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エイミー達はヴァカンスを満喫していた。
午後は三人で遊ぶことが多かったが、朝や夜はそれぞれ好きに過ごしていた。
シドニーは早朝、肩に蜥蜴を乗せて庭を散歩し、兎や栗鼠を、夕方には蝙蝠を観察してはスケッチしていた。ライム海岸の夜は遅いので、一日の大半を庭で過ごせるのだ。
夏休みで気が緩んでいるのか、エイミーは日が高くなるまでベッドで微睡んでいることが多かった。一方のエミリオは、朝の時間を誰に急かされるでもなく、テラスの寝椅子に凭れながら、水晶版に映しだした最新の論文データを読み耽っていた。
午後になると、エイミー達は港の市に繰りだし、気ままに散策しながら、笑いさざめく人波に紛れて大道芸に足を止めたり、露店をひやかしたりして過ごした。
家族で遠出もした。
海辺の菫色の丘、金と銀が帯をなす雛菊の原っぱ、賑々しい港。エイミーはその合間に、砂岩の石段に腰をおろし、海から吹いてくる涼風に頬を撫でられながら、水平線を眺めることが好きだった。
殆どの日は晴天に恵まれたが、嵐に見舞われた夜もあった。雷鳴が深夜から翌夕まで鳴り響き、風は激しさを増して、雲は海面と見分けのつかないほど低く垂れこめた。海岸を襲う高波は鉛色に光りながら、荒れ狂うように岩壁へと砕け散っていた。
窓辺で光の鑑賞会を楽しんでいたエイミー達は、そのうち邸の探検を始めた。見つけたのは、百年前にタイムスリップしたみたいな衣装がたくさん眠る、衣装部屋だった。エイミーが面白がって着せ替えショーを始めると、シドニーとエミリオもいつのまにか巻きこまれ、舞台劇さながらの恰好にさせられてしまった。
毎日心が穏やかで、ゆったりとした時間が流れ、並列化水晶を活用しない日すらあるほどだった。
休暇も半ばのある日、義父とエミリオは、シドニーのつき添いで海の寄生虫館へ行くことになった。そんな施設があるんだ、と驚くところだが、実はエイミーも興味を惹かれた。けれど岩窟邸に義母ひとりだけ留守番させるのもかわいそうで、エイミーは残ることにした。
玄関まで見送りにいくと、セーラー服姿の愛らしいシドニーが、眩いばかりの笑顔を見せてくれた。
「姉様、いってきます!」
「行ってらっしゃい。楽しんできてね」
手を振るエイミーの隣で、義母は釘をさすことを忘れなかった。
「楽しんでらっしゃい。ただし、帰ってきても、私の前でだけは感想を口にしないでちょうだいね。よくって?」
圧のある笑顔で忠告されても、シドニーの笑顔は少しも翳らない。楽しみで仕方がないって顔だ。
「お土産を買うに適した場所でもないしね。それじゃ、行ってきます」
そう言って苦笑を浮かべたのはエミリオだった。彼はシドニーの頭を軽く撫でた。
男性陣がでかけたあと、エイミーはここぞとばかりに午前中を邸のプールで過ごした。
男性陣に水着姿を見られるのが恥ずかしくて、これまで泳げずにいたのだ。
ずっと気になっていた、邸のなかを河のように流れるプール。水を掻くたび、岩肌に反響する水音が心地よく響く。端から端まで泳いで満足すると、三角のケーキの形をした浮き輪に寝そべり、ライムソーダを飲みながら、揺れる水面に身を任せてゆっくりと過ごした。
昼食は義母とふたりでテラスでとることにした。碧の入江を望む丸テーブルに着席すると、蟹肉のクリームスープに、帆立と夏野菜の冷製サラダ、炙った白身魚のハーブ添えといった料理が、次々と食卓を彩っていく。運ばれてきた半熟卵の殻を、無意識にぺちぺちと叩いていると、義母に窘められた。
「エイミー、やめてちょうだい」
「ごめんなさい」
エイミーは卵に罅をいれて、殻を剥き始めた。
「……心ここにあらずね?」
「そう?」
図星を差され、内心焦りながらも、エイミーは小首を傾げた。
「あなた達、少しは進展したのかしら?」
「あなた達って?」
得体の知れない危険信号を察知しつつ、エイミーはとぼけた返事をした。
「隠さなくていいのよ。リオのこと、好きなんでしょう?」
エイミーは呼吸を止めた。
言葉を失って義母を見ると、明るい碧眼に、悪戯っぽい光が浮かんでいた。
「母親だもの、見ていれば判るわよ。話してくれるのを、ずっと待っていたのに。あなた達ってば、も~……もどかしいんだから! 我慢できずに訊いちゃったじゃない」
「……私、そんなに判りやすい?」
「リオの方が一目瞭然よ。あの子もうすぐ十六歳になるのよ? なのに貴方以外の女の子には、目もくれないんだから」
「……」
エイミーが俯くと、膝に置いた手を義母は優しく握った。
「私は賛成よ。貴方さえ良ければ、デビュタントの前にリオと婚約するといいわ」
「そんな、お義兄さまは……!」
ぱっとエイミーは顔をあげた。
「もちろん、二人の意思を尊重するわ。ただ、私もエドガーも二人の交際に賛成していることは、覚えておいてちょうだい。貴方は大事な娘だし、魅力的で素敵な女性よ。リオと結ばれるなら大歓迎だわ」
