EP 4
おもちゃ箱を狙う影
「あーあ、よく働きましたねダーリン! カツ丼のカロリーもすっかり消費しましたよ!」
夕刻。ポポロ村の中央広場。
満面の笑みで背伸びをするリーザの横で、銀河は泥と埃にまみれたジャージ姿のまま、生まれたての小鹿のように膝をガクガクと震わせていた。
(……全身の筋肉が、悲鳴を上げている。僕のHPはとっくにゼロだ……)
銀河は、無限献血と土木作業という地獄のコンボにより、精神操作などという高度な思考を完全に放棄させられていた。
ただ一つ、彼の脳内を占めていたのは「早くふかふかのベッド(ダイヤの膝枕付き)にダイブしたい」という、極めて人間的でささやかな欲求だけだった。
だが、広場に足を踏み入れた二人の目に、異様な光景が飛び込んできた。
「なんだ、あれ……」
広場の中心に、のどかなポポロ村には似つかわしくない、成金趣味の黒塗りの大型馬車が停まっていた。ルナミス帝国の紋章が刻印されている。
その周囲を、重武装の傭兵たちが囲み、村人たちが不安そうに遠巻きに見つめていた。
「どういうことだ! 話が違うじゃないか!」
群衆の中心から、村長であるキャルルの怒声が響いた。
銀河とリーザが人混みを掻き分けて進むと、そこにはウサギ耳を逆立てて激怒するキャルルと、その前でふんぞり返る恰幅の良い男の姿があった。
「話が違う? 妙な言いがかりはやめていただきたいですねぇ、村長殿」
高級なシルクの服を着込み、十本の指すべてに宝石をギラつかせた男が、豚のように鼻を鳴らした。
ルナミス帝国を裏から牛耳る巨大ギルド『ガルダ商会』の幹部、ボルス。
「この借用書が見えませんか? あなたの先代の村長が、村の土地を担保に我が商会から借り入れた開発資金。その利子が膨れ上がり……現在の総額は、ちょうど『百億リル』になります」
「ひゃくおく……ッ!?」
村人たちから絶望の悲鳴が上がる。
百億リルといえば、小国が一つ買えるほどの天文学的数字だ。
「ポポロ村は三大国家の緩衝地帯という建前ですが、我が商会は法的な土地の所有権を行使する権利がある。……期限は、一週間後にこの村で行われる『収穫祭』の最終日。それまでに百億リルを一括で返済できなければ、この村はガルダ商会のもの。村人には全員立ち退いてもらい、ここは帝国富裕層向けの巨大カジノリゾートになります」
ボルスは、ニチャァと醜悪な笑みを浮かべ、一枚の羊皮紙をキャルルの顔の前にひらつかせた。
ルナミス帝国法務省の正式な公印が押された、絶対的な効力を持つ差し押さえ令状。
「ふざけるな……! この村は、帰る場所を失った者たちが、やっと見つけた安住の地なんだ! それを、お前らの金儲けのために奪われてたまるか!!」
キャルルの愛用するダブルトンファーが、ギリッと鈍い音を立てた。
マッハ1の速度でボルスの首を刎ね飛ばすことなど、彼女にとっては造作もないことだ。
だが――彼女の足は、泥の海に沈んだようにピタリと止まっていた。
(……動けないんだね)
息も絶え絶えだったはずの銀河の瞳に、スッと冷たい理性の光が戻る。
キャルルは村長だ。彼女がここで商人を殴り殺せば、ポポロ村は帝国に対する『テロリストの拠点』として認定され、正規軍の総攻撃を受けることになる。
魔獣(暴力)には勝てても、法律には勝てない。責任感が強く、村人を守ろうとする彼女の『善意』こそが、彼女自身の手足を縛る最大の枷となっているのだ。
「私のお家が……タダで飲める井戸水が、奪われちゃうんですか……?」
隣で、リーザが絶望に顔を青ざめ、へたり込んでいた。
「ハハハッ! 暴力に訴えようとしても無駄ですよ、村長殿。あなたにできるのは、荷物をまとめてこのド田舎から出ていくことだけだ。……では、一週間後を楽しみにしていますよ」
ボルスは高笑いしながら馬車に乗り込み、護衛たちと共に広場を去っていった。
後に残されたのは、絶望に打ちひしがれる村人たちと、唇から血が出るほど強く噛み締めるキャルルだけだった。
「…………」
静まり返る広場の端で。
泥だらけのジャージを着た銀河は、去っていく黒塗りの馬車を、文字通り『絶対零度』の瞳で見つめていた。
(……なるほど。僕の『おもちゃ箱』を、土足で踏み荒らそうというわけか)
ダイヤという絶対の依存対象。
キャルルという、無償の愛を捧げる壊せない玩具。
そしてリーザという、計算を狂わせる刺激的なバグ。
ここは、銀河にとって初めて見つけた、居心地の良い実験場であり、世界のすべてだった。
(百億リルの借金? 法律を盾にした立ち退き? ……いいだろう。君たちが資本主義のルールでこの村を奪うというのなら)
銀河は、泥だらけの手で、自身の胸元にある【ネット通販】のインターフェースをそっと起動した。
(僕が、そのくだらないルールごと、君たちのプライドと人生を完全に粉砕してあげるよ)
愛の破壊者の怒りは、静かに、そしてドス黒く発火した。
彼が次に用いる武器は、神銃でも暴力でもない。極限まで洗練された、最も醜く、最も美しい【資本主義の毒】だ。
「リーザちゃん。立って」
「ぎん、がくん……っ。私、家なし人魚に逆戻り……っ」
「泣かないで。……君が欲しがってた『富』、僕が全部手に入れさせてあげるから」
夕闇の中、泥まみれのサイコパスは、女神のように優しく、そして悪魔のように残酷に微笑んだ。




