元婚約者。ギデオン・バルトス。その後ろには、完全武装の私兵部隊が十数名控えている。
「ふん、豚の臭いがすると思ったら、こんな最果てのゴミ溜めに隠れていたか」
ギデオンの嘲笑うような声に、ダイヤの肩がビクッと跳ねた。
彼女の顔から血の気が引き、スナイパーライフルを握る手がカタカタと震え出す。
「ギデ、オン……。なぜ、ここに」
「なぜ? 決まっているだろう、俺の『道具』を回収しに来たのだ。ダイヤ、お前は公爵家の名のもとに、俺という主人の剣として生きる義務がある。こんな泥水のような生活、さぞ惨めだったろう?」
ギデオンはダイヤの意志など最初から存在しないかのように、傲慢に言い放つ。
ダイヤは何も言い返せない。幼い頃から『お前は剣だ』と洗脳のように育てられ、それに耐えきれず出奔した彼女にとって、ギデオンは過去のトラウマそのものだった。
「おい、連れて行け」
ギデオンが顎でしゃくると、私兵たちが無感情にダイヤへと歩み寄る。
キャルルが一歩前に出ようとしたが、ギデオンは一枚の羊皮紙をひらつかせた。
「ポポロ村の村長殿。これはルナミス帝国からの『正当な身柄引き渡し要求書』だ。国際法に則った手続きだ。もしこれを妨害すれば、帝国への宣戦布告とみなすが?」
「っ……」
キャルルの足が止まる。村を守る立場である以上、合法的な書類を出されては手出しができない。
私兵の手が、ダイヤの腕を掴もうとした瞬間。
「や、やめてくださいっ!!」
震える細い声とともに、ダイヤを庇うように飛び出した影があった。銀河だ。
彼は涙目で、ガクガクと膝を震わせながら、両手を広げてダイヤを守るように立った。
「ダ、ダイヤさんは……っ、嫌がってます! 無理やり連れて行くなんて、ひどいです!」
「……あ? なんだこの虫ケラは。ダイヤの新しい飼い犬か?」
ギデオンは不快そうに顔を歪めると、無造作にブーツを振り上げた。
軍靴の硬い爪先が、銀河の腹部を容赦なく蹴り飛ばす。
「がはっ……!」
銀河の体が宙を舞い、地面を無様に転がる。
口から、鮮血が吐き出された。
「銀河っ!!」
ダイヤが悲鳴を上げ、大剣を抜こうとする。
しかしそれより早く、周囲の私兵たちが一斉に魔導ライフルの銃口を、地面で咳き込む銀河の頭に突きつけた。
「動くな。剣を抜けば、このゴミの頭を吹き飛ばすぞ」
「っ……! 卑怯者っ……!」
ダイヤはギリッと唇を噛み切り、剣から手を離した。
絶望に染まるダイヤを見下ろし、ギデオンは下劣な笑い声を上げる。
「ハハハッ! 見ろダイヤ、お前が剣を抜けないせいで、この虫ケラは死にかけている。やはりお前は、俺の命令でしか動けない欠陥品の道具なのだ!」
無力感に苛まれ、ダイヤの目から涙がこぼれる。
地面に這いつくばり、苦痛に顔を歪める銀河。
――だが。
ダイヤの死角、土に塗れた銀河の表情は、完全に『笑って』いた。
(鑑定:ギデオン・バルトス。知能レベル……ああ、最低だ。血糊カプセルを噛み潰しただけなのに、本気で僕を痛めつけたと勘違いして優越感に浸ってる)
銀河は、肺が潰れたふりをしてヒューヒューと息を漏らしながら、冷たい思考を巡らせる。
(キャルルさんが手出しできない状況。ダイヤさんのトラウマ。そして、僕という人質。……完璧だ。完璧すぎるよ、ギデオン。君は本当に優秀な『ヘイトの的』だ)
銀河は、ダイヤに向けて、血まみれの顔で「ニコッ」と弱々しく笑いかけた。
『僕のことは気にしないで』。
そんな言葉すら口にできないほど弱り切った(ように見える)その笑顔は、ダイヤの心に「絶対的な罪悪感」と「銀河への狂おしいほどの庇護欲」を永遠に刻み込む、最悪の猛毒だった。
(さあ、ダイヤさん。君の心をぐちゃぐちゃに踏みにじって、僕なしじゃ生きられないようにしてあげる。……僕が君を助け出すのは、君の心が完全に壊れてからだ)
神様が創り出した愛の破壊者は、血だまりの中で、ただ一人甘い蜜を啜っていた。