そんな風に思っていてくれたなんて――心を深く打たれて、思いがけず涙が滲みそうになった。
「……でも、王女様は? ……お義兄さまは、お見合いはしないとおっしゃっていたけれど、正式なお話がきたら、本当に断れるの?」
震えそうな声で、囁くように訊ねた。
「正式なお話は頂いていないし、頂いたとしても、貴方が諦める心配はしなくていいのよ」
義母は優しく答えた。
「二人が婚約してしまえば、そもそもリオに縁談はこないでしょうしね」
「……婚約って、話が飛びすぎだわ。お義兄さまに、まだ何も告げていないのに」
「ふふふ、進展待ってるわよ」
楽しそうに笑う義母は、今年で三十九歳になる。長命の黄金種はいつまでも若々しく、少女のようにも見えた。
食事を終えると、これ以上表情を取り繕う自信がなくて、エイミーは早々に部屋へと引きあげた。
午後は部屋にとじこもり、義母に言われたことを整理してみようと思ったが、心がまとまらない。
これまでずっと、二人の間には決して越えることのできない海溝が横たわっていると思っていた。義母は背中を押してくれたけれど、この恋を、本当に成就させてしまって良いのだろうか。
いつか終わる恋よりも、このまま家族として、義妹として傍にいられる方が、幸せなんじゃないか――そんな臆病な考えは、いつだって心の底に居座っている。
かといって、エミリオが他の誰かと婚約した時、家族として傍で見守ることなど、自分にできるのだろうか。
決心がつかない。女神様に祝福され、エミリオの好意を知り、義母にも激励されたのに、なぜ不安ばかりが尽きないのだろう。誰かに、アンに相談したかったが、彼女も今は旅行中だった。
そうして煩悶しているうちに、いつしか夕方になっていた。ほどなくして、シドニー達が帰ってくる気配がした。
扉をノックする音に、エイミーは我に返った。てっきりメイドかと思ったが、顔をのぞかせたのはエミリオだった。
「お帰りなさい。楽しかった?」
「うん、まあ……シドニーがはしゃぎすぎて、目を離せなかったけどね」
苦笑まじりに答えてから、エミリオは少し躊躇うように、手のなかの小さな包みを差しだした。
「……これ、港で見かけたんだ。似合うと思って」
受け取って包みを開くと、紺碧の硝子でできた、小さな魚の形の髪飾りが現れた。海の色を閉じこめたような、澄んだ青。
「綺麗……ありがとう」
思いがけない贈り物に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
(お土産を買うに適した場所でもない、って言っていたのに)
それでも、こうして探してきてくれたことが嬉しかった。
「……何か、元気ない?」
まっすぐに見つめられて、エイミーは息を呑んだ。まさか、義母との会話を勘づかれているのだろうか――そう思ったのも束の間、すぐに考え直す。まさか、そんなはずはない。
「元気よ。午前中、いっぱい泳いだから、疲れちゃったのかも」
言い訳を口にすると、
「なんだ、一人で泳いだの? 僕も一緒に泳ぎたかったのに」
エミリオはがっかりしたような表情を浮かべた。
「ごめんね。水着になるのが恥ずかしくて、誰もいないうちに泳いじゃった」
「エイミーの水着姿、見たかった」
あまりにも率直な返事に、エイミーはかあっと頬を染めた。
「もう……恥ずかしいんだってば」
ぷいっと顔を背けると、頭上でエミリオが小さく笑う気配がした。振り向くと、その笑みはいつもよりどこか優しく見える。エイミーは落ち着かない気持ちのまま、髪飾りをそっと両手で包みこんだ。
「そろそろ支度しないと。また後でね」
そう言って、エミリオは扉の外へと退がった。もう一度だけこちらを振り返ってから、彼は静かに扉を閉めた。
鏡台の前でその髪飾りを挿し終える頃には、ちょうど晩餐の時間になっていた。
弟は義母の言いつけをしっかりと守り、寄生虫館の感想を口にすることはなかったが、その機嫌はすこぶる良い。よほど楽しんできたのだろう。
エイミーは明るく振舞いながら、その心は揺れていた。食事をするあいだ、義母に知られていると判っていても、ついエミリオに視線が吸い寄せられる。ランプの淡い光を受けて、銀色の髪がやわらかく煌めいて、本当に天使みたいだ。
(……こんなんじゃ、私も一目瞭然よね)
意識を逸らすために、髪に挿した硝子の魚に、そっと指先で触れる。ひんやりとした感触が、火照った指先に心地良い。
いっそ、エイミーの好感度が、エミリオに見えていたら良かったのに。
そうすれば、彼の方から告白してくれたかもしれない。少なくとも、前にも後ろにも進めずにいる今よりは、何かが変わっていたはずだ。
(……って、私から向き合わなくちゃダメよね)
他力本願を自覚し、そっと戒めのため息をつく。そんなエイミーを、今度はエミリオがじっと見つめていることに、彼女は気づいていなかった。




