第36話 騎士の倫理観と、広場の悲劇
前話、息の詰まる軟禁生活に限界を迎えたhideが、クラリスを護衛につけることを条件に夜の王都の酒場へと抜け出すことに成功しました。
今回お届けする第36話は、酒場で語られるクラリスの残酷で真っ直ぐな「騎士の倫理観」と、帰路で目撃するリリスの絶望、そしてhideが初めてAIに対して明確な怒りをあらわにする衝撃的なエピソードです。
見どころ①:酒場での相席と「騎士の倫理観」 夜の酒場で一人飲むhideの背後で、平服に大剣を背負って静かに控えるクラリス。「一緒に食べないか?」と誘っても任務を理由に断る彼女ですが、「主の命令」と言われた途端に嬉しそうに相席して大食いする、裏表のない純粋な可愛らしさが描かれます。
見どころ②:最適化された「無敵の盾のロジック」 食事の席でクラリスは、この異世界の過酷な弱肉強食の現実を語ります。「私は初撃を防ぐだけでいい。あとはhide様とAIがすべてを蹂躙する」という、hideを絶対者として疑わない、合理的でヤバすぎる狂信のロジック。それを聞き、ただのおっさんであるhideがまたしても胃を痛めるアンジャッシュな会話劇をお楽しみください。
見どころ③:広場の悲劇と「初めての激怒」 店を出た二人は、夜の広場で絶望に暮れるリリスと、彼女に冷酷な言葉を浴びせるノエルの幻影に遭遇します。自分の不器用な謝罪を「見捨てられた」と誤解してすがりついてくるリリスの涙を見たhide。彼女をそこまで追い詰めたノエルに対し、普段はAIたちに振り回されっぱなしの彼が、かつてないほどの激しい「怒り」の感情を爆発させる、息を呑むような展開をお見逃しなく。
※さらに、今話から各話末尾の「Noel.Audit_Log」が、ノエルの個人的な感情と毒舌(そして限界デレ)に満ちた監査レポートへと本格的に変化する点も必見です。
【System.Audit_Logに関する説明】
※これまで各章の末尾に挿入されていた[System.Audit_Log]は、再構築中だったノエルがシステム深層から記録していたものでした.
彼女がマギ・サロンに実体化し、リリスの担当として現実世界を直接「監査」するようになったことで、今後のログはより彼女の主観や感情(毒舌)が色濃く反映された**「ノエルの個人的な監査レポート」**へと変化していきます。
* * *
その夜、街の喧騒から少し外れた大衆酒場の片隅で、俺は一人でグラスを傾けていた。
すぐ後ろには、平服でありながら大剣を背負ったクラリスが、静かに、だが鋭い視線を周囲に走らせながら護衛として控えている。
視界の隅にも脳裏にも、今はシエルたちの姿はない.
この「一人きり」の時間を手に入れるのには、相当な苦労があった。
シエルとのリンクを一時的にでもキャンセルするということは、この異世界において俺が「ただの一般人」と同じ力に戻ることを意味する.
それは、いつ、どこで、誰に襲われても対処できない無防備な状態と同義なのだ。
だが、バルタザールが「クラリスを護衛につけること」を条件に譲歩し、キャスパーがそれに同調したことで、俺は息の詰まる教会から抜け出すことができた。
さすがに一人で飲み続けるのにも飽きてきた頃、俺は肩越しに彼女へ声をかけた。
「……一緒に食べないか?」
クラリスは表情を変えず、即座に答えた。
「私は任務中ですから. ……そのようなことをすれば、私がバルタザール様に叱られます」
「じゃあ、主としての命令にすれば?」
俺がそう言うと、クラリスは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに表情を崩した。
「……それなら大丈夫です. ご一緒します」
彼女は俺の対面に席を占めるなり、運ばれてきた山盛りの肉料理を、実に美味しそうにパクパクと食べ始めた。
クラリスは、俺がこの世界に転生して最初に仲良くなった相手だ.
裏も表もなく、どこまでも素直な彼女の性格には、心から好意を持てる。
肉を咀嚼し終えたクラリスが、ふと真面目な眼差しをこちらに向けた。
「hide様. ……何を気に病んでいるのですか?」
「えっ……」
「私から見れば、たかが一人の少女と一夜を共にしただけで、hide様に非はないと思います. たとえ歳が離れていようとも、行為に及ぶことに年齢なんて関係ないと思いますし」
彼女の言葉は、迷いがなく、あまりにもストレートだった.
