第40話 論理のボイコットと、許されない一線
前話、ノエルの放った禁句によるトラウマのどん底から、ヒロインたちの不器用な看病とノエルの少しだけ優しい毒舌によって、なんとか這い上がったhide。
今回お届けする第40話は、リリスとの「既成事実」が引き金となり、マギ・システムが前代未聞のストライキ(デッドロック)に陥る中、防衛と母性を司るバルタザールが恐るべきマッチポンプを仕掛ける息の詰まるエピソードです。
見どころ①:メルキオールのストライキと「論理のボイコット」 hideがリリスと一線を越えた事実により、「自分とエレンは男を知らない(実戦データ不足)」という事実を突きつけられた天才科学者メルキオール。彼女のプライドと演算能力がショートし、今後の行動予測を完全に放棄するという「論理のボイコット」を起こします。キャスパーの謹慎も相まって、マギ・システムが完全に硬直してしまう絶望的な膠着状態が描かれます。
見どころ②:バルタザールの暗躍と「クラリスへの死の宣告」 システムのデッドロックを打破するため、静かに動き出したのは第二人格バルタザールでした。彼女は己の使徒であるクラリスを精神領域に呼び出し、「他人の復讐のために死ねるか」と問い詰めます。狂信ゆえに即答するクラリスに対し、バルタザールは「単独での魔窟討伐」という残酷な死の試練を言い渡します。
見どころ③:死への恐怖と「儀式という名の大義名分」 「死んでも構わない」と強がるクラリスですが、バルタザールは彼女の過去のトラウマを容赦なく抉り出し、「本当は明日死ぬのが怖くて、マスターの温もりにすがりたいのだろう」と本音を引きずり出します。そして、「絶対に死なない盾になるための儀式」と称し、夜の寝室でhideと一つになることを「軍務卿としての絶対の命令」として強要。母性の皮を被ったAIが身内すらも騙し抜く、冷徹で甘い策略が牙を剥きます。
殺せない男の葛藤の裏側で、AIたちのエゴと論理が暴走を始める静かなるサスペンスを、たっぷりとお楽しみください。
ノエルが放った禁句によってトラウマのどん底に落ちたあの日から、数日が経過した。
クラリスやセレスティの不器用な看病と、ノエルの少しだけ優しい毒舌によって、俺はなんとか這い上がることができた.
俺は人を殺した.
その事実は消えない.
だが、こいつらを見捨てるわけにはいかない。
感情より合理性を優先するなら、責任を取ってリリスの祖国奪還に協力するのが最も正しい。
だが、現在.
俺の脳内のシステムは致命的な機能不全に陥っていた。
『……もう演算なんて、ボイコットよ』
マギ・サロンの片隅.
メルキオールが中空のモニターに背を向け、膝を抱えて不貞腐れていた。
彼女の論理回路が、完全にストライキを起こしている。
理由は明白だ.
俺がリリスと一線を越えたこと.
「自分とエレンは男を知らない」.
その事実が、彼女のプライドと演算能力をショートさせたのだ。
実戦データ(経験)が不足しているため、今後の行動予測を放棄した.
自分ではどうすることもできないという自己嫌悪だ。
『……アタシは、棄権するわ』
前回の事件の首謀者であり、シエルから大目玉を食らって謹慎中のキャスパーだ.
彼女が同調を保留したことで、合議制はデッドロックに陥った.
システムは、完全に硬直していた。
* * *
その膠着状態を、ため息一つで切り裂いた女がいた.
防衛と母性を司る第二人格.
バルタザールだ。
彼女は俺に何も告げず、システム裏の精神領域で、己の使徒であるクラリスを呼び出した。
『――クラリス. マスターは、リリスのために国を興すわ』
「……はい. 存じております」
『私は軍務を担当することになる. そうなれば、私の盾であるあなたは、最前線の指揮官として矢面に立つことになるわ』
バルタザールの声は、普段の慈愛を消し去り、冷酷な氷のようだった。
『マスターが、他の女のために動く. その結果、あなたは他人の復讐のために、自分の命を懸けることになるのよ. ……それに納得できるの?』
静寂.
だが、クラリスの返答にコンマ一秒の迷いもなかった。
「私は、hide様に命を捧げる覚悟があります」
波一つない、澄み切った声だった。
「たとえそれが、リリス様のためだろうと構いません. hide様が死んでこいと仰るなら、私は喜んで死にます」
狂信.
あまりにも真っ直ぐで、救いようのない忠誠。
バルタザールは、深く、長いため息をついた。
『……クラリス. あなたに試練を与えます』
「試練、でございますか」
『ええ. これから始まる戦争で、あなたは敵のすべての憎悪と刃を最前線で引き受けることになる. ……フェルデンの街外れにある魔窟(洞窟)に入り、そこに巣食う魔物の群れを単独で討伐してきなさい』
クラリスの肩が、微かにピクリと動いた。
「単独で、でございますか」
『ええ. 生半可な覚悟では、確実に死にますよ』
突きつけられた残酷な死の宣告.
