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外れる予言の数え方 〜転生した生産管理は、世界の倉を棚卸する〜  作者: もしものべりすと


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第四章 予実差異――予言と現実のずれを、毎晩一行ずつ書き留める

「書くだけです」

 翌朝、千束はリコにそう言った。

 倉番小屋の裏の、薪を積んだ陰だった。朝の光はまだ低く、河から上がってくる霧が石畳の上を這っていた。リコは膝を抱えて座り、千束の手元の黒い手帳をじっと見ていた。

「書いて、どうするの」

「どうもしません。記録するだけです」

「ゴッツのことを、王宮に言いつけるんじゃないの」

「言いつけません。証拠になるほどの数がありません」

 千束は手帳を開いた。昨日までの日報のページの後ろに、新しい見開きを作った。定規の代わりに、薄い木片を当てて縦に線を引く。

「左が予。右が実」

「よ? じつ?」

「予は、予定。この国でいえば、天命です。天命帳の板に書いてある数字や、宣託官が言った数字。右の実は、実際にどうだったか。私たちが自分の目で数えた数字です」

 千束は左の欄に書いた。王都大倉、一の倉、天命数千二百。

 右の欄は空けたままにした。

「この二つの差を、予実差異といいます」

「よじつさい」

「前にいた場所では、毎日これを見ていました。予定より多く作れたか、少なかったか。どれだけずれたか。ずれは悪いことではありません。ずれを見ないことが、悪いことです」

 リコは首をかしげた。

「天命はずれないよ」

「ずれていないかどうか、誰も確かめていないだけです」

 リコは黙った。それから、服の中から小石の袋を出して、千束の手帳の横に置いた。

「右のほう、あたしが数える」

「危ないですよ」

「チヅカが一人で数えるほうが危ない。チヅカ、足が遅いもん」

 千束は返事に困った。

 事実だった。


◇


 その夜から、三人の数える仕事が始まった。

 月が雲に隠れる夜を選んだ。灯りは使わない。灯りが漏れれば、夜回りの兵に見つかる。

 闇の中で一番よく動けるのは、トマだった。

 老人は袋の山の角に手を当て、指で麻の目をなぞりながら、山の形を確かめていく。縦に何列、横に何列、高さ何段。山の裏側に欠けがないか。途中で積み方が変わっていないか。

「五、六、八。欠けなし」

 トマが小声で言う。

「二百四十」

 千束が計算して、繰り返す。

「白、二つ。黒、四つ。……あ、違う。百の石がない」

 リコが小石を手の中で転がす。十の位の黒石では足りなくなって、リコは三つ目の色を欲しがった。千束は河原で拾った赤い石を百の位にした。

 一人が数え、一人が繰り返し、一人が記録する。

 前にいた工場の実地棚卸でも、二人一組が決まりだった。数える人と、書く人を分ける。数えた人が自分で書くと、数え間違いに気づかない。声に出して、相手に復唱させる。

 ここでは三人一組になった。

 一の倉に、三晩かかった。

 二晩目の夜には、見回りの兵が来た。

 扉の外で、鎧の継ぎ目が鳴る音がした。千束は袋の山の陰に身を伏せた。リコが千束の袖をつかんだ。小石の袋の口を、片手で固く握りしめている。一粒でもこぼれれば、石の床で音が鳴る。

