EP 2
完璧な悲劇の罠
夕暮れ時。茜色に染まるポポロ村の公園。
銀河は一人、古びたベンチに腰を下ろしていた。
ダイヤは今、家のキッチンで「銀河君のための特製ディナー」を作るのに夢中だ。その隙を突き、銀河はふらりと外へ出た。村の自警団として見回りを行っているキャルルの巡回ルートを、【鑑定】と【ネット通販】で手に入れたGPS機能付き魔導ツールで完璧に把握した上での、計画的な単独行動である。
(……そろそろ来るね)
足音が近づいてくるのを察知した瞬間。
銀河は立ち上がり、何もない平坦な地面で、派手につまずいて転んだ。
「痛っ……」
「わっ、ちょっと! 大丈夫、銀河君!?」
茂みの向こうから、慌てた様子でキャルルが飛び出してきた。
彼女は銀河のもとに駆け寄り、土に汚れた彼の手を引っ張り上げる。銀河の膝からは、少しだけ血が滲んでいた。
「もー、本当にドジなんだから。平らな道だよ? ほら、見せて」
キャルルが銀河の膝に手をかざす。
ポワァッ、と温かい月の光のような魔力が溢れ、かすり傷が一瞬で塞がった。彼女の持つ、理不尽なまでの回復能力の一端だ。
「……ありがとうございます、キャルルさん。ごめんなさい、いつも迷惑ばかりかけて」
「迷惑だなんて思ってないよ。村長として、村の住人を助けるのは当たり前だからね。でも……銀河君って、どうしてそんなに頻繁に転んだり、物をこぼしたりするの? もしかして、体のどこか悪いの?」
心配そうに覗き込んでくる、キャルルの純粋なウサギの瞳。
(――食いついた)
銀河は心の中で、三日月のように口角を吊り上げた。
「……体の病気じゃ、ないんです」
銀河は、パッと顔を伏せ、自嘲気味に、ひどく寂しそうな笑みを浮かべた。
「僕、小さい頃からずっとこうなんです。何をやっても不器用で、こぼしたり、転んだり。……本当の両親にも、『お前は手がかかって面倒くさい』って、いつも怒られてました」
「本当の、両親……?」
「はい。……僕、親に捨てられたんです」
キャルルの息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
「ある日、アパートに僕一人だけ残して、二人ともいなくなっちゃって。……僕が良い子じゃなかったから。ドジで、迷惑ばかりかける欠陥品だったから、捨てられたんです」
ぽつり、ぽつりと語られる、あまりにも重く、悲惨な過去。
それが「事実」であるからこそ、銀河の言葉には、いっさいの嘘偽りがない強烈な悲壮感がこもっていた。
「そ、そんな……! ひどい、いくらドジだからって、自分の子供を捨てるなんて……!」
キャルルの兎耳が、怒りと悲しみでピンと逆立つ。
彼女は強い正義感と、村人(家族)を何よりも大切にする心を持っている。だからこそ、理不尽に捨てられた子供の話など、絶対に聞き流すことなどできない。
「わかったわ! 私が助けてあげる! 銀河君がドジを踏まないように、特訓してあげる! もし転んでも、私が何度でも回復させてあげるから! だから――」
「いいよ。ほっといて」
銀河の声が、不意に、氷のように冷たく硬くなった。
「え……?」
「痛むのには、慣れてるから。……どうせキャルルさんも、最初はそうやって優しくしてくれても、僕の世話をするのに疲れたら、あの親みたいに僕を捨てるんでしょ」
銀河は、キャルルの手を振り払った。
そして、傷ついた獣のように、拒絶の視線を彼女に向ける。
「同情で優しくしないで。嘘つきの愛なら、最初からいらないんだ」
「う、嘘っぱちじゃない! 私は、本当に銀河君のことが心配で……!」
「ごめん。一人にして」
キャルルが伸ばした手を避け、銀河は足早に公園の奥――鬱蒼とした鎮守の森にある神社の方へと立ち去っていった。
キャルルは、伸ばした手を宙に浮かせたまま、呆然とその小さな背中を見送ることしかできなかった。
◆ ◆ ◆
神社の鳥居の影に身を隠し。
銀河は、自分の顔を覆っていた『悲劇の主人公』の仮面を、スッと剥ぎ取った。
(……あはっ。完璧な反応だ)
木陰から覗き見ると、公園に一人残されたキャルルが、ギュッと両拳を握りしめ、ひどく思い詰めたような顔で立ち尽くしているのが見えた。
(責任感が強くて、優しくて、自立している人間。そういう奴を壊すのは、実は一番簡単なんだ)
「自分が何とかしてあげなきゃ」という強烈な保護欲。
ダイヤの時は「絶対的な味方」として振る舞い依存させたが、キャルルには逆のアプローチ――「激しい拒絶」を用いる。
(僕に拒絶された君は、今夜、ベッドの中で僕の悲しい過去を何度も思い出す。『どうすれば彼の心を救えるだろう』って、一晩中悩むんだ。……そして、僕のことで頭がいっぱいになった時点で、君はもう、僕の支配下(沼)にいる)
銀河は、クスクスと肩を揺らして笑った。
(さあ、村長さん。君は僕のこの『愛への絶望』を、どうやって癒やそうとするのかな? 言葉で説得する? それとも、また怪我を治してくれる? ……どんなアプローチが来ても、片っ端からへし折って、君の心をぐちゃぐちゃにしてあげるよ)
だが、哀れな愛の破壊者は、まだ気づいていなかった。
キャルルという女の思考回路が、銀河の論理的で繊細な計算など、根本から粉砕してしまうほどの『超絶脳筋ヤンデレ仕様』であるということに。
静かなポポロ村の夜に、かつてない勘違いの歯車が回り始めようとしていた。