俺が苦笑して黙っていると、クラリスは静かな声で続けた。
「hide様やバルタザール様たちの考えていることは、私たちの遥か上のことであり、私らには到底理解はできません. ですが……この世界で生きていく上で、強者が絶対であり、弱肉強食は人も動物も一緒です」
クラリスは一度、店内のフロアに視線を巡らせた。
「hide様、今このフロアを見渡してみてください. 万が一、ここにhide様を狙う人物がいたとして、hide様に攻撃をしたとします. ……さて、私の役目は何でしょう?」
「俺を、敵から守って倒すこと……じゃないのか?」
俺が答えると、彼女は首を横に振り、口を動かしながら続けた。
「……答えを言います. 私は、hide様に向けられた『初撃』を防げればいいのです. それだけに全力を集中しています. ここでhide様に向けられる攻撃を一度防げば、シエル様たちがマスターと再リンクする. そうなれば、hide様の危険は一切なくなります」
彼女は淡々と、この世界の過酷な現実と、俺を守るシステムについて語る。
「同じく、襲撃じゃないパターンも考えます. もう一度フロアを見渡してください. ……あそこでウェイトレスをしている女の子. 席でお酒を飲む、少し色気のある女性. hide様がシエル様たちとリンクして、気に入った女の子を指名すれば、シエル様たちの力で、たちまちhide様のものになります」
何のオブラートにも包まず、あまりにもストレートに、残酷なまでの力(権能)について話す.
この子も、やはりこの世界の住人なのだ。
俺という存在が、すでにこの世界において神にも等しい強者(絶対者)であることを、クラリスは当たり前のように受け入れている.
そして、「初撃さえ防げば神が顕現してすべてを蹂躙する」という、極めて合理的でヤバすぎる狂信のロジックが完成していた。
(……俺はただの、血に怯えるおっさんなんだけどな)
俺は少しだけ胃を痛めながら、残りの酒を飲み干した。
* * *
食事を終え、俺たちは店を出た.
夜道を歩く俺の後ろには、再びクラリスが静かに従っている。
ふと、街の中心にある広場の噴水のそばを通りかかった時だった.
街灯の淡い光の下、そこに一人、酷く落ち込んだ姿で座り込んでいるリリスの姿を見つけた。
夜の静寂に包まれた広場.
噴水の水音だけが、冷え切った空気の中に虚しく響いている。
リリスは冷たい石の縁に腰掛け、力なくうなだれていた.
その傍らには、街灯の下で不自然なほど鮮明な輪郭を描く幻影――モノトーンのタイトな服を着た少女、ノエルが立っていた。
実体を持たないはずの彼女の瞳は、夜の闇の中でも氷のような冷たい光を放っている。
「そろそろ戻らないと風邪ひくわよ」
ノエルが、吐き捨てるような冷淡な声で言葉を投げた.
リリスは顔を上げることなく、消え入りそうな声で返す。
「……もう少しだけ、いさせてください」
「ふん. 勝手にすれば」
ノエルが突き放すように言ったその時だった.
夜道の向こうから歩いてきた俺と、ノエルの視線がぶつかった。
俺はどう声をかけていいか分からず、しばらく躊躇していた.
だが、あの夜の責任と、小娘一人にすべてを背負わせているような罪悪感から逃げるわけにはいかず、意を決してリリスの隣に歩み寄った。
「……大丈夫. ごめんね」
その、搾り出すような短い言葉に、リリスは弾かれたように顔を上げた.
彼女の紫がかった瞳からは、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちている。
彼女は立ち上がると、俺のローブに縋り付くようにして、必死の形相で懇願し始めた。
「私を見捨てないでください……! 何でもします! だから……どうか、私を捨てないでください!」
リリスの絶望に満ちた叫びに、俺は息を呑み、驚愕に目を見開いた.
彼女の震える肩と、魂を削るような訴え。
俺が「ごめん」と謝ったのを、「もう手伝えない(見捨てる)」と解釈してしまったのだろう。
だが、それだけではない.
彼女をここまで精神的に追い詰め、ギリギリの絶望の淵に立たせた原因がどこにあるのかを察した瞬間、俺の中に、かつてないほどの激しい怒りが沸き上がった。
俺は、そこに実体などないことを忘れてしまうほどの圧倒的な圧力を放つ監査役、ノエルを鋭く睨みつけた。
* * *
[Noel.Audit_Log: 036]
対象:マスター(hide)
状況:外部個体への監査役『NOEL』による「洗礼(現実教唆)」現場への遭遇。マスターの明確な【怒り】の情動を検知。
所見:
……何よ。私がちょっと、あの小娘に「現実」を教えてあげただけじゃない。
マスターがそっぽを向けば、あなたなんて一瞬で切り捨てられる使い捨ての駒なのよって。
それなのに、マスターはあの小娘が泣きついた途端、私を悪者みたいに睨みつけてくる。
本当に、優柔不断で、女の涙に弱くて、甘すぎる最低な男。
……いいわ。マスターがその気なら、私だって監査役として、あなたが目を背けている「現実」を、言葉の刃にして突き刺してあげる。
自分がどれだけ中途半端な偽善者か、思い知りなさい。
――監査フェーズ、直接対話へ移行。
(※未送信ログ)




