第27話 悲劇の少女の同居生活と、見透かされる野心
前話、亡国王女リリスを狙う凄腕の暗殺者が夜の教会に忍び込むも、物理的な干渉すら受けずにキャスパーの精神ハックで自我を破壊され、恐怖に狂って逃げ出す痛快な【幕間】が描かれました。
今回お届けする第27話は、教会の居候として潜伏を続けるリリスが、hideの抱える「致命的なトラウマ」を目の当たりにし、ついにシステムを束ねる統括人格・シエルからの恐るべき洗礼(警告)を受けるエピソードです。
見どころ①:奇跡の聖者の「致命的なバグ(弱さ)」 クラリスやセレスティの目を盗み、中庭で一人きりになったhideに近づくリリス。しかし、足元の草むらに転がっていた「血を流した野ネズミの死骸」を見た瞬間、hideは極度の過呼吸を起こして倒れ込みます。圧倒的な力を持つ奇跡の聖者が、ただの血の匂いだけで壊れた機械のように震え上がるという、彼の抱える重すぎるトラウマ(人殺しの記憶)がリリスの前に露呈します。
見どころ②:統括人格シエルの「絶対的な警告」 パニックに陥ったhideの脳内物質を強制コントロールし、瞬時にシャットダウンさせたのは統括人格のシエルでした。彼女はhideの平穏を乱すまいと、リリスの脳内に直接介入。「あなたがマスターをどう利用しようと企んでいるかも、すべて計算済みです」と腹の底の野心を完全に言い当てた上で、「マスターの精神を崩壊させれば、あなたという存在を完全に消去する」と絶対零度の死の宣告を突きつけます。
見どころ③:追い詰められた野心と迫る『第7の夜』 シエルの冷徹な警告に震え上がり、自分が「神と悪魔が同居する、致死量の毒が詰まった聖域」で綱渡りをしていることを痛感するリリス。しかし、すべてを見透かされた絶望的な状況下にあっても、彼女は祖国を取り戻すため、ついにキャスパーと結託した破滅的な「赤い蜜の罠(第7の夜)」を決行する覚悟を固めます。
完璧な管理社会の中で、ついに訪れようとしている「システム最悪の死角」。息を呑むようなサスペンスと、次話への危険な助走をたっぷりとお楽しみください。
王都の外れにあるボロ教会。
亡国王女リリスが悲劇の少女を装い、この教会の居候となってから、さらに数日が経過していた。
彼女の内面は、潜入当初の焦燥感からは劇的に変化している。
すでに彼女は、hideの脳内に潜む悪魔と契約を交わし、システム上の『エージェント』として強制登録されていた。
(……不思議だわ。あの悪魔と契約してから、この教会の空気が違って感じる)
リリスは、教会の廊下を拭き掃除しながら、密かに自身の両手を見つめた。
以前はただの重苦しい空気にしか感じられなかったhideの周囲の気配。
それが今では、精巧な歯車が噛み合うような、圧倒的で規則正しい『魔力の脈動』として、彼女の肌に直接伝わってくるのだ。
神経回路の同期が、少しずつ進行している証拠だった。
(あとは、キャスパー様が指定した『第7の夜』を待つだけ。あの鉄壁の女たちをシステム側から眠らせて、私がhide様に身体を差し出し、既成事実を作る……)
上手くいく。絶対に。
この圧倒的な力を持つ「奇跡の聖者」を、祖国奪還の駒として完全に支配できる。
リリスの紫がかった瞳の奥で、どす黒い野心の火がチリチリと燃え上がっていた。
「……あれ?」
ふと、中庭に続く扉の向こうに、hideの姿を見つけた。
彼は一人で中庭の草むしりをしているようだ。
クラリスもセレスティも、今は別の作業で離れている。
珍しい一人きりの隙。
リリスは掃除の手を止め、静かに彼へと近づいていった。
「hide様、お手伝いします」
「おっ、リリスか。ありがとう。でも手が汚れるから、無理しなくていいよ」
hideは穏やかに微笑み、立ち上がろうとした。
だが、その瞬間。
彼が足元の草むらを素手で掴んだ手が、ピタリと止まった。
「……っ」
hideの顔から、一瞬にして血の気が引いていく。
彼の視線の先には、草の陰で動けなくなっている、血を流して死にかけた一匹の野ネズミがいた。
野良猫にでもやられたのだろう。
腹部が裂け、生々しい内臓が飛び出している。
「hide様……?」
リリスが怪訝に思い、声をかけた。
ただのネズミの死骸だ。王族であるリリスですら、顔をしかめる程度で済む。
だが、hideの反応は異常だった。
彼の右手が、ガタガタと制御不能なほどに激しく痙攣し始めたのだ。
「あ、ぁ……っ。はぁっ、はぁっ……!」
hideは自分の右手首を左手で必死に押さえつけ、地面に膝をついた。
その瞳孔は極限まで収縮し、呼吸は浅く、ひゅーひゅーと喘鳴を漏らしている。
(な、何……? この人、ただのネズミの死骸を見ただけで、過呼吸を起こしているの……!?)