 扉が細く開いた。

 手燭の光が、床の上をなめるように動いた。

 トマだけが、立ったままだった。

「誰だ」

「わしじゃ。三の倉のトマじゃ。夜はネズミが出るでな。目が見えん分、耳で追い払っておる」

「爺さんか。驚かせるな」

 兵士の声から力が抜けた。

「ネズミなら、猫でも飼え」

「猫は麦を数えんでな」

 兵士は笑い、扉を閉めた。足音が遠ざかっていく。

 千束は床に頬をつけたまま、長く息を吐いた。心臓が、耳の内側で鳴っていた。

「……数える、と言いましたね」

「言うたとも。猫は数えん。わしは数える。嘘はついとらん」

 トマは袋の山に手を戻した。

「続けるぞ。五、六、八」

 三晩目の明け方、千束は手帳を窓の明かりにかざし、右の欄に数字を書き込んだ。

 一の倉、実数千八十三。

 予と実の差、百十七。

「百十七」

 千束が言うと、トマが小さく息を吐いた。

「三の倉と同じじゃな。少しずつ、減っておる」

「三の倉は六十八でした。一の倉が百十七。月に一度、天秤の荷車が来るとしたら……」

 千束は手帳の別のページを開いた。三日前の夜に裏門を出ていった荷車の数と、荷台の袋の数。それ以来、毎晩裏門を見張っているリコが報告してきた日付が並んでいる。

 六日目の夜。三台。

 九日目の夜。二台。

 十一日目の夜。四台。

 荷車の数は、日を追うごとに増えていた。

「秋分の天命の前は、月に一度だったんですよね」

「わしの知る限りはな」

「天命が告げられてから、荷車が増えています」

 千束はページの端に、もう一つ欄を足した。

 市場の粉の値段。

 六日目、一升あたり銅貨十二枚。九日目、十五枚。十一日目、十八枚。

 荷車が増えた夜の翌日に、粉の値段が上がっている。

 千束はペンの先を止めた。

 偶然かもしれない。三つや四つの点では、何も言えない。前の場所で、何度も営業に言ってきたことだ。三か月分のデータもなしに傾向を語るな。

 だから、書き続ける。

 毎日一行。予と実と、その差を。


◇


 七日目から十四日目まで、千束は手帳に一日も欠かさず書いた。

 朝は倉番として袋を担いだ。昼は河岸の市場を歩いて、パンと粉の値段を見た。船着き場の石段に刻まれた水位の目盛りを読み、天命帳の板に書かれた「河の水」の数字と比べた。夜は三人で倉を数えた。

 船着き場の石段では、年寄りの船頭が網を繕っていた。千束が水位の目盛りを読んでいると、船頭は顔も上げずに言った。

「目盛りなんか読んでどうする。天命が水少なしと言えば、水は少ないんだ」

「目盛りは、平年並みです」

「そうかい。じゃあ目盛りが間違ってるんだろうよ」

 船頭は網の目に指を通しながら、ふと手を止めた。

「上流の国境に、ネーヴァって女の頭領がいる。あの女だけは天命を鵜呑みにしねえ。毎朝、自分の竿で河の底を突いて、深さを確かめてから船を出すんだとさ。変わり者だ」

「その人に、会えますか」

「国境まで、早船で三日だ。会ってどうする」

 千束は答えなかった。答えが分からなかった。ただ、その名前を手帳の端に書きとめた。

 天命では、この秋のミルナ河は「水少なし」だった。

 石段の目盛りは、平年並みを指していた。

 天命では、パン屋は一日六千個を焼くことになっていた。

 マルタの店で聞くと、王都のパン屋全部合わせても、粉が足りずに三千個がやっとだという。

 天命では、孤児院の子ども一人に一日四分の一個。

 これだけは、天命どおりだった。

「当たってるのは、減らすほうだけだね」

 リコが手帳をのぞき込んで言った。リコはまだ字が読めない。けれど、千束が書く数字の形だけは覚え始めていた。左の数字が大きくて右の数字が小さいとき、リコは黙った。左と右が同じとき、リコは唇を噛んだ。