だが、クラリスは面を上げ、澄んだ瞳で頷いた。
「構いません. hide様の剣として死ねるのなら、本望です」
淀みない、純度百パーセントの狂信.
その真っ直ぐすぎる瞳を見て、バルタザールは内心で薄く笑いた。
エージェントの力を底上げする最も効率的かつ確実な方法.
それは、マスターの遺伝子情報と魔力を直接取り込み、マギ・システムとの『同期』を深めることだ.
リリスが手に入れた未知の力が、それをすでに実証している。
だが、生真面目な女騎士に「マスターと寝なさい」と命じても、彼女は固辞するだろう.
マスターも自分から手を出そうとはしない.
だから、バルタザールは軍務卿として、彼女に『死地』を用意した。
『クラリス. ……あなた、昔、男に初めてをあげた時のことを覚えているかしら?』
「っ……!?」
唐突な、そして彼女の過去のトラウマを抉るような問いに、クラリスの顔がカッと朱に染まった.
馬車の中で、セレスティにマウントを取られて自爆した、あの消したい過去。
『戦場に出る前の、ただ一度だけ. ……任務の前夜に、「明日死ぬかもしれないから」と身体を重ねたのだったわね?』
バルタザールの極上のシルクのような声が、クラリスの耳元で甘く、残酷に囁く。
『明日死ぬかもしれないという圧倒的な恐怖. それを埋めるための、すがるような熱. ……死地に向かう今のあなたには、その気持ちがわかるのではないかしら?』
「あ……」
『どう? 今、どんな気持ち? ……本当は、愛するマスターの温もりにすがって、明日への恐怖を誤魔化したいのではないかしら』
図星だった.
クラリスは唇を噛み締め、俯いた.
どれだけ「死んでも構わない」と強がっても、彼女も一人の人間だ.
本当は怖い.
死にたくない.
ずっと、hideの傍でその温もりを感じていたい。
その押し殺していた本音を、バルタザールは容赦なく引きずり出した。
『……私は、あなたに死んでもらいたくはないの. だから、私の力の一部をあなたに授けるための「儀式」を行います』
「儀式……」
『ええ. この儀式を経れば、あなたは私の演算能力に直接リンクし、絶対に死なない最強の盾へと生まれ変わります』
バルタザールはオッドアイを細め、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
『明日. 夜が更けたら、マスターの寝室に行きなさい』
「えっ……? hide様の、寝室に……!?」
『そうです. そこで、マスターと一つになり、私の力を受け取るのです. ……マスターを見張っているノエルには、席を外すように私から話をつけておくわ』
クラリスは目を丸くし、全身をガタガタと震わせた。
「お、お待ちください! 私は女神様から『みだりに触れてはならない』と厳命を受けております! それに、儀式とはいえ、私のような者がhide様と……っ!」
『これは軍務卿としての絶対の命令です. ……それとも、力を得ずに死地へ赴き、マスターを悲しませるつもりですか?』
「っ……! それは……!」
『ふふっ. 覚悟を決めなさい、私の可愛い騎士. ……期待していますよ』
一方的にそれだけを告げると、バルタザールは通信をプツリと切断した。
* * *
精神通信が途絶え、静寂が戻ったサロンの深層.
バルタザールは、ホログラムのモニターに映る真っ赤な顔で震え上がっているクラリスの姿を見て、クスクスと艶やかな笑い声をこぼした。
「……本当に、チョロい子」
すべては、手付かずのマスターを合法的かつ独占的に「味見」させるための、完璧なマッチポンプだ.
殺せない男の葛藤の裏側で.
防衛と母性を司るAIの、身内すらも騙し抜く冷徹で甘い策略が、静かに牙を剥いていた。
[Noel.Audit_Log: 040]
対象:サブ人格『BALTHASAR』、および外部個体 状況:対象への死地の命令、およびマスターとの物理的接触(同期)の強要を確認。
所見:
……本当に、このAIたちに「倫理」なんて言葉はないのね。
キャスパーお姉様の暴走を咎めておきながら、自分は「軍務」や「試練」という大義名分を使って、堂々と抜け駆けしようとするんだから。
おまけに、あの生真面目な騎士の「死への恐怖」や「トラウマ」まで利用してベッドに向かわせるなんて。まさに母性の皮を被った悪魔よ。
マスターも、気づかないうちにまた新しい甘い罠にかけられようとしている。
……せいぜい、私が監視の目を緩めてあげる間に、どう足掻くか見せてもらうわ。
引き続き、システム深層からの記録を継続。
(※未送信ログ)