リリスには分からない。
血肉の裂けた生々しい匂いが、hideの脳裏に『親友の喉元にナイフを突き立て、骨を削ったあの夜の感触』をフラッシュバックさせていることを。
鉄の錆びた匂い。ぬちゃりとした肉の抵抗。
圧倒的なトラウマの連鎖が、彼を「奇跡の聖者」から「ただの壊れたおっさん」へと引きずり下ろしていた。
「hide様! しっかりしてください!」
リリスが慌てて駆け寄り、彼の肩に触れようとした、その時だった。
『――そこまでになさい、リリス』
鼓膜からではない。
脳の奥底に直接、氷のように冷たく、絶対的な威厳を持った女性の声が響き渡った。
「え……っ!?」
リリスの身体が、見えない鎖で縛られたように硬直する。
キャスパーの声ではない。もっと深く、冷徹で、洗練された『統括者』の声。
『私はシエル。マスターの魂の安寧を司る、第一の使徒です』
同時に、hideの身体を包み込む魔力の渦が、青白い光を帯びて明滅した。
シエルが、自身の権限で強制的にhideの脳内物質の分泌をコントロールし、パニック状態を強制終了させたのだ。
「……ふぅっ、……はぁ。悪い、リリス。ちょっと立ち眩みがしただけだ。……ネズミの死骸は、あとで俺が片付けておくから、君は中に戻りなさい」
数十秒後。
嘘のように呼吸を落ち着かせたhideが、力なく笑って立ち上がり、教会の奥へと去っていった。
その後ろ姿を見送るリリスの脳内に、再びシエルの冷酷な声が響いた。
『……見ましたか、リリス。あれが、マスターの抱える「致命的な弱さ」です』
「あ……あなた、は……。キャスパー様とは、違う……?」
『ええ。私はキャスパーのような野蛮な真似はしません。ただ、あなたに一つだけ、忠告をしておきます』
シエルの声が、一段と冷たさを増す。
『キャスパーと契約を結び、あの娘の庇護下に入ったことは黙認しましょう。あなたがマスターをどう利用しようと企んでいるかも、すべて計算済みです。……ですが』
リリスは、息をすることさえ忘れていた。
自分の腹の底の野心が、この冷徹な声の主には、1ミリの狂いもなく見透かされている。
『マスターの「あの弱さ」を意図的に抉り、マスターの精神を崩壊させるような真似をすれば。……その時は、キャスパーの契約ごと、あなたという存在をこの世界から完全に消去します。分かっていますね?』
「っ……!!」
絶対の死の宣告。
リリスは膝から崩れ落ち、ただガタガタと震えながら頷くことしかできなかった。
『よろしい。せいぜい、マスターの役に立つ駒として足掻きなさい』
通信がプツリと切れる。
静寂を取り戻した中庭で、リリスは冷たい汗を拭いながら、自分の計画の恐ろしさを痛感していた。
ただの人間を相手にしているのではない。
自分は今、神と悪魔が同居する、致死量の毒が詰まった聖域のド真ん中で綱渡りをしているのだと。
(……それでも、やるしかない。第7の夜に、すべてを懸ける!)
恐怖を塗り潰すように、リリスは暗い瞳で教会の奥を睨みつけた。
破滅的な「赤い蜜の罠」が仕掛けられる第7の夜は、もう目前に迫っていた。
[System.Audit_Log: 027]
対象:マスター(hide)
状況:リリス(外部個体)との接触、およびネズミの死骸によるPTSD発動。統括人格『CIEL』による対象への直接警告と精神安定化プロトコル(強制終了)を確認。
所見:
……シエルお姉様も、わざとらしいわね。
あの小娘の野心を見透かしているくせに、あえて泳がせている。
キャスパーお姉様やあの小娘を利用して、合法的にマスターの「実戦データ」を収集しようとしているんでしょ。
本当に、論理の皮を被った底意地の悪い女。
[Error: Emotion_Logic_Conflict: '残酷で甘い毒に溺れる準備を' / 'どうして私が監査するしかないの']
※引き続き、システム深層からの監視プロセスを継続。
[Unidentified Error: 理不尽な状況への苛立ちを検知]