 千束の手帳は、ずれで埋まっていった。

 予と実が合っていた日は、ほとんどなかった。

 十年あまり一度も外れていない天命は、毎日、外れていた。誰も数えていないから、誰も知らないだけだった。


◇


 十二日目の昼、倉長のゴッツが倉番小屋に来た。

 汗をかいていた。秋の日差しはもう弱いのに、額に玉の汗を浮かべている。指輪の三つはまった手で、小屋の戸口の柱をつかんだ。

「チヅカとかいう女。夜中に倉をうろついておるそうだな」

「眠れないので、散歩をしています」

「散歩だと」

「はい」

 千束は手帳を、藁の寝床の下に押し込んでいた。顔色は変えなかった。工場の朝会で、何十回も怒鳴られてきた。怒鳴る人間の前で表情を消すのは、千束の数少ない特技だった。

 ゴッツは小屋の中を見回した。リコの寝床。トマの杖。壁にかかった麻袋。

「妙な真似をしたら、爺さんごと吊るすと言ったはずだ」

「覚えています」

「数えるなよ」

 ゴッツは千束の顔に、指輪の手を突きつけた。

「天命の数を、人が数えるな。それは神への冒涜だ。わかったな」

「数えません」

 千束は言った。

 嘘ではなかった。千束は数えていない。数えているのはトマとリコで、千束は書いているだけだ。

 ゴッツが出ていくと、トマが壁際で喉を鳴らした。

「娘。おぬし、口が上手くなったの」

「前にいた場所で、鍛えられました」

「誰にじゃ」

 千束は答えなかった。

 あの朝会の、灰色の窓が浮かんだ。営業本部長の、濡れたスーツの肩。

 答えたくなかった。


◇


 十四日目の夕方、リコが倉番小屋に駆け込んできた。

 息が切れていた。裸足の足の裏が、石畳で擦れて血をにじませていた。

「トビが、倒れた」

 千束は立ち上がった。

 河岸の孤児院は、大倉から歩いて四半刻ほどの、船着き場の外れにあった。古い倉を改造した建物で、壁の石が黒ずみ、窓には板が打ちつけてあった。

 中に入ると、子どもたちの匂いがした。汗と、湿った藁と、薄い粥の匂い。長い板の床に、四十人ほどの子どもが座っていた。誰も騒いでいなかった。騒ぐ力がないのだ。

「この子です」

 院長のヘルガが、奥の寝台を指した。白髪を引っつめた、背の高い女だった。目の下に深い隈があった。

 寝台に、小さな男の子が横になっていた。

 リコと同じ灰色の髪。頬の肉が落ちて、目だけが大きく見えた。トビは姉を見ると、細い腕を伸ばした。

「ねえちゃん」

「トビ。パン持ってきた。チヅカのぶんも」

 リコが服の中から黒いパンを出した。トビは両手でそれを受け取り、少しずつかじった。

 千束は寝台の脇に立っていた。

 隣の寝台では、もっと小さな女の子が、指をしゃぶったまま眠っていた。しゃぶっている指の爪が、白く割れていた。壁際では年長の男の子が二人、一枚の毛布を分け合って膝を抱えている。誰かの腹が鳴った。一人が鳴ると、つられたように別の腹も鳴った。笑う子はいなかった。

 部屋の隅に、配給のパンを入れる木箱があった。蓋は開いていて、中には何も入っていなかった。底に、黒いパン屑が少しだけ残っていた。

 何をすればいいのか分からなかった。手帳を出す気にもなれなかった。

「天命院から、配給を減らせと言われまして」

 ヘルガが低い声で言った。

「子ども一人に、一日四分の一個。大寒に備えて、と。でも、大寒が来る前に、この子たちの冬が終わってしまいます」

 千束は子どもたちの列を見た。

 数えたくなかった。数えてしまった。四十二人。一人四分の一個なら、一日十個半。

 七つの倉には、麦が何千袋も眠っている。

 十個半のパンを焼く粉は、袋にして一つにも満たない。

 千束の胸の奥で、何かが軋んだ。

 関わらない。そう決めていた。自分は倉番見習いで、給金も出ない。この国の子どもたちの冬は、この国の大人たちの責任だ。

 前の場所でも、そうやって線を引いてきた。自分の計画の外側で起きることは、自分の責任ではない。計画の中で守れないことは、約束しない。

「……記録するだけです」

 千束は小さく言った。

 誰に向けた言葉でもなかった。

 リコが顔を上げた。

「何?」

「記録します。孤児院の配給の数と、実際の子どもの数と、倉の麦の数。全部、並べて書きます。並べておけば、いつか誰かが見るかもしれません」

「誰かって、誰」

「分かりません」

「チヅカは見ないの」

 千束は答えなかった。

 リコは千束を睨んだ。それから、トビの髪を撫でた。

「約束しないんでしょ。知ってる」

 リコの声は、怒っていなかった。ただ、知っている、とだけ言った。

 その言い方が、怒鳴られるより痛かった。


◇


 その夜、千束は手帳の予実の欄に一行を足した。

 孤児院。天命、一日四分の一個。実際、一日四分の一個。差異なし。

 差異のない行を、千束は初めて憎いと思った。

 前の場所では、差異のない行が一番好きだった。予定どおりに作れた日。誰も残業しなかった日。数字が揃うと、千束はそっと息をついた。

 ここでは、揃った数字の向こう側で、子どもが空の木箱の底を見ている。

 ペンを置こうとしたとき、倉番小屋の戸が叩かれた。

 ヘルガだった。夜道を走ってきたのか、肩で息をしていた。

「さっきの、倉番の方。あの子の姉さんと一緒に来た」

「はい」

「お願いです。来てください」

 ヘルガの手が震えていた。指先に、乾いた粉がこびりついていた。

「子どもたちが、次々にお腹を下しています。今日の昼に届いた、新しい粉で焼いたパンを食べた子から」

 千束は立ち上がった。

 藁の寝床の下から、手帳を引き抜いた。

 どこから来た粉だ。誰が挽いて、誰が運んで、誰が孤児院に届けた。

 頭の中で、最初の問いがもう動き出していた。


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