ランチタイム(30)
続きです。
夜。
どらこちゃんと離れたわたしは一人、部屋で過ごしていた。
心配して一緒に寝ようとするお母さんをなんとか落ち着けて、巻き込まないようにしたのだ。
もう心配はかけすぎるくらいかけちゃったけど、それも今日で終わり。
今日の夕飯のときも、変わらずあの現象は起きた。
どらこちゃんに言われた通り辺りをお母さんと探ってみたけど、わたしたちの常識に反するような怪物は見つからなかった。
あるいはもしかしたら本当は途方もなく小さな姿なのかもしれない。
人間は何も食べなくても確か十日以上は生きていられるという話を聞いたことがある。
わたしが子どもなのを考慮に含めても、たぶん一週間は少なくとも命だけならもつだろう。
そう考えると案外焦る必要もないのかもしれない。
だけど、今日……なんだ。
今夜中にケリをつける。
これはわたしの覚悟であり、どらこちゃんの想いに対する答えだ。
「とは言っても……ですよね……」
怖い気持ちがないわけではないから、電気を点けたままベッドの上に体を投げ出す。
食べ物が喋る。
その“症状”が起きるのは当然食事のときだ。
しかし夕飯の時間はとうに通り過ぎて、こうして就寝のタイミングまで来てしまっている。
変に何かがいるはずだという意識だけはあるから、一瞬夜闇を湛えた窓ガラスに何かが映った気がして怯えたりもしたが……結局何も見つけられていない。
ここでこのまま夜食でもしてみればいいのかもしれないが、その最も近くにいる可能性が高い食事の時間はこれまで何度か繰り返しているにも関わらず見つけられていないのだ。
だから、同じやり方じゃダメな気がする。
「……」
今夜は月明かりがやけに明るい。
明るい分にはいいと思っていたけど、今はその明るさがなんだか不気味な気がしてカーテンをぴしゃりと閉めた。
再びベッドに戻ると、お守りみたいにどらこちゃんから貰った石を抱えて布団に深く潜った。
分厚く、狭く、息苦しい布団の中。
その窮屈さは、しかし今のわたしにとっては安心できるものだった。
少なくともこの空間にはわたしだけ。
敵なんてどこにもいない。
どらこちゃんの石が優しくあったかく光るから、それもわたしを勇気づけてくれた。
「はぁ……」
布団の中、目を閉じる。
しばらく絶食が続いてしまっているが、正直空腹感は無い。
胃が空っぽな感覚はあれど、そこから食欲に転じない。
ただそうであっても、明確に身体は消耗していた。
病に伏せっていたとしても、食欲がないイコール食べなくていいではないのだ。
疲れていたのは身体か心か、しばらくするとわたしは眠りに落ちる。
ただそれは決して穏やかな眠りなどではなく、意識が明瞭なまま夢の世界に滑り込むようなものだった。
気がつけばわたしは深い闇の中にいる。
夢というには鮮明すぎる夢。
辺りを埋め尽くす闇は形も触れる感触もないが、わたしの脚に絡みつくようにして体を重くさせる。
不明瞭な感覚の上を歩こうとするわたしを、そうやって邪魔しているのだ。
「……!? 誰、ですか? 何かいるの……?」
不意に感じる、気配。
突如現れた……いや、ずっとそこにいる何かに問いかける。
「あなたは……何が目的なんですか!?」
姿形のない“それ”は、見えない口を開く。
「タベナイノ……?」
「っ……!?」
何度も聞いたその言葉、その声。
闇が体に染み込んで心を恐怖に濁らせる。
「そもそもどうして、ここにいるの!?」
わたしがわたし自身を閉じ込めた布団の中。
わたしにとって安全であるはずの闇の中。
ここは夢には違いないのだろうが、現実と境のないものだと何故か理解できていた。
「タベナイノ?」
わたしの問いを理解しているのかいないのか、まるで自分は無垢なる存在であると主張するかのように“それ”は同じ言葉を繰り返す。
言葉が双方向に流れない、一方通行。
相手は本当に理解の及ばない存在なのだ。
未知や既知、そもそもそういった枠組みで括れない存在の不気味さ。
それが冷たく体に染み込む。
汗がじわりと滲む。
心拍数が跳ね上がるのを感じる。
大丈夫。
わたしはやるんだ。
こいつと、この怪物とケリをつけるんだ。
そう自分を奮い立たせようとしても、その理想に現実が追いついてくれない。
「あ……」
その心の隙に、怪物は忍び込んでくる。
わたしを恐怖で満たしていく。
視界に涙が滲んで、呼吸ばかりが加速していく。
何度も肩が激しく上下して、呼吸のそれ自体がほとんど嗚咽のようになる。
そんなわたしにトドメを刺すように、それは囁く。
「タベナイノ?」
いや。
いやだ。
怖い。
来ないで。
……お願い。
「……いやっ!」
布団を跳ね飛ばす勢いで夢から覚める。
夢と同じテンポの呼吸のまま、現実に戻ってくる。
ただそれは……あの悪夢から逃れられたという意味ではなかった。
点けっぱなしだった電気がバチンッと音を立てて弾けるようにして消える。
閉め切ったはずのカーテンはどこから吹き込んで来てるかも分からない風に激しく揺れていた。
不気味な月明かりが、掛け布団を抱きしめて怯えるわたしの影を壁に落とす。
しかしその影はわたしの身長よりはるか高く天井まで真っ直ぐに伸び、またその姿もわたしの姿とはまるで違っていた。
月明かりに縁取られた真っ黒な影。
骨と皮だけのような、まるでミイラみたいな痩せこけたシルエットに、四本の細腕。
その影はわたしを見下ろし、囁く。
「タベ、ナイノ……?」
まただ。
またあの声だ。
それは影故にこちらに歩み寄ってくることはないが、純粋な疑問を繰り返すように平坦に、何度も、何度も……。
「タベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノタベナイノ……」
「ひっ、やめ……」
繰り返せばその答えが返ってくるとでも思っているのか、呪詛の如くその言葉は続く。
まるでその言葉の意味する理解していないかのように、ただただ繰り返す。
全身の震えが止まらない。
空っぽの胃が無い中身を吐き出そうときゅうと締まる。
聞きたくない。
見たくない。
そうして、目をきつく瞑り、両手で耳を塞ぐと……ベッドの上に温度が転がり落ちた。
「あ……」
それは夜闇を温める炎の温度。
どらこちゃんから託された、オレンジの光。
そうだ……わたしの……。
「わたしの、役割……は……!」
身動きをとる、それ自体が恐ろしくてたまらないけど、意を決してその光に手を伸ばす。
掴みとったそれに、全身全霊の渇望を、祈りを……。
「どらこちゃん、助けてっ……!!」
ぎゅっと握りしめた光は、辺りに火の粉を散らして弾ける。
その儚い炎も、オレンジの石自身も、闇に溶けるように消えてしまう。
だが……。
「へっ、やっと尻尾出しやがったな」
もうそんな弱々しい炎は必要ない。
もっと眩しくて、もっと熱い、太陽そのものみたいな存在が……夜空の向こうから飛んできてくれたから。
続きます。




