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EP 9

壊せない愛

夜明け前。

藍色から薄紫色へと変わりゆく空の下、ポポロ村へと続く獣道を、銀河は一人で歩いていた。

その背中には、泥と血にまみれたキャルルが背負われている。

彼女の背中を焼いていた凄惨な火傷は、すでに跡形もなく消え去っていた。

天魔窟を出る直前、銀河が【完全回復スプレー】を吹きかけたからだ。肉体の傷は一瞬で塞がったものの、限界を超えて魔力と体力を使い果たした彼女は、銀河の背中で赤子のように穏やかな寝息を立てている。

(……重いな)

銀河は、ズシリと背中にのしかかる質量を感じながら、小さく息を吐いた。

もちろん、物理的な重さのことではない。神の申し子である彼にとって、少女一人の体重など羽毛のように軽い。

重いのは、彼女の『愛』だ。

自分を偽り、トラウマを捏造し、突き放すという最悪の盤面セットアップを組んだにも関わらず。彼女は一切の損得勘定抜きで、ただ「村長だから」という理由だけで命を投げ出した。

(愛なんて、少し試せばすぐに壊れると思ってた。……でも、君のこれは、何なんだろう。乱暴で、ズレてて、命がけで)

どんなに僕が突き放しても、壊れなかった。

それどころか、僕自身が『彼女を壊されたくない』と、柄にもなく焦って神の力を振るってしまった。

(やれやれ。……本当に、参ったな)

銀河の口元に、自嘲気味な、けれどどこかホッとしたような微かな笑みが浮かぶ。

「壊し方が分からない」という、彼にとって初めての感情。それは、底なしの虚無に落ちていた彼の心に、ほんの少しだけ灯った理解不能な『温もり』だった。

「――銀河くぅぅぅんッ!!」

村の入り口の門が見えてきた時、半狂乱になったダイヤが飛び出してきた。

「ダイヤさん」

「ああ、銀河君! 銀河君っ! どこに行ってたの!? 目を覚ましたらいなくて……私、私、君が消えちゃったのかと思って……っ!!」

ダイヤは銀河にすがりつき、ボロボロと大粒の涙を流して泣き叫んだ。

銀河の服を強く握りしめ、彼がいなければ一秒も立っていられないほどの、痛々しいまでの完全な依存。徹夜で待っていたのか、その目の下には濃い隈ができている。

その横で、木の棒をかじりながら徹夜で待っていたらしいリーザも、「ああっ! お兄さん! 村長ぉぉ!」と涙目で駆け寄ってきた。

「ごめんね、ダイヤさん。ちょっと夜のお散歩に行ったら、村長さんが倒れてるのを見つけて……。すごく重かったよ」

銀河は、いつもの『純朴で困り果てた少年』の仮面を被り、ダイヤの頭を優しく撫でた。

ダイヤは「よかった、無事だったのね……っ」と銀河の胸に顔を埋める。

(ああ、これだ。これこそが、僕が計算して作り上げた、完璧で安全な愛だ。……でも)

銀河は、ダイヤを優しく抱きしめながら、背中でスヤスヤと眠るウサギ耳の少女の温もりを感じていた。

依存という鎖で縛り付けた愛と。

何も縛っていないのに、勝手に命を懸けてくる愛。

二つの全く違う重さを抱え、銀河は静かに目を伏せた。

   ◆ ◆ ◆

数時間後。村長宅のベッド。

昼日中、窓から差し込む陽光を浴びて、キャルルがパチリと目を覚ました。

「んん……あれ? 私、生きてる?」

「おはようございます、キャルルさん。体の調子はどうですか?」

ベッドの脇でリンゴを剥いていた銀河が、ニコリと微笑む。

キャルルは自分の体をペタペタと触り、傷一つないことに目を丸くした。

「すごい……! 私、ケルベロスに丸焦げにされたはずなのに! 銀河君が治してくれたの!?」

「ええ、まあ。僕の故郷の、ちょっと特別な薬で」

銀河は、リンゴのウサギを皿に乗せながら、試すような視線をキャルルに向けた。

「……ねえ、キャルルさん。怒らないの?」

「へ? 何を?」

「僕は、ドジで可哀想な欠陥品なんかじゃなかった。ケルベロスを一瞬で消し飛ばせる力を持っていた。君を騙していたんだよ」

銀河の言葉に、キャルルはキョトンと首を傾げた。

そして。

「あははははっ! なんだ、そんなこと!」

キャルルは、太陽のようにカラリと笑い飛ばした。

「強いなら強いで、全然いいじゃない! むしろ安心したよ。これなら、私が四六時中ついて回らなくても、銀河君は自分で自分の身を守れるもんね!」

「……君は、本当にバカだね」

「むっ、助けてあげたのにバカはないでしょー!」

キャルルが唇を尖らせる。

自分が騙されていたことへの怒りも、裏切られたという悲しみも、彼女の中には一切存在しなかった。ただ純粋に「彼が自分の力で生きられるなら、それが一番だ」と喜んでいるのだ。

(……ああ。こいつには、一生勝てないな)

銀河は、ナイフを置き、降参するように両手を挙げた。

彼女の愛は、銀河の論理システムの外側にある。計算や心理操作でどうにかできる相手ではない。

「……負けました。君の言う通りだ、村長さん」

「えへへ、でしょ! 村長の言うことは絶対なのだ!」

得意げに笑うキャルルに、銀河は心の底から、ほんの少しだけ素の笑顔を見せた。

ダイヤの依存的な愛は、僕の渇きを一時的に癒やしてくれる甘い毒。

そしてキャルルの無償の愛は、僕の計算を狂わせる、厄介で壊せない光。

ポポロ村という特異点に降り立った、哀れな愛の破壊者。

彼の盤面は今、想定外の駒の出現によって、かつてないほど複雑で、恐ろしく、そして――退屈しない遊戯ゲームへと変貌を遂げようとしていた。

「さて……」

銀河は、部屋の外から聞こえてくるリーザの「お昼ご飯まだですかぁ!」という間抜けな声を聞きながら、薄暗い虚無の底で、そっと唇を舐めた。

「次は、誰の愛で遊ぼうか」

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