EP 2
紅蓮の戦乙女と、庇護欲の罠
「――ギ、ギギッ、ギギギッ!!」
異世界の森は、想像以上に騒がしかった。
目の前で鎌のような前肢を鳴らしているのは、体長2メートルを超える【死蟷螂】。死蟲王サルバロスの眷属、その偵察型だ。
銀河は、木の幹に背中を預け、震える手で『ガイアリボルバー』を握っていた。
……いや、「震える手」を演じていた。
(鑑定。――個体レベル15。今の僕なら、ダイヤルを『気絶』に合わせて一撃。……でも、それじゃあ面白くないよね)
銀河は冷めた瞳で、迫りくる死の刃を見つめる。
鑑定スキルが、遠くからこちらへ向かってくる「強烈な熱源」を捉えていた。
「助けて……誰か、助けて……っ!」
銀河は、わざと情けない声を上げる。
カマキリが鋭い一撃を振り下ろした瞬間――。
――ドォォォォン!!
重厚な発火音と共に、カマキリの頭部が文字通り吹き飛んだ。
緑色の体液が舞い、銀河の頬に数滴飛ぶ。
「動くな! 怪我はないか!?」
藪をかき分け現れたのは、深紅の甲冑――『クリムゾンアーマー』に身を包んだ美しい女性だった。
背中には魔導99式スナイパーライフル。腰には武骨な大剣。
彼女こそが、公爵家を飛び出した賞金稼ぎ、ダイヤ・マーキスである。
「あ……あぁ……」
銀河は腰を抜かしたふりをして、地面に座り込む。
わざとらしく呼吸を乱し、涙目で彼女を見上げた。
「……あ、ありがとうございます。死ぬかと、思いました……」
「無茶だ、こんな丸腰に近い格好で森に入るなんて。君、この辺りの者じゃないな?」
ダイヤは鋭い眼光で銀河を検分するが、すぐにその表情を和らげた。
銀河の顔が、あまりにも「弱々しく、守ってあげたくなる」ものだったからだ。
「……僕は、星月銀河と言います。その、気がついたらここにいて……」
「……転移者か。不運だったな」
ダイヤはため息をつき、銃の残弾を確認した。その瞬間、彼女の眉間に微かな陰が差す。
(……今ので一発。メンテナンス費用を考えると、今日の利益が……。いや、背に腹は代えられん)
銀河はその僅かな仕草を逃さない。
(鑑定:ダイヤ・マーキス。所持金、銀貨3枚と銅貨数枚。……あはは、本当にお金がないんだ。可愛い人)
「あの、これ……お礼、と言ったら変ですけど」
銀河は『無限収納』から、ネット通販で取り寄せたばかりの【ホットの缶コーンスープ】を取り出した。
「えっ? それは……なんだ? 魔法具か?」
「いえ、ただの飲み物です。温かいですよ。どうぞ」
恐る恐る缶を受け取ったダイヤが、プルタブを開ける。
立ち上る甘い香りと、温かな熱。一口飲んだ瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「……っ! なんだこれは、……こんなに甘くて、濃厚なスープ、王都の晩餐会でも出てこなかったぞ!?」
「あ、良かったです。僕、ドジでこれくらいしか持っていなくて……」
銀河は立ち上がろうとして、わざとらしく足をもつれさせた。
「わわっ!?」
「危ない!」
ダイヤが咄嗟に銀河の体を抱きとめる。
銀河の柔らかな髪が、彼女の顎をくすぐった。
「す、すみません。……僕、本当にダメな子なんです」
ダイヤの腕の中で、銀河は小さく、消え入りそうな声で呟いた。
「……母さんにも、よく言われました。お前は何もできないから、僕がいないとダメだって。……だから、見捨てられちゃうのが、怖いんです」
それは、嘘ではなかった。
かつて自分を捨てた親の言葉。最高神の母にさえ言われ続けた言葉。
銀河の瞳に、一瞬だけ、本物の「深い孤独」が宿る。
それを見たダイヤの胸に、かつてない激痛が走った。
正義感が強く、困っている者を放っておけない彼女にとって、この「美しく、今にも壊れそうな青年」を一人にすることは、死よりも辛い選択に思えたのだ。
「……安心しろ。私がついている」
ダイヤは、銀河の肩を強く抱き寄せた。
「君をポポロ村まで送り届けてやる。……そのあとも、君が一人で生きていけるようになるまで、私が面倒を見てやろう」
「……いいんですか? 迷惑じゃ、ないですか?」
「迷惑なものか。……私の装備のメンテナンスを手伝ってくれるだけでいい」
(――かかった)
ダイヤの胸に顔を埋めながら、銀河の口角が、彼女に見えない角度で吊り上がった。
(正義、同情、そして母性。……一番壊しやすい愛の形だ。ダイヤさん、君はこれから僕のために、そのプライドも、お金も、人生も、全部すり減らしていくんだよ?)
「ありがとうございます。……僕、ダイヤさんのこと、信じてもいいんですね?」
「あぁ、約束だ」
夕暮れ時の森。
紅蓮の戦乙女は、自分の心が、底なしの底なしの沼に引きずり込まれていることに、まだ気づいていなかった。




