EP 3
胃袋と精神の掌握
ルナミス帝国、レオンハート獣人王国、アバロン皇国。
三大国家の緩衝地帯に位置する『ポポロ村』は、のどかな田園風景と、不釣り合いなほど物騒な魔導対空砲が共存する特異な場所だった。
「ここが私の家だ」
村の端、木立に囲まれた空き地。
ダイヤが胸を張って指差した先には、家と呼ぶにはあまりにも心許ない、ツギハギだらけの小さなテントが張られていた。
「……テント、ですか?」
「あぁ。村の宿は素泊まりでも銀貨2枚(約2000円)もするからな。弾薬の補充や装備のメンテ代を考えれば、宿代などという贅沢はできない。君には窮屈な思いをさせるが、我慢してくれ」
そう言って、ダイヤは大切そうに魔法ポーチからシワシワの紙袋を取り出した。
中に入っていたのは、すっかり冷めきった特売の肉まんが二つ。
「さあ、夕食にしよう。半分こだが、遠慮はいらないぞ」
誇り高く、気高く、そしてあまりにも貧しい。
そのアンバランスな健気さを前にして、銀河は内心で腹を抱えて笑いそうになるのを必死に堪えた。
(あははっ、本当に良い人だ。……こんなに純粋だと、汚して、壊してしまいたくなる)
「……ダイヤさん」
銀河は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「助けてもらった上に、ダイヤさんの大切なご飯を奪うなんてできません。……僕に、夕食を作らせてもらえませんか?」
「君が? しかし、食材など……」
「少しだけ、空間魔法が使えるんです。ダイヤさんの調理道具、お借りしてもいいですか?」
銀河はダイヤのキャンプ用鍋を借りると、彼女から見えない角度で虚空を指で弾いた。
ユニークスキル【ネット通販】のインターフェースを展開。
地球の高級デパ地下グルメサイトにアクセスし、電子決済で『A5ランク黒毛和牛の特製ビーフシチュー(湯煎用)』と『高級窯焼きバゲット』を購入。
【無限収納】を経由して鍋の中に移し、しれっと温め始める。
数分後。
ポポロ村の夜風に乗って、暴力的なまでに芳醇なデミグラスソースと、とろける牛肉の香りが広がった。
「なっ……こ、これは……っ!?」
「できましたよ。僕の特製シチューです」
ダイヤは、差し出された木皿を震える手で受け取った。
スプーンですくい、一口、口に運ぶ。
「――――っ」
その瞬間、ダイヤの脳内を雷が突き抜けた。
肉の旨味、赤ワインのコク、野菜の甘み。これまで野営で「冷めた肉まん」と「缶スープ」しか口にしてこなかった彼女の味覚細胞が、歓喜の悲鳴を上げる。
「おい……しい。なんだこれは……こんなに温かくて、美味しいもの……私……っ」
気づけば、ダイヤの美しい瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
実家を出奔し、賞金稼ぎとして一人で泥水をすすってきた孤独な心が、極上の「食事」によって急速に溶かされていく。
「あ、あの! お口に合いませんでしたか!?」
銀河が慌てて身を乗り出し――そして、お約束のように「ドジ」を踏んだ。
「わわっ!」
バランスを崩し、スプーンからこぼれたシチューのソースが、銀河の白い頬にベチャリと跳ねる。
「あーあ、またやっちゃった……。ごめんなさい、僕、本当に不器用で……」
シュンと肩を落とし、情けない声でうつむく銀河。
それを見たダイヤは、泣いていたことも忘れ、ふっと柔らかく微笑んだ。
「……本当に、君は私がいないとダメだな」
ダイヤは自分のポケットからハンカチを取り出すと、銀河の頬に手を添え、優しくソースを拭き取った。
「美味しいよ、銀河。……こんなに温かい食事は、生まれて初めてだ。ありがとう」
至近距離で見つめてくる、ダイヤの母性に満ちた優しい瞳。
その温もりに触れた瞬間――銀河の胸の奥が、チクリと痛んだ。
(ああ……温かい。すごく、心地いい)
銀河は、へへっと無邪気に笑い返す。
しかし、その心の中には、真っ黒なインクを一滴落としたような「虚無」が広がっていた。
(でも、どうせこれも『僕が良い子にしているから』だ。僕の本当の姿……愛を試さずにはいられない残酷な化け物だと知ったら、君も結局、僕を捨てるんだろ?)
なら、絶対に逃げられないようにしてあげる。
僕の料理なしじゃ生きられないように。僕がいないとダメだと思い込ませて。
君の心も、体も、人生も、全部僕のものにしてから――壊れるか、壊れないか、試してあげるよ。
「ダイヤさん。僕……ずっと、ダイヤさんのご飯を作ってもいいですか?」
「っ……あぁ。よろしく頼む」
月明かりの下、顔を赤らめるダイヤ。
彼女の首にはもう、銀河という名の甘く冷たい鎖が、しっかりと巻き付いていた。




